2022年5月の記事

部落解放運動の歴史を変える、

100年に1度の狭山最終決戦へ!


第3次再審は大詰めを迎えた

 4月26日に、第50回三者協議(裁判所、弁護団、検察)が開かれた。そこにおいて、弁護団は、6月中に下山第2鑑定(万年筆・インク)、赤根鑑定(死体関係)に対する検察意見書への反論を提出する予定を伝えた。検察は、7月末をめどに、総括的な意見書を提出すると述べた。次回の三者協議は、これまでの3カ月毎のペースをとばして、9月上旬に行われることになった。事実調べー鑑定人尋問を訴えて第2次狭山意見広告 【5月8日(日)毎日新聞全国版2面見開きカラーで】掲載される ここに第3次再審請求は大詰めを迎えた。まだ断定はできないが、ようやく9月には、弁護団から鑑定人尋問の請求が出されるものと思われる。検察側も「反論を待っている」(1月要請行動での発言)と構えている。総括意見で、下山鑑定・第2鑑定をはじめ、新証拠をことごとく否定し、「事実調べの必要なし」と主張することは不可避だ。「水洗い」論をはじめ、検察のデタラメな総括意見を粉砕し尽し、裁判所によるこれの採用を絶対に許さず、鑑定人尋問を実現しよう。
 石川一雄さんのお連れ合い、早智子さんから、全国連婦人部の寄せ書きに返信がきた。「復讐に燃えた日もあり泣いた日も 今は黙して三次で決着」と、一雄さんの短歌が添えられていた。「今年は勝負の年です」と述べておられる。

最終決戦が始まった

 下山鑑定・第2鑑定を超える新証拠はない。下山博士の鑑定人尋問の実現無しに事実調べなし。第3次での勝利なしに、狭山の勝利はない。59年間たたかってきた、石川一雄さん(83歳)に「次は無い」。余り、こういう表現は使いたくはないが、それでも敢えて、狭山最終決戦と言い切っても何ら過言ではない。
 この一戦に、石川一雄さんと我々一人一人の人生がかかっている。しかし、そればかりではない。部落解放運動史上、水平社時代も含めた、この100年で、対権力糾弾闘争の最大最高の決戦だ。水平社創立100周年のうち、実に59年が狭山闘争。この一戦で、全国連の真価が問われ、部落解放運動の流れも変わる。
 この機会にあることの幸せと栄誉を、亡くなった人の分まで五感に刻んで勝利のために、為すべきことを悔いを残さずやりきろう。しかも、この決戦は、ウクライナ侵略戦争と日帝の戦争国家化・改憲攻撃と切り結んでたたかわれる。こころおきなく、たたかいぬこう。
 5・8の第2次狭山意見広告は、三者協議の密室での攻防を、一気に社会問題に押し広げた。恐るべき権力犯罪を打ち砕く、反撃ののろしだ。ここからが勝負だ。意見広告を足場に、下山鑑定・第2鑑定と「水洗い」論粉砕を大社会問題に、攻めて攻めて攻めまくろう。そこに勝利のカギがある。
 5・22集会で、共にたたかう新たな主人公が登場した。狭山意見広告運動が、意見広告の作成に重要な役割を果たし、報告集会を主催し、新たな大人民運動の誕生を宣言された。全国連は、心からの敬意を払い、共にたたかいぬくものである。

決戦方針のもとに闘い抜こう

 決戦方針の1は、5・8意見広告の効果を発揮し、新たな大運動を思い切り拡大することである。5・22東京・狭山意見広告報告集会は同時に、「狭山事件の再審を実現する大運動」の結成式となった。さらに、夏秋にかけて全国に広がっていく。
 何のための大運動か。「下山博士の鑑定人尋問を実現しよう」を唯一の合言葉に、同盟員を含めよびかけ人、賛同人は漏れなく大運動の会員になろう。さらに、意見広告コピーとよびかけ文、ハガキ運動で思い切り拡大する。
 決戦方針の2は、波状的集中的な要請行動・高裁前行動である。全国で10班を編成し、夏場以降、20日を基本に、毎月最低1班、高裁前行動もセットでとりくむ。
 決戦方針の3は、全国ハガキ運動である。切手つきハガキで5・22から開始する。
 決戦方針の4は特別カンパである。ハガキ代、遠方からの要請行動の交通費、宣伝費等に支出する。すでに100万円、退職金よりカンパが寄せられた。中執・中央委員は1人1万円、給与ある人は3万円を拠出する。別途、大運動の会費も集める。


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土浦市の児童クラブで教育支援者

3名が悪質な差別発言を繰り返す


    (「部落解放新聞茨城版384号」―2022年3月1日より転載)

◆経過について

 今年1月、県連事務所に実名での投書がありました。それは土浦市内の小学校の児童クラブ支援員3名が、悪質な部落差別発言をしている、市の担当者に訴えても動いてくれないと言うものでした。
 告発の内容は、支援員Aは、部落からクラブに通っている子供が、大便の粗相をした際に、「部落出身だからねえ、ウンコも漏らすよねえ」と発言した。Bは部落の別の子供の家庭について「被差別部落カーボを○○の連中と呼ぶのだけれど、▲▲の家はゴミ屋の仕事なんです。ゴミ屋なんて普通やらないでしょう。○○人(じん)だからなんですよ」と発言した(○○は地元の部落の呼び名)、Cは同僚がクラブを異動する際に「(この地区は)部落が沢山あって、親が普通じゃないから、あんな所に行ったら大変だわ。私なら怖すぎて行けないよ。部落だよ、相手は」と差別発言したというものです。
 これらは2年前ですが、当時この事実を市役所の担当係長に訴えたが、調査指導もせず「そんなことが親や団体に知れたら大変だぞ」と言って事件を放置したということです(告発者は係長がそんなことが知れたら殺されるまであっかんな」と言ったと証言しています)。

◆確認会で認める

 支援員は「先生」と呼ばれて、教室で子供たちの学習や生活を指導しています。3名の支援員は、当時は委託先のNPO職員、現在は市役所の会計年度職員です。そのような立場の者が告発にあるような発言をしていたなら決して許すことはできません。
 市職員でもあるため私たちはまず市に事実を伝えて3名への聞き取り調査を依頼しました。しかし結果はいずれも「そんな発言はしていない」と完全に否定するものでした。
 また係長は「当時そのような報告は受けた」ということでした。
 そこで3月25日、土浦市役所で3名と告発者も参加して事実確認会を開きました。
 そこでも3名は当初「差別発言はしていない」と言い張りました。しかし次々と事実関係でウソが明らかになり、最終的にBとCは差別発言していたことを認めました。
 差別発言の内容も極めて悪質ですが、市の調査に対しても「知らぬ、存ぜぬ」とウソを繰り返してきたことも悪質です。
 Aは最後まで「言ってない。部落も知らない」と言い続けました。そこで再調査することになりましたがウソはすぐに明らかになるでしょう。
 現在、差別事件の事実の一部が明らかになったに過ぎません。また児童クラブの中で発達障害のある子や貧困家庭、外国人親の子供などへの差別も日常的に行われているという報告もされています。これから事件の背景や、市役所の責任なども、明らかにしていきます。
 
2022年4月の記事

 いよいよ5・8(予定)狭山意見広告掲載!

5・22報告集会(東京)に集まろう

 5月8日、全国紙において、第2次狭山意見広告が掲載の予定です。5月22日には東京・日比谷図書文化館において、報告集会が開催されます。その場で、狭山再審を求める、新たな人民運動が結成されます。

無実を訴え59年! 狭山は私たちの人生

 ひとりのお年寄りが、59年もの長きにわたって、身に覚えのない「殺人犯」にされ、今も無実を叫びつづけていることを御存知でしょうか。
 埼玉県狭山市の被差別部落に、石川一雄さんは83年前生まれました。その狭山市で、1963年5月1日、女子高校生・中田善枝さんが、「誘拐」・殺害される事件が発生しました。この時警察は「身代金」を取りに来た犯人を、目の前で取り逃がす大失態をおかしました。
 その直前に、東京で「吉展ちゃん事件」がおき、警察は身代金ごと犯人を取り逃がしています。警察の威信はグラグラ、当時の警察庁長官の首はとび、国家公安委員長が「必ず生きた犯人をつかまえろ」と号令する国家レベルの治安問題になりました。
 そこから、狭山市内の被差別部落に対する、絨毯(じゅうたん)爆撃のような見込み捜査が行われました。「部落ならやりかねない」という、根も葉もない恐ろしい風評がふりまかれました。
 5月23日、石川一雄さんは、別件逮捕されました。孤立無援にありながら、1ヵ月以上も無実を主張してがんばりました。しかし、「お前がしらを切りとおすなら、兄をしょっぴくぞ」という悪魔の恫喝のまえに、ついにうその「自白」におちてしまいました。
 以来59年。石川一雄さんは、「殺人犯」の汚名を着せられ、1964年第一審死刑、1974年第二審無期懲役、1977年最高裁で確定、31年7カ月の獄中生活の末に1994年に仮出獄してもなお、見えない手錠に縛られて生きています。

今度こそ鑑定人尋問・事実調べを

 現在3回目の再審請求を申し立て、いらい異例の16年が経過しています。この第三次再審請求で、246点におよぶ石川さん無実の新証拠が出されました。
 「ゴッホの絵に隠されていた黒猫」の発見で有名な下山進博士は、被害者のもので、石川さん宅の家宅捜索で発見したとされ、石川=犯人の決め手としてきた万年筆は、実はニセモノで、警察が捏造したものであるという、決定的な新証拠を提出しました。下山博士が万年筆のインクの色素や、元素を鑑定した結果、それが証明されたのです。
 東京高等裁判所は、この1点をとっても、ただちに下山博士の鑑定人尋問を行い、事件を洗いなおさなければなりません。ところが、事実調べをするという当然のことが、狭山事件では第二審いらい48年間、ただの一度も行われていません。
 第三次再審もクライマックスを迎えました。証拠もほぼ出そろって、弁護側から事実調べが請求され、裁判所の判断が年内にも出される段階にきました。今度こそ、鑑定人尋問・事実調べを行わせ、裁判所に正義の判断をさせねばなりません。
 しかし、これまでの支援だけでは、この権力犯罪を打ち破るには足りません。支援を何倍にもして、裁判所を包囲・監視する大きな世論が必要です。狭山意見広告運動は、まったくのゼロから、心ある人々のカンパによって大きな広告を実現し、不可能を可能にしています。狭山事件の再審を開くために、あなたもこの場に参加してください。



改憲の先兵―維新の会との対決を鮮明に

「憲法改悪反対!」の

 7月参議院選挙を闘おう!


(大阪選挙区)

れいわ新選組
「やはた愛」さん推薦決定

 7月参議院選挙は、ロシアによるウクライナ侵略と、それを利用した岸田らの改憲圧力の中でたたかわれる。
 全国連は、軍備の増強、核武装、憲法改悪へつき進む岸田政権とその先兵―維新の会の台頭を許さず、全国で改憲反対の参議院選をたたかうことを決定した。
 大阪選挙区では、唯一、維新の会と対決する「れいわ・やはた愛」候補を推薦することを全国連大阪支部代表者会議で決定した。このたたかいを全国に広げていこう。

