2013年01月の記事

2013年を狭山再審の実現、部落解放運動の再生の年に!

(2013年01月21日)

あけましておめでとうございます 部落解放同盟全国連合会委員長 瀬川博

新年にあたり、同盟員をはじめ全国の兄弟姉妹、支持者、 瀬川博委員長 読者、たたかうみなさま方にごあいさつ申し上げます。 今年狭山第3次再審闘争は証拠開示、事実調べ、再審開始をめぐって、大きな節目を迎えています。

全国連は昨年10月、3年ぶりの中央闘争をたたかいぬき、今年の狭山闘争を大衆的な波状的要請行動で高裁、高検を追いつめる方針を確認しました。今私たちがこの切迫した情勢に働きかけて、再審の門を押し開く大衆的糾弾闘争として要請行動をたたかうために、地域からもういちど狭山差別糾弾の声を掘り起こそうということです。

大衆と語り合い、創意を集め、部落差別に対する怒り、石川さんの悔しさ、人間の尊厳への冒涜(ぼうとく)を糾弾する大衆行動を組織しよう。それが国家権力の厚い壁をつき崩す大きな力になりうる闘いです。今年こそ狭山再審を勝ち取ろう。

第22回全国大会へ

全国連は昨年の大会において解放運動と組織の改革の課題を提起し、その実現のためにたたかってきました。 全国連第21回全国大会(2012年4月)

部落解放運動は水平社以来の自主解放、自己解放の差別糾弾闘争を軸にしながら部落の団結と自治をかちとり、階級闘争の重要な一翼を形成してきました。

こうした解放運動に対して国家権力はそうした社会勢力の台頭をおそれ、狭山差別裁判を強行しつづけ、同和事業の全廃と、闘いとった部落の団結と自治を破壊する攻撃にでてきました。

しかし、こうした攻撃は同時に解放運動と共に歩んできた労働運動や市民運動への攻撃でもあります。橋下・維新の会による解放運動、教育運動、公務員運動攻撃はそのことを端的に表しています。

全国連が今、改革の課題を提起しているのは、この現情勢をこじ開け、解放運動復権の課題に必死に肉薄するたたかいです。

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証拠開示、事実調べかちとり今年こそ完全無罪を!  部落解放同盟全国連合会副委員長 村上久義

(2013年01月20日)

闘春

あけましておめでとうございます。

狭山事件発生から50年。ことしは石川一雄さんと部落のきょうだい・支援者のみなさんの悔しさと無念を必ず晴 10・28狭山中央闘争にて、主催者を代表してあいさつする小森狭山闘争本部事務局長 らし、完全無罪を勝ちとる決定的で重大な年です。絶対に完全無罪を勝ちとりましょう。

思い返せば50年前の5月23日、犯人を取り逃がした警察は、「生きた犯人を捕まえよ」の国家命令で、狭山市内の二つの被差別部落に襲撃的に襲いかかりました。村をズタズタに踏みにじり抵抗できないようにして、120名に及ぶ青年達をしょっ引き、マスコミを使って「部落は悪の巣」 「犯罪者の集団」などと全国に部落差別をあおったのです。そして石川一雄さんを不当逮捕したのです。この悔しさ憤りを絶対に忘れてはなりません。

石川さんの狭山闘争の原点は、「死刑」という死の淵からはい上がり、自分を殺人者にはめた警察、検察、裁判所=国家権力の差別犯罪を糾弾し、完全無罪を勝ちとることにあります。したがって私たち全国連の狭山闘争も、石川さんの思いを体現し、国家権力の差別犯罪を糾弾する闘いとして、貫かれてきました。

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4月6日~7日 第22回全国大会に参加しよう

(2013年01月15日)

第22回大会の基調について

昨年の12月23日、第22回全国大会に向けて議案書起草委員会がおこなわれました。そこで大会の基調についての考え 昨年4月の第21回全国大会 運動と組織の変革について提案する中田書記長 方がしめされました。大会成功への討議のために、本部提案を掲載します。

全国連変革の道を突き進んでいく

前回大会での「組織改革」への提案しました。その内容は、<「格差是正」という考え方の転換>、<青年の組織化と世代交代>、<村の「自治」>のみっつの具体的内容を提案しました。

