2021年03月の記事


検察意見書のインク「水洗い」説を粉砕し、

狭山再審開始をかちとろう

 今年こそ下山鑑定人の尋問を実現しよう

    2021年3月 部落解放同盟全国連合会

 

はじめに

 狭山第3次再審は、弁護側と検察側双方の証拠や意見の提出が基本的に終了し、今年、弁護団はいよいよ鑑定人尋問(事実調べ)を求めていくことを表明しました。
 第3次再審ではこれまで241点の新証拠が出されていますが、その中でも決定的に重要なのが下山鑑定であることは明らかです。検察、東京高裁の立場からすれば、いかに下山鑑定を否定するかが、最大の焦点だということです。
 万年筆(インク)問題は、これまで重要な証拠ねつ造問題として争われ、第1次、第2次再審でも検察、裁判所を追いつめてきました。第3次再審では下山鑑定によって「補充説」を粉砕しました。
 これをうけて、今回の検察意見書(2020年5月)は、「水洗いした可能性(水洗い説)」というまったく新しい主張を登場させてきました。この「水洗い説」は非常に危険で悪どいものです。その理解を深めるために、これまでの「補充した可能性(補充説)」がどのように登場してきたのか、「水洗い説」を裁判所が採用したら下山鑑定はどうなるのか、などについて検討していきたいと思います。

1,第1次再審の検察意見書が補充説を登場させた

① 検察は事件当時に行われた荏原鑑定によって、発見万年筆のインクの色はブルーブラック(BBと表記)で、被害者のライトブルー(証拠開示によって、パイロット社のジェットブルーインキ【JBと表記】と判明。)とは違うことを知っていました。しかしそのことは隠して、インク問題には一切触れないまま石川さんを起訴し、早期の死刑判決によってすべてを闇に葬ろうとしました。
 第2審(控訴審)まで弁護団はインクの違いに気づかず、確定判決でもインク問題については触れていません。
 最高裁の上告審段階で初めて問題となり、善枝日記なども開示させて、インクの色が違うことが問題となりました。しかし上告棄却決定(1977年)では、荏原鑑定は、弁護団と検察双方の同意が得られずに法廷での証拠取り調べを経ていないので、弁護団の主張は「証拠に基づかない主張である」としました。内容の検討をせずに、手続きの形式論で棄却したのです。

② インク問題が本格的に争われたのは、第1次再審からでした。このときの検察意見書(1979年2月)は、まず被害者の万年筆と認定する根拠を「兄中田健治も、本件万年筆はその書き心地、ペン先の硬さ等からみて被害品に相違ない旨証言している」ことだとしました。
 では発見された万年筆はなぜインクの色が違うのか。検察意見書はその理由として「具体的時期、方法は明らかではないが、本件発生当日…BBインクを補充したことが考えられる」と、初めて「補充説」を打ち出したのです。

2,補充説は中根調書をねじ曲げた根拠のない憶測

① この補充説は、級友の中根調書をねじ曲げて作り上げた、あり得ない憶測でした。
 中根は事件当時の7月27日付の調書で、具体的な流れに沿って次のように述べています。

「4月24日の午前8時25分頃、机からインク瓶を出して万年筆にインクを入れていると、前の机にいた中田さんがペン習字(注:この日は1限目が入学して最初のペン習字授業だった)でインクが足りなくなるかも知れないから少し貸してくれと言うのでインク瓶を渡した。中田さんは『色が違っちゃうかな』と言っていた。他の教室に掃除に行ったので中田さんがインクを入れているのは見ていない。教室に戻って午前8時55分頃ペン習字の始まるベルが鳴ったとき机の中を見るとインク瓶が戻っていた。中田さんがどうもありがとうとお礼を言ったので、私のインクを入れたことは間違いないと思いました」

 ところが、4月24日以降の善枝日記も、事件当日のペン習字浄書も、JBのままで変わっていませんでした。つまり被害者は4月24日にいったんインク瓶を借りたものの、JBインクにBBを混ぜることに躊躇し、結局は入れないで、ありがとうと言ってインク瓶を返したということです。

② 一方、中根は事件から9年後(1972年9月19日)の2審公判で証言し、インクを貸したのは、「事件のあった日(5月1日)か前の日だと思いますけれども、よく分からないんです」と答えています。どういう機会に貸したかについても「その点ははっきりしません」と答えています。9年も経って記憶があいまいになっていることは明らかです。

③ 事件当時の具体的な供述の方が信用できるのは当然です。しかし貸したのが4月24日では、善枝日記やペン習字浄書もBBに変わっていなければならず、補充説は成り立ちません。そこで検察意見書は、当時の中根供述調書は「インクの貸与月日に関する限り信用できない」 として、あいまいな2審証言の方を採用し、強引に「事件当日」にねじ曲げてしまったのです。

