狭山意見広告運動を全力でたたかおう

(2018年01月22日)

 

12月14日、狭山の再審開始を訴える意見広告を新聞に掲載しようと、呼びかけ人が東京のむさん法律事務所に集まり、運動のスタートが切られました。

 全国連は、この呼びかけを全面的に支持し、総力を挙げて推進するものです。


1,多くの人士が呼びかけ人に

 これまで金聖雄監督、沖縄の安次富浩、反差別国際運動の武者小路公秀、関西生コン労組の武健一、布川事件の桜井昌司、評論家の菅孝行、弁護士の長谷川直彦、ノジマミカの各氏をはじめ、全国から37名の人士が呼びかけ人になっています。

 その呼びかけ文は次のように訴えています。「狭山事件は権力犯罪です。権力犯罪とたたかう大きな運動が必要です」「石川一雄さんは79歳。もうこれ以上は待てません。下山博士の万年筆・インキの科学的鑑定は、DNA鑑定にも匹敵します。下山鑑定ー万年筆問題での事実調べの実現、その一点で世論を喚起し、裁判を監視する国民運動が必要です。そのための一石を投じたい一念です」

 まさしくその通りです。下山鑑定は、捜査官による証拠のねつ造を証明する決定的な新証拠ですが、まだまだ多くの国民には知られていません。

 下山鑑定の事実調べを訴える意見広告運動は、東京高裁を包囲する一大国民運動です。再審実現の突破口として大々的に展開していきましょう。


2,切迫する狭山第3次再審闘争

 検察は、昨年7月に下山鑑定に対してケチつける意見書を提出しました。

 この検察意見書を徹底的に批判した下山博士の再反論書が1月にも出される予定です。

 年明け、万年筆の証拠ねつ造をめぐる弁護側と検察側の証拠が出そろうことになり、いよいよ東京高裁が事実調べを行うか否かの決定的段階を迎えます。

 昨年12月、東京高裁は新たに後藤眞理子裁判長の体制になりました。後藤裁判長が狭山の記録を読み込んだ5月、「東京高裁は下山鑑定の事実調べを行え、再審を開け!」という新聞広告を目の前につきつけてやりましょう。


3,朝鮮侵略戦争反対と一体で

 アメリカのトランプ政権は、北朝鮮に対する米韓合同軍事演習を史上最大規模に拡大し、軍事挑発を強めています。

 安倍政権はこれを全面支持し、自衛隊機を訓練に参加させました。まさに宣戦布告ともいえる軍事行動です。

 これに対して北朝鮮の金政権は、核開発やミサイル発射など武器開発に頼る政策を強め、いま朝鮮では戦争ー核戦争の危機が目の前に迫っています。朝鮮侵略戦争を絶対に許してはなりません。

 トランプの白人優先主義をはじめ、世界各国で移民への排斥など、差別排外主義が強まっています。

 安倍政権のもとで、今年は憲法改悪をめぐって国民的な大闘争がたたかわれます。自民党は、9条改悪、天皇元首化、基本的人権制限などを柱とする改憲案をすでに発表しています。

 狭山意見広告運動は、狭山事件の再審を目的としてたたかわれますが、今年の反戦・改憲阻止・反差別の大きな国民的うねりと合流していく展望を持った取り組みです。

 狭山差別裁判糾弾闘争の勝利をもぎりとることが、これらの差別主義者たちへの根底的な打撃になることは明らかです。

 今年を狭山勝利の年とるために、全国連の一人一人が責任をもって「1人1口1万円、5百万円」を集めきる、その決意でたたかいましょう。

 

大同団結して、狭山意見広告を成功させよう

          2018年新春   部落解放同盟全国連合会中央本部

(2018年01月22日)

 