比例区にはれいわ、社民、立憲の候補を

 全国連は、比例区に関して、改憲に反対する、れいわ・社民・立憲の各候補を推薦することを決定しました。




示現舎・宮部龍彦への公開質問状 4
                 
             部落解放同盟全国連合会

 貴殿は、部落出身と認定されるのが嬉しくて仕方ないようですが、以下のような、こんな事にもお答え下さい。世間では、部落と認定されても何の得にもなりません。貴殿はどのような理由から部落と認定されたいのですか? 部落といわれるのが、そんなに嬉しそうなのは何故ですか? ぜひお知らせください。
 基本的な問題ですが、〈部落出身〉と〈部落住民〉とでは雲泥の差があり、性格がまったく違います。貴殿が部落出身を名乗るのであれば、自分がこれまで生きてきた中で、部落出身を理由としたどのような差別を受けた体験があるのか明らかにされたい。部落出身であるのなら、人生の中で何もなかった筈がありません。その時に差別事件として、どのような対応をしたのか、ぜひ明らかにされたい。
 その点と関係しますが、貴殿は部落出身を名乗っているのですから、ぜひ貴殿の父親がどこの部落で生まれているのか、旧市町村名でもかまいませんから、ぜひお知らせください。また貴殿の母親はどこの部落で生まれているのか、明らかにされたい。ただいまの市町村名ではなく、旧市町村名でもかまいません。
 また、貴殿の父親の父親、ようするに貴殿から見たら祖父ちゃんですが、祖父ちゃんはどこの部落で生まれているのですか。また貴殿の父親の母親、ようするに貴殿から見たら祖母ちゃんですが、祖母ちゃんはどこの部落で生まれているのですか。ただいまの市町村名でなくてもかまいませんから、ぜひお知らせ下さい。
 また、貴殿の父親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。誰もいなかったはずはありませんから、ぜひ一人一人についてお知らせください。ただいまの市町村名でなくてもかまいません。また母親についても兄弟姉妹は何人いて、兄弟姉妹の方はどこの部落で生まれているのですか。ぜひお知らせください。
 貴殿の母親の父親はどこの部落で生まれているのですか。また母親の父親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。お知らせください。また母親の母親はどこの部落で生まれているのですか。また母親の母親の兄弟姉妹はどこの部落で生まれているのですか。それに、どのような仕事をやって生活しているのでしょうか。ぜひお知らせ下さい。
 貴殿からみて、自分の父親や母親の兄弟姉妹には、誰か解放運動に関係していた人はいなかったのですか。部落出身者でしたら、解放運動に関係した人がまったくいなかった、ということは年齢からみて考えにくいのです。どこの部落で生まれていても、年齢から考えて、貴殿の父親や母親、貴殿の両親の父親や母親、といった祖父ちゃん祖母ちゃんの世代ならば、解放運動に関係していなかったはずがないのです。そのような人がいなかったとしたら、貴殿を部落出身者とはとても考えにくいのです。部落と関係がなければ、解放運動をする必要がないからです。
 また、どこかの解放運動団体に関係していたと言っても、ただいまの貴殿のような、一人一社の〈組織名〉は解放運動組織とは言えませんから、ちゃんとした資料や文献で後追い調査のできる組織名のみお知らせください。一人一社の〈組織〉では追跡調査が出来ませんし、貴殿が好き勝手に〈組織〉をでっち上げる可能性が非常に高いからです。
 東京といえば、人口移動の激しい都市としてよく知られています。東京で「東京出身」といわれるためには、三世代続けて都内に住み続けていた人に限られます。ようするに、たまたま都内に住んでいるだけでは「東京出身」とは言えないのです。たんなる「東京在住者」なのです。
 貴殿があくまで「部落出身」であると主張するのであれば、貴殿から視て父方の祖父ちゃん・ 祖母ちゃんと、貴殿から視て母方の祖父ちゃん・祖母ちゃんくらいまでの人たちが、ずっとどこかの部落で生まれて、生活していて、世間から〈部落〉として差別されてきた、蔑まれた歴史があるはずです。そうした歴史が客観的にも証明できれば、貴殿が〈部落出身〉であると主張しても、役所からも解放運動団体からも、「部落出身」と扱われるでしょう。差別された歴史が証明できなければ、部落を詐称しているだけ、としか見られないのは言うまでもありません。
 解放運動団体や、ただいま部落に住んでいる人達は、長い間にわたる差別の中を生きてきたのであり、貴殿のように、嬉しそうに部落を語ったり、楽しそうに語ったりは出来ないのです。誰か一人でも解放運動に立ち上がれば、その人の親や兄弟姉妹、親戚は、皆さんが「部落出身」として扱われるだけでなく、将来にわたって「部落出身」の看板を背負って生きなければならないからです。
 貴殿が一人だけで、一代限りで部落出身になる、ということは100%ありえません。ただいまの貴殿は、役所が同和対策事業を進めるために「同和地区指定」をした、その線引き内にたまたま住んでいたことがあるだけ、であるのは言うまでもありません。こうした人達は、現在では全国で3千万人は下らないと思われます。全国的に部落の混住がものすごく進んでいるからです。世間から部落といわれている地域に、〈土地代が安いから〉という理由から、移住する人達は全国的に見られる傾向です。しかしこれらの人達は「部落出身」ではなく、たんなる「部落在住者」、という存在です。在住者には、「 部落出身」として差別されてきた歴史はないでしょう。貴殿に差別された歴史があるのでしたら、ぜひお知らせください。
 どう考えても貴殿の主張には無理があります。
 
 以上。3月末までに回答を要求する。

2022年3月17日 部落解放同盟全国連合会



ロシアによるウクライナ侵略戦争弾劾!

―戦後的秩序の崩壊=新たな対立と分断のはじまり―

1 歴史を画するロシアのウクライナ侵略戦争
 ロシアによるウクライナ侵略戦争は、戦後的秩序やあり方を根本から覆し、対立と分裂をつくりだし、新たな戦争の時代が到来したことを示している。
 プーチンは、歴史をひもとけばすぐにばれる「元々クリミアはロシアのものである」とのウソの主張をもって、クリミアをロシアに併合した。そして8年前ウクライナ東部に自身が蒔いた紛争の火種に油を注ぎ、「ネオナチ政権からウクライナ住民を解放する」「ウクライナ東部のロシア系住民を保護する」との口実で、ウクライナに攻め入った。
 しかし当初のプーチンの目論見ははずれ、さらなる戦争を激化させて突き進む以外ないところに追い詰められている。歴史上、最も破壊し尽くされた都市と言われるチェチェン共和国の中心都市グロズヌイは、プーチンによって作りだされた現実であるが、キーウ(キエフ)近郊のブチャやマリウポリで目にするすさまじい破壊と殺戮に示されるように、このままではグロズヌイの再現、否それをこえるものとなりかねない。
 米欧はNATOの東方拡大によってロシアを封じ込め、存立の危機にたたき込んできた。とりわけアメリカはロシア敵視政策をとり続け、ロシアをウクライナ侵略戦争へと駆り立てた共犯者であり、ロシアを非難する資格は微塵もない。
 プーチンは領土的野望を隠そうとしていない。余談になるが、プーチンは歴史上で尊敬に値する人物を尋ねられ、帝政ロシアの女帝エカチェリーナ2世をあげている。理由は南下政策に伴う戦争によって、ロシア領土を最も拡大したことだと言う。一方、歴代ソ連指導部はロシア領土の一体性を解体したことを理由に、口汚くののしっている。
 今回のウクライナ侵略戦争は、NATOの東方拡大や封じ込め政策によってロシアが存立の危機にたたされたからという理由だけでは、すべては説明できない。プーチンは侵略戦争に先立って様々な主張をしているが、事実に反することや、理屈として成立しない内容も多く含まれている。プーチン独自の世界観では、事実や史実はまったく問題ではないのかも知れない。
 話を元に戻そう。ウクライナでの戦争が長期化するなかで、ロシアへの経済制裁が強化され、ウクライナへの軍事支援が拡大されているが、これはプーチンのウクライナ侵略戦争にさらに油を注ぐ結果しかもたらさない。戦争の長期化で破壊と殺戮(りく)が続けば、双方の思惑をこえた事態に発展し、第三次世界大戦へと突き進みかねない危機が加速している。
 これまでの戦争と完全に一線を画す深刻さの理由は、核兵器・化学兵器を保有する帝国主義ロシアがその使用をちらつかせて世界を脅迫し侵略戦争を続けていることである。そして米欧(特にドイツ)やとりわけ日本の岸田政権が、この危機をあおり口実にして、歴史的制約を取っ払って戦争国家への道をひたすら走り始めていることである。今や、大量破壊兵器を武器として使用することが当然と化した新しい戦争の時代が始まりつつある。

2  戦争国家へと突き進む岸田内閣を打倒しよう

① ウクライナ侵略戦争をめぐる欧米の対応
 ロシアによるウクライナ侵略戦争をめぐって、今後の世界のあり方と方向性を決定づけるであろう2つの特徴的出来事があった。ひとつは、戦後世界の中心として覇権を握りその存在感を示し続けてきたアメリカが、ロシアのウクライナ侵略戦争とそれをめぐるプーチンの恫喝の前に、なすすべもない姿をさらしアメリカの凋落をはっきりと世界に印象づけたことである。
 アメリカ大統領バイデンは、ロシアのウクライナ侵略戦争が不可避となる中で、「(ロシアがウクライナ侵略戦争を開始しても)アメリカは軍を派遣しない」と明言した。この発言が、プーチンのウクライナ侵略戦争に最後のゴーサインを与えたことは明らかだ。
 今ひとつは、EUの結成以来今日まで政治的経済的に牽引してきたドイツが、戦後的制約のもとで掲げてきた「平和主義」をかなぐりすて、軍拡へと舵を切り戦争へと突き進むことを決断したことである。
 ドイツのショルツ首相は2月27日、ロシアのウクライナ侵略戦争をうけ急遽(きょ)開催した連邦議会で、国防費を増額すると発表した。2022年予算から緊急で一千億ユーロ(約13兆円)を連邦軍の戦闘機、軍艦、兵の装備強化などに充て、さらにGDP比1・5%程度にとどまる国防費を、今後は毎年2%以上に引き上げる。ショルツ首相は「世界は転換点にいる」「自由と民主主義を守るには、国防に大きく投資する必要がある」「プーチン大統領がウクライナ侵攻によって新たな現実を作った。これには明確な対応が必要だ」と指摘した。
 アメリカは以前からNATO加盟国にGDP比2%を国防費の目標とするよう求めてきた。だがドイツは国防費に重点を置かなかったメルケル前政権下で目標に届かず批判されてきた経緯がある。今回の増額は、これまでのあり方からの歴史的とも言える方針転換といえる。
 このアメリカの凋落とドイツの軍拡へ転換は、今後の新たな再編へとつながる可能性を秘めている。

② 岸田のウクライナ避難民への人道支援のでたらめさ
 岸田は、ウクライナの数百万人の人々が戦火からのがれ、隣国ポーランドをはじめ近隣諸国に避難していることに対し、日本からも人道支援の手をさしのべると言って、希望するウクライナの避難民の人々への、日本での生活支援を始めた。企業や自治体からの受け入れ体制も確保しているという。戦争によって住居が破壊され、生活や仕事が奪われた人々に生きる希望を与え人道支援の手をさしのべることはよいことであり、そこに文句を言うつもりはない。
 しかし、アジアや中東、アフリカから難民として逃れてきた人たちとの対応のあまりの違いをどう理解すればいいのか。彼、彼女らは難民申請をしても長期間放置され、よほどのことがない限り受理されることはない。本国への強制送還か収容所での期限のない拘束が待つだけである。
 岸田の言う人道支援とはまやかしである。このダブルスタンダードは断じて許すことはできない。非人道的な入管行政の現状を直ちに改めろ。

③ 岸田内閣がすすめる敵基地攻撃能力の保持は戦争そのもの
 ロシアによるウクライナ侵略戦争が長期化するにつれ、プーチンの核や化学兵器使用の恫喝やロシア軍による無差別爆撃による破壊や民間人の大量殺戮(りく)など悲惨な状況が日々報道されるなかで、評論家やマスコミ等がこぞって「日本も軍備を増強すべき」「台湾有事は日本の有事」などの大合唱をくりひろげる情勢が生み出されている。こうした扇動に乗ずる形で、岸田内閣や自民党内から憲法「改正」やさらなる軍備増強にむけた動きが激しくなってきた。
 安倍元首相は、「核の共有」を叫び、自民党・高市を使って岸田内閣に揺さぶりをかけている。
 さらに「専守防衛では国土と日本人の生命財産は守れない」として「敵基地攻撃能力の保持は当然」との声をあげている。また、来年度の当初予算で防衛費を6兆円程度確保するよう主張している。この男は、今も総理大臣と思っているのか。
 こうした声に対応して岸田は、中国を念頭に「今回のような(ロシアによるウクライナ侵略戦争)力による一方的な現状変更をインド太平洋、とりわけ東アジアにおいて決して許してはいけない。あらゆる選択肢を排除せずに検討し、防衛力を抜本的に強化する」と発言した。あらゆる選択肢とは、敵基地攻撃能力の保持を念頭にしているが、最新兵器の購入や陸海空軍の攻撃の強化にむけたすべての手段を含む。
 自民党安全保障調査会(会長・小野寺五典元防衛相)は4月11日の会合で、憲法9条に基づく「専守防衛」の名称や解釈を変更すべきとの意見がだされた。岸田政権が検討を進める「敵基地攻撃能力」保持にむけた地ならしを行おうとするものだ。
 小野寺元防衛相は来年度の防衛費について、「防衛力の抜本的強化のため、必要な予算を確保したい」と述べ、今年度からの大幅増にめざすという。
 自民党は、台湾有事を念頭に防衛費増額を求める提言を4月中にまとめるとし、政府に抑止力を高める装備の導入を促し、年末に改訂する「国家安全保障戦略」に反映させようとしている。
 敵基地攻撃能力の保持とは、他国と戦争ができる戦力をもつことを意味し、従来の「専守防衛」とは内容と質においてまったく別物であり、これまでとは次元が異なる概念だ。
 相手の反撃能力を完全にたたきつぶし、戦争に勝利する能力を保持することと同義語である。相手が攻撃してきたらそこに反撃を加えるという単純なことではない。その先にあるのは全面戦争にほかならない。
 岸田の「敵基地攻撃能力の保持」を絶対に許してはならない。戦争国家へと突き進む岸田内閣打倒にたちあがろう。



2022年3月の記事
プーチン政権による

     
ウクライナ侵略弾劾!

  人民による反戦闘争に連帯を!

狭山意見広告運動の成功~再審実現へ


    
“悔いのない一年”を!

