2012年10月の記事

当面するスケジュール

(2012年10月22日)

寺尾判決38カ年糾弾! 狭山第3次再審勝利!10・28狭山中央闘争

10月28日(日)午後1時開会  日比谷図書文化館大ホール(東京)

全国連婦人部第21回定期大会

 11月10日(土)~11日(日)  いこいの村あしがら(神奈川県)

寺尾判決38カ年 今こそ、悔しさを晴らすとき!

(2012年10月22日)

全証拠の開示、事実調べにむけ総決起を いざ! 10・28狭山中央闘争へ!

部落解放同盟全国連合会(以下、全国連)は10月28日、狭山中央闘争を東京でたたかいます。千代田区立日比谷図書文化館大ホールで 10・3狭山要請行動 東京高裁に再審開始を迫るシュプレヒコール の全国総決起集会から、都心でのデモ行進をおこないます。すべての部落のきょうだい、そしてたたかう労働者・市民に共に立ちあがることをおねがいします。

1974年10月31日、東京高裁・寺尾裁判長が、石川一雄さんの無実の叫び、そして「石川=無実」を確信しつめかけた多くの部落のきょうだい、共にたたかう労働者の思いを踏みにじって、石川一雄さんに「無期懲役」判決(これが現在の確定判決)をくだしてから今年で38年になります。石川一雄さんは31年7ヶ月の獄中闘争のときも、仮出獄後も、再審=無罪を訴えてたたかいつづけています。

そして今、この狭山再審にむけて決定的なときをむかえています。石川一雄さんの不屈のたたかいが、2009年9月に裁判所・検察・弁護団による三者協議を開始させ、さらに裁判所に検察にたいする「証拠開示勧告」を出させました。動かないかに見えた再審への情勢をついに動かしたのです。私たち全国連もこの情勢の中で、検察の証拠開示拒否ー証拠隠しを徹底糾弾して、実際に隠されていた証拠を開示させてきました。なかでも、石川一雄さんが逮捕当日に警察でかかされた「上申書」は、犯人が残した脅迫状と石川一雄さんでは筆跡がちがうということが誰の目にも一目でわかるものでした。石川一雄さんの無実を完全に証明しました。追いつめられた検察も、今年3月、3通の意見書を出しました。筆跡に関する鑑定と死体に関する法医学鑑定2通です。これまでの検察のデッチあげの「有罪立証」と、それをもとにした裁判所の差別判決がもはやもたないことを検察も自覚し、「立証」をやり直したのです。

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狭山中央闘争への前哨戦 10・3要請行動をたたかう

(2012年10月22日)

第11回目の三者協議の当日に新たな担当検事を糾弾する!

10月3日、狭山第3次再審をめぐって、裁判所・検察・弁護団の第11回目の三者協議が行われました。検察側は、事件直後の捜査報告書やスコップに関する証拠4点を開示したと 事実調べ・再審を訴えて官庁街をデモ行進(10・3) のことですが、証拠隠しの姿勢はかえていません(『狭山闘争ニュース』参照)。全国連はこの10・3三者協議のまさに当日に、東京高裁、東京高検にたいする要請行動にたちあがりました。

午前10時からの事前の打ち合わせ集会につづいて、11時から東京高裁への要請行動をおこないました。高裁は加藤法廷管理官ら3人が対応に出てきました。

石川さんの訴えうけとめ再審を開始せよ

要請団を代表して村上義久副委員長が「小川裁判長が東電事件で開始させた。当然の結果である。えん罪に苦しむ人が無罪を確定させているしくみを広げていかなければならない。石川一雄さんは高裁前で訴えている。この血叫びをうけとめ狭山でも事実調べ・再審を開始させるべきだ」と訴え、あわせていまだ開示されていない証拠を出させるよう再度の勧告をすること、また証拠リストを開示させることを迫りました。 