明けましておめでとうございます


全国の兄弟姉妹の皆さん!共闘の皆さん!新年、明けましておめでとうございます。今年も、よろしくお願いいたします。

異常ともいえる早い寒波の襲来でしたが、思いのほか、新春は好天続きです。中央役員を務めていた、3人の戦友が故人となりました。共闘においても、恩人が亡くなりました。北部九州の豪雨災害では、大勢の方が亡くなり、家や田畑を奪われました。新春にあたり、故人の叱咤激励を受け、身の引き締まる思いがします。

生き残った者には、何がしかの使命があると言われます。故人は何を望み、何を私たちに託したのか。私たちは、命ある限り、何をなすべきであり、何をしたいのか。

なんだか、坊主の説教みたいで、新春の号令としては、ふさわしくないかもしれません。でも、新春くらいは、決まり文句をくりかえすよりは、戦友の声、仲間の声、自分の声に耳をすまし、それらの声の手先となって、喧噪な世の中に立ち向かう決心をしてみるのも、許されるでしょう。


反戦争、反差別の旗印となって


今年の課題は、すでに昨年の状況のうちに、定められています。あと3年くらいは、始まった新たな状況のなかにあります。

アメリカ・トランプ政権の登場、日本の安倍政権の居座りは、朝鮮侵略戦争・核戦争の危機を瀬戸際においやり、南北朝鮮ばかりか、アジア・全世界をギロチンの下に置いています。

安倍政権は、この状況を口実に、平気でウソをつきまくり、日本を再び戦争のできる国に変えつつあります。北朝鮮、中国、ロシアに届く巡航ミサイルも「専守防衛」、最新鋭のイージズも「専守防衛」、空母を持っても「専守防衛」。これなら、憲法9条を変えても「専守防衛」!医療・介護、生活保護をバッサリ削っても、「未来につづく社会保障」!

大嘘をつきまくり国民総ダマシにして、実際に戦火を交わし、憲法を変えてしまう。この3年、改憲の発議、天皇代替わり、オリンピック・・・と、大イベントをしかけています。陶酔から目が覚めたとき、私たちを待っているものは何か。

55年前、埼玉県で狭山事件が発生した時代も、皇太子結婚・ミッチーブーム、安保改定、オリンピックと、似たような状況でした。酔いから覚め、権力犯罪の大差別事件と気づくまでに、数年かかりました。二の轍を絶対に踏んではなりません。

昨秋、37人の著名人によって、狭山意見広告運動が発足しました。「事実調べぬきの再審はありえない」「DNA鑑定に匹敵する下山鑑定の事実調べを」その一念で、

今年5月(狭山事件55年)に、新聞掲載を目標にされています。

 この運動は、石川一雄さんの再審無罪とともに、これからの3年、ウソ、ペテン、差別、弱者蹂躙、戦争に向かう状況にたいして、反差別・反戦争で大同団結し、手を組んで行進する旗印となるでしょう。

 

紹介   狭山意見広告運動・賛同の御願い

狭山事件・下山鑑定の事実調

(2018年01月22日)

 

 55年前、埼玉県狭山市で、女子高生誘拐殺人事件が発生しました。この狭山事件では、石川一雄さん家から見つかった万年筆が、被害者のものとされ、「石川=犯人の決め手の物証」とされてきました。


 DNA鑑定に匹敵する下山鑑定を事実調べさせよう

 ところが、近年の証拠開示であきらかになったインキを、「ゴッホの黒猫」でも有名な下山博士が鑑定し、インキの違いは明らか、万年筆は警察のねつ造であると結果がでました。実は、事件当時の科警研の鑑定でも、同じ結果だったことも判明。

血痕、指紋など一切ない狭山事件では、DNA鑑定にも匹敵する決定的な新証拠です。これが、ラストチャンス。東京高裁に、事実調べをさせましょう。


石川一雄さんは79歳。これ以上、待てません。

 しかし、下山鑑定はまだ全然、世に知られていません。このままでは、宝の持ち腐れ。どんなに有利な材料があっても、狭山事件では、何度も煮え湯をのんできました。石川さんは79歳。もうこれ以上待てません。裁判を監視する、大きな世論の力が必要です。新聞への意見広告は、その風を呼び起こします。


