2014年10月の記事

第19回三者協議とその前後の新証拠・証拠開示について-

(2014年10月27日)

検察の証拠隠し弾劾! 徹底した証拠開示をおこなえ!
    7月25日関源三巡査作成の6月23日付捜査報告書を新証拠として提出。 この捜査報告書は「被疑者石川一雄が取り調べの合間に本職にたいして語った言動」と題され、石川さんが逮捕後1ヶ月の6月23日に単独犯行を自白しはじめたその日に作成されたものです。石川さんが遺体の状況を知らなかったこと、自白が作られたものであることを示す重要な新証拠です。
    この「関報告書」によれば、石川さんは取り調べを行っていた3人の刑事を退席させ、見知っていた関源三と2人で話したとなっています。石川さんは「Yちゃんはどうなっていたんべい。それを教えてくれればわかるんだ」とたずねたと報告されています。関源三は第2審でも同じように証言しており、録音テープの内容も一致しています。
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取り調べ録音テープを分析した浜田鑑定(1)-狭山再審闘争

(2014年10月27日)

「自白」調書は誘導によって作られた
    浜田鑑定は2010年5月に開示された取り調べ録音テープ11本と活字化した(反訳)ものをもとにして「請求人取り調べ録音テープの心理学的分析」を行ったものです。
    たとえば、被害者の遺体をいったん芋穴に逆さづりしていたものを農道の穴に運ぶところの話は、6月25日付警察側調書では「それから私はYさんの身体を引きあげると自分のもものところへ押しつけて持ちあげ、Yちゃんの頭を右の方にして運び、お茶の木の反対の麦畑の方の側から穴の中へYちゃんを落としました」となっている。
   しかしこの部分の録音テープでは、石川さんははじめ、芋穴から農道の穴まで「引きずって」運んだと取調官がなんど聞いても繰り返しています。
    取調官は「そらあなあ、よくな、考えて話しなさいよ。こういうふうに、えー、これが穴蔵か。な。これが穴蔵。こっちからか?」と具体的場面をイメージさせた上で「今言うようにな、あー、そういったふうに、こう、引きずってきたんだから、背中へ泥が***(テープがよく聞き取れないところ)じゃ、」と遺体に引きずったあとがないことを指摘され、石川さんは「抱いてきたです、わかんねえ。」と突然自白の中身が変わっています。取調官は「そういうふうに言われても私は困るんだよ」といいつつ、むしろ「抱いてきた」と繰り返す石川さんに「いいでしょう。そこまで言うんじゃ」とこの場面の調書が前述のように固められました。
    犯行を自白したにもかかわらず客観的状況とあわないものが数多くあります。次号では具体的なやりとりを見てみます。

袴田事件第2次再審 (静岡地裁)で再審開始決定

(2014年10月27日)

捜査機関の証拠ねつ造を断罪
    今年3月27日、袴田事件の第二次再審で静岡地裁は再審開始を決定した。
    注目すべき点は、死刑の執行停止に加え、拘置の執行停止を決定したことである。静岡地裁の再審開始決定はその理由として、「元被告は,捜査機関によりねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、きわめて長期間死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた。・・・これ以上、元被告に対する拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」と述べている。
    ここまではっきりと捜査機関の証拠ねつ造を断罪した例は今までにない。このねつ造された証拠というのが一年以上もたった味噌タンクから発見されたとされる、血染めの「5点の衣類」である。
    ひるがえって狭山事件を見てみると、捜査機関の証拠のねつ造がなんと易々と行われていることか。万年筆、時計、カバンの三大物 証をはじめありとあらゆる汚い手段で石川さんを犯人にでっち上げたのだ。何人といえども許されない。
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寺尾差別判決40ヶ年糾弾!狭山再審闘争勝利

(2014年10月27日)

    今年の10・31は、寺尾差別判決から数えて40年をむかえます。狭山事件から51年、しかしいまだ石川さんの無実は晴らされていません。
    部落差別によってデッチあげられ、いわれなき「殺 狭山中央闘争(日比谷図書文化館2012年10月28日) 人犯」の汚名をきせられ、国家権力による差別犯罪のイケニエにされた、この差別裁判をただすのは石川さんと全国の部落のきょうだい、たたかう労働者・市民の共同の闘いです。なんとしてもこの三度目の再審請求で再審をひらかせなくてはなりません。
    10・26狭山中央闘争と27日の要請行動の連続したたたかいに全国連とたたかう仲間の総決起をかちとりましょう。
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