2021年12月の記事
くる年もみんなで団結がんばろう!

~狭山勝利・要求貫徹・改憲阻止の本格的闘争へ~

逆風を突破した2021年のたたかい

 瀬川委員長、中田書記長、片岡副委員長と、全国連の顔というべき指導者をあいついで喪うという大きな試練と「新型コロナ」という世界的パンデミックにみまわれたこの二年。大会・集会のみならず、各ブロックや各支部の会合も部会ごとの集まりも制限され、私たちはかつてない苦境に立たされました。しかし、全国連は各地各階層とも現実を受け止めつつ差別を許さず部落大衆の生活と尊厳を守る精神とたたかいを絶やすことなく、創意工夫と試行錯誤を重ねて奮闘してきました。
 とりわけ、二年ぶりに開催した全国大会以降の2021年をあらためてふりかえり、くる年2022年を展望します。

全国結集でかちとった全国大会

 第30回全国大会。この記念すべき節目の大会はコロナ禍で様々な制約があるなか各地からの代議員を最小限におさえ、必要な対策をとって一部リモートでの参加をふくめながら7月に大阪で開催しました。
 自粛ばかりでなく目の前の現実と向き合い、絶対に逃げず、部落大衆の様々な問題を共有して困難に向き合うことから始めるということ。亡き諸先輩がそうであったようにたとえ少数であってもムラ全体、運動全体を背負って立ち、身分的差別を撤廃するという全国連としての基本路線を確認しました。特に、①狭山第二次意見広告運動の成功、②コロナ禍における大衆的要求闘争への決起、③衆議院選挙を契機とした憲法改悪阻止のたたかい、この三つを大きな課題としました。さらに「示現舎・宮部」の徹底糾弾に立つことを宣言。また、沖縄・三里塚、アジア人民と連帯して侵略戦争反対を貫くことをあらためて誓い合いました。
 こうして村上委員長、楠木書記長を先頭とする新体制のもと『新たな挑戦5ヵ年決戦』の完遂にむけて突き進む一歩を踏み出しました。

ぶっ立った青年と婦人

 青年部と婦人部は超困難な状況が変わらない渦中、8月に全青交(全国青年交流集会)を、9月に全婦大会(全国婦人部大会)を、それぞれ各地オンラインでつなぎやりぬきました。インターネットやリモート操作の専門家などいないなか、「今やれることは全部やる」を合言葉に青年も婦人も事務局が中心となって機器の準備などに奔走し、パソコンと格闘しながら開催にこぎつけました。当日は通信の不具合などのハプニングもあったものの、「コロナ時代の全国交流・情報交換・学習・討論」を貫徹し成功させました。

全力でとりくんだ狭山意見広告運動

 三年前の2018年に実現した全国紙(毎日新聞)での狭山意見広告掲載。それは部落大衆や古くからの活動家のみならず、たくさんの人々を鼓舞しました。しかも、第三次再審闘争の土俵でもある司法権力中枢の東京高等裁判所と東京高等検察庁を確実に揺り動かしました。
 しかし、事実調べ・再審開始には至っていません。そこで、再び意見広告掲載をめざして取り組みをおこない、賛同を拡大しました。各地で地を這うような草の根的運動の甲斐あって、記事掲載に必要な資金が集まりました。
 具体的には本紙10月号でもおしらせしたように、カラー見開き二面で来年5月の掲載に決まりました。現在、紙面のレイアウトなど編集作業に入っており、部落解放新聞・狭山闘争ニュース読者をふくむみなさんの積極的建設的な意見を募集中です。

差別を居直る示現舎・宮部を徹底的に追及
 インターネットを駆使して差別をあおり、部落解放運動と全国の部落大衆に敵対し続ける示現舎・宮部に対して現在も徹底的に糾弾しています。9月には再度、宮部本人に質問状を送って責任を迫りました。(詳細は本紙9月号を参照ください)
 この全国連の追及に宮部は「回答書」を送りつけてきたものの、その内容たるや苦しまぎれの言い訳ばかり。支離滅裂で「回答」になっておらず差別者としての馬脚をあらわにし、そればかりか居直りを続ける一方です。
 とはいえ、全国連は手をゆるめません。この許しがたい差別者をさらに糾弾し、その罪状を認め謝罪するまで徹底的に追及し続けます。