賛同金・一口1万円、計数百万円をあつめ新聞に広告を

 これを、皆さんの賛同金で全額まかないます。皆さんの御苦労を思うと、心苦しいかぎりです。しかし、日々の生活に追われるわれら民衆の叫びとして、生活費を削ってってでもお金を出し合い、石川さんの無実を晴らしたいのです。石川さんの無罪には、部落差別を無くす希望があります。それを、皆さん、一緒に実現しようではありませんか。賛同への御協力を、心からおねがいします。



             20171214

               狭山意見広告運動           

狭山意見広告運動のよびかけ

権力犯罪をうち破ろう

狭山事件は権力犯罪です。司法の舞台で、冤罪性をあばき、無実を証明することと、もう一つ、権力犯罪とたたかう大きな運動が必要です。

事件当初、身代金を取りに来た犯人を、警察官40人が張り込んでいながら、まんまと取り逃がしました。シェパード・警察犬一匹、連れていたら、済む話だったのに。

ほんの一月前、東京での吉展ちゃん事件に続く大失態でした。

 警察にたいする批難が沸騰し、警察庁長官が辞任しました。警察はおろか、政府まで吹っ飛びかねない政治問題に発展しました。

当時池田内閣の国家公安委員長が「死んだものに用はない」「生きた犯人をふんづかまえる」と号令。首相夫人の被害者宅への弔問。そこからすべてがはじまるのです。

狭山市内の被差別部落への集中した見込み捜査が行われ、マスコミをフル動員して「部落ならやりかねない」と露骨に部落差別を煽り、その国家ぐるみの謀略のなかで、犠牲にされたのが石川一雄さんです。

狭山事件は、権力犯罪であり、現代日本の差別の壁です。

部落差別解消推進法ができても、この差別の壁を無くさなくては、部落差別は無くなりません。示現舎をはじめ、各地で悪質な差別事件が増え、差別者の居直りは目に余るものがあります。やはり、狭山で勝たないと、差別し放題の状況は後を絶たないのです。権力犯罪、差別の壁を、大きな運動のうねりでうち破ろう。


「決めての物証」万年筆は警察のねつ造!下山鑑定の事実調べを

現在、狭山事件の3回目の再審が東京高裁にはかられています。

第3次再審になって、裁判官、検察、弁護士の三者による協議が始まり、そのなかで、新証拠として、「被害者のもの」とする万年筆のインキがだされました。下山博士が鑑定した結果、インキの違いは明白、万年筆は被害者のものではなく、警察のねつ造であるという結果がでました。

狭山事件では、血痕などはないとされるなかで、この万年筆・インキの科学的鑑定は、DNA鑑定にも匹敵します。

この事実調べの実現ぬきに、狭山事件の再審はありません。どんなに有利な材料があっても、裁判官に期待するのでは勝てるものも勝てない、狭山では何度も煮え湯を飲んできました。石川一雄さんは、79歳。もうこれ以上は待てません。

下山鑑定―万年筆問題での事実調べの実現、その一点で世論を喚起し、裁判を監視する国民運動が必要です。そのための一石を投じたい一念です。

よびかけ、賛同への御参加を、心よりお願いします。

2017年10月

 よびかけ人(参加順です)   