■3・6第30期拡大中央委員会で論議、意志一致
 3月6日、全国連は大阪で拡大中央委員会(拡中委)を開催し、昨年の第30回全国大会からのとりくみについての中間総括と春から夏~秋にむけての方向性を論議しました。

■ウクライナ侵略戦争を許すな

 拡中委はまず、ロシア・プーチン政権によるウクライナ侵略戦争を弾劾して開会しました。そして、ウクライナ人民の抵抗闘争とロシア国内においても果敢にたたかわれている反プーチン闘争に対して断固支持する全国連としての立場をあきらかにしました。
 今回のこの事態は、世界戦争・核戦争に火をつけるものであり、絶対に許すことはできません。連日にわたって人々の生活が破壊され多くの命が奪われています。「正義」「中立」を装うアメリカ・EU・日本政府も〝共犯者〟です。私たちは全世界で巻き起こる反戦・反核闘争・反政府闘争と連帯します。
 今後、世界の情勢が激変していくことは避けられません。そして岸田政権はこれに乗じて憲法改悪、軍備増強、核武装を急速に推し進めようとするのは間違いありません。私たちはあらためて階級的共同闘争を柱に国内の反戦・反核・改憲阻止のたたかいと連帯を強めていきます。このことを冒頭に確認しました。

■第30期の奮闘と課題が鮮明に

 つづいて、昨年7月に開催した節目の第30回全国大会と、それ以降の半年余りの奮闘をふりかえりました(※基本的な内容は昨年12月の記事を参照ください)。
 一方で、衆議院選挙をめぐって国政選挙・全国政治へのかかわりと具体的なたたかい方について、各地とも課題があきらかになりました。改憲阻止闘争をたたかう主体として選挙戦は最も重要視すべきであり、本年7月に予定されている参議院選挙にどうかかわるのかということを議論しました。
 また、支部活動の「建て直し」という点でも課題があきらかになりました。具体的には支部大会を開催できていない支部、地元の大衆や支部員さんたちと、接する活動や新聞の配達、会費の集金活動等が停滞している支部の問題があります。各地の定期的活動の活性化と、全国各地で支部大会の復活をかちとるための方策については、中央執行部の役割の重要性も浮き彫りになりました。

■2022年は狭山最終決戦の年

 結論から言うと「悔いのない一年にしよう」ということです。本当に「次は無い」ということです。石川一雄さんと命運を共にし、「狭山に勝つために作った」という全国連創立時の精神を思い起こし、つらぬき、これまでのそのすべてを賭けるということです。その覚悟がないと今回の意見広告運動も第三次再審闘争も全部ふっとんでしまうということです。
 狭山事件から59年、石川さんは今年1月に83歳になりました。高齢です。私たちが知っている「あの頃の石川さん」でなくなりつつあります。これまで苦汁をなめさせられた第一次や第二次の再審闘争の歴史をふりかえってみても、棄却が下されてから次の再審請求までは約5年を要します。石川さんの寿命はどうなるのか、そもそも狭山闘争をたたかう我々はどうなっているのか。そういうことです。
 創立時の委員長、副委員長、書記長、そして中央役員ばかりか各地の兄弟姉妹、なかまを我々はどれだけ喪ったか。「狭山事件から60年、65年、70年」といつまでも語り続けるのか。「人生をかけた最終決戦」そのことを肝に銘じ、私たち一人ひとりの腹の底からの決起が必要です。そうした論議をおこないました。
 では具体的に「勝つために何が必要か」。まずは5月に二面ぶち抜きの意見広告掲載を実現する。その衝撃力はすごいものにしなくてはならない。東京高等検察庁・東京高等裁判所を揺るがし、かつ、全国の部落の兄弟姉妹も旧活動家をも鼓舞し、狭山を知らない世代にも振り向かせなくてはならない。そのためにはどんな紙面がいいのか。ケンケンガクガクの議論と意見交換をしました。
 そして意見広告掲載後のたたかいとして、5月22日に東京(日比谷)での中央報告集会の開催、連続的な東京高検・東京高裁への要請行動、その司法権力に集中させる全国ハガキ大運動の展開、「1000人運動」「1000人委員会」といった市民大運動の立ち上げ、夏から秋にかけて各地の報告集会…。そうした提案があり、全国世論を沸騰させるために本気になってその核をつくっていこうという基本的方向性を確認し合いました。また運動財政(軍資金)を作り出すための活動も論議しました。

■春から夏にむかって

 7月の参議院選挙について。全国それぞれの地域で事情は異なりますが、とりわけ自民党や維新の会と真っ向から勝負する候補者を推薦し、最大限のとりくみをしようということになりました。
 具体的な要求闘争について。4月3日に『住宅問題交流会』を開催します。これは「同住連」によって展開された家賃の値上げ反対運動の延長ではありません。供託の分納、老朽化、修繕、建て替えや入居、まちづくり、災害復興、またそれに伴う家賃の問題、管理の問題、住民生活に関する案件を率直に出し合い、一緒に討論する情報交換や意見交換の場として「全国連住宅闘争委員会」を開催します。
 そのほか青年対策部、婦人部からの報告、会計報告がありました。また、第31回全国大会は7月17日に開催することを決定しました。大会にむけた中央執行委員会および大会議案書起草委員会を4月24日に開催することもあわせて決定しました。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の3
                 
             部落解放同盟全国連合会

 鳥取市出身の役員から、以下の文書が寄せられたので、全国連の公開質問状3の3として扱い、示現舎・宮部龍彦に発出する。公開質問ゆえ、このような参加は大歓迎である。
 今後も、大いに期待するものである。なお、名前を伏せることは、晒しマニアの宮部ごとき人物から、筆者を無用な攻撃から防衛するために必要であり、宮部がそのことで不平不満を述べることは、自ら天に唾するものであると心得よ。


 私たちの公開質問状3の2に対して宮部龍彦から回答が寄せられた。その中でとりわけ回答書の下味野・鳥取市に関わることに絞って改めて質問する。今回質問状を書いている私自身が鳥取市高草中学校区域の被差別部落の出身であり、下味野はすぐ近くである。 しかも、「示現舎・宮部龍彦は被差別部落民ではない」と被差別部落・下味野A地区の知人、部落解放運動の仲間、部落外にあっても部落差別撤廃のために学習会を組織していた地域の人たちなど多くの人たちから聞いていたからである。
 宮部は「貴団体は、何故被差別部落出身にこだわるだろうか」と問題にするが、実は、宮部は己は被差別部落民ではないと強烈に自覚している。しかしながら宮部は、下味野の被差別部落出身者だと嘘をつき、部落解放運動をあざ笑い、全国の被差別部落や個人を晒し差別を扇動しているから下味野の被差別部落出身かどうかにこだわるのだ。もちろん、私たちが繰り返し明らかにしているように下味野415番地の1は被差別部落ではない。

【Ⅰ】
 何よりも、宮部自身のブログで、「鳥取市と鳥取地裁(平成25年10月9日)によって私の実家は同和地区でないことが証明されました。」と被差別部落民ではないと白状している。
 「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしいですよ。境界の引き方がいい加減だから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられると親父が言っていましたので実際同和減免の申請をし、鳥取市と鳥取地裁によって私の実家は同和地区でないことが証明された。」「鳥取地裁は同和減免の対象区域を地域外の人間に開示しなくて良いと言い、さらに事実として、鳥取市は私の実家に対して開示しなかったから」と、宮部自身が言っている。
 宮部に問う。
(1)「私の実家でも鳥取市では同和と思われているらしい」とは「同和ではない」ということが前提になっているのではないのか。答えよ。
(2)父親は「境界の引き方がいいかげんだから、うちでも申請すれば同和減免が受け入れられる」といっているが、ここから明らかになることは父親は被差別部落ではないと自覚しているということだ。宮部龍彦自身は被差別部落出身だと聞いたことがあるかどうか。あれば何歳頃、誰に聞いたのか。答えよ。
(3)父親は被差別部落出身者なのか。
(4)母親は被差別部落出身者なのか。

【Ⅱ】
 宮部は同和減免を受けたいと思い、被差別部落に隣接していることを奇貨として同和減免を申請している。そもそも「同和問題」は同和減免・同和事業の問題だけではない。私は団塊世代の一人で、学校で同和事業に基づく教育は一度も受けたことがない。解放奨学金も受けたこともなく、小学生時代に教師から差別され放題で差別に悩み部落という文字も怖いぐらいであった。高校生になって被差別部落出身の公務員の方から本を借りて必死に読んだ。東上高志の本であったと覚えている。私にとって部落差別とは小学校の教師によって自覚させられ、貧困、学校生活や友人との関係で悩み苦しみ抜いた人生の始まりだった。高校時代は被差別部落から逃げることばかりを考え、大学も被差別部落出身と誰もわからないように関東地方を選んだものだ。もちろん生活が苦しかったから送金は一度もなく、育英会の奨学金とアルバイトでしのいだものである。この学生時代に学生運動に触れ、部落解放運動を闘いたいと決意し、初めて自分が被差別部落出身者であることを宣言し、学生運動と共に狭山闘争や生活要求闘争に入っていったのである。

 宮部に問う。
(1)宮部は自分が同和減免を申請して通らなかったことを逆恨みし、ゆがんだ差別感情 を増幅させ、部落を晒す行為を続けているのではないか。
(2)部落差別は同和事業を受けるかどうかの問題だけではなく、身分的差別全体の問題 であり、誰もが悩み苦しんだ経験を持っている。宮部は被差別部落民だと言うが、どんな苦しみ・悩みをもって生きてきたのか。
(3)差別によって命さえ失った被差別部落民も数多い。本当に残念でならないが、私の 中学校時代の友人であるH君は職場でH君の被差別部落の出身地を隣接する地域の人から晒され、悩み苦しみながら、その職場である大阪中央郵便局で自死しました。それほどの苦しみの中で生き、其処まで追い詰められる被差別部落出身者がいることを考えたことがあるか。
(4)宮部が、今やっていることは、インターネット上に被差別部落を晒すことであり、差別によって命を絶つ人もいるかもしれない深刻な問題だ。絶対に許せない。宮部は、どう 思うか。

【Ⅲ】
 鳥取市下味野A地区の人たちは誇り高く部落解放運動を担ってきた。
 珍しいことであるが下味野神社は2つある。東側にある下味野神社は地図上に神社マークがついていないが、460年前のえのきが立ち、「アマテラス」、「スサノオ」に加えて、赤池助左衛門ノ命がまつられている。鳥取の被差別部落・下味野は豊臣秀吉の鳥取城の兵糧攻めの囲みを破り、毛利方に連絡しようとした郷士・赤池助左衛門が治めた地域であり、一向宗門徒(浄土真宗)が強い地域であった。豊臣秀吉の軍勢に鳥取城主・吉川経家が破れ、赤池助左衛門の治める地域の民衆は、その後、身分貶下(へんげ)されたものと考えられる。まさに、当時の下味野A地区の民衆は赤池助左衛門を中心に豊臣秀吉の軍勢と闘った誇り高き民衆だったのである。鳥取の被差別部落は、この下味野A地区を中心に形成されたと言われている。
 戦後の解放運動は、この下味野A地区が鳥取の部落解放運動の中心だった。高校生の時、被差別部落の同級生で友人が「相談できる人が大切だから市議会議員の前田さんを応援せないけん」と初めて前田さんという名前を聞いたことを覚えている。前田さんは、私が学生になり、狭山闘争で日比谷小公園に参加したとき、初めて解放同盟中央本部執行委員であることを知ったその人だった。
 前田さんは戦後、1947年に国鉄をやめ、郷里(下味野)に帰り、いち早く農民運動に身を投じ部落の完全解放を願い精力的に活動した。解放同盟鳥取県連書記長、中央本部執行委員として解放運動を指導し、1962年、37歳で鳥取市議会に当選して連続26年間勤め、地域住民の生活、教育、文化の向上と地域の発展の貢献した(ブログより)。
 まさに、「戦後の鳥取における部落解放運動の中心は下味野A地区だった」と言っても過言ではない。

 宮部に問う。
(1)下味野の東側(千代川沿い)にある下味野神社を知っているか。被差別部落・下味野の起源について見聞きしたことがあるか。
 あるならば、宮部はどう思ったか。
(2)前田さんは1989年に亡くなり、親族が意志を継ぎ、市議会議員を務めているが知っているか。その人と話したことはあるか。あるならばどんな話をしたのか。
 以上、真実を答えよ。

【Ⅳ】
 私が部落出身者であることに、より一層誇りを持つようになった本が「一向一揆と部落
 被差別部落の起源」である。
 この本は鳥取市出身の石尾芳久さんの書であり、その他、多数の研究を通して被差別部落の起源論に新たな視点で迫り、被差別部落民を励ます内容である。

 宮部に問う。
(1)石尾芳久さんを知っているか。書物を読んだことがあるか。読んでいるなら、その 感想を述べよ。
(2)あらためて問う。示現舎・宮部は何を目的にしてインターネット上に被差別部落や 名前を全国に晒し続けるか。
(3)鳥取の下味野A地区の人たちや部落解放運動のきょうだい、共に闘う仲間に「被差別部落民ではない宮部が何故部落出身者だ」と嘘をつくのか?問いかけると「ようわからんけど結局金目当てだろう」と答えていた。このように、「金目当てだろう」という地域の意見にどう思うか。真正面から答えよ。

 最後に、示現舎・宮部龍彦よ!
 下味野A地区や鳥取市の被差別部落民の怒り、全国の被差別部落民、共に闘うすべての仲間たちの怒りを真正面から受けとめ、心底謝罪せよ!

 以上。3月15日までに回答を要求する。

2022年2月28日 部落解放同盟全国連合会


2022年2月の記事

鑑定人尋問・事実調べかちとり

狭山再審の決戦にたちあがろう!