この後、本部と参加各支部・県連から文書による要請が行われ、全証拠を開示させること、事実調べを開始することが訴えられました。

最後に、中田書記長が「三者協議も11回を重ねている。再審をめぐるたたかいも新たな段階を迎えている。検察はいまだに勧告された証拠を出していない。裁判所はこの新たな段階で、事実調べ・再審にむけ真剣な姿勢で当たっていくべきだ」と訴えました。

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北摂支部が23デー行動と学習会にとりくむ

(2012年10月22日)

【北摂支部】10・28狭山中央闘争にむけて、9月26日、全国連北摂支部は共闘の労働者とともに阪急富田駅南側出口で夕方5時半より23狭山デービラまきを行いました。

また、29日土曜日には村 北摂・富田町での学習会(10・13) 内全戸にビラ入れを行いました。  寺尾判決から38年を迎える10月こそ、三者協議を皮切りに事実調べ、再審への門を押し開くという決意でビラを渡し、そうした気持ちがビラの受け取りにも現れ、用意したビラすべてを巻ききりました。村内ビラ配布でもご苦労さんの声を会う人みんながかけてくれます。

10月13日には、関西大学の吉田徳夫先生を招いて学習会を行いました。富田・春日のきょうだいや富田町病院の小西院長や和田市会議員を励ます会など25名が参加しました。

集会は吉田先生の講演を軸にしながら権力によって部落差別が作られていること、結婚差別事件を広島控訴審判決や高松差別裁判などを例に出して説明し、現在でも狭山事件が起こっているとの意見と結びついて、狭山事件の本質、現在の状況などが支部員から提案され、討論が盛り上がりました。

そして最後に、10・28総決起を訴え、集会は成功しました。

北摂支部は全力で10・28狭山中央闘争に立ち上がります。

三里塚・農地を奪う攻撃との命がけの決戦へ(10・7現地闘争の報告)

(2012年10月22日)

「原発反対! すべての原発を廃炉へ! オスプレイ配備弾劾! 農業を壊滅させるTPP参加を阻止しよう! 福島、沖縄の怒りと固く連帯し、市東さんの農地決戦にたとう!」をメインスローガンとする10・7全国総決起集会が、三里塚現地で開催され全国連もともにたたかいました。

現地集会では、「農地死守・実力闘争」が訴えられ、三里塚決戦への突入が宣言されました。

現地で建設の進んでいる第三誘導路建設の狙いは、市東孝 三里塚現地に翻る全国連の荊冠旗 雄さんの軒先まで空港用地を広げ、ジェット機の騒音と排ガスによる「農地明け渡しの脅迫」です。

市東さんの農地をめぐる裁判は、「国策裁判」としての反動判決がねらわれています。国と空港会社は、市東さんの農地と作業場、自宅などの営農手段を奪おうとしているのです。 「農地を奪う攻撃は命を奪うのと同じだ」と市東孝雄さんは、父祖代々の農地死守を訴えています。 三里塚軍事空港建設という国策とのたたかいは、反原発でも、沖縄でも、TPP反対でもたたかわれています。

部落解放同盟全国連を代表して滝岡中央統制委員は、住民無視、命とくらしをかけたたたかいに連帯する決意を表明し、今秋の10・28狭山中央闘争への結集を訴えました。

農地死守でたたかう決戦に勝利するためにも、来春3・24へ結集しよう。

婦人部大会に参加しよう

(2012年10月22日)

生活実態調査を全国に広げよう! 婦人は狭山闘争の先頭にたとう!