しかし、このみっつは、いわば試行錯誤的な指標として提案したものです。その核心は、本部派の崩壊によって露呈した村の団結の崩壊、部落大衆の団結の崩壊という状況のなかで、全国連がみずからの手で部落大衆の団結をゼロから取り戻すとともに、階級闘争全体のなかで部落解放運動がはたす役割をあらためて位置づけ直す(打ち立て直す)ということにありました。

その後、一年間の論議の状況では、一部に「転向ではないか」という意見が出されましたが、全体としては 実践をもとに討論(拡大中央委員会) あまり議論がおこなわれてきませんでした。実際のところ、どのように受け止められているのでしょうか。また、一部には創意的な努力がおこなわれていますが、全体としては旧来の状態を脱し得ていないのではないかと思われます。

そのなかで、22回大会では、今後もこの道を進むのか、それとも元にもどすのかが大きなテーマとなります。

結論から言いますと、全国連の変革という前回大会の提案は、これから5年、10年をみすえた、いわば大路線ともいうべきものとして提案したものです。それゆえ、基本は、断固としてこの道を進むということにしたいということです。

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たたかいのスケジュール

(2013年01月15日)

 

2・3 関西大弾圧をはねかえそう全国集会

午後1時 大阪城野外音楽堂

2・23~24 拡大中央委員会

23日 午後2時から 大阪にて

 

全国の支部に婦人部を結成しよう!ー11・10~11神奈川・あしがら 第21回全国連婦人部大会が成功

(2013年01月06日)

婦人部大会の発言から

主催者あいさつ 中央本部から中田書記長 狭山再審、反原発、実態調査に全力決起を誓う

中田潔中央本部書記長 国連にとって、今年、来年は非常に重要な闘いの年。10・28狭山中央集会をたたかいました。狭山事件から50年、再審が開始されるかどうかの正念場を迎える。このたたかいに勝利し、部落解放運動の未来をきりひらいらいていこう。

全国連婦人部から 小林あや子婦人部副部長

小林あや子婦人部副部長 和対策事業が打ち切られて10年。部落差別は後をたちません。週刊朝日のおぞましい部落差別、長野の結婚差別事件でも裁判所が差別を擁護する判決を下しました。私たちは団結してたたかっていかなければなりません。

開催地地元あいさつ 井橋昌夫茨城県連書記長 井橋昌夫茨城県連書記長

部落解放運動が関東で広がったのは狭山闘争からです。静岡のお茶からも原発事故の後、放射能が検出されています。解放運動と命を守る取り組みを進めていきたい。茨城でも、運動を活発に担っているのは婦人です。これからも共に闘っていきます。

来賓挨拶には、新城せつ子杉並区議、動労西日本の小川さんに参加と発言をいただきました。また、三里塚芝山連合空港反対同盟、全国連青年部からメッセージが寄せられました。

全国連は反原発闘争の最先頭でたたかおう

婦人部第21回大会のメインの企画は、原発反対の訴えでした。大会では、福島から水戸に避難され、反原発にとりくむ木田節子さんから講演を受けました。また、茨城県連と江戸川支部による朗読劇「原発はいらねえ」が上演されました。木田節子さんの子の講演の要旨(文責は編集部。紙面の関係でかなり短縮しています。ご了承ください)を報告します。

自分が被災者となって原発はいらないんだ!

講師と紹介されましたが、私は学校の先生でもありませんし、評論家でもありません。本当にただのおばさんです。福島県の双葉群の富岡町で普通に暮 東北の地図を広げ講演する木田節子さん らしていました。

津波は青森県の八戸から、茨城県の大洗というところまできました。その距離は、650キロぐらいあります。東京から大阪までが550キロですから、今回の津波は東京から大阪を通り越し、神戸か姫路ぐらいまでが流されたぐらいの大きさです。

亡くなった方は1万8千人か1万9千人です。まだ見つかってない方も2000人以上います。これだけの人間が亡くなって、福島県の場合には地震と津波で、建物の中に取り残されたり、津波で流されていって、そしてまだ生きていた人がいたかもしれないのに、原発が爆発して、放射能が拡散し、逃げろといわれたので、自分の身内を、家族を捨て置いたまま逃げなければならなかったのです。

こんなことになったから、私は「原発は間違いだ」「原発はいらないんだ」と、いっています。そしたら、「原発に反対するやつは電気使うな」っていう人がいるんですね。別に原発でないと電気がつくれないわけではないんですけども。今でも原発が「必要だ」と言う人もいます。野田総理はじめ、経済界からお金をもらっている政治家とか、経団連。なぜだか普通のサラリーマンも、「俺たちは関係ない」と思っているのでようかね。それは、阪神大震災が起こったとき、私も自分の問題として考えることが出来ませんでした。それから17年たって、これではだめなんだなということに自分が被災者になってやっと気づきました。

福島の子ども、自分らの子どもの命を考えよう!

