2025年10月の記事
誰でも、どこでもできることから

解放運動を次の世代に繋げよう

 
◎8月3日ヒロシマでは

 8月3日、「被爆80カ年」ヒロシマのつどい。祈るような気持ち、言いようのない緊張のなかで開会をむかえた。それは、34年前の創立大会いらいであった。地元からの組織的動員はゼロに等しい。果たして、企画と宣伝だけで人は集まるのか。
 蓋を開けてみると、参加者のうち、地元からの初めての参加が半分近くを占めた。20年近くのヒロシマのとりくみのなかで、初めてのことである。しかも、その人々はチラシやポスターを見ての参加である。それもまた、初めてのことだ。
 アンケートでは、「はだしのゲン」を見るのは今日がはじめてという人もいるなかで、「はだしのゲンとつながる会」があれば参加するという人が10人いた。新たな挑戦は、即、新たなページを開いたのだ。
 惜しむらくは、地域からの若者の参加はゼロ。講談をメインにした企画からは、それもやむを得ない。しかし、福島町のN君と青年部の新君、つどいの成功を担ったこの二人が、手ごたえをつかんだ。今後の広島支部と、青年部建設の新たな柱に心棒が入った。

◎9月21日関西では

 9月21日、関西での狭山のつどい。主催は、宮川氏をはじめとする教員(元教員)有志の方々だが、組織的に期するものがあった。ヒロシマで叶わなかった青少年の参加である。 その一点に、企画、宣伝、声かけ等、すべてをかけた。言わば、狭山闘争の「産み直し」の突破口を開くこと、このことに目標をしぼりきり、あえて旧来の「活動家決起集会」を大胆に切り替え、若者ターゲットにシフトした。
 ヒロシマの時と同様、身震いする緊張で開会をむかえた。参加者87人。3割以上が初めての顔。チラシ、ポスター、フェイスブックを見てきた人がその半数近く。荒本支部からの申し入れ、声かけも有効だった。
 そして、そして・・・青少年が9人参加し、青年1人、中学生2人が「話し合い」で発言した。さらに、アンケートでは、「石川一雄さんの短歌をよむ会」があれば参加してもいいという人が12人、「今後の催しを手伝ってもいい」という人が10人現れた。慢心は戒めなければならないが、ここでも新たな挑戦は、即、新たなページを開いた。

◎もう一度支部をつくるつもりで

 私たちは、6月からの全国大会~支部・県連大会~8・3ヒロシマ~9・21関西・狭山と、文字通り全力疾走してきた。その間、とりくみの集中もあって、青年アンケートじたいは全くのびていないが、別の形で、企画・つどいの場で、珠玉のようなアンケートを集めてきた。
 その土台となったのは、何だっただろうか。
 一つは、3月11日の石川一雄さんの無念の逝去である。石川さんの死は何を突き付けたのか。「自分が石川一雄になって、命のあるかぎり無念を晴らすために生涯たたかいぬくこと」―古くからの狭山戦士にはそれが問われた。
 しかし、まだある。「自分の代で終わり」ではすまされない。次の代に受け継ぐこと。青少年が主人公の、新たな狭山闘争の産み直し。それが、狭山戦士のもう一つの使命になった。
 二つ目に、「このまま座して死を待つのか」絶体絶命の組織的危機感である。同盟員の高齢化や多死化が、否応なしに、年々、不可逆的に進んでいく。5年先、10年先はどうなるのか。旧態依然の有様では、先は見えている。他方、「ムラには若者の姿が見えない」状態が深まる一方だ。都市、農村を問わず例外はない。
 「もう一度支部をつくるつもりで」始めるしかない。34回大会、青対部会の再開、青年アンケートの教訓は、その決断を根底から問うた。それは、アジテーションや決意表明のレベルの問題ではない。実践即解答のレベルの問題だ。
 こうしたことから、真の挑戦を始めた。確実に一歩を刻んだ。だが、まだ指先をかけたに過ぎない。勝負はこれからだ。(なお、ヒロシマ、関西・狭山とも、賛同金とカンパ、自力自闘で賄った。)。


2025年8月記事の訂正とお詫び

「被爆80年」ヒロシマのつどいをおえて 福島町N(ヒロシマのつどいよびかけ人)の文中、以下の箇所について、編集部の不手際で、ご迷惑をおかけしました。深くお詫びし、訂正します。

 と言うのは、子供の頃小学校では、同和教育が全くなかった。外の観音中に行き、福島町と言うと、問答無用で「出ていけ」と言われた。太田川の向こうの己斐でも同じ目にあった。福島町の者は、外に行けなかった。

 と言うのは、子供の頃、小中学校では、同和教育が全く無かった。太田川の向こうの己斐に行き、福島町と言うと、問答無用で「出ていけ」と言われた。福島町の者は、外に行けなかった。


参政党を批判する~地域の視点から 

                 
【茨城県連】

 今年7月の参議院選挙で、極右政党の参政党が大きく票を伸ばしました。特にSNSを中心に、若い人たちの支持を増やしたといわれています。
 参政党をどう見るのかという分析は、様々な視点があると思います。それは別にゆずり、ここでは茨城という一地域の視点からみて、彼ら・彼女らの主張を検討してみたいと思います。