酔虎智伝(すいこ ちでん)・部落解放運動家

     森島吉美・広島修道大学名誉教授

     長谷川直彦・弁護士

     大口昭彦・弁護士

     新井滄吉・狭山事件と人権を考える茨城の会代表、利根町町会議員

     山本隆久・水戸・狭山事件と人権を考える会代表

     福岡「SAYAMA」上映実行委員会

     木幡(こわた)ますみ・福島県大熊町町会議員

     山中幸男・救援連絡センター事務局長

     ノジマミカ・フェイスブック「狭山事件の再審を実現しよう」

     武者小路公秀・反差別国際運動(IMADR)共同代表理事

     桜井昌司・布川事件元被告・再審無罪

     知花昌一・元沖縄反戦地主・真宗大谷派僧侶

     菅 孝行・評論家

中村益行・熊本県山都町元町会議員、背梁の原生林を守る連絡協議会代表

松平要・東大阪市議会議員

     金聖雄・映画[SAYAMA見えない手錠をはずすまで]監督

趙博・歌手

青柳行信・原発止めよう!九電本店前ひろば村長

     安次富浩・

海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会共同代表

     伊藤健一・元自治労茨城県本部委員長

     杉森弘之・茨城県牛久市議会議員

     松田秀代・沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会共同代表

     玉浦勝康・沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会共同代表

     田村隆幸・沖縄の高江・辺野古につながる奈良の会事務局長

     家正治・神戸市外国語大学、姫路獨協大学 名誉教授

     大橋浩治・自治労奈良市従業員労働組合委員長

     鵜飼哲・一橋大学教員

     仲里効・映画評論家

     三角忠・編集工房朔

     木村公一・牧師、大学教員

     仲村渠(なかんだかり)政彦・

高江ヘリパッド建設に反対する現地行動連絡会共同代表  

     金子和雄・つくば市議会議員(元議長)


     垣沼陽輔・全日本建設運輸連帯労働組合近畿地方本部執行委員長

武建一・全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部執行委員長

     広瀬英司・全日本建設運輸連帯労働組合近畿地区トラック支部執行委員長色見勝徳・全日本建設運輸連帯労働組合関西クラフト支部執行委員長


                     1221日現在 

                     

連絡先 

東日本 105-0003 東京都港区西新橋1-9-8 

南佐久間町ビル2階 むさん法律事務所内

             ℡ 070-3127-0011

              sayamajiken_higashi@yahoo.co.jp


西日本 577-0809 東大阪市永和2丁目14-11

松平要東大阪市会議員事務所内 

             ℡ 080-9752-2122

              sayamajiken.kansai@yahoo.ne.jp


 ●メールアドレス sayamajiken_koukoku@yahoo.co.jp

 

柿収穫ボランティア活動レポート

(2018年01月22日)

 

九州北部豪雨からちょうど5か月経った今月6日,豪雨で行方不明になっていた女性の遺体が、遠く離れた久留米市の筑後川河川敷で見つかりました。これで犠牲者は38名となり,依然と3名の方が行方不明のままです。また,11月末までにすべての避難所が閉鎖されましたが、朝倉市と福岡県東峰村では仮設住宅107戸で220人が生活。みなし仮設住宅や公営・公的住宅で生活する人も,福岡・大分の両県で1000人以上に上り、今も合わせて1300人以上の方が自宅外での暮らしを強いられています。

 今回の豪雨で,朝倉市内の部落も大きな災害に見舞われましたが,村内の住宅10棟と村の主要産業である柿園に大きな被害が出た杷木S地区も,生活再建の取り組みが懸命に続けられています。この地区はブランド富有柿「志波柿」の産地として有名ですが,今回の豪雨で,村の人たちが営む12町歩の柿園に通じる農道は至る所で崩落、路面がデコボコに剥がれ,園内は大石や砂利、土砂-流木が流れ込み約6割に甚大な被害が出て,一時は今年の柿の収穫が絶望視されていました。しかし,村の人たちは,全国から寄せられた義援金などの支援にも支えられながら,農道の自主整備など懸命の復旧活動に取り組み,例年の収穫量には到底及ばないものの,被災を免れた柿園には見事な富有柿が一面に実っているのです。