【婦人部】全国の部落の婦人のみなさん。労働者、市民のみなさん。

来る11月10日、11日の二日間にわたり、神奈川・足柄の地において第21 毎年積み重ねられる婦人部大会 回全国連婦人部大会を開催いたします。

昨今、部落解放運動をめぐる情勢は、厳しさを増しています。同和対策の法がなくなって10年を越え、自前の実態調査から見えてきたことは、部落の様相が大きく変わり始めたことです。低所得と高齢化、低学力に見まわれ、差別と貧乏の悪循環がはじまっています。

全国連のムラからはじまった生活実態調査を全国へと拡大し、生活苦に追いやられる婦人がみずからたって解放運動を大きく押し広げる役割を担う所存です。みなさんにご参集いただき、交流の機会となれば幸いです。

さて、狭山第3次再審闘争は、正念場中の正念場です。10月3日三者協議の渦中に全国連は、裁判所と検察に対し、「要請」行動で事実調べをおこなえ、隠し持つ証拠を全部出せと糾弾しました。10・28狭山中央闘争に全国から集まって差別裁判を打ち砕きましょう。 10・28から11・10足柄全婦へと声をかけあって、ご参加ください。

開催地元の関東からは、茨城県連の婦人は、「原発はいらねえ」朗読劇を準備され、受け入れの労を担っていただいています。また、福島の女性もかけつけていただき講演の予定です。しっかり学びたいと思います。

豊かな感性で反原発・オスプレイの沖縄への強要を許さず、婦人の交流と学びの大会をみんなの手で成功させましょう。

全国から部落の婦人、たたかう仲間の大結集をお願いします。

オスプレイを沖縄・普天間基地から撤去せよ!

(2012年10月21日)

沖縄・普天間基地への配備を徹底弾劾する!

10月1~6日、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ12機が岩国から沖縄・普天間米海兵隊基地に移動し配備されました。5日には、2機が普天間から伊江島補助飛行場・本島北部訓練場へ初訓練を強行し 「どこまでも闘う!」決意を語る沖縄県民 ました。いよいよ市街地のど真ん中に位置する世界一危険な基地・普天間を拠点とした、構造的欠陥機オスプレイの本格的な訓練が始まろうとしています(オスプレイは、今年だけでも、4月にアフリカ・モロッコで、6月にはアメリカ・フロリダで墜落事故を起こしています)。

これに対して沖縄県民は、9月9日に13万人余が決起した県民大会を頂点に、この4カ月間、オスプレイ普天間配備反対、普天間基地撤去を求めて島ぐるみの総決起で闘いぬいてきました。配備後の3日にも名護市民大会、4日には八重瀬町で町民大会、6日には大宜味村で村民大会が開催されています。オスプレイを1機残らず叩き出し、普天間基地を閉鎖させるたたかいが始まっています。これは、「基地の島」を強制されてきた沖縄の歴史をぬりかえるたたかいでもあります。

本土の私たちは、沖縄県民と固く連帯して、普天間での訓練、全国6ルートでの低空飛行訓練を許さないたたかいに決起して行こうではありませんか。

● 戦後最大の結集を実現した9・9県民大会

米海兵隊基地・普天間飛行場は、1996年の「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)の合意によって、代替基地の提供を条件に返還されることが決まりました。その後、日米両政府は代替基地を、キャンプ・シュワブに隣接する名護市・辺野古崎に作ることで合意しました。実は、この合意でオスプレイ導入も謳われていましたが、沖縄県民の配備反対運動をおそれた日本政府は事実を押し隠してきました。しかし今年6月、「新国防戦略=アジア回帰宣言」を発した米政府が、オスプレイ配備にかかわる「米軍受け入れ支援」を通報することによって、日本政府もごまかせなくなったのです。

沖縄県民はすぐに反撃します。早くも6月17日、「オスプレイ配備反対」「普天間基地の早期閉鎖・返還」を求める宜野湾市民大会がかちとられました。「10月オスプレイ配備・運用」計画が明らかになる中、6月27日には、翁長雄志那覇市長(市長会の会長)が、配備に反対する県民大会の開催について自身を含む県内11市長が合意したことを発表。同日、県議会の喜納昌春議長も、開催に向けて関係団体へ積極的に働き掛けることを表明。県議会全会派も、県町村会も開催に賛同することでまとまりました。7月4日には、県議会議長、市長会長、連合沖縄会長、婦人連合会長の4者を共同代表とする実行委員会形式の県民大会を開催することを決定。市町村ごとに実行委員会が設置され、8月27日開催が決まりました。