各地のたたかいも活性

 全国大会、全青交、全婦、狭山10月闘争の過程で、各県連大会や支部大会も開催されました。全国ではさらに、関東ブロック長野における台風災害の復興をかけた地域ぐるみの行政とのたたかい、地方選への挑戦、茨城での、県行政を丸ごと巻き込んだ研修や集会、関西ブロックを中心とした同和住宅や医療・介護をはじめとする日常生活に密着した取り組み、中四国ブロックではヒロシマやアジア侵略の総括を軸とした反戦・反核闘争の継続、九州ブロック福岡における駅前・街頭での狭山街宣とPR行動の定期化等々、幅広く豊かな運動を展開してきました。また、各地で来年の参議院選挙での態度も見据えた具体的な取り組みも始まりました。
 1992年に創立した我が全国連は来年、丸30周年を迎えます。狭山再審、要求貫徹、改憲阻止を一体のものとして勝利するためにもより一層みんなで力を合わせていきましょう。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の2
                 
                 部落解放同盟全国連合会

 私たちの「公開質問状3の1」に対して、宮部から11月5日付けで回答があった。
 私たちはこれまで公開質問状で宮部の主張のウソや差別性を様々な面から暴いてきたが、宮部は具体的に答えず、論点のすり替えやはぐらかしばかり書いてきた。そこで前回から論点を絞り、最初に宮部が主張している「自分は部落民だ」というウソについて追及した。
 今回の回答書は、ウソにウソを重ねるとこうなるという見本のようなものである。
 宮部は今回の質問状に対して、ネットでは「全国連は反権力でね。僕はむちゃくちゃ反権力ですよ。本来だったら全国連は示現舎の味方をするべきだと思うんですね…いい加減、やめませんか」などと泣き言をたれている。
 しかし宮部はいまだに「自分は部落民だ」というウソを撤回するどころか、一層振りまいている。私たちは宮部がウソを認めて謝罪するまで、徹底的に真実を明らかにしていくものである。

1、宮部は部落民、とする3つの根拠がデタラメであることを認めよ

 宮部は回答書で「不可解なので付言するが、貴団体はなぜ宮部が部落出身かどうかに
こだわるのだろうか」と言っている。ネットでは今回の質問状に対して「部落民かどうかというのは、はっきしどうでもいい話なんです」「こだわっているのが異常」「マウントをとろうとしている」などとも発言している。「これ以上追究しないでくれ」と言わんばかりである。
 私たちがこの問題を取り上げるのは、宮部自身が「自分は部落民だ」というウソをつき続けているからだ。そして自分の出身はごまかしながら、裁判では解放同盟員の出身地をさらし続けている。宮部が口先でいくら屁理屈を並べようと、その正体はウソつきの差別者であることを明らかにするために、私たちはこの問題を第1のテーマとしているのだ。
 私たちは公開質問状で、宮部が部落民だと主張する3つの根拠が、いずれも根拠など
になり得ず、宮部は一般地区出身者であることを明らかにしてきた。
 すなわち、(1)宮部の出身地である「鳥取市下味野415番地の1」は、下味野の中でも一般地区の本村であり、被差別部落ではないこと、(2)宮部は父親の職業を「屠殺業」などと言っているが実は「ジビエ」を趣味にしているに過ぎないこと、(3)宮部の土地が同和対策の土地改良事業の対象になったというが、隣接する一般地区の土地も含めて事業対象とすることは同和対策事業のイロハのイであること、などである。