 ところが,ここで新たな問題が持ち上がりました。災害復旧活動に時間をとられ,ただでさえ今年の収穫作業の開始が出遅れていたのに,先月末からの厳しい寒波が農家に追い打ちをかけているのです。柿は何度も霜が付くと果肉が柔らかくなって商品価値が下がってしまいます。寒さや霜で実が凍ると味や食感が落ちてしまうためです。二重被害を恐れ、柿農家は家族や親戚総出で収穫のピッチを上げなければなりませんが,部落では高齢化が進み,若手の人出が圧倒的に足りません。また,村の柿農家はそれぞれ一斉に作業をしなければならないので,村の人たち同士の助けあいも限られます。農協に人出を頼むと,柿の収入以上の人件費がかさんでしまいます。  

こうした村の状況を憂いた村上副委員長が,今月初めからS地区の柿収穫作業支援に連日入っていましたが,柿の収穫は全くの手作業のため,圧倒的に人手が足りません。そして時間との勝負です。急遽,村上副委員長から連絡を受けた災害対策本部は,12月9日と10日の二日間,柿の収穫ボランティアに取組みことにしました。急な呼びかけにもかかわらず,県下の兄弟や支援の方が二日間で延べ15名参加してくれました。

作業に入ったのは,S地区の近くにあるOさんの約1町歩の柿園。無数の富有柿が,まだ全く手つかずに実っています。Oさんに何本の木があるのか尋ねてみましたが,数えたことがないので,わからないとの返答。村上副委員長によると300本以上はあるとのことでした。作業に入る前に,自らも柿農家である村上副委員長に,収穫作業の注意点などを教えてもらい,各々が収穫かごやハサミをもって,柿の収穫作業に取り掛かります。

初めは,どの柿を採っていいのか戸惑う参加者でしたが,とにかく全部の柿をハサミで切り取り,商品になりそうな物はコンテナの中に,迷うものはコンテナの横に置くよう指示があり,少しずつ作業に慣れていきます。厄介なのは,熟し過ぎた柿です。最初にこれを取り除かないと,木が揺れたはずみで熟し過ぎた柿が頭の上から落ちてきます。実際に帽子の上から熟した柿の洗礼を受けた人もいました。片手で柿を持ち,もう一方の手のハサミで柿を切り取り,切り取った柿のヘタで他の柿を傷つけないように,ヘタをもう一度短く切り取る,そして収穫かごに入れ,溜まったら選別しながらコンテナに入れる,この作業が延々と続きます。コンテナに溜まった柿は,Oさんが運搬車で回収して回り,園内の作業小屋に運ばれます。作業小屋に運ばれたコンテナの柿は,選別作業に移りますが,ここはOさんの奥様が,高く積まれたコンテナの横で一人で黙々と作業をしてありました。

一日目は,昼食休憩をはさんで16時半まで,二日目は,朝から雨が降り出すという悪天候だったため,15時頃に作業を切り上げましたが,二日間でコンテナ400個近い柿を収穫することができました。しかし,作業を終わって柿園を眺めてみると,無数の富有柿が柿園いっぱいに実っており,どこを収穫したんだろうと気持ちになります。それだけ,まだまだ多くの富有柿が収穫を待っています。しかし,時間がありません。今週は,また寒波の襲来が予想されており,村上副委員長によると,残された収穫期限はあと1週間位が限度ではないかとのことです。

このため,災害対策本部は,12月16日と17日にも柿の収穫ボランティア活動に取り組むことにしました。みなさんの引き続きのご支援を訴えます。そして、完熟した甘い柿をぜひ現地でご賞味ください。


2017年12月11日

      福岡災害対策本部

 

衆議院選挙の結果と全国連の態度

(2017年11月30日)

 

この選挙にたいする全国連の方針


 10月22日、衆議院選挙が行われた。この選挙にたいして、全国連は次の見解、方針で臨んだ。①比例区は社民党、選挙区は社民党をはじめ「野党共闘」の候補に投票しよう。②小池(希望の党)は安倍と同じ穴のムジナ、改憲派。安倍と小池の演出する翼賛選挙にはさせない。

 結果は、社民党2人当選(改選前の議席維持)、立憲民主党55人当選(躍進)。全国各地の事情(選挙区の事情)によって、いくらかの異相はあったが、おおむねこの方針は貫徹された。各支部・県連は、選挙戦の一角に食い込むとりくみをした。