台風19号の直撃で9月9日に延期された県民大会は、13万人余の県民が決起し、戦後最大の結集を実現しました。県議会をはじめ県下41市町村議会の全てが反対決議を挙げ、大会にも全ての自治体の代表が顔をそろえました。経済団体からも商工会議所の代表が共同代表の一人として参加するなど、オスプレイ配備反対のたたかいは、島ぐるみ闘争としてたたかわれました。それは、1950年の朝鮮戦争とアジア冷戦の始まりのなかで米軍による銃剣を振りかざした土地取り上げに対して身体を張ってたたかった姿を彷彿とさせました。

● ふたたび沖縄に犠牲をしいる日米政府弾劾する!

しかし日米両政府は、9月19日に「安全宣言」を発表し、飛行経路も見直さないと宣言。沖縄県民が明らかにした一点の曇りもない民意、断固として自らの命、子や孫の命を実力で守り抜こうとする決意を平然と踏みにじってオスプレイの普天間配備を計画通り実現しようとしてきたのです。

9月20日、県民大会の決議をたずさえた共同代表が政府へ配備中止を要請。しかし政府は共同代表を門前払い。県民大会後沖縄の民意を政府に受け止めさせようと言う立場を強めていた仲井真知事が行った防衛相、外務相への配備中止要請(野田首相は国連総会に出席)に対しても、「配備は当然」と答えています。とりわけ森本防衛相は、「オスプレイは尖閣問題の抑止力」になる、と述べ立て、欠陥機オスプレイの配備によって現実に命の危険、すさまじい騒音被害に苦しむ沖縄県民に、ふたたび侵略戦争の犠牲になれ、と宣言しました。絶対に許されません。

9月26日、普天間基地ゲート前には県民大会共同実行委はじめ、多くの県民が何としても止めようと駆けつけました。抗議行動は、約9時間にわたり米軍普天間飛行場のゲート2カ所を海兵隊が封鎖するというかつてない事態を生みだしました。さらに、9月29日午後から30日午後にかけて、約24時間にわたって座り込みなどの行動によって普天間飛行場の3つのゲートすべてが封鎖され、米軍は飛行場から市内への出入りができなくなりました。沖縄復帰から40年の長い基地問題をめぐる歴史の中でも、初めての実力行使による事実上の基地封鎖でした。

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普天間基地ゲート前の闘いに参加

(2012年10月21日)

(投稿)大阪・大東市の共にたたかう仲間から報告が寄せられました。

9月28日の朝7時に普天間基地第3 普天間基地ゲート前に結集し、たたかう人々 ゲートの前に150人が結集しました。当日、台風の影響でオスプレイはやってきませんでしたが、集まった人々の「沖縄にオスプレイはいらない!」「どこまでも闘うぞ!」という熱気に大阪から来た私は圧倒されました。県内の複数の市長が「先頭に立って反対」を訴えました。3人の国会議員も発言しました。その後、基地西部の大山ゲートに場所をかえて、座り込みの闘いをやりぬきました。

宜野湾市の四分の一を占める普天間基地、隣接して幼稚園・小学校・中学校・高校・病院それに民家が立ち並び、事故がいつ起こるかわからない大変危険なものだと、実感しました。この基地に何度も事故を起こしているオスプレイが配備されるのを沖縄の人々は絶対に許しません。9月の県民大集会は闘いの方向をはっきり打ち出しました。

私が感じたことは、沖縄の人は「基地反対」の気持ちで一致していることです。それもかつてないほどの決意と落ち着きをもっていることです。集会で「ヤマトには頼らない」と話していた人がいます。ずきりと胸を刺されたような気がしました。それは逆に「今こそヤマト(本土)のあなた達が本気でやらないとだめだよ」ということだとわかりました。

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