(1)下味野の地番に関して

 ① 宮部は今回の回答書で、全国部落調査や鳥取市の同和地区の呼称などが下味野となっているから、「番地がどうであろうと、下味野とつけばそこは部落なのである」と言っている。「番地がどうであろうと」? 宮部は、とうとうここまでデタラメな言辞をはかなければ、自分が部落民だと言えなくなったのだ。
 また宮部は、部落は権力が作り、その権力が下味野は部落と言ったから部落だなどとくり返している。第1回目の回答書でも、「権力により部落民と認められた宮部龍彦が部落民以外の何であると言うのだ」などと息巻いていた。
 権力は戦前の融和事業や戦後の同和事業の対象として、全国の多くの地域で被差別部落を含む大字小字単位で地区指定し、事業の対象地区としてきた。被差別部落であるA地区を含む下味野もそうである。そんなことも知らないほど、宮部は無知なのか。いや、そうではない。知っていながら悪質なウソを重ねているから、その居直りがどんどんひどくなっているのだ。
 ② 宮部は、裁判所に出した陳述書で次のように言っている。「下味野の中でも千代川に近い地域が部落とされており、下味野本村の枝村である『A』という穢多村の存在が江戸時代の文献に出てきます。そして、実際に戦後間もない頃まではバラック小屋のような家が密集しており、差別のために近親婚が多かったと聞いています。」
 また、「鳥取市では下味野全体を部落と思っている人が多いです。…鳥取市によって
同和地区の呼称として『下味野』が使われたので、下味野の区域の住民は、よそからは部落民と思われている」と言い、自分も市職員からそのようにみられた経験を書いている。
 そして「下味野はもともと複数の自治会に別れているのだから、部落・一般という考え方はありません…少なくとも明治末期以降は下味野旧本村と旧Aの関係は差別した・されたというようなものではなくて、『なあなあ』の関係で。」などと書いている。
 これをみても、宮部は下味野の一般地区本村の出身で、隣接するA部落の差別的状況を聞いており、自分が部落民でないことは自覚していたことを白状している。

 宮部に問う。全国部落調査や鳥取市の地区指定が下味野であろうと、下味野415番地の1はA地区内ではなく、一般地区の本村であることを認め、これまで知っていながらウソをついてきたことを撤回し、謝罪せよ。

(2)父親を「屠殺業」とすることについて

 宮部は回答書において必死に論点をごまかし、父親の職業が「趣味」ではなく、保健所に届けた仕事だと言っている。
 宮部は第1回の回答書で、自分から「父親は不動産業者兼屠殺業者」だと言い、あたかも自分が部落民であるというウソの主張を補強するかのような回答をした。それに対して、私たちは父親がやっているのは「屠殺業」ではなく「ジビエ」であることを指摘し、「針小棒大にも程がある」と指摘したのだ。
 論点をごまかさず、潔くウソを認めて、撤回し、謝罪することを求める。

(3)同和対策の土地改良事業について

 宮部のような部落に隣接する一般地区の土地でも、同和対策事業の対象になることが常識であることはすでに述べた。
 宮部は第1回の回答書では「そこが部落でなければ鳥取市が『同和』予算を支出するわけがなかろう」などと無知をさらけだしているが、前回と今回の回答書ではまったく反論がない。できないのだ。これに関して宮部はネットでは「ああそうですか、まあそうですね。それがどうかしましたか」などと完全に認めざるを得なくなっている。
 それならば、こんなみっともない対応でなく、きちんと自分の誤りを認め、部落民である根拠としたことについて、撤回するべきである。

2、宮部は下味野での部落民宣言をどう受け止めたのか

 宮部は、「下味野の一部の児童がいわゆる『部落民宣言』をさせられたのですが…なぜ下味野という区域内で『部落民宣言』をさせられた児童とそうでない児童がいるのかということは全く教わっていません。」と言っている。
 ① 自分が部落民だというなら、宮部自身は「部落民宣言」をしようと誘われたことがあ
るのか。
 ② 宮部自身は部落差別を受けた経験があるのか。
 ③ 宮部の親は自分が部落民だと言っているのか。
 ④ 宮部は親から部落民だと教わったことがあるのか。答えよ。