 ④ この検察意見書の補充説に対して、第1次再審弁護団意見書(1979年5月)は、「空想」「極めて不自然な想定」「現実離れしている」と批判しています。
 当時は証拠開示も不十分という制約はありましたが、補充説に反論する鑑定なども行いませんでした。弁護団は、このような根拠のない憶測が裁判所に採用されるとは思っていなかったのでしょう。

⑤ しかしこの検察意見書が打ち出した補充説は、そっくり東京高裁の第1次再審棄却決定に採用されました。東京高裁は「万年筆のインクを補充したという推測を容れる余地も残されていないとはいえない。…事件の発生に近い時期に補充し、そのインクが残留していたという可能性は十分に考えられる」として、再審を棄却しました。

⑥ それ以来、第1次再審で検察意見書が言い出した、(1)兄健治の「ペン先の書き具合から妹のものに間違いない」という証言が被害者のものとする根拠である、(2)インクの違いは補充の可能性があるので健治証言は信用できる、という認定がずっと維持されてきたのです。

 ⑦ 今回の検察意見書は、(1)は維持しながら、(2)の補充説を放棄し、水洗い説に転換しました。それは、これまで、発見万年筆のBBにはJBが混ざっているとしてきたのですが、下山鑑定によって分子のレベルでJBは混ざっていないことが証明され、補充説が粉砕されたからです。
 水洗い説は、下山鑑定に追いつめられた検察の、必死の巻き返しです。

⑧ この教訓は
・検察意見書がいかにデタラメな憶測であっても、それを軽視してはならないこと

・「可能性があるという推測」に対して「あり得ない」という抽象論を対置しても、裁判所は有罪方向の可能性を採用する、ということです。

3,補充や水洗いを「ペン習字授業後」にずらした悪らつさ

① 第1次再審の各棄却決定は、被害者がBBのインクを補充したのは「事件の発生に近い時期」としていました。

② 第2次再審で、事件当日午前中の「ペン習字授業で書いた浄書」がライトブルー色のままで変わっていないことが明確になりました。インク瓶の貸与は「ペン習字授業の前」という中根供述によれば、色がBBに変わっていなければなりません。
 これに対して、第2次再審の各棄却決定は、中根調書に反して「当日午前のペン習字の後に」(1999年高木決定、2002年異議審決定)、「ペン習字の授業後に」(2005年特別抗告棄却決定)と変えてしまいました。
 これは被害者がペン習字授業に向けて級友からインクビンを借りたという動機までも否定するものであり、それこそ何の「根拠」もありません。しかし第2次再審の3回の棄却決定が、インク瓶の貸与時期をペン習字授業の後とねじ曲げてしまったことは重大な変更でした。

③ さらに第2次再審の特別抗告棄却決定では、石川さん本人がインク瓶を持ち歩いていて、自分で被害者の万年筆に補充した可能性もあるなどと言い出しました。その「根拠」とされたのが、事件の何ヶ月も前に石川さんが石田養豚場で働いていたころにインク瓶を持っていたのをみたことがある、使ったところはみたことがない、という雇用主の証言です。 
 こんな証言は、事件当日も石川さんがインク瓶を持ち歩いていた根拠にならないし、しかもそれを被害者の万年筆に補充した根拠になどなるはずがありません。裁判所は「根拠」などいかようにもこじつけるということです。

④ 今回の検察意見書は、第2次再審の各裁判所の決定に合わせて、「ペン習字授業前という中根調書は、ペン習字の授業後、下校までの間の出来事と混同していた可能性がある」と、時期を変えています。また郵便局でも同様に可能性があるとしています。

4,下山鑑定に追いつめられ新たに水洗い説を登場させる

① これまでインクの違いは、ライトブルーとブルーブラックという「色」の違いで争われてきました。補充説は、発見万年筆はBB色だが、それにはJ B (商品名。色はライトブルー)がまざっているというものです。
 しかし下山鑑は分子レベルで鑑定し、

(1)被害者の使用インクは事件当日のペン習字浄書までJB単体であった(JBのクロムが含まれ、BBの鉄が含まれない)