福島の子供たちは、本当だったらレントゲン技師しか入ってはいけない、ものすごく高い放射能の中で暮らしているんですね、今。新聞でも、ここのところ一生懸命、原発で働いている作業員たちをないがしろにしてきたことを訴えています。それから、テレビの中でもはっきり言う人があります。芸能界でも、本を書いている人、それから金融業界でも有名な会社の社長さんも原発反対と言い出しています。1年7ヶ月たってそういう人がいっぱい原発反対の声を上げています。 人数的には政治家と金持ち、いろんな企業を経営している社長の人の方が少ないと思いませんか? 普通に暮らしている私たちよりも、政治家の方が少ないはずなのに、どうして間違ったことをいう、そういう人たちの声が通るのでしょうね。「金のためだったら福島の子供たちは放射能の中で暮らせ」といわれているようなものなのですよ。

野田首相は、私より4コしたなのです。でも、福島第1原発の終息は40年後、あの人、生きてないですよ。今、政治家をやっている人が原発を動かせと言っているのは、責任を取らなくていいからなのですよ。 政治家のことをいいましたが、私も富岡町に住んでいたときにあの3月11日、そして翌日に原発が爆発するまで、原発反対の声を上げなかったので、政治家のことも言えませんけれどもね。ただ、私は気がつきました。やはりどこかで考えませんか。自分たちの子どものことと考えませんか。

原発と差別に反対し、一緒に声をあげよう!

それから、爆発した福島第1原発の危ない末端の作業をしているのは誰かというと、部落の方も多いということを聞きました。本当にずるいことに、いろんな事情があるのでしょう、学校にも行かなかった方、そういう人を利用するんですよね。 自分の息子も原発の関係の仕事をしています。いざ爆発してしまったら、東電の社員とか日立とか東芝のメーカーの人たちとの扱いが違うんですよね。結局は、下請けであったり、そういう弱者ばかりが辛い思いをしているんだということが分かりました。

そして自分自身も住む家がなくなって避難生活をすることになった時に、気がついたんです。自分も、差別される側になったんだなあってね。原発が爆発して、福島の人が関東に逃げた時に、いわきナンバーとか福島ナンバーというだけで、コンビニで買い物をしようとしたら、コンビニに入るなと言われた、お風呂に入ろうとしたら、原発から逃げてきた人はご利用はお控えくださいと言われた、そんな話を、私はずっと聞いていました。

今、福島では、福島県内に避難している原発難民、あちこちの仮設住宅に暮らしている人たちに暴言を吐く福島の人たちがいるようです。34万人ぐらいの町に、いま3万人以上が仮設住宅などで暮らしているので、「道路が混んでも双葉郡の原発難民のせいだ」「レジが混むのも双葉郡の奴らが…」と。今年の4月にはいわき市の市長が、暴言をはきました。

本当だったら、支えあわなきゃいけないのに、どうしてこんなことになるのだろう。案外、日本人て差別が好きなんだなあと、私は自分たちがそういう扱いを受けることで気がついたんですよね。この国は、やっぱり間違っている。原発のことも間違っているけれども、人間の命というものを大切にしない国なんだな、そういうことに気がついて、発言をするようになっています。

まずは、私は原発反対を訴えますけど、原発が作られる過程でこの国は最初から差別をしてきた、差別をされてきた人たちに被爆しながら作業を強いていてきたのです。明日は今年最後の原発反対の大きな集会があるんです。私も皆様と同じように、差別はいけないのだと発言していきます。皆様も、原発は間違です。その原発が間違いだということに関心をもって一緒に声をあげていただきたいと思います。どうぞよろしくおねがいします。

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1月23日新年第1弾の狭山要請行動へー第22回全国大会(4月6日~7日)にむけて

(2013年01月06日)

10・28狭山中央闘争、そして11・10~11婦人部大会の2つの大きな取り組みを成功させて、全国連は12月2日、中央執行委員会をひ 狭山1年間決戦への決意を打ち固めた10・28中央闘争 らきました。