「自民・公明で3分の2」をどう見るのか


周知のように、全体の議席数では、自民・公明で3分の2以上、希望は惨敗であった。確かに、国会の議席数でみると、暗い、重い気分になる。それは当然だ。

だがしかし、安倍首相の表情は、開票日10月22日は確かに満面の笑顔だった。だが、翌日から冴えない顔に変化した。

 台風の影響で得票数も含めた全貌は翌日に判明した。言うまでもないが、小選挙区制では、選挙区は定数1人であり、得票率が30%程度でも、他の候補より1票でも多ければ当選する。その場合、70%の民意は結果に反映されない。他方、比例区では、ほぼ民意が結果に反映されると言える。

 比例区の得票数に注目してみると、自民1855万票、立憲1108万票。自民は議席数で見るほどの圧勝では決してない。むしろ、小池(希望)によって、野党支持票が分散した効果によって、かろうじて勝利したのだ。


第1ラウンドのゴングは鳴った!


安倍は希望の党も含め、9割以上を改憲派が占める翼賛国会を狙っていた。希望の党の登場―民進党「大合流」の策動は、安倍、小池らの、その為の演出だった。自民、公明だけでなく、「国会の総意

と言える形で改憲の発議にいきたかった。その点では、決して安倍らの思うようにはいかなかった。この点が、総括の核心なのだ。

また、安保法制に反対し、9条改憲には反対する民意が、今回は立憲支持に流れたが、以前として根強いことを示した。

憲法改悪をめぐる、第1ラウンドのゴングは鳴った。「来年にも発議する」と安倍は表明した。第2ラウンド、第3ラウンドが必ずある。



民衆行動で大統一戦線をつくろう


最も大事なこと―政治の主人公は国会ではなく、民衆の行動にある。行動を始めよう。「安倍はどうこう、小池はどうこう、枝野はどうこう」など二の次だ。

  1. 米日の朝鮮侵略戦争・核戦争をやらせない。沖縄に基地はいらない。

  2. 憲法の改悪に反対する。

民衆行動が主体になって、たたかう大統一戦線をつくりだそう。今回の選挙でも「本当に入れたくなる党は存在しない」と言う嘆きの声が多数聞かれる。もっともだ。だが、だからこそ今は巨大な民衆行動、そのための統一戦線がまず必要ではないか。

既成政党、既成勢力の延長からは、何も期待できない。民衆行動を基礎にした統一戦線の新たな運動こそが、「入れたくなる党」を初めてつくりだす。沖縄はその先例を示しているではないか。

全国連は、その一翼を担う。住宅、労働、教育、医療、介護などの生活防衛や、狭山闘争はじめ差別反対の個別課題と、大きな政治課題が掛け算になり、第2ラウンド、第3ラウンドにむけ、民衆の政治的分極化と活性化は不可避だ。

心から強調したい。狭山再審闘争の勝利も、その展望にたった新たな運動から見えてくる。部落解放運動の未来もそのなかにある。

 

          20171026

 

反戦の党に一票を!翼賛選挙にさせるな! 10.29から狭山半年間決戦へ!

(2017年10月12日)

 

衆議院が解散し、10月22日投票日となりました。

今度の選挙は「政権選択選挙」と宣伝され、しかも「安倍政権の継続」か「希望の党への政権交代」かと、あたかも二択の選挙のごとく言われています。

民進党は事実上解消し、小池百合子を代表とする「希望の党」に合流するといいます。これにたいして、小池は「安全保障や憲法への考え方で選別する」「考えが違えば排除する」と言い切っています。何がおこっても不思議ではない、そういう政治状況です。

この政治状況にあって、何をどう見ればいいのか、選挙ではどうすればいいのか、とまどいを感じる方も少なくないでしょう。

安倍政権は、アメリカのトランプ大統領の掲げる「北朝鮮完全壊滅も辞さない」侵略戦争・核戦争に、「完全一体で行動する」と表明しています。自分の疑惑には蓋をして、憲法を変え、戦争のできる国にしようと暴走しています。

