2019年08月の記事

被爆74周年8・6ヒロシマ
福島地区のつどいが成功


反戦、反核、反差別の思いを共有し、

戦争加害の歴史を反省し、改憲阻止へ

 安倍政権がいま戦争を風化させ、改憲攻撃、差別排外主義を強力に推し進めるなかで、私たちは反戦、反核、反差別の思いを共有し、戦争加害の歴史をあらためて反省し、ぜったいに改憲阻止、新たな団結や行動の創造をめざして、74年の8・6ヒロシマ福島地区のつどいを旧りんぽ館で行いました。

 はじめに進行挨拶、黙とう、地元妙蓮寺住職による法要をあげていただき、厳かな雰囲気の中、先月9日舌癌闘病の末70歳で亡くなり、8・6実行委員会代表として、反戦平和や部落差別問題を訴えつづけてきた森島吉美先生を追悼する声明を金平久美子さんが述べました。

 地元被爆者が被爆当時からの苦しみを切々と訴え

 つづいて地元の被爆者、横野きよ子さんが被爆当時の苦しい生活、ご主人さんとの思い出を語りました。

「南三篠町(いまの小河内町)に住んでいたが、親の仕事で大崎上島にいたが、広島に原爆が落ちたと聞いて帰ったら何もなくなっていた。食べるものも着るものもなかった。こけた柱でバラックを建てて住んだが、雨もりがひどかった。寝るにもふとんがない。ケガした足は薬もなく、母がモンペを包帯にしてつくろってくれたが、医者にもかかれず傷口に虫がわいた。食べ物は草ばかりで、大きくなれなかった。食べられずによく泣いていた。父も弟も原爆で亡くなった。小学校を出てから、子守りやとなりの八百屋の仕事を始めて、生計をたてた。今でも贅沢せず何でも食べます。」と被爆以降の生活苦をありのままに話されました。また被爆されたご主人の細川吉夫さんについて、「原爆で顔や体が焼けていたので夏になっても裸にはならず長袖を着ていた」。最後には「戦争はもうやめてほしいです」と強調しました。

 いつもは口達者な横野さんも、被爆や生活苦の実情を思い起こされると口や手が震えながら話されていました。それだけの苦痛、辛さを抱えながらも、懸命に生きてきた魂を見て取れました。

 その後、三原から参加された元大久野島での毒ガス工員の藤本安馬さんが挙手され、横野さんの生活苦の話から、「自分も差別と生活の貧しさの中、どう立ち上がっていくか。何としても生きなければならない、というど根性が生きる力になった。横野さんも苦しい生活がつづくと思うが、がんばりつづけていただきたい」と励ましの声を掛けました。

 被爆二世、三世がアピール「平和を強烈に訴えたい!」

 次に被爆二世・三世が、それぞれの思う被爆や戦争問題、またそれをどう乗り越えるのかを発言しました。

 被爆二世の中島晋二さんは今年6月に脳梗塞の疑いで入院して「この経験をして、何としても生きてやるぞという思い。今日の式典をみても、アピールへの気持ちの強さで一人ひとり温度差がある。自分としても強烈に平和を訴えたい。ともに勉強してたたかっていけたら幸いです」と共闘をアピールしました。

 被爆三世の山根努さんは「福島町に来るようになってから、2001年NYテロ。国会で安保法制などが通過し、そして2011年3・11など厳しい状況に無力感がある。しかし、やればできるという意気込みと、自分の責任のとれることにチャレンジすることから、息の合う仲間づくりをすすめたい」との決意を述べました。

 婦人部お教育労働者が授業で取り組んだ被爆樹木をプレゼン

 そして婦人部で教職員の平岡恭子さんが授業の取り組みで作成した被爆樹木をパワーポイントでプレゼンし、「原爆は動物も植物もすべての命を焼き尽くしたと、違う視点から感じることができる。一本でも被爆樹木をみていただきたい。会場の旧りんぽ館前にある「カイヅカイブキ」は、幹が大きく傾き被爆の脅威を物語っている。」と数々の市内に残る樹木や植物を分かりやすく紹介しました。

 侵略と差別と戦争の事実を発信することが8・6ヒロシマの課題

 藤本安馬さんは毒ガスによる加害者としての反省の思いとともに訴えました。

 「私の生まれた時期の日本は急速に先進国になるため、植民地政策で経済成長させてきた。さらにそれをつづけるために中国への侵略を始めた。戦争も差別も最大の人権侵害。時の権力は差別を必要とし、肯定する。いまの安倍政権は第三次世界大戦を企んでいる。これとたたかいつづけること、差別や戦争の事実を発信することが、8・6ヒロシマの課題である。」と力強く発信しました。


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