(2)発見万年筆のインクはBB単体であった(クロムが検出されない)、というものです。

 これは第1次再審以来の補充説=混合インク説をひっくり返すものでした。

 ② 下山鑑定に対して、検察は当初、クロムが微量過ぎて検出されなかったと「検出限界論」を主張するS意見書を出してきました。しかしそれは、「どんな抽出検査でも検出限界はある」という一般的抽象的な主張でした。しかし下山鑑定は、万年筆内のJBインクをすべて排出し、さらに文字がかすれて書けなくなるまで書いてから、BBを補充したインクからも、クロムが検出されることを証明したのです。発見万年筆からクロムは検出されなかったのですから、そのインクはJBが含まれないBB単体インクということになります
 検察は下山鑑定への反論を2年間も引き延ばし、おそらく自分たちでも実験を重ねたと思われます。その結果、いったんは提出したS意見書の検出限界論では下山鑑定に勝てない、証拠のねつ造が暴かれ再審開始につながるという危機に直面しました。

 ③ その結果、今回の検察意見書では、検出限界論を自ら撤回し、40年以上主張してきた「補充説」をも放棄して、「水洗いしてJBをきれいに洗い流した後に、クロムを含まないBBを入れれば、クロムが検出されないのは当然だ」として、「水洗い説」を言い出しました。下山鑑定をめぐっての科学的対決から逃げ、下山鑑定の証明の範囲外である情況証拠や可能性論の領域に逃げ込んだのです。

 ④ 検察意見書は、新たな水洗い説の「根拠」として、インク瓶の外箱に「別のインクを補充する際には水洗いを奨励する」旨の記載があるとして、これを証拠提出しています。そして、被害者もこの奨励文を当然見ているし、中根調書で被害者が「色が違っちゃう」と言っていたのだから、BBを補充する際には当然水洗した可能性が高いとしています。
 検察はこの奨励文によって〝水洗い説は何もないところから作り上げた空想ではない、異なるインクを補充するときに水洗いするのは当時の慣例だった、根拠のない荒唐無稽な憶測ではない〟と主張しているのです。これは重視すべきです。裁判所が水洗い説を採用する根拠にされかねません。

5,下山鑑定の無力化をねらう水洗い説

① もし裁判所が、検察の水洗い説を採用したらどうなるでしょうか。

 第1に、先にみたように、すでに第2次再審の各棄却決定は3度にわたってインクの補充は「ペン習字授業の後」としています。これを前提とされれば、ペン習字浄書は補充(入れ替え)前なので、JB単体であることは当然となります。

 したがって、JB単体とした下山鑑定が正しくとも、水洗い説を否定することにはならなくなります。これを批判するには、インクの補充を「ペン習字授業後」とした第2次再審の各棄却決定そのものをひっくり返さなければなりません。容易ならざるたたかいです。

 第2に、発見万年筆についても、水洗い後にBBを入れたとされたら「発見万年筆はBB単体なのは当然で、下山鑑定とも一致する」とされてしまいます。

 たとえ下山鑑定人の証人尋問が実現し、その鑑定結果の正しさを裁判所が認めたとしても、下山鑑定は正しいままで無力化されてしまうのです。

② これが、検察が下山鑑定との科学的対決から逃げ、下山鑑定とは無縁な水洗い説という推測に逃げ込んだねらいです。検察は下山鑑定に対する科学的反論をあきらめ、下山鑑定が正しいことを前提にしても、水洗い説なら有罪を維持できると判断したのです。
 これまでの「補充説」は、中根調書に反する「何の根拠もない推測」でしたが、まかり通ってきました。それをふまえれば今後裁判所でも、別のインクを補充した(入れ替えた)際に、もう一手間を加えて水洗いをした可能性が高いとすることは、それほど大きな飛躍を要することではないとされる危険性があります。

6,水洗い説についての解放同盟、弁護団の見解

① 解放同盟は、水洗い説についてほとんど訴えず、「それを裏付ける証拠は何もなく、検察官の憶測の積み重ねだけである」と言うだけです。水洗い説など、問題にする必要もない荒唐無稽なものだという姿勢です。
 もちろんそれはその通りです。しかし問題は、同じように「根拠のない憶測」である「補充説」を第1次再審の検察意見書が言い出し、それを裁判所が採用してこれまで再審棄却決定の柱にされているという現実です。「根拠のない憶測」は裁判所がきちんと退けてくれるというなら、とっくに狭山再審は開始されています。

「何の根拠もありません」とだけ批判しているのでは、東京高裁が再び水洗い奨励文や中根証言を「根拠」として、検察意見書を採用する危険性が大きいと見なければなりません。それを許せば、すなわち再審棄却です。

② 狭山弁護団の主張については、『部落解放』2021年3月号に、「『万年筆発見は秘密の暴露』の崩壊」と題して、中北弁護団事務局長が次のように書いています。これが検察意見書に対して弁護団が出した反論(補充書)の骨子だろうと思われます。

 「被害者使用のインク瓶入れの外箱には、別のインクを補充する際には水洗いを奨励する旨の記載がある。しかしながら、外箱に水洗いの説明があるからといって、被害者が別のインクを補充する際に水洗いをしたとするには著しい飛躍がある」