5月意見広告を成功させ

鑑定人尋問迫る大運動を巻き起こせ!


●事実調べ=鑑定人尋問の実現へ

 狭山第3次再審闘争は、いよいよ事実調べ・鑑定人尋問を実現し、再審開始をかちとる最終的な決戦を迎えました。
 弁護団は、今春までに万年筆、殺害方法、自白についての追加鑑定を提出し、それをふまえて鑑定人尋問を請求するとしています。私たちは、全狭山勢力の力を結集して、東京高裁に鑑定人尋問の実施を迫っていかなければなりません。
 これまで、重大事件の再審において、事実調べがなされずに再審が開かれたものは一つもありません。事実調べが拒否され、密室の書面審理だけで判決が出された事件は、ことごとく再審が棄却されています。まさしく「事実調べなくして、再審なし」なのです。
 狭山事件でも、第1次再審からこれまで、実に45年の間、ただの一度の事実調べも行われず棄却決定がくり返されてきました。「権力による部落差別犯罪を闇に葬る」ことが、国家の意思として貫徹されてきたのです。
 これまでも「事実調べを行え」ということは要求してきましたが、今ほどそれが正面課題となったのは、狭山再審闘争の中で初めてです。それは、私たちが下山鑑定という決定的な武器を手にしたからです。

●事実調べの核心は下山鑑定人尋問

 下山鑑定は、石川さんの「自白」にもとづいて石川さん宅から発見された万年筆が、被害者のものではないことを科学的に証明しました。検察は2年間も、世界有数といわれる科警研の総力を挙げて反論の鑑定を試みましたが、ついにあきらめざるを得ませんでした。下山鑑定は、それほどの科学的証明力を持っています。
 しかもそれにとどまりません。重要証拠である万年筆が、ニセ物であったということを通じて、捜査当局が証拠をねつ造したことが証明されました。狭山事件が国家による権力犯罪であることが、明確な科学的裏付けをもって明らかにされたのです。
 私たちが本年1月17日に行った狭山要請行動においても、対応した担当検事は、「下山鑑定が反論の余地なく正しいとされれば、それだけで再審開始になる」と言わざるを得ませんでした。当然です。万年筆の証拠ねつ造が明らかになれば、文字が同じだとか、足跡が同じだとかいう検察の主張はすべて吹っ飛んでしまいます。
 だからこそ、検察、裁判所はなりふり構わずに下山鑑定をつぶそうとしています。検察が科学的反論を放棄して「水洗い論」なる空想的な可能性で下山鑑定を無力化しようとしているのもその表れです。
 私たちは、検察の下山鑑定つぶしに対してさらに科学的な反論をたたきつけ、東京高裁が検察意見書を採用することを阻止しなければなりません。そして何としても東京高裁に鑑定人尋問を実施させていきましょう。

●証拠開示を拒否する検察弾劾

 検察は、弁護団の出す新証拠に対して次々と反論の意見や鑑定を出してくる一方で、本来やるべき証拠開示については、ことごとくこれを拒否しています。
 1月27日に行われた三者協議でも、スコップやタオルに関して弁護団が求めていた証拠開示について、検察は「見当たらない」「開示に応じる必要はない」などと回答。またどこを探したのかという求釈明に対しても、「これ以上証拠を探す必要はない」と開き直っています。絶対に許すことはできません。
 布川事件の国賠訴訟では、検察の取り調べについて「虚偽の事実を述べて強い心理的動揺を与え…自白を強要する違法な行為」だと弾劾しました。また証拠開示についても、「検察官は、公益の代表者として、事案の真相を明らかにする職責を負っている…被告人に有利不利な証拠を問わずに法廷に顕出すべき義務を負う」「具体的に特定された証拠開示の申立てがあったような場合には…開示をしない合理的理由がない場合には、検察官は、その証拠の開示義務を負う」と明確に指摘されました。
 しかし狭山担当検事は、そのようなことはまったく無視しています。それどころか裁判所の開示勧告さえも守ろうとしていません。
 私たちは下山鑑定を武器に徹底してたたかい、警察・検察による権力犯罪を満天下に明らかにしていきましょう。

●意見広告と新たな国民的運動を

 今年の事実調べ決戦を前にして、検察はなんとかして。早期の幕引きを図ろうとしています。先の要請行動の中で、私たちは最終意見書の提出の前に鑑定人尋問を実施せよと迫りました。それに対して検察は「二度手間になるので、これまで出している個別の意見書や鑑定書をもって最終意見書の一部となるならば…」などと、鑑定人尋問なき最終意見書に突き進みたい意向を露骨に述べました。
 事態はギリギリの攻防を迎えています。私たちは、一昨年から第2次狭山意見広告運動を全力で取り組んできました。それは今年5月、毎日新聞で実現されます
 そして、この意見広告運動を母体として、狭山再審を動かし、再審開始を求める新たな、そして大きな国民運動を結成し、たたかいを開始します。
 コロナ禍で、体を鍛えながら無実を訴え続けている石川一雄さんとかたく連帯し、今年の決戦に勝利しましょう。

2022年1月の記事
勝負の1年!

5月狭山意見広告を実現し、

鑑定人尋問をかちとろう!


             部落解放同盟全国連合会
             中央執行委員長 村上久義

 吹雪舞う日もあるなか、勝負の年の新春を迎えました。身の引き締まる思いです。
 同盟員の皆さんには、今年もまた御骨折りをおかけしますが、一致団結して進むことをお願い致します。

7月参議院選挙では大阪で維新と決戦

 昨年の衆議院選挙は立憲民主党が敗北し、憲法改悪への道を開ける結果となりました。今年の夏の参議院選挙では、憲法を変える国民投票となるかもしれません。これまではどの政党、どの候補を支持するのか、全国連としては苦心することもありましたが、今度の参議院選挙は、大阪でれいわ新選組が立つとのこと。憲法改悪の急先鋒・維新と大阪で決戦を構え、全国焦点にして思い切りたたかいましょう。
 私たちには、日々の要求闘争をはじめ、たくさんの課題があります。コロナ禍で医療を要求し、仕事と労働者の権利を守るとりくみ。長野の災害復興のとりくみ。住宅問題も様々な課題があります。たくさんのテーマをとりくみつつ、それらを繋げ、何に焦点をおいて、全体がレベルアップするように進むのか。

83才になられた石川一雄さんに勝利を誓う

 それは、とりわけ、5月の第2次狭山意見広告の掲載と、1000人市民委員会の立ち上げにあると思います。広告掲載を5月に延期したことは正解でした。時間の余裕ができ、豊かなとりくみで準備することができます。5月を焦点に、今春は狭山の決戦です。事実調べ=鑑定人尋問は、いよいよ弁護団も含め請求が出され、裁判所に採用を迫ることになります。何としても勝利しましょう。
 石川一雄さんは、この1月で83歳になられます。全国連は、お誓いします。今年は、鑑定人尋問を実現し、再審開始元年とします。
 示現舎・宮部をはじめ、差別主義を徹底糾弾で圧倒しましょう。
 全国の同盟員の皆さん、仲間の皆さん、ともにがんばりましょう。


2021年12月の記事
くる年もみんなで団結がんばろう!

~狭山勝利・要求貫徹・改憲阻止の本格的闘争へ~

逆風を突破した2021年のたたかい

 瀬川委員長、中田書記長、片岡副委員長と、全国連の顔というべき指導者をあいついで喪うという大きな試練と「新型コロナ」という世界的パンデミックにみまわれたこの二年。大会・集会のみならず、各ブロックや各支部の会合も部会ごとの集まりも制限され、私たちはかつてない苦境に立たされました。しかし、全国連は各地各階層とも現実を受け止めつつ差別を許さず部落大衆の生活と尊厳を守る精神とたたかいを絶やすことなく、創意工夫と試行錯誤を重ねて奮闘してきました。
 とりわけ、二年ぶりに開催した全国大会以降の2021年をあらためてふりかえり、くる年2022年を展望します。

全国結集でかちとった全国大会

 第30回全国大会。この記念すべき節目の大会はコロナ禍で様々な制約があるなか各地からの代議員を最小限におさえ、必要な対策をとって一部リモートでの参加をふくめながら7月に大阪で開催しました。
 自粛ばかりでなく目の前の現実と向き合い、絶対に逃げず、部落大衆の様々な問題を共有して困難に向き合うことから始めるということ。亡き諸先輩がそうであったようにたとえ少数であってもムラ全体、運動全体を背負って立ち、身分的差別を撤廃するという全国連としての基本路線を確認しました。特に、①狭山第二次意見広告運動の成功、②コロナ禍における大衆的要求闘争への決起、③衆議院選挙を契機とした憲法改悪阻止のたたかい、この三つを大きな課題としました。さらに「示現舎・宮部」の徹底糾弾に立つことを宣言。また、沖縄・三里塚、アジア人民と連帯して侵略戦争反対を貫くことをあらためて誓い合いました。
 こうして村上委員長、楠木書記長を先頭とする新体制のもと『新たな挑戦5ヵ年決戦』の完遂にむけて突き進む一歩を踏み出しました。

ぶっ立った青年と婦人

 青年部と婦人部は超困難な状況が変わらない渦中、8月に全青交(全国青年交流集会)を、9月に全婦大会(全国婦人部大会)を、それぞれ各地オンラインでつなぎやりぬきました。インターネットやリモート操作の専門家などいないなか、「今やれることは全部やる」を合言葉に青年も婦人も事務局が中心となって機器の準備などに奔走し、パソコンと格闘しながら開催にこぎつけました。当日は通信の不具合などのハプニングもあったものの、「コロナ時代の全国交流・情報交換・学習・討論」を貫徹し成功させました。

全力でとりくんだ狭山意見広告運動

 三年前の2018年に実現した全国紙(毎日新聞)での狭山意見広告掲載。それは部落大衆や古くからの活動家のみならず、たくさんの人々を鼓舞しました。しかも、第三次再審闘争の土俵でもある司法権力中枢の東京高等裁判所と東京高等検察庁を確実に揺り動かしました。
 しかし、事実調べ・再審開始には至っていません。そこで、再び意見広告掲載をめざして取り組みをおこない、賛同を拡大しました。各地で地を這うような草の根的運動の甲斐あって、記事掲載に必要な資金が集まりました。
 具体的には本紙10月号でもおしらせしたように、カラー見開き二面で来年5月の掲載に決まりました。現在、紙面のレイアウトなど編集作業に入っており、部落解放新聞・狭山闘争ニュース読者をふくむみなさんの積極的建設的な意見を募集中です。

差別を居直る示現舎・宮部を徹底的に追及
 インターネットを駆使して差別をあおり、部落解放運動と全国の部落大衆に敵対し続ける示現舎・宮部に対して現在も徹底的に糾弾しています。9月には再度、宮部本人に質問状を送って責任を迫りました。(詳細は本紙9月号を参照ください)
 この全国連の追及に宮部は「回答書」を送りつけてきたものの、その内容たるや苦しまぎれの言い訳ばかり。支離滅裂で「回答」になっておらず差別者としての馬脚をあらわにし、そればかりか居直りを続ける一方です。
 とはいえ、全国連は手をゆるめません。この許しがたい差別者をさらに糾弾し、その罪状を認め謝罪するまで徹底的に追及し続けます。

各地のたたかいも活性

 全国大会、全青交、全婦、狭山10月闘争の過程で、各県連大会や支部大会も開催されました。全国ではさらに、関東ブロック長野における台風災害の復興をかけた地域ぐるみの行政とのたたかい、地方選への挑戦、茨城での、県行政を丸ごと巻き込んだ研修や集会、関西ブロックを中心とした同和住宅や医療・介護をはじめとする日常生活に密着した取り組み、中四国ブロックではヒロシマやアジア侵略の総括を軸とした反戦・反核闘争の継続、九州ブロック福岡における駅前・街頭での狭山街宣とPR行動の定期化等々、幅広く豊かな運動を展開してきました。また、各地で来年の参議院選挙での態度も見据えた具体的な取り組みも始まりました。
 1992年に創立した我が全国連は来年、丸30周年を迎えます。狭山再審、要求貫徹、改憲阻止を一体のものとして勝利するためにもより一層みんなで力を合わせていきましょう。


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の2
                 
             部落解放同盟全国連合会

 私たちの「公開質問状3の1」に対して、宮部から11月5日付けで回答があった。
 私たちはこれまで公開質問状で宮部の主張のウソや差別性を様々な面から暴いてきたが、宮部は具体的に答えず、論点のすり替えやはぐらかしばかり書いてきた。そこで前回から論点を絞り、最初に宮部が主張している「自分は部落民だ」というウソについて追及した。
 今回の回答書は、ウソにウソを重ねるとこうなるという見本のようなものである。
 宮部は今回の質問状に対して、ネットでは「全国連は反権力でね。僕はむちゃくちゃ反権力ですよ。本来だったら全国連は示現舎の味方をするべきだと思うんですね…いい加減、やめませんか」などと泣き言をたれている。
 しかし宮部はいまだに「自分は部落民だ」というウソを撤回するどころか、一層振りまいている。私たちは宮部がウソを認めて謝罪するまで、徹底的に真実を明らかにしていくものである。