狭山決戦の方針

今後の狭山闘争方針について、まず、10・28狭山中央闘争をたたかいぬいた意義を確認。とりわけ、リレートークとデモ行進の指揮や宣伝カーでの訴えをになった青年たちが高揚感をもって、これからの狭山闘争を牽引していこうと動き出していることが報告されました。一方で、事前の取り組みや動員戦にまだまだ課題をのこしたとの報告もあり、あらためて地域での日常の狭山の訴え、取り組みの強化も確認されました。 今後の具体的方針では、10・28中央闘争でうちだした「波状的な要請行動」についての考え方が整理されました。各ブロック、各県連ごと、各支部ごと、あるいは1支部で無理なら近隣支部との共同で、青年部、婦人部で証拠開示、事実調べを、差別裁判糾弾を訴えて毎月、場合によっては月に2回と、高裁・高検に押し寄せていきます。これと連動して、中央本部としても要請行動をたたかっていきます。

この方針のもと、次回の要請行動は1月末の三者協議をにらんで1月23日に全国代表参加でおこないます。そして、その次から各地からの創意をこらした要請をおこなっていきます。

第22回全国大会について

第22回全国大会は来年4月6日(土)~7日(日)の日程で、大阪・荒本でおこないます。大会にむけて、第1回目の議案書起草委員会を12月23日(日)に。そして、今期第2回目の拡大中央委員会を2月23日~24日におこない、活動報告、運動方針など議案書の重要部分についての第1次草案を発表して、大会に向けた討議をはじめていきます。

このほか中央執行委員会では、衆議院選挙、三里塚闘争との連帯など共同闘争の課題、住宅裁判など各地の取り組みの報告と討議がおこなわれました。また、青年部からは来年5月の沖縄闘争への参加など、沖縄闘争の取り組みを強化する決意がかたられました。

狭山再審勝利、 第22回全国大会の成功へ、年末から2013年を全力でたたかいましょう。

オスプレイ阻止! 基地撤去!11・25奈良で沖縄集会

(2013年01月06日)

山内さん、山城さんを招いて交流深め共闘を誓い合う 

【奈良】11月25日(日) 「沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会」と「奈良-沖縄 反戦・基地撤去へ、沖縄と連帯して 連帯委員会」共催による『沖縄の課題を私たちの課題にする11・25奈良集会』が奈良市の東人権文化センターで開催されました。全国連古市支部・西之阪支部の同盟員をはじめ、労働者・市民、県外からもたくさんの人々が参加していました。

集会では沖縄から講師としてお招きした参議院議員・山内徳信さんと、オスプレイ配備阻止闘争の最前線で指揮をとっておられる沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんから現地のイキイキとした闘いの報告と闘争拡大を訴える提起を受けました。主催者からは「沖縄とつながるため毎月第2土曜日と第4日曜日にJR奈良駅前を中心にオスプレイ阻止・反基地街宣行動をおこなっています。街宣で集めた署名と寄せ書きを沖縄現地に持って行きます。繁華街デモもしています!ぜひ参加してください!」と訴えられました。また、ギターの弾き語りや三線ライブもあり、最後に奈良と沖縄をつなぐアピールを採択しました。

集会のあと、市内の居酒屋で懇親会がありました。講師のおふたりを囲みながら主催者やライブ演者、労組や諸団体の人たち、それに集会参加者の飛び入りもあり、おおいに盛り上がりました。狭山闘争や反原発運動の意見交換もあり、共に握手を交わし、今後さらに共闘を強めることも誓い合いながら交流を深めました。

11・23長野豊野支部大会

(2013年01月06日)

【豊野支部】11月23日、豊 支部の発展・強化にむけて 野支部第七回定期大会が、豊野町同和対策集会所で開催されました。

はじめに、主催者あいさつを、高橋悦子支部長がおこない、大会参加への御礼を述べました。

県連を代表して、小森委員長は、私たち部落民が置かれている現在の情勢と、部落解放運動の必要性を訴えました。

運動方針案を、中村書記長が提案。支部の独自課題として、部落の高齢者への生活支援の強化が提起されました。「支部として、一年間かけて解放ボランティアのとり組みを中心に組織の強化、発展に努めていこう。今までとり組めた活動はほんのひとにぎりです。生活実態調査を、全戸に入り、実施していこう」と訴えました。