 「検察官はこの(中根)調書をもとに、インク瓶を借りた際にインクを補充したであろうと憶測し、その補充の際には水洗いをしたであろうとさらに憶測を重ねている。…しかし、調書からは被害者がN(中根)インクを補充したとは認められず、ましてや補充の前に水洗いしたとは推認できない」

 このように、検察が新たに持ち出してきたインク瓶外箱の水洗い奨励文については、まったく重要視していません。そして中根調書をわい曲していると批判していますが、先にみたように、中根調書はわい曲されたままずっと棄却決定に取り入れられてきたのです。中根調書をわい曲しているという点だけに依拠して水洗い説批判を展開しても、その弁護団の主張は、「すでに検討されたことで新規性がない」と門前払いされる危険性があると思います。

7,東京高裁の水洗い説採用を許さないために

① 私たちは、第1次再審で「補充の可能性」を徹底批判せず軽視してしまった結果、棄却決定を許してしまいました。その教訓―「検察意見書を軽視するな」という教訓―をしっかり踏まえることが求められています。
 東京高裁が下山鑑定を否定するなら、その依拠するところは検察意見書以外にないのです。検察の「水洗いの可能性」を裁判所に採用させないこと、「水洗いの可能性」による下山鑑定の無力化を許さないこと、そこに第3次再審勝利のカギがあります。

② 私たちはどう闘うべきでしょうか
 第1には、何としても下山鑑定人尋問を実現することです。それは検察や裁判所が40年にわたってしがみついてきた「補充の可能性」を完全に崩壊させることになります。まずは東京高裁に「補充の可能性」の破綻を認めさせなければなりません。
 第2には、狭山勢力にもほとんど知られていない検察の水洗い説を大衆的に暴露し、「東京高裁は検察の水洗い説を採用するな」の世論をつくっていくことです。水洗い説の軽視は命取りになりかねません。後になってから「こんな根拠のない憶測を採用するなんてひどい」といくら批判しても遅いのです。
 解放同盟、弁護団、あらゆる狭山勢力が力を合わせて、検察の水洗い説を採用させない大きな声をつくっていきましょう。
 第3は、「水洗いの可能性」に対して、その可能性が「ないことの証明」はできないことを踏まえれば、何としても科学的対決へと持ち込むことです。水洗いについての科学的実験で、水道で洗ったら本当にJB(クロム)は完全になくなるのか、などの検証です。
 検察の土俵に乗ることになる、結果がどうなるかわからない、という批判もあるかもしれません。しかしこれまで「補充の可能性」に対して「中根調書のわい曲だ、根拠のない憶測だ」という反論は40年間退けられてきましたが、下山鑑定によって粉砕することができました。この教訓をふまえれば、同様に「水洗いの可能性」を崩す科学的な検証が必要だと思います。弁護団にはぜひやってほしいと思います。また袴田事件では支援団体による「衣類の味噌漬け実験」が再審開始につながったように、私たちもできることを追求していくことも大事だと思います。
 第4に、万年筆問題は証拠のねつ造という権力犯罪に直結した問題であり、それが相手の弱点であることをしっかり見据えてたたかうことです。
 今年1月、解放同盟の狭山担当者が、学習会で次のように述べたということです。
 「『万年筆』だけでは『証拠の捏造性』が明らかになるだけで、根底的には石川さんの『犯人性』を否定する必要がある。つまり、脅迫状を書いたのは石川さんではないということ(注:筆跡問題)を明らかにしていく必要がある…」(Facebook「狭山事件の再審を実現しよう」より)

 しかし「証拠の捏造性」を明らかにすることは、決定的に重大なことです。確定判決は「いやしくも捜査官において重要な証拠収集過程においてその一つについてでも、作為ないし証拠の偽造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件はきわめて疑わしくなってくる」としています。
 昨年12月の袴田事件に対する最高裁の差し戻し決定でも2人の判事は「差し戻しでなく、即時再審開始決定を」という反対意見を出しましたが、その理由に、証拠とされた5点の衣類は「第三者がみそタンクに隠した可能性がある」ことをあげています。証拠のねつ造を暴くことは再審開始に直結するのです。
 検察意見書の水洗い説は強力な毒をもっています。「水洗いの可能性」を葬らなければ、下山鑑定人尋問を実現してその正しさを裁判所に認めさせるだけでは十分ではない段階になっているのです。第3次再審闘争が最終的な山場を迎えた中で、検察の水洗い説を粉砕して下山鑑定の意義を東京高裁に認めさせ、再審開始をかちとるとめに闘いましょう。