1、宮部は部落民、とする3つの根拠がデタラメであることを認めよ

 宮部は回答書で「不可解なので付言するが、貴団体はなぜ宮部が部落出身かどうかに
こだわるのだろうか」と言っている。ネットでは今回の質問状に対して「部落民かどうかというのは、はっきしどうでもいい話なんです」「こだわっているのが異常」「マウントをとろうとしている」などとも発言している。「これ以上追究しないでくれ」と言わんばかりである。
 私たちがこの問題を取り上げるのは、宮部自身が「自分は部落民だ」というウソをつき続けているからだ。そして自分の出身はごまかしながら、裁判では解放同盟員の出身地をさらし続けている。宮部が口先でいくら屁理屈を並べようと、その正体はウソつきの差別者であることを明らかにするために、私たちはこの問題を第1のテーマとしているのだ。
 私たちは公開質問状で、宮部が部落民だと主張する3つの根拠が、いずれも根拠など
になり得ず、宮部は一般地区出身者であることを明らかにしてきた。
 すなわち、(1)宮部の出身地である「鳥取市下味野415番地の1」は、下味野の中でも一般地区の本村であり、被差別部落ではないこと、(2)宮部は父親の職業を「屠殺業」などと言っているが実は「ジビエ」を趣味にしているに過ぎないこと、(3)宮部の土地が同和対策の土地改良事業の対象になったというが、隣接する一般地区の土地も含めて事業対象とすることは同和対策事業のイロハのイであること、などである。

(1)下味野の地番に関して

 ① 宮部は今回の回答書で、全国部落調査や鳥取市の同和地区の呼称などが下味野となっているから、「番地がどうであろうと、下味野とつけばそこは部落なのである」と言っている。「番地がどうであろうと」? 宮部は、とうとうここまでデタラメな言辞をはかなければ、自分が部落民だと言えなくなったのだ。
 また宮部は、部落は権力が作り、その権力が下味野は部落と言ったから部落だなどとくり返している。第1回目の回答書でも、「権力により部落民と認められた宮部龍彦が部落民以外の何であると言うのだ」などと息巻いていた。
 権力は戦前の融和事業や戦後の同和事業の対象として、全国の多くの地域で被差別部落を含む大字小字単位で地区指定し、事業の対象地区としてきた。被差別部落であるA地区を含む下味野もそうである。そんなことも知らないほど、宮部は無知なのか。いや、そうではない。知っていながら悪質なウソを重ねているから、その居直りがどんどんひどくなっているのだ。
 ② 宮部は、裁判所に出した陳述書で次のように言っている。「下味野の中でも千代川に近い地域が部落とされており、下味野本村の枝村である『A』という穢多村の存在が江戸時代の文献に出てきます。そして、実際に戦後間もない頃まではバラック小屋のような家が密集しており、差別のために近親婚が多かったと聞いています。」
 また、「鳥取市では下味野全体を部落と思っている人が多いです。…鳥取市によって
同和地区の呼称として『下味野』が使われたので、下味野の区域の住民は、よそからは部落民と思われている」と言い、自分も市職員からそのようにみられた経験を書いている。
 そして「下味野はもともと複数の自治会に別れているのだから、部落・一般という考え方はありません…少なくとも明治末期以降は下味野旧本村と旧Aの関係は差別した・されたというようなものではなくて、『なあなあ』の関係で。」などと書いている。
 これをみても、宮部は下味野の一般地区本村の出身で、隣接するA部落の差別的状況を聞いており、自分が部落民でないことは自覚していたことを白状している。

 宮部に問う。全国部落調査や鳥取市の地区指定が下味野であろうと、下味野415番地の1はA地区内ではなく、一般地区の本村であることを認め、これまで知っていながらウソをついてきたことを撤回し、謝罪せよ。

(2)父親を「屠殺業」とすることについて

 宮部は回答書において必死に論点をごまかし、父親の職業が「趣味」ではなく、保健所に届けた仕事だと言っている。
 宮部は第1回の回答書で、自分から「父親は不動産業者兼屠殺業者」だと言い、あたかも自分が部落民であるというウソの主張を補強するかのような回答をした。それに対して、私たちは父親がやっているのは「屠殺業」ではなく「ジビエ」であることを指摘し、「針小棒大にも程がある」と指摘したのだ。
 論点をごまかさず、潔くウソを認めて、撤回し、謝罪することを求める。

(3)同和対策の土地改良事業について

 宮部のような部落に隣接する一般地区の土地でも、同和対策事業の対象になることが常識であることはすでに述べた。
 宮部は第1回の回答書では「そこが部落でなければ鳥取市が『同和』予算を支出するわけがなかろう」などと無知をさらけだしているが、前回と今回の回答書ではまったく反論がない。できないのだ。これに関して宮部はネットでは「ああそうですか、まあそうですね。それがどうかしましたか」などと完全に認めざるを得なくなっている。
 それならば、こんなみっともない対応でなく、きちんと自分の誤りを認め、部落民である根拠としたことについて、撤回するべきである。

2、宮部は下味野での部落民宣言をどう受け止めたのか

 宮部は、「下味野の一部の児童がいわゆる『部落民宣言』をさせられたのですが…なぜ下味野という区域内で『部落民宣言』をさせられた児童とそうでない児童がいるのかということは全く教わっていません。」と言っている。
 ① 自分が部落民だというなら、宮部自身は「部落民宣言」をしようと誘われたことがあ
るのか。
 ② 宮部自身は部落差別を受けた経験があるのか。
 ③ 宮部の親は自分が部落民だと言っているのか。
 ④ 宮部は親から部落民だと教わったことがあるのか。答えよ。

3、神奈川県の原告の本籍地への転籍について

 宮部は、解放同盟が「戸籍や住民票」を根拠にしていることを逆手にとって、「それなら戸籍や住民票を移動すればだれでも部落民になれる」といって、自分も神奈川県の原告の本籍地に自分の本籍を移した。そして、「本籍地が部落に有るのだから宮部は間違いなく部落民である」なとど回答している。
 これは、宮部の差別者としてのあくどさを典型的に示すものである。宮部の言っていること、やっていることは、現実を無視した下らない言葉遊び、書類遊びに過ぎない。以前から興信所などを使って相手の戸籍をとり部落民かどうか身元調査をする人たちがいる。だから差別から逃れようと、つらい思いで本籍を転々と移す人もいたのだ。そのような部落の人たちをあざ笑う行為だ。
 また、それ以上に多いのは、先祖がどうかや、戸籍がどうなっているかなど分からなくても、「あそこの地区の出身だ」というだけで、部落出身者を差別し排除する人だ。「被差別部落」と周りが見なす地区に生まれたというだけで差別を受ける。この身分的差別としての部落差別は、今も厳然とある。
 被差別部落に生まれていない宮部は、いくら「自分は部落民だ」「本籍を部落に移した」などと絶叫しても、部落差別を受けることはない。興信所が調査すれば「彼は部落出身者ではないが、本籍を部落に移した変人である」という報告書が書かれるだろう。
 宮部を部落出身者などと言うのは、せいぜい「下味野」全部が被差別部落だと勘違いした市職員や市民がいるくらいだ。
 宮部の魂胆は見え透いている。自分が下味野の部落出身でないことを明らかにされたために、下味野から目をそらせ、神奈川へと焦点をずらしたいのだ。だが宮部が部落民かどうかは、下味野で決まる。そこから逃げることはできないのだ。
 宮部は、いい加減「部落」や「部落民」についての言葉遊び、書類遊びをやめたらどうなのか。そして自分が「部落民である」というウソを撤回して、謝罪したらどうなのか。答えよ。

4、部落民と主張するぶざけた動機について

 宮部は鳥取ループを初めた当初、ツイッターに「鳥取ループはガチの同和地区住民で、同和地区出身者です。本人が言うのだから間違いありません。アイヌ優遇策が始まったらアイヌにもなる予定です」とツイートした。
 また「本当かどうかはご想像に任せますが、この国では誰でも同和地区住民を自称できる」「(このプロフィールは)半分皮肉が入っています」などと述べている。
 このふざけた自己紹介だけでも、宮部は自分が部落民だなどと本気で主張しているのではないことがよく分かる。しかしこれは「冗談」などと言って逃げられるような言辞ではない。部落民やアイヌをからかいの対象とする差別者そのものではないか。
 ① 「本当かどうかはご想像に任せます」「半分皮肉が入っている」とはどのような意味
か。
 ② 宮部は、「次はアイヌになる」のか。答えよ。

5、部落所在地をたれ流すことの犯罪性

 宮部が部落出身者であるというウソを暴くことが、公開質問状3の趣旨であるが、宮部が回答書で、全国連は支部名=地域の部落名を公然化しながらゼッケン登校などを行ってきたが、これは寝た子を起こす論ではないのか、全国部落調査の公開に反対するのは寝た子を起こすな論であり、いつから転向したのか、その矛盾について理論的に説明を求める、としているので、一言触れておく。

 ① 宮部は全国部落調査の公開が、〈部落を明らかにする論〉と〈部落を隠す論〉の対立であり、前者の方が部落解放につながるという、路線論争のように押し出している。しかしそれは後からこじつけたものであり、宮部の本音は当初あけすけに自分で言っていたように、「ばんばん売って金儲けしますよ」ということだ。そんな宮部が、路線だ理論だなどと言うこと自体がおこがましい。
 この点については、質問状4以降で徹底的に明らかにする。

 ② 私たちが自分たちの部落名を支部名に冠し、ゼッケンや荊冠旗に書き、それを明らかにしながらゼッケン登校などを闘うのは、第1に、部落差別を受ける者としての自覚と、
差別と闘う主体をつくりあげるためだ。部落差別をなくしていく主体は、全国水平社綱領にあるように「部落民自身の行動によって絶対の解放を期す」ということだ。そのために自らの部落を誇りとして掲げて闘うのだ。その場合、差別が厳しい故に「寝た子」として生きる選択をしているきょうだいの痛い思いも引き受け、励まし、ともに闘う戦列に加わるように働きかけていく。
 第2に、その主体づくりの基盤の上に、多くの労働者人民との共同闘争を発展させ、部落差別を生み出し労働者階級を搾取・抑圧する国家権力を打倒し、部落解放・労働者解放の未来を切り開いていくのが私たちの運動だ。
 単に、「自ら明らかにするカミングアウト」か、「他者が暴露するアウティング」かといった平面的な問題ではない。
 私たちのこの立場と、ただ全国の部落地名をたれ流す宮部(しかも金儲けの手段とし
て!)とは、正反対だ。宮部は、即刻部落解放運動への敵対をやめるべきである。以上。

2021年12月14日 部落解放同盟全国連合会

2021年11月の記事
狭山全国統一行動

10.31寺尾差別判決47ヶ年糾弾!

全国各地で狭山署名活動

10月10日 大阪・京橋
狭山への関心が高まる

 緊急事態宣言解除後の第2日曜日、7ヶ月ぶりに京橋駅街宣を再開しました。さすが京橋は、大阪第3のターミナルと言われるだけあって人出は全く心配ありませんでした。この日は駅前の広場に荒本、寝屋川、西郡、野崎、大阪狭山実行委員会から13名が結集。11時から2時間の街頭宣伝で狭山ビラ300枚を配布、署名11名、カンパ500円を達成しました。
 第3次再審が今年、鑑定人尋問―事実調べをめぐる重大な局面を迎えていること、弁護団が下山第2鑑定の決定的証拠を提出したこと、そして、いよいよ来春には弁護団が、東京高裁に事実調べ―鑑定人尋問の請求を行うことを表明し、その同時期に狭山第2次意見広告が、全国紙にカラー2面掲載が決定したことを通行人にビラで訴えました。
 「今大切なことは、石川さん無罪を証明する下山鑑定をはじめ新規・明白な新証拠が、弁護団から次々と提出されている事と、『東京高裁は1日も早く事実調べを行え!』という声が、今後大きくなれば、再審のトビラは必ず開きます。みなさんの声をどうかこの狭山署名に託してください。」と、声を大にしてアピールしました。
 ビラを配る仲間も、足を止めた通行人に必死に食い下がって署名を促して、その熱意に応えた人は、署名用紙にペンを走らす時、とてもすがすがしい顔をされていました。
 それでも、まだまだビラを受け取る人達は、コロナ情勢とは言え少なかったように思えます。やはりもっと街頭宣伝の回数を増やして粘り強く訴えを繰り返し、毎回工夫をこらして狭山の最新情報を伝える中で関心を深めてもらうよう、たゆまぬ努力がこれからも必要です。
 大阪では、こうした街頭宣伝とともに、大阪狭山実行委員会を結成して6月20日には「狭山映画と講演の集い」を緊急事態宣言下にもかかわらず34名の参加で開催し大成功しました。そして来る12月5日には「久保敬(たかし)校長を招いての講演集会」を開催して、狭山再審に向けた広範囲な陣形を築くために奮闘努力しています。