この一年、とにかく村に入り、村の人達と話しをしてくる中から、解放ボランティアのとり組み(雨どい修理、弁当配送など)が行われました。村の人と声を交わすことにより、コミュニケーションがはかられ、全国連との信頼関係が築いていけることが、実践を通して確信することが出来ました。

役員の中から、「来年はぜひ浅野で支部大会をやり、地元から何人か参加できるように頑張ろう」と意見が出されています。 役員改選では、高橋悦子支部長以下、全役員が再任されました。

狭山、住宅裁判の勝利にむけて芦原支部が大会(11・18兵庫)

(2013年01月06日)

【芦原支部】11月18日(日)、芦原 第9回めとなる支部大会(西宮芦原地区内) 支部第9回定期大会を芦原地区内で開催しました。中央本部から滝岡統制委員長はじめご参加とメッセージをいただいたみなさん、ありがとうございました。 今回の支部大会で確認した第一のことは、無実の石川一雄さんの再審無罪をなんとしても勝ちとることです。無実の石川さんを半世紀も「犯人」にしておくことはできません。現地調査や勉強会をコツコツと積み重ねている狭山再審を求める市民の会・こうべのたたかいにも合流しつつ、なんとしても再審の門をこじあける決意を固めました。

支部大会でふたつめに確認したことは、芦原の供託者にかけられた住宅追いだしを具体的に阻止していく決意を打ち固めることです。

何よりも芦原の人々の怒りの声を集めることが重要で、この間つみあげてきた全戸署名を断固としてつづけていくことと、不当判決に備えたカンパの目標額をなんとしても達成しようと決意しました。とくに11月28日の第3回控訴審に大結集し結審策動を打ち砕くことを参加者全員で確認しました。

東口支部長・寺下書記長を先頭にした執行部を再選し、参加した共闘のみなさんも含めた懇親会では、夜遅くまで語り合いました。

裁判所が役所が隠す証拠を見せろと要求ー住宅追い出し阻止裁判で大きな前進! 西宮・芦原住宅裁判の現状と課題

(2013年01月06日)

裁判所の「結審」を押し返して総括集会 【芦原支部】一一月二八日に行われた住宅追い出し阻止裁判の第三回控訴審は、裁判所がついに、西宮市に対して隠していた証拠を見せるよう要求するという大きな勝利を勝ち取りました。控訴審の開始いらい、あるときは住民の意見陳述すら不許可にするなど、結審する気満々の裁判情勢を、大きく押し返しました。 この間、たびたび報告させていただいていますが、この機会に、問題を整理したいと想います。

住宅からの追い出しなど許されない

1998年、私たちが住む改良住宅の家賃が一方的に応能応益家賃にされました。部落差別をなくすために、運動の力で建てさせた同和(改良)住宅への応能応益家賃は無効だとして、1999年11月に西宮市を被告にし、裁判に訴え出て、2004年5月に見事に勝利しました。しかし勝利判決は、訟務検事(元裁判官や検察官が国の代理人になる制度)を送り込むなどの圧力で最高裁でひっくり返され、それ以来、生まれ育った芦原地区に住み続けるためのたたかいを続けてきました。

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狭山再審決戦の正念場ー各地から要請行動に立ち上がろう

(2013年01月05日)

証拠隠し弾劾、事実調べを求めて差別糾弾、石川無実の声を全国各地から高裁・高検に叩きつけよう!

いよいよ再審の正念場

狭山差別裁判糾弾の闘いは、この第3次再審開始以来6年半、三者協議が始まって3年がたちます。 10月3日の第11回三者協議では、次回三者協議は来年1月末ごろに開催予定とされ、来年の内にも高裁・小川裁判長が事実調べをおこなうかどうか 高検へ要請行動ーシュプレヒコールをたたきつける の判断を下す情勢だといわれています。

いよいよ第3次再審闘争の本当の山場、正念場となった山場、正念場となったことは間違いありません。全国連は、部落大衆による差別糾弾闘争をとおしての狭山闘争を守り抜き、三百万部落大衆の、国家権力による部落差別への怒りの決起を闘いとることこそが狭山勝利の唯一の勝利の道と確信して創立以来たたかってきました。今こそこの決戦に総決起を闘いとろう。その勝利の中から全国連の新たな発展の土台を築きあげよう。

検察の証拠隠しを許すな、 事実調べをおこなえ!