3、神奈川県の原告の本籍地への転籍について

 宮部は、解放同盟が「戸籍や住民票」を根拠にしていることを逆手にとって、「それなら戸籍や住民票を移動すればだれでも部落民になれる」といって、自分も神奈川県の原告の本籍地に自分の本籍を移した。そして、「本籍地が部落に有るのだから宮部は間違いなく部落民である」なとど回答している。
 これは、宮部の差別者としてのあくどさを典型的に示すものである。宮部の言っていること、やっていることは、現実を無視した下らない言葉遊び、書類遊びに過ぎない。以前から興信所などを使って相手の戸籍をとり部落民かどうか身元調査をする人たちがいる。だから差別から逃れようと、つらい思いで本籍を転々と移す人もいたのだ。そのような部落の人たちをあざ笑う行為だ。
 また、それ以上に多いのは、先祖がどうかや、戸籍がどうなっているかなど分からなくても、「あそこの地区の出身だ」というだけで、部落出身者を差別し排除する人だ。「被差別部落」と周りが見なす地区に生まれたというだけで差別を受ける。この身分的差別としての部落差別は、今も厳然とある。
 被差別部落に生まれていない宮部は、いくら「自分は部落民だ」「本籍を部落に移した」などと絶叫しても、部落差別を受けることはない。興信所が調査すれば「彼は部落出身者ではないが、本籍を部落に移した変人である」という報告書が書かれるだろう。
 宮部を部落出身者などと言うのは、せいぜい「下味野」全部が被差別部落だと勘違いした市職員や市民がいるくらいだ。
 宮部の魂胆は見え透いている。自分が下味野の部落出身でないことを明らかにされたために、下味野から目をそらせ、神奈川へと焦点をずらしたいのだ。だが宮部が部落民かどうかは、下味野で決まる。そこから逃げることはできないのだ。
 宮部は、いい加減「部落」や「部落民」についての言葉遊び、書類遊びをやめたらどうなのか。そして自分が「部落民である」というウソを撤回して、謝罪したらどうなのか。答えよ。

4、部落民と主張するぶざけた動機について

 宮部は鳥取ループを初めた当初、ツイッターに「鳥取ループはガチの同和地区住民で、同和地区出身者です。本人が言うのだから間違いありません。アイヌ優遇策が始まったらアイヌにもなる予定です」とツイートした。
 また「本当かどうかはご想像に任せますが、この国では誰でも同和地区住民を自称できる」「(このプロフィールは)半分皮肉が入っています」などと述べている。
 このふざけた自己紹介だけでも、宮部は自分が部落民だなどと本気で主張しているのではないことがよく分かる。しかしこれは「冗談」などと言って逃げられるような言辞ではない。部落民やアイヌをからかいの対象とする差別者そのものではないか。
 ① 「本当かどうかはご想像に任せます」「半分皮肉が入っている」とはどのような意味
か。
 ② 宮部は、「次はアイヌになる」のか。答えよ。

5、部落所在地をたれ流すことの犯罪性

 宮部が部落出身者であるというウソを暴くことが、公開質問状3の趣旨であるが、宮部が回答書で、全国連は支部名=地域の部落名を公然化しながらゼッケン登校などを行ってきたが、これは寝た子を起こす論ではないのか、全国部落調査の公開に反対するのは寝た子を起こすな論であり、いつから転向したのか、その矛盾について理論的に説明を求める、としているので、一言触れておく。

 ① 宮部は全国部落調査の公開が、〈部落を明らかにする論〉と〈部落を隠す論〉の対立であり、前者の方が部落解放につながるという、路線論争のように押し出している。しかしそれは後からこじつけたものであり、宮部の本音は当初あけすけに自分で言っていたように、「ばんばん売って金儲けしますよ」ということだ。そんな宮部が、路線だ理論だなどと言うこと自体がおこがましい。
 この点については、質問状4以降で徹底的に明らかにする。

 ② 私たちが自分たちの部落名を支部名に冠し、ゼッケンや荊冠旗に書き、それを明らかにしながらゼッケン登校などを闘うのは、第1に、部落差別を受ける者としての自覚と、
差別と闘う主体をつくりあげるためだ。部落差別をなくしていく主体は、全国水平社綱領にあるように「部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」ということだ。そのために自らの部落を誇りとして掲げて闘うのだ。その場合、差別が厳しい故に「寝た子」として生きる選択をしているきょうだいの痛い思いも引き受け、励まし、ともに闘う戦列に加わるように働きかけていく。
 第2に、その主体づくりの基盤の上に、多くの労働者人民との共同闘争を発展させ、部落差別を生み出し労働者階級を搾取・抑圧する国家権力を打倒し、部落解放・労働者解放の未来を切り開いていくのが私たちの運動だ。
 単に、「自ら明らかにするカミングアウト」か、「他者が暴露するアウティング」かといった平面的な問題ではない。
 私たちのこの立場と、ただ全国の部落地名をたれ流す宮部(しかも金儲けの手段とし
て!)とは、正反対だ。宮部は、即刻部落解放運動への敵対をやめるべきである。以上。

2021年12月14日 部落解放同盟全国連合会