10月17日 長野市内6地区
狭山署名で村の思いを実感

 10月17日(日)、長野市内の部落へ狭山署名に入りました。
〈大町(おおまち)地区〉
 この村は、台風19号災害によって数件しか残っていませんが、3軒の人が署名に協力してくれました。反応は「狭山事件、昔の話だね。聞いたことがある。裁判所を動かせるように頑張って下さい」と署名してくれました。
〈南堀(みなみぼり)地区〉
 高校時代の知り合いで、第1回目の狭山意見広告にも賛同してもらった人です。話をするとすぐに署名に応じてくれました。
〈吉田(よしだ)地区〉
 かつて解同の支部があったところですが、今は解散しています。「みなさんの声で、裁判所を動かしましょう」と訴えると、「署名だけなら協力します」と言って署名に応じてもらいました。
〈篠ノ井(しののい)地区〉
 60代男性が「狭山事件は長いですね。若いころは何度か話を聞いたことはあります。ぜひがんばって下さい」と署名をしました。
 また、70代男性が、「昔は組織もあって、会合も開いていた。今はそれもなくなってしまった」と解放運動の衰退をなげきながら、狭山への想いを署名に託してくれました。
〈松代(まつしろ)地区〉
 部落と一般の混住が進んでおり、すべての家を訪問しました。
 70代男性が「若いころはバスに乗って狭山のことで裁判所に行ったものだ。署名は当然のことだ」とすぐに応じてくれました。
 30代の若い夫婦が「ちゃんとした裁判をすべきですね」とすぐに署名に応じてくれ、「家族が多いのですが、全員の分を書きましょうか」と言って、6名分の署名をいただきました。
〈若穂(わかほ)地区〉
 「狭山署名のお願いに来ました」と伝えると、皆さん二つ返事で「協力するよ」とボールペンをとってくれて、またたく間に署名が集まりました。
 また、K地域では2軒で若い婦人が署名に応じてくれて家族にも声をかけて複数人分を書いてくれました。
 解同本部派の運動が衰退し、村の中では運動がありません。しかし狭山闘争は村の人の関心事であることが、署名を通じて改めて実感できました。
 今後も署名運動を続けますので、ご協力をお願いします。

10月31日 狭山学習会(山口・陶支部)
写真による報告

茨城では狭山報道特集のDVDで学習

 茨城ではコロナウイルス感染が収まっていないため、未だになかなか集まることが厳しい状況です。そのため狭山統一行動として、『次は私の番~動き出した狭山事件』のDVDを各支部に送り活用・学習しました。1日も早く、要請行動、5月の中央集会、意見広告運動で事実調べ、証人・鑑定人尋問を勝ち取るため頑張ります。
 また、今後の予定としては11月20日~21日に、中田支部研修会が行われる予定で、この中での上映も企画しています。

10月31日 福岡・天神
寺尾判決糾弾!再審を訴え(投稿)


 今年も10月31日がやってきました。私たちにとっては絶対に忘れることのできない47年前の東京高裁寺尾判決(無期懲役)の日です。当日、背広に革靴を持参して無罪放免を確信し臨んだ石川一雄さんにとっては、言い表すことのできない怒りの日となっていることでしょう。私たち実行委員会のメンバーも、この10・31寺尾判決糾弾!第3次再審勝利の決意を胸に、全国でとりくまれている闘いと連帯して第47回狭山街宣を行いました。
 いつもは第4日曜日の取り組みですが、今回は31日に合わせて行動することを会議で決めてのとりくみです。18名のメンバーが早々と街頭に立ち、行き交う人々に声を掛けます。
 開始早々、年配の女性があらわれ「みなさんが毎月がんばっているから」と千円のカンパをいただきました。当たり前のようにやっている街宣ですが、このように見てくれている人がいることに、石川さんの無実と運動の正義を改めて感じさせてもらった瞬間でした。
 万年筆がニセモノであることを明らかにしているパネル数点。興味深そうに見ている若い女性がいました。メンバーのひとりがチラシを渡し狭山の話をすると、「初めてこの運動を知りました。はじめてなので、ちゃんと知っておかないと、と思い見ていました」と言い、そしてメンバーに「あなたはどうしてこの運動をしているのか?」とたずね、解放運動へのかかわりや狭山のことを丁寧に話し、詳しい本があることを紹介しました。署名を訴えると、個人情報のことでフルネームを書くのを躊躇(ちゅうちょ)されましたが、責任をもって東京高裁へ提出することを確認して一筆いただきました。
 一人の女性が、署名を訴えている仲間の前に立ち止まり、自分が教師で「狭山を学校で教えている」と言い、自ら署名をしていかれました。更に、若い男性も女性もチラシを受け取り署名に応じる姿がいくつも見られました。
 また、この日は大通りを挟んだ反対側で、日本キリスト教団の方が、10・31狭山を訴える独自のチラシを配布しており、ともに頑張りましょう!とエールの交換を行いました。
 途中、YouTubeにアップされていた、石川一雄さんと早智子さんのアピールを見つけた仲間が、早速マイクで流し通り行く人の耳目を集めていました。チラシ250余を配り、30筆の署名をいただきました。
 最高裁判事の信任をはかる投票がこの日行われましたが、石川さんは「当たった裁判官が悪かった、という司法では元来ダメなんだ」と訴えます。全くその通り!東京高裁・大野裁判長が正しい判断をするためには、5月意見広告とその運動が決定的です。石川さんと共に、権力犯罪を許さず、事実調べの実現と再審の門を開くために奮闘しましょう!


示現舎・宮部龍彦への公開質問状 3の1
                 
        部落解放同盟全国連合会

 示現舎・宮部龍彦(以下宮部と略)への公開質問状2に対して、宮部からの回答書が、9月15日付けできた(以下回答書と略)。
 今回の回答書では、ほとんど全ての質問に対して、何一つまともな回答はない。とくに、具体的な質問点に対して、具体的な回答がない。あるのは、宮部の苛立ちに満ちた感情的作文である。
 こうなると、公開質問状のやりとりとしては、体をなすことが難しい。宮部には、具体的な質問点について、逃げずに、回答することを求める。そのため、公開質問状の3においては、ひとつひとつ、項目をしぼって、宮部回答書の矛盾、問題点を指摘し、再回答を求めることにしたい。そうすることで、宮部の感情、暴言に惑うことなく、より本性が見えてくるにちがいない。
 したがって、今回はひとまず3の1とし、宮部がイの一番に主張する「俺は部落民だ」というウソについてとりあげる。

 回答書において、宮部は、またしても「俺は部落民だ」と主張する。そして、「宮部は部落民ではない」と証言した出身地の近くの住民に八つ当たりし、「証言者をだせ」といきまいている。苛立ち、感情にかられ、故郷の住民にまで敵意をむきだしにしている。
 宮部にひとこと言っておくが、君が部落民ではないことは、故郷の住民の間ではとっくに知れ渡ったことであり、周知の事実である。それが、人々の口の端に上るようになったのは、誰あろう、宮部自身が「俺は正真正銘の部落民だ」などと吹聴するからである。身から出た錆とはこのことだ。それを、逆切れして、住民に毒つくとは、いかにも宮部らしいが、「誰が言ったのか」と問われれば、それは君の故郷の全住民だと言っておこう。
 宮部がこの点でいたく気に病んでいるので、逆に聞こう。宮部よ、君があくまでも「部落民だ」と言い張るなら、君こそ、その証人を下味野の住民から一人でも出してみよ。自分で、故郷の住民をくまなく回り、自分の評判を聞いてくればいいのだ。

 さて、回答書では、次の何点かで、こちらの質問には何一つ答えず、回答の欠片もない。

(1) 宮部の出身の住所を、全国連が、鳥取市下味野415番地の1と表記したことについて、そしてそこは、明白に被差別部落ではないと指摘したことについて、具体的な反論がない。具体的に反論できないのか。「部落探訪」で、散々各地の被差別部落を晒しものにし、他人の住所氏名を勝手に暴露して悦に入っているくせに、自分のことになると逃げ回る。とんだお笑い草ではないか。

(2) 宮部の父親の職業について、全国連が、ジビエを趣味にしているに過ぎずそれをもって「屠殺業」というには、針小棒大にも程があると指摘したことに対して、全く反論がない。何も反論がないということは、全国連の指摘通りということか。しかし、これは宮部のほうから、第1次質問状への回答として言いだしたことである。それに全国連が正解を出したに過ぎない。まさか、真相が簡単にばれるとは思っていなかったのか。何一つ反論ができないなら、「父親が屠殺業」というウソをついたことを認め、はっきりと撤回せよ。

(3) 土地改良の件について、これも全く反論がない。宮部は、自分の親の土地が、同和対策事業で改良工事に付されたので、それをもって「俺は部落民だ」という根拠のひとつに主張した。しかし、全国各地、同和対策事業での土地改良に際して、同和地区だけでは土地が狭く改良事業が困難なことから、近隣の一般地区の土地も一部に含めて工事が成立することは、ままあることである。こんなことは、世間の常識の範囲だ。宮部が、自分のウソの陣立てにするには、余りにもお粗末というもの。この点も、宮部自身の浅はかさ故、身から出た錆だ。何一つ反論ができないなら、ウソを認め、はっきりと撤回せよ。

 以上、3点について、再度質問し、宮部の回答ないし態度表明を求める。
 なお、言うまでもないが、これら3点は、宮部の「俺は部落民だ」という主張の是非を洗い出す決定的な論点である。このまま、宮部が具体的な反論ができなければ、即ち、宮部はウソつきであると、満天下に晒すものとなろう。
 11月15日を期限として回答を求める。
 
2021年10月30日 部落解放同盟全国連合会


総選挙結果を踏まえ、闘う市民と共に

憲法改悪阻止!侵略国家化阻止!に決起しよう


 10月31日投開票の衆議院選挙は、立憲民主党96(公示前110)、共産10(同12)、れいわ3(同1)社民1(同1)の野党共闘は議席を減らし、自民261(同271)、公明32(同29)、維新41(同11)となり、自民は15人減らしたが、公明3人増、維新が30人増、その他、国民11(同8)、無所属11(同11)となりました。
 この結果、今回の衆議院選挙で自民、公明、維新を合わせて334議席となり、引き続き憲法改悪を発議できる3分の2の議席を占める結果となりました。
 一方野党は、市民連合と4野党(立憲・共産・社民・れいわ)の政策合意という形をとって、「自民・公明対野党共闘、国民民主」という形で7割超えの小選挙区で接戦に持ち込みました。
 そして、甘利・自民党幹事長や石原伸晃元自民幹事長など自民党幹部を小選挙区で破り、一定の成果を上げました。しかしながら期待したほど票を伸ばすことができず、比例で大きく議席を減らし、非常に厳しい選挙結果となりました。
 とりわけ大阪府では19の小選挙区のうち、維新が15の小選挙区、公明が4の選挙区をとり、10区の辻元清美さん(立憲)までが落選しました。
 選挙の結果は改憲阻止闘争の厳しさを示しています。自民党は選挙公約で「衆参両院の憲法審査会で憲法論議を深め、改正原案の国会提案・発議を行い国民投票を実施し、早期の改正を実現する」ことを掲げました。さらに、敵基地攻撃能力の保有や軍事費のGDP比2%以上の増額」などを掲げています。
 そして、岸田文雄首相は選挙後の記者会見で「党是である憲法改正に向け精力的に取り組んでいきます。与野党の枠を超え、憲法改正の発議に必要な国会での3分の2以上の賛成を得られるよう議論を深めていく」と改憲に積極的に取り組むと発言しています。
 「自民党の右側(に位置する)政党」と自負する維新代表の松井(大阪市長)は、2日の記者会見で憲法改正について「来年の参議院選までに改正案を固めて参議院の投票と共に国民投票を実施すべきだ。参議院の大きなテーマになる」といいました。そして松井代表は「まずは憲法審査会を正常化させることだ、立憲民主党と共産党のボイコットで議論が進んでいない、キチッとスケジュールを決めて各党・各会派が出席することだ、ボイコットする側をいくら待ってもしかたがない」と数の力で押し切る暴言を吐きました。
 わたしたちは、大きな危機感を持って憲法改悪阻止へ立ち上がらなければなりません。改憲派が3分の2以上であっても9条改憲を巡って一致しているわけではなく私たちの闘い方いかんで阻止できます。
 今こそ闘う市民と共に憲法改悪阻止!敵基地攻撃能力保有・侵略国家化攻撃と闘おう。沖縄県民と連帯し辺野古新基地建設阻止を闘い抜こう。


2021年10月の記事

寺尾判決47ヶ年糾弾

10・31狭山全国統一行動にたとう

 1974年10・31寺尾判決から47ヶ年をむかえる。寺尾判決は、今なお、石川一雄さんに殺人犯の汚名をきせ、見えない手錠で縛り付けている。絶対に許すことはできない。