再審情勢のこのような煮詰まりの中、東京高検はいまだ証拠隠しと石川さん有罪の鑑定意見書を出して、「証拠開示は新規、明白なもののみ」「新規性、明白性は検察が判断する」「証拠リストの開示は、全証拠の開示につながるのでしない」などと開き直り、一方では石川さんの無実を証明する重要証拠は無責任にも「見あたらない」として隠し持ったままです。

こうした検察の態度は「かたくな」な姿勢を通り越して、検察による「犯罪」といわなくてはなりません。 東京高裁もこうした検察の姿勢に対して、新たな証拠開示勧告を出すなど真実を明らかにしようとする態度とは言えません。

検察の開き直りを打ち破って全証拠の開示を実現し、裁判所の事実調べを実現していくことこそ再審の門をこじ開けていく道です。

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狭山三大物証-もしも口をきいたなら!

(2013年01月04日)

婦人部による10・28狭山中央集会での寸劇を紹介します。(編集部が脚色しました)

(司会)本日は狭山三大物証と言われる「万年筆」さん、「腕時計」さん、「カバン」さんに「かもい」さんをくわえて、率直な今のお気持ちをお聞きしたいと思います。

(かもい)僕は、石川一雄さんのお家のかもいです。 こんな絵でいいんでしょうか・・・・ 警察は、2回も家宅捜査して何も見つけられなかったのに、3回目に突然、僕のおしりのあたりから万年筆さんが出てきた。

(万年筆)私は、かもいさんから発見された万年筆。おしゃれなピンクの体に金色のキャップです。あまり使われていないきれいなペン先で、渋いブルーブラックのインクよ。

(かもい)あれー、おかしいな。善枝さんの日記やノートは、確か明るいライトブルーで書かれてあったよ。あなたは、善枝さんの万年筆じゃないの?

 (万年筆)善枝さんってだれ?それに私のどこにもその善枝さんという人や石川一雄さんの指紋は付いてなかったよ。

( かもい)そう言えば、3回目の家宅捜査の前に、関源三巡査が突然玄関じゃなくって、勝手口の僕のところから入ってきたよ。気がついてら万年筆さんがあった。

(万年筆)そう。家宅捜査の時に石川さんのお兄さんが警察官に言われてかもいさんから私を取り上げたの。ビックリした。素手でさわられたんだから。

(かもい)僕もネズミが通らないように詰めてあったぼろ布までとられて、中まで見られたよ。警察官もしっかり僕をにらんでたけど何もなかったって証言してたよ。

 

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各地の狭山街宣の報告ー地域で狭山を掘り起こして要請行動へ攻めのぼれ!

(2013年01月04日)

【荒本支部】今秋の狭山闘争方針をうけ荒本支部は、9月、10月全力で取り組みました。

機関紙『闘魂』で、石川さんの無実を訴え。事実調べ、再審を勝ちとるため、東京高裁と東京高検に対する狭山「要請ハガキ」、村内3ヶ所に、狭山中央闘争を呼びかける立て看板を出すなどを取り組んでいきました。

支部の狭山担当者会議では、控訴審が始まってから、教誨師の古川さんに宛てた手紙を学習していきました。

1965年に書かれた古川さんへの手紙は、石川さん自身の無実の叫びそのものです。

『闘魂』では、石川一雄さんの「自白」がどのように作られていったか、被害者である善枝さんの「腕時計」や「鞄」「教科書」などが、どのように発見されたか、取り調べを通して、「殺人犯」とされていったのかを連載して訴えていきました。

どのようにして、殺人犯に仕立て上げられたのかという心情、悔しさが伝わってきます。

何も知らない石川さんを孤立させ、追いつめることで「10年で出してやる」との刑事の言葉を信じ込ませていったのです。

要請ハガキは、狭山中央闘争への参加を呼びかけるなかで、支部員に切手を貼って投函する取り組みとしておこないました。

狭山再審実現に向かって、狭山の担当者が中心になって取り組みをすすめます。

【北摂支部(準)】北摂支部は、富田町病院解放研とともに11月28日17時半より阪急富田駅前で毎月恒例の狭山デーを取り組みました。中央本部発行のリーフレットを使い、仕事帰りの労働者や学生・市民に署名を訴えました。リーフレットを読んで引き返して署名をしてくれた若い女性や、狭山の現状を知っていて激励してくれながら署名してくれる人などいて大いに盛り上がりました。