茨城選挙区でも当選

 参議院選挙の茨城選挙区は定員2名で、前回は自民党と立憲民主党が当選していました。しかし今回は参政党の候補者が30万票を超える得票で当選し、立憲の候補者が落選となりました。 県内の比例区の得票でも、参政党の前回の得票数は3万票でしたが、今回は18万票に増やしました。
 茨城県は保守王国といわれ、自民党が強いのですが、2議席を独占するまでには至らず、自民党と革新系野党の「指定席」となっていました。それだけに今回、参政党が当選したことは地元でも「驚き」でした。
 参政党がもっとも強く主張したのは「日本人ファースト」。それは日本人が一番で、外国人はその次、ではありません。日本人オンリーであり、外国人の権利など認めるなということです。

解放運動の改革かけてアジアを訪問

 参政党が茨城でも全国でも票を伸ばしたのは、外国人問題の訴えがうけたということだけではありませんが、この問題が大きく影響したことはまちがいありません。
 そこで、細々とはいえこの問題について取り組んできた立場に立って、その主張をみてみたいと思います。
 私たちは茨城で働く外国人労働者の生活や仕事、学校、医療、福祉等々の支援をずっとやっています。その最初のきっかけは、もう40年ほど前になります。当時の解放運動は同対事業をめぐる利権腐敗がひどくなり、青年たちが狭山をたたかうと同時に解放運動の改革にとりくんでいました。その一環として、日本という国の中で日本政府の予算を使って事業を進めている私たちの運動を、一度アジアの視点から見直してみようということになりました。そして当時の解放同盟関東ブロックの青年たちで、フィリピンで闘っている人たちとの連帯交流に行きました。
 そこでは政府や大金持ちの有力者に逆らったら、文字通り殺される、命をかけた闘いがありました。私たちが解雇という意味で「首切り」と言ったら、向こうでは「やはり日本でも労組の人は首を斬られて殺されるのか」と言われたことをよく覚えています。
 私たちはフィリピン訪問で、日本の解放運動を考えていくためにもアジアの人々の視点が大事であることを学びました。

地域でアジア人労働者を支援

 そして日本に帰って来て周りを見ると、たくさんの外国人が働いていることが見えてきました。それまでは見る意識もなく、見えなかったのです。わざわざ出かけていかなくても、私たちの地域にアジア人出稼ぎ労働者がたくさんいて、日本の入管政策で苦しんでいる現実があったのでした。
 それは畑仕事をはじめ、有名な大洗漁港での魚加工、弁当製造工場をはじめとする製造業など、どこにでも働いていました。特に困難な問題を抱えていたのは、在留資格がないオーバーステイの人たちでした。税金はとられるのに、保険証がないため病気になっても病院に行かない、子どもが学校に通えずアパートで一人遊んでいる、などの現実がたくさんありました。賃金も「外国人相場」と言われて安く、文句を言えばすぐにクビ。労災でけがをした外国人が、筑波山のふもとまで車で運ばれて放置された事件もありました。飲食業では多くの場合、ヤクザがからんでいました。
 そのような問題に、ひとつひとつ取り組み、解決したり、できなかったりをくり返してきました。
 また朝鮮学校の子どもたちの人権を守る会に参加して取り組んできました。これは日本国家の朝鮮侵略、強制連行、戦後補償などが背景にある問題です。国家と国家との間では様々な問題がありますが、「子どもに罪はなし」です。なぜ子どもや教育を標的にするのか。卑怯で許せないことです。
 参政党の神谷代表は街頭演説で「バカでもチョンでも」という朝鮮人差別を口にしました。すぐに取り消し謝罪しましたが、どんなへ理屈を言おうが、彼の頭の中には朝鮮人への蔑視感が染みつていることを証明しています。

外国人労働者の現実

 このような私たちからすれば、参政党は現場のことなど何も分かっていないと思います。ただスローガン的に「外国人より日本人を大事にしろ」と言えば、「そうだなあ」と思う人は多いでしょう。「生活保護や社会保険で外国人は日本人より優遇されている」「あなたたちが貧しいのは、外国人にたくさんのお金を使っているからだ」と言われれば、知らない人は「それはけしからん」と思うでしょう。
 参政党の言っている外国人対策批判のキャンペーンは、もちろんウソ、デタラメです。そして更に許せないのは、自分たちの勢力を拡大するために外国人への差別偏見を利用するという、その考え方そのものです。
 参議院選挙後、県内の農業関係で外国人特定技能労働者関連の仕事をしている人と話した時に、参政党について言っていました。「あの連中はよ、現実が全然わかってねえよ。この40度にもなる暑い真っ昼間に、誰が畑で仕事をしているんだ。ハウスの中なんて50度にもなるよ。ぶっ倒れるよ。寝てるところだって農家の庭先の倉庫を改造したようなところが多くて、クーラーもない。そんな仕事をしてトマトやキュウリを採ってるのは、みんな外国人じゃねえか。そんな外国人に出てけって言うんなら、野菜を食うんじゃねえよ」。
 本当にそうだと思います。

差別排外主義を許さない

 自国民の優越感をくすぐることで党勢を拡大しているのは、アメリカでもヨーロッパ各国でも同じです。日本でも若者を中心に、ごく一握りの大富豪がますます肥え太る中で、苦しい生活、先行きが見えない人生、変わらない政治への鬱積した不満があふれています。その時にそれらを「外国人のせいだ、日本人よ誇りを持て!」と排外主義で組織する参政党。このような極右を許さないために、私たちも声を上げていきたいと思います。






▲このページのトップにもどる