10・31、全国で寺尾判決糾弾の統一行動に総決起しよう

 47年前、寺尾判決をなぜ許したのか。十万を超える人々で、日比谷公園を埋めた。にもかかわらず、なぜ。
 私たちは、第3次狭山再審で寺尾判決崩壊に迫っている今こそ、この点にこだわり、二度と寺尾判決を繰り返さない深い意識で武装しなければならない。 当時、裁判では、事実調べが日程に登っていた。狭山での事実調べとは、権力犯罪を暴き、覆すことに他ならない。それは、法廷を包囲する大衆的糾弾闘争と一体のものである。
 しかし、寺尾裁判長が狭山担当に就任し、事実調べが後退したとき、既成指導部はそのことに固執するかわりに、公正裁判に期待し、寺尾判決を促進する方向を選んだが、それは大きな間違いだった。事実調べで徹底的に争うことはどこかに消し飛び、寺尾が公安条例違反事件を無罪にしたことに期待をつのらせた。しかし、その寺尾が、当時狭山と並行して審理していた東大裁判で、超強硬な事実審理打ち切り、60年安保いらい初の重刑判決を下したことには、一顧だにされなかった。
 狭山事件は、権力犯罪である。この真実から一刻も目を離してはならない。大衆的な糾弾闘争と、法廷での徹底的な事実調べとが結合することではじめて打ち破ることができる。下山鑑定・第2鑑定は、その点で、最も鋭角的な切っ先である。
 私たちは、処分、全国連創立、いやもっと前の寺尾判決いらい、辛酸を舐めてきた。30年,40年、50年かけて、どん底から這い上がってきた。そして艱難辛苦の果てに、ついに事実調べの渡口に着いた。石川一雄さんは82歳。次はない。共に背水の陣にたって、寺尾判決に引導を渡そう。
 来春の意見広告、報告集会に向かって、一千人の決起を。 


狭山意見広告の掲載時期と10・31狭山中央集会の

        変更についてのお詫びとおことわり

        
            2021年9月28日 
              部落解放同盟全国連合会
              中央本部 三役会議


 ご苦労様です。日々の取組み、とりわけ狭山意見広告運動の全力での取組みに深く敬意と感謝を表します。
 9月27日に、東京にて、狭山意見広告運動のよびかけ人会議が開かれました。そこにおいて、率直な意見交換・協議のすえ、次のような結論となりました。

9・27よびかけ人会議の結論
 意見広告の掲載時期等については来春5月連休、全国紙の2面見開きカラーとする。
 その理由は、ごく最近の情報として、中北弁護団事務局長が、狭山弁護団としてはじめて「来春ころ事実調べ請求」と明言されたこと。故に、意見広告のタイミングとしては、10月ではピントがずれ、来年5月が最も適当であること。
 また、2面見開き・カラーのインパクトは物凄く大きいこと。
 また、コロナ禍で実行委としての動きが制約され、何もできないうちに10月掲載ではなく、来春5月なら実行委として動いたうえで迎えられること。
 しかも10月では、総選挙がかぶり、そんなときに広告を出しても選挙に消されてしまい、余りにもったいないこと。
 意見広告のレイアウト等についても、ついては十分な時間をかけ、よびかけ人・賛同人からも広く意見を募ること。
 報告集会を、5・22東京ほか全国数カ所で開催する。よびかけ人、賛同人の協力を得て、実行委をきちんともって、積極的に裾野を広げていく。
 2度の意見広告運動を継承し、事実調べ・再審実現まで繋げるものとして仮称「狭山の再審を動かす1000人市民委員会」を構想していく。
 鑑定人尋問を要求する署名、要請行動、現地調査などにとりくむ。
 以上の4点について、賛同人に丁寧な説明を要する。

全国連としての緊急判断
 以上の緊急かつ重大な事態を聞き、全国連本部三役会議としては、呼びかけ人会議の状況判断、結論を潔く受け入れ、改めて以下の方針変更を提案します。
 意見広告の掲載時期等については来春5月連休、全国紙の2面見開きカラーとする。
 ついては、10・31に予定した狭山中央集会についても、5・23(5・22)東京ほかでの意見広告報告集会に変更する。意見広告報告集会にふさわしく実行委員会をもって準備し、東京をはじめ、全国数カ所で開催を追求する。またその取り組みの中で「1000人市民委員会」の創設を追求する。
 なお、10・31については全国統一行動とする。
 以上について、できるだけ早急に臨時の中央執行委員会を開催したいところ、各地とも秋のムラ行事等で一堂に会する機会がもてず、やむを得ず、文書持ち回りで中執にかえさせていただきます。

心からお詫びします
 同盟員、賛同人の皆様には、狭山弁護団が来春に証人調べを請求するという重大な進展のため、意見広告の時期がこの10月から来年5月に変更となり、昨年の1年延期につぐ2度目の延期となってしまい、心からお詫びを申し上げます。
 しかし、3度目の延期は、全国連の政治生命にかけて絶対にありません。
 これまで、今度こそ、10月掲載に向かって、全国各地で懸命に取り組んでまいりました。それを信頼し、貴重なカンパを寄せてくださったことに、改めて深く感謝を申し上げます。その期待通りにならず、また半年の延期となることには、心苦しいかぎりです。
 しかし、皆様のカンパは1円1銭、決して無駄にせず、当初の予定よりよりはるかに素晴らしい、狭山では初めての2面見開き・カラーとして、半年先には見事な果実を実らせることをお誓いします。


プライバシー権の侵害認め

 出版差し止め、電子データ削除


「全国部落調査」復刻版出版事件裁判判決


 9月27日(月)午後2時から東京地裁で、「全国部落調査」復刻版出版事件裁判の判決公判が行われた。その後、部落解放同盟主催の報告集会が、日比谷図書文化館地下1階ホールでもたれた。
 責任者に取材の了解をいただき、判決公判と報告集会の報告をします。

 原告は部落解放同盟と部落出身者248名。被告は示現舎。
 判決公判には、各地から100名以上の同盟員・支援者が駆けつけ、さらに20名を超える報道陣が正門前に陣取り、地裁前は異様な雰囲気に包まれた。この判決公判が社会的注目度の極めて高いものであることが実感できた。
 コロナ渦で傍聴席が半数に抑えられるなか、抽選で約50名が傍聴席を埋めた。私は運良く抽選に当たり、公判を傍聴することができた。
 公判廷では、原告側は弁護団ら6人が出席。被告席は欠席のまま、主文が読み上げられた。
 主文は15項目で構成され、それぞれに別紙や目録の番号が読み上げられるといった内容のため、傍聴人にとって判決主文はほとんど理解できないものだった。

 判決後、報道陣と解放同盟員・支援者が歩道上を埋め尽くして見守る中、弁護団から簡単に判決内容が報告された。
 終了後場所を移して、午後3時過ぎから報告集会が行われた。
 
 このうち弁護団報告、解放同盟代表あいさつと質疑応答での会場からの発言者3人の発言要旨を紹介します。

□弁護団報告
●河村弁護士
 「全国部落調査」復刻版出版差し止めを認めた。しかし全部ではなく千葉、三重、富山、山口、佐賀、長崎の6県は認められなかった。何故、一部は認められないのか。
 プライバシー権について、解放同盟役員や一部の原告は、自ら情報を開示しているとの理由で権利侵害を否定し、所属する県には出版差し止めを認めない。
 原告が県で一人の場合、権利侵害なしとされれば、出版差し止めは認められない。
 損害賠償は、一人5,500円から44,000円の間の金額となった。原告のうち、本籍は部落だが現住所が違う人は賠償額が低く見積もられている
 カミングアウトについて、果たして裁判所はきちんと理解しているのか。控訴審で訴えていく。
 差別をされない権利は、どの原告がどういう状況にあるかではなくて、部落全体の問題であるにも関わらず、裁判所はこの点を全く認めていない。
 大勝利として喜ぶわけにはいかないが、宮部のやっていることに、一部歯止めがかけられた。
●山本弁護士
 裁判は勝利したと言える。しかし同時に、司法の限界がある。
 特に、差別されない権利が認められなかった。復刻版出版は、全体に差し止めが認められなかった。
 しかしプライバシーの権利侵害が認められたことで、評価できる点があるのではないかと思う。
●中井弁護士
 判決主文は、第1番目から第15番目まであり、別紙、目録の番号を読み上げた。
 例えば、削除せよ。そのうちの別紙〇号、〇号と言うように。だから聞いてても分かりにくい判決だった。
 この裁判は5年以上かかり、皆さんは大変だったと思います。県連の方も。
 判決には不当な部分もあるが、約250人が原告として起ち上がって裁判しなければ、この判決は無かった。皆さんが起ち上がった結果、今日の判決を勝ち取った。
□解放同盟代表あいさつ
●西島書記長

 この裁判を21都府県から248名が原告としてたたかった。
 出版の差し止め、WEBへの掲載差し止めというわれわれの主張は通った。しかし一部の県を除く、それ以外でという中身だった。
 われわれは了解できない。直ちに控訴を準備する。
 損害賠償についても、原告248名は個人でそれぞれ違う。これも不満である。
 裁判の勝利にむけ本部としてがんばる。
□質疑応答から
●Aさん

 「(出版差し止めを)限定的に認めるとは、そんなこともあるのか。私らは全国で差し止めを求めた。こんなことは認められない。地域を区別しているのか。
 こんな判決では、今後、地域ごとに裁判をやらなければならない、という構図になる。この点どう考えるのか」
●Bさん
 「私たちの県が差し止め除外となったのは原告のCさんが亡くなったことが理由か?県連はこれまで、C県連と言われてきた。
 Cさん一人が原告になっていたが、亡くなってしまった。何故言ってくれなかったのか。言ってくれれば、ムラから5人でも6人でも原告は出せた。
 3月にYouTube(ユーチューブ)で、地域の白山神社を撮影したのが公開された。地域は80世帯あり、半分は『寝た子』だが、ユーチューブの件で地域の人は皆、針の上に立たされた思いでいる。
 今後、県連としてどうしたらいいのか。県とも話をしたが、YouTube(ユーチューブ)はそのまま。どうしたらいいのか」
●Dさん
 私は79歳にもなって。この30~40年人権問題に関わってきたが、どういう教育でこんな判決ができたのか。裁判を傍聴して裁判長の顔が見たかった。
 どれだけ差別に耐えて生きてきたのか。それを土足で踏みにじられた。
 
 今回の判決について宮部は、WEBの「全国部落調査事件 東京地裁判決の全内容」に判決文全文を公開し、「この裁判は私的な民事訴訟であって、全国部落調査の公開の是非を公に問う裁判ではない」と暴論を吐き、「無論、示現舎としては控訴することを決定している」と主張している。断じて許せない。
 今後控訴審が始まる。「全国部落調査」復刻版出版の全面差し止め実現へ、私も共にたたかいぬきたい。(投稿・K)


2021年09月の記事

意見広告10月掲載の成功かちとり


10・31狭山中央集会

       ー11・1要請行動へ


  
衆議院選挙に全国でとりくもう


寺尾判決47ヶ年糾弾

47年前(1974年)の10月31日を忘れることはできません。この日、東京高裁・寺尾裁判長は、無実の部落民、石川一雄さんに強姦殺人の罪を着せ無期懲役の判決をくだしました。仮出獄されたとはいえ、石川さんは今も見えない手錠で繋がれたまま、82歳になりました。
 3回目の再審申し立てから15年、寺尾判決を打ち破るときがついにきました。この第三次再審請求の中で、多くの証拠開示をさせ、弁護団は240点をこえる石川さん無実の新証拠を明らかにしました。とりわけ、石川さんの家から「発見」されたとされ、決めての証拠とされた万年筆が、被害者のものではなく、警察によって捏造されたものであることを、インクの科学的鑑定・下山鑑定によって完全に証明しました。寺尾判決は崩壊したのです。来る10・31、東京に総結集し、このことを高らかに宣言しましょう。

意見広告の成功で事実調べへ

 現在の第三次再審において、狭山では一度もやられていない事実調べを実現する、これなしに勝利はありません。その突破口を開くのは、万年筆をめぐる下山鑑定人の尋問を実現することです。
 そのためには、大きな世論が必要です。2回目の狭山意見広告運動がよびかけられ、あと一息のところまできています。この成功をかちとるため、いま一つの尽力を心から訴えます。全国紙の意見広告10月掲載を実現し、10・31中央集会―11・1要請行動の熱気で、事実調べ・再審の扉を押し開けましょう。
 これに対して、検察は、突如として「万年筆の水洗い」を唱え、下山鑑定を無きものにおしやろうとしています。絶対に許してはなりません。仮に「水洗い」しても、万年筆のインクは消えません。検察の卑劣な策動を粉砕し、下山鑑定の事実調べを実現しましょう。

コロナに便乗した改憲許すな
 
 すでに、選挙戦は始まっています。この度の選挙は、憲法改悪の是非を問う選挙です。自民党の掲げる憲法9条への自衛隊明記とは、帝国軍隊の復活のことです。緊急事態法創設とは災害対策を口実とした戒厳令の復活のことです。
 菅政権は、新型コロナウイルス・デルタ株の感染爆発に便乗して、火事場泥棒よろしく憲法を変えようとしています。それを認めることはまさにいつか来た道です。改憲に反対する候補・党を支持し、全国で総決起しましょう。