狭山事件の再審を巡る攻防は決着の日を迎えます。私たちは、なんとしても再審無罪を勝ち取らなければなりません。狭山事件は吉展ちゃん事件に続く警察の犯人取り逃がしという大失態、警察の地に落ちた威信を回復するために検察・裁判所・政府総ぐるみで部落民を生贄にした差別犯罪そのものです。実際、捜査責任者である柏木警察庁長官を辞任させ(前代未聞)、有力容疑者が結婚式を控えた前日に自殺するや「生きた犯人をとっ捕まえる」と宣言し、近くの被差別部落から犯人をでっち上げることを決断。石川一雄さんを犯人に仕立てあげたのです。まさに、狭山事件は冤罪を晴らすということにとどまらず、国家権力総ぐるみの差別犯罪を白日のもとにさらす闘いなのです。だからこそ私たちは、東京高裁、検察庁に対する鋭角的な糾弾要請行動を闘うとともに、地をはうような闘いを通して国家権力を打ち砕くような部落民と労働者、市民の総決起を実現するために奮闘しなければならないのです。そういう思いで私たちは毎月の狭山デーを取り組んでいます。

私達の闘いは敵を追い詰め、勝利目前のところに来ています。検察の隠し持つ全証拠を開示させ、事実調べ・再審を実現しましょう。

【番町支部(準)】闘いは「こつこつ・ほがらか」に 狭山街宣3周年

番町支部準備会が毎月の狭山街宣をはじめてから丸三年が経ちます。

2009年9月、狭山第三次再審の三者協議がはじまりました。これを受けて狭山のことをみんなに知ってもらおうと、10月に映画『造花の判決』の上映会を行いました。「これは素晴らしいやないか」という感想がありました。支部準のメンバーから映画の感想を聞く集まりがよびかけられました 番町では毎月こつこつと定例街宣 。「再審は難しいのでは」という意見もあり、また、「昔は番町でも冤罪は日常茶飯事だった」ということも聞きました。支部準の会議では、もっと広く狭山のことを知ってもらうため、街宣をやろうということになり、12月に第1回目を行いました。高速長田駅前に集まったのはたった4人。寒風の吹く中、「狭山事件のことを知っていますか」と問いかける活動がはじまりました。同じ月、東京で要請行動があり、高裁前でビラを撒く石川さんと出会いました。その時は「石川さんはいったい後何年高裁前に立ち続けなあかんのか」との思いがこみあげました。しかし、神戸に帰った直後のこと、証拠開示勧告が出されたことを知りました。この知らせを受けて、新年1月に第2回の街宣が行われました。支部準からの参加も増え、新空港反対東灘区住民の会や被災地労働者企業組合からも参加してくれました。それ以来、狭山街宣は、月一回のとりくみとして定着してきました。

街宣の中で、数多くの出会いがありました。ある婦人は「中学の弁論大会で、石川さんのことを話しました。その後運動に関わることはありませんでしたが、この事件のことだけは許せないと思っていました。石川さんはお元気ですか」と話してくれました。また、別の婦人からは「黄色いゼッケンを見て、どうしても書かずにおれなかった」「狭山闘争に参加して、こんなにも多くの部落民がいると知って、泣いた」という手紙をもらいました。長い年月に埋もれながら、人々の中に狭山闘争が生きていることを知ることで、私たちの行動は支えられてきました。

街宣は、毎月の23日前後に、午後3時半から4時半、ビラ百枚と決めています。署名は、1回につき、5~15筆ぐらいでしょうか。ある程度たまったものを要請行動で提出しています。また、集まったカンパは、要請行動のための交通費として大変な力になっています。支部準のメンバーは、必ず全国連の黄色いゼッケンをつけます。「チョッキ(ゼッケン)をつけとったら、何の街宣か、一目でわかるやないか」というわけです。

東日本大震災が起きた際には、街宣を被災者支援に切り替えるということもありました。

私たちにとって街宣は、団結の場です。狭山再審の道のりは、これからも遠く、険しいと思いますが、「こつこつ・ほがらかに」をモットーに、これからもずっと続けていきたいと思います。

第34回狭山街宣は、12月20日(木)午後3時半から、高速長田ツタヤ前にて。

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