示現舎・宮部龍彦への再質問


1、宮部龍彦は「部落民だ」というウソを撤回し謝罪すること
 

 示現舎・宮部龍彦は、みずからの回答書において「宮部龍彦は間違いなく部落民」と断言しています。しかし、宮部龍彦は部落民ではありません。
 宮部龍彦に問う。なぜ、こんな見え透いたウソをつくのか?「宮部龍彦は間違いなく部落民」というのは、ウソであることを潔く認め、謝罪・撤回し、ネットや裁判においても公表すべきだと思うが、どうか?
 宮部龍彦の出身地は、鳥取市下味野415番地の1です。この下味野地区には、確かに被差別部落は存在しますが、それは下味野地区全体ではなく、下味野の中の限られた一部の区域でしかありません。宮部龍彦の出身地、下味野415番地の1は、そうした一部の区域ではなく、それ以外の一般区域にあります。
 宮部龍彦が並べている理由も、みんなデタラメです。その点も、潔く認めて謝罪・撤回すべきだと思うがどうか?
 例えば、宮部龍彦は、回答書において、「父親が屠殺業」と言い、あたかも部落産業に従事しているかのように言います。だが、これもウソです。父親は、猪、鹿などのジビエに係っているというだけのことです。
 また、同じく、「父親が所有する田んぼが同和予算で改良されたから」と言います。しかし、これも単に、鳥取市が同和事業の関連対象地区としたものであり、その土地の所有者が部落民であることにはあたりません。全国的にも、部落に近接する地区では、部落の中に存在する場所だけでは、事業として成立しないことから、同和事業対象地区として改良事業にふされることはよくあることです。

2、「同和地区Wiki」の創設者としての責任を明確にすること

 宮部龍彦は、回答書において「間違いなく同和地区Wikiの創設者」と、認めています。しかし、「ある時から大衆運動化し、完全に宮部龍彦の管理を離れている」と言います。
 「同和地区Wiki」の創設者である、と認めたことは重要です。であるならば、創設者として、最も重い責任を問われるのは当然です。「同和地区Wiki」が、ネット上で全国の被差別部落の存在を晒しものにし、茨城県古河市のような差別事件を生み出したし、今も日々その状態が続いている、その最大の責任は宮部龍彦にあります。
 宮部龍彦に問う。創設者であると認めた以上、その責任を明らかにし、そこから派生する問題も含めて、謝罪することが当然だと思うが、どうか?
 「大衆運動化」云々とは、何が言いたいのか?「大衆」のせいにして、自分は責任逃れをしたいのか? 「大衆運動化」が、仮にそうだとしても、であれば尚更、創設者として「大衆運動化」に火をつけた宮部龍彦の責任はどこまでも免れません。
 どんな言い逃れをしようとも、「全国部落調査」をヤフーオークションにかけたのは一体誰なのか?
 「全国部落調査の復刻版を禁止されたから、ネット上の同和地区Wikiをやった」と、腹いせまぎれの捨て台詞を吐いたのはどこの誰であろうか?
 今更、これらの犯行を「大衆」のせいにするほど、宮部龍彦は度し難い卑劣漢なのか?

3、部落探訪は、勝手に部落を晒すだけのものであることを認めること

 同じく、部落探訪について、「部落についての正しい知識を広め、正しい寝た子の起こし方を実践した」「学術研究のため」と言っています。
 「正しい知識(?)」「正しい寝た子の起こし方(?)」。ではなぜ、わざわざ断りも無しに、家の門札や車のナンバー、墓石の名前まで、ことさら事細かに晒す必要があるのか?。それと「正しい知識」のどこが関係あるのか?。そもそも、当該の部落側から頼みもしないのに、なぜ各地の部落を晒すのか?。頼みもしないばかりか、被写体とされた部落側から、大勢の部落大衆がやめろと言っているのに、なぜ聞く耳を持たないのか?。そのようなものの一体どこに「正しい知識」があるのか?。
 ふざけるにもいい加減にしろ。
 宮部龍彦の「学術研究」なるものは、アジア侵略戦争を「アジア解放のため」と言い生体解剖を「医学の進歩のため」と言った、帝国主義侵略者の極悪の論理と、まったく同じです。宮部龍彦は「差別を無くそう、と掲げる興信所が一体どこにあるのか」と開き直っていますが、現に「侵略」を「解放」と言い、「殺人」を「医学」とうそぶく連中は存在します。宮部龍彦の言い分は、それとどこが違うのか?

4、古河市元係長による差別事件をひきおこした責任を認めること

 さらに、回答書とは別に、最近になって宮部龍彦は、茨城県の古河市元係長の差別事件についてネット上でデマを流し、また、古河市内の未組織の部落を含む「部落探訪」を執拗にくりかえしています。
 古河市元係長の差別事件については、「日頃から愛する会が役所に対して糾弾しており、そこでK係長が愛する会を利用することを思いついた」と、K係長を擁護し、差別事件の原因を、地元の運動団体である部落解放愛する会に転嫁して、愛する会を非難しています。また、「同和地区Wikiは流れの中でたまたま出てきたに過ぎず・・・むしろ運動団体や行政が反省すべき」とも述べて、「同和地区Wiki」を擁護し、この問題の原因を「むしろ運動団体の糾弾が悪い」と、差別糾弾闘争に転嫁しています。
 宮部龍彦は、ストーカー行為をくりかえし、ニセの「差別告発」の手紙まででっち上げた、卑劣極まるK係長を、糾弾すべきではなかったと言いたいのか?。
 では、改めてこの点を再質問します。
 2018年8月、茨城県古河市役所の当時現職のK係長が、ストーカー行為で逮捕される事件がおきました。K係長は、相手の女性に対する嫌がらせの一環として、差別を告発するという匿名の手紙を、地元の運動団体に出しました。その内容は、この女性は家族ぐるみで部落差別をしている、とでっち上げた卑劣極まるものです。そこには、女性の住む町にある実際の部落の地名や苗字が書かれていました。
 K係長は、この部落の地名や苗字を、どのようにして知ったのか。K係長は「同和地区Wikiで知りました。サイトを見て正直、驚きました。このようなデータが簡単に閲覧できてしまったからです」と、はっきり認めています。
 「同和地区Wiki」は、このように実際の差別事件に使われています。宮部龍彦が言うような「差別に使われることはない」というのは、現実に「同和地区Wiki」を使って発生した差別事件と、その事実関係によって、完膚なきまでに粉砕されています。宮部龍彦は「同和地区Wiki」の二次被害を否定したいがために、「むしろ運動団体の糾弾が悪い」と詭弁を弄して、ひっくりかえしを図っているにすぎません。
 宮部龍彦は「同和地区Wikiの創設者」として、古河市差別事件のもう一方の主犯でもあります。宮部龍彦が創設し拡散させた「同和地区Wiki」が、K係長の卑劣な差別行為を教唆扇動したのです。古河市差別事件についてのネット上のデマと、茨城県の「部落探訪」を直ちに削除すべきです。宮部龍彦は差別事件の責任と謝罪を求められて当然の立場なのです。「同和地区Wikiはたまたま流れのなかででてきたにすぎない」など、事実にも反する見苦しい責任回避をやめ、自分の置かれた立場と正面から向き合ってはどうなのか?。

5、関係人物一覧について責任を認めるか、評価をあきらかにすること

 (略)


6、「部落地名総鑑」についてすり替えずに評価をあきらかにすること

 (略)


7、「徹底的な暴露」の真の目的は金儲けであることを認めること

 宮部龍彦は、なぜ、こんなことをするのか?。「隠蔽と暴露の不毛な対立は、徹底的な暴露により無意味化され終止符が打たれる」と言って、傲然と開き直り、全面合理化しています。
 宮部龍彦の本質は、ここにあけすけに自認されています。「徹底的な暴露」云々とはよくぞ言ったものです。
 精一杯もったいぶって見せますが、原点は金儲けです。どこからか聞きつけた「部落地名総鑑」にまつわるウラ話に飛びつき、自分もあわよくばぼろ儲けを企んだ。否、うまくネットを活用すれば、「部落地名総鑑」の場合以上に、濡れ手に粟の商売になるかもしれない。ネットでの販売予告といい、仮処分でそれが禁止されたとたんヤフーオークションにかけたことといい、明らかにこれが、宮部龍彦の動機であり、原点です。
 「部落地名総鑑」の屍肉をあさるハイエナ、それが宮部龍彦の正体です。「徹底的な暴露」云々は、この正体をごまかすための方便に過ぎません。宮部龍彦は、この指摘に反論があるなら、反論してみてはどうだろうか?
 ヒットラーが「ウソも百遍つけば真実になる」と言ったことは有名ですが、「徹底的な暴露」云々はその猿真似です。一度や二度の「部落地名総鑑」ではたいしたものではないが、無限に晒し者にすれば、誰もどうすることもできないとでも言いたいのでしょう。実際に、ネット上で、それを実行しているわけですから、その罪は刑万死に値します。ぼろ儲けのあてが外れ、その開き直りの中で、宮部龍彦はヒットラーの末裔、ミニナチスの差別主義者に変貌したのです。

8、部落差別はなくなったというのか

 前回の質問に答えられないようなので、設問を変えよう。宮部龍彦は、明治維新・明治4年の解放令をどう評価するのか?。それで部落差別は無くなった、と思うのか?。いかに、詭弁家の宮部龍彦でも、これには答えられるはずだ。答えてもらおう。
 以上、再質問する。
 示現舎・宮部龍彦は、9月末日までに回答することを要求する。

2021年9月1日
 部落解放同盟全国連合会


2021年08月の記事

東京高裁は下山鑑定人の尋問

       ー事実調べを行なえ!



第2次狭山意見広告の実現へ

     ラストスパートを!

10月狭山意見広告実現へ

 第3次狭山再審請求をめぐる情勢は、いよいよ事実調べ(鑑定人尋問)を行うかどうかのギリギリの局面に入った。
 狭山第2次意見広告運動はこの局面において、裁判所に事実調べ=鑑定人尋問を迫るものとしてこの10月、全国紙への掲載を目指して展開されてきた。
 まさに再審請求の山場ともいうべきこの情勢に、第2次意見広告は裁判所に事実調べを迫る大きな力となるに違いない。 
 意見広告に必要な賛同金は今現在、90パーセントを達成し、9月末の完全達成を実現すべく全国で運動が続けられている。学習会や狭山映画の上映会、地域での取り組みや街頭での宣伝。あらゆる場を意見広告実現のための場として、ラストスパート、エンジン全開で闘おう。



新たな体制のもと、

      5ヶ年決戦完遂へ



7・25全国連第30回大会開く 


 
部落解放同盟全国連合会第30回全国大会を7月25日、大阪・大東市立市民会館で行いました。コロナ禍での様々な制約があるなか、必要な対策をとり全国からの代表参加と一部リモートでの参加のもと2年ぶりに大会を成功させました。
 この2年間、私たちは瀬川博委員長、中田潔書記長、片岡副委員長というまさに全国連の顔というべき3人の指導者を亡くすという大きな試練に立ち向かってきました。大会の冒頭、3人に黙祷を捧げ、意志を引き継ぎ前進することを全体で誓い合いました。 
 村上久義委員長代行は開会宣言で「コロナで人と会うこともままならないが、私たちは地域としっかり結びついていく。狭山闘争、要求闘争を闘い、沖縄はじめ反戦・反核、反差別の闘いと連帯していく。秋の選挙で改憲阻止の議員を送り出そう」と訴えました。
 三里塚反対同盟ほかメッセージが紹介されました。

 楠木吉秀書記長代行が活動報告と2021年度の運動方針の提案を行いました。楠木書記長代行は「自粛ばかりしていない。目の前の現実と向き合い、全国連は絶対に逃げません。部落の人々と問題を共有し、ともに困難に向き合うことから始めます。瀬川委員長、中田書記長がそうであったように、たとえ少数でも全国連は村全体、運動全体を背負って立ち身分的差別を撤廃する」と全国連としての基本を明らかにしました。そして「新たな挑戦の最終年の決戦」として、①狭山第2次意見広告運動をなんとしても成功させよう。今年中に下山鑑定人の尋問を実現する、②コロナ禍であらたな要求闘争に立ち上がる、③衆議院選挙を改憲反対の選挙としてたたかう、との3つの大きな課題を提案しました。楠木書記長代行はさらに、「示現舎・宮部に対し、全同盟員からショート質問状を募集し徹底糾弾に立つ」と力強く宣言、最後に「沖縄・三里塚、アジア人民と連帯」を誓いました。

 課題別報告のはじめに、井橋昌夫中執が狭山闘争を報告。井橋中執は「第3次再審闘争では191点の証拠開示を実現、弁護団は241点の新証拠を出している。私たちは下山鑑定という決定的な証拠を手に入れた。検察のデタラメな意見書を許さず、鑑定人尋問をかちとろう。10月意見広告の実現へ奮闘しよう。各地で草の根の活動に取り組み、10・31狭山中央闘争に結集しよう」と訴えました。

 青年の組織化について北浦裕樹久青年対策部長が「地元のムラの同世代を合言葉に、まずは共有共感が出発点。ビラやSNSで自分のやりたいこと、できることを地元の同世代に投げかけていこう」と青年たちに呼びかけました。

 要求闘争と災害対策について、高見沢浩一中執が長野での「台風19号災害復興要求者組合」の取り組みを報告し自分たちの議員を送り出してたたかう方針を明らかにしました。

 規約の改正案と役員人事案、会計についての報告と予算案のあと、全体討論が行われました。また、「共に8・6ヒロシマへ」「全国の婦人は団結して要求闘争を実現する」「命を守れ、暮らしを守れ」の3本の決議案が読み上げられました。

 全ての議案は一括採択され、全国連は村上委員長、楠木書記長を先頭とする新たな指導体制のもと「新たな挑戦―5ヵ年決戦」を完遂するたたかいへと踏み出しました。