しかし、では、小池百合子はどうなのか。小池は、自民党の役員、第1次安倍内閣の防衛大臣なども歴任し、「国際情勢によっては核武装も検討すべき」と発言した、安倍に負けず劣らずの戦争屋です。

「政権選択」とか、「安倍か小池か」とか言われても、中身はこの通りです。決してごまかされるわけにはいきません。

では、私たちの基本はどこにあるのか。戦争反対です。米日による朝鮮侵略戦争・核戦争に絶対反対です。政治の主人公は国民です。安倍や小池ではない。

重要なことは、主権者たる国民の多数が、戦争反対、9条改憲反対なのに、国会の構図では、まるっきり別の結果になろうとしていること、このことです。この、からくりを、しっかり見抜かねばなりません。翼賛国会許すな!

しかし、反戦を貫き、改憲に反対する候補も、皆無ではありません。民進党からも、立憲民主党が誕生しました。比例区は社民党、選挙区は各地の事情に違いがありますが、社民党を軸に「野党共闘」の候補に投票しましょう。

総選挙から一週間後、10月29日、私たちは、東京・日比谷で狭山事件の再審を求め、戦争に反対する集会、デモをします。共に、行動しましょう!


下山鑑定(万年筆・インキ)の事実調べを!

 10・29の集会で、全国連は狭山事件の再審を実現する、半年間決戦を宣言します。

 石川一雄さんは無実です。「部落差別解消推進法」ができても、狭山事件が解決しないかぎり、生きた部落差別は無くなりません。1974年、無期懲役を下した、東京高裁寺尾・確定判決から43年。現在、3回目の再審が東京高裁にはかられています。

そのなかで、「被害者のもの」とする万年筆のインキを下山博士が鑑定した結果、インキの違いは明白、万年筆は被害者のものではなく、警察のねつ造であるという結果がでました。これにたいし、検察はまともに科学的鑑定で反論できず、「民間人の意見書」を出してきました。今後、弁護団の再反論、さらには事実調べの要求へと、焦点化します。

今度こそ、公正な事実調べを。その実現以外にありません。

しかしながら、下山鑑定はまだまだ世に知られていません。裁判は、10月から来春にかけ、結論に向かう可能性もあります。はっきりしているのは、下山鑑定の事実調べぬきには、再審のチャンスはないと言っても過言ではありません。このままでは宝の持ち腐れです。この状況に全国連は先陣をきります。

下山鑑定の大々的キャンペーンと事実調べを求める国民的な運動へ。

 10・29を狭山「半年間決戦」宣言の日に。


10・29狭山中央集会 昼12時30分 東京・日比谷図書文化館

 

「被爆72周年 8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」をふりかえって

(2017年09月06日)

 

                          実行委員会・山根


 福島地区では3度目のつどいを,地元や全国から協賛金のご協力,ご参加のもと開催できましたことを,ここに深くお礼申しあげます。

 スーパー猛暑のつづくなか,強大な風雨を伴う台風5号の接近により,急きょ午前午後とも旧りんぽ館「いきいきプラザ

にて行うこととなりました。

 「福島地区のつどい」は2年ぶりに復帰された森島代表の司会あいさつで始まりました。

被爆から72年を経て,一番の柱である被爆者からの訴えについては,実行委員会の場においても,「被爆の実態を直接学びたい」との強い要望があり,これまでの発言者を中心に依頼しました。

ことし3月三浦さんが亡くなられ,ほかの被爆者も,「もう振り返りたくない

「体力的にきびしい」という返答が重なるなか、平野さんに参加していただき,ご自身の被爆後の苦悩などお話しいただきました。

 それを補う形で,実行委員会の李さんから3歳での入市被爆と,在日としてその後の差別や後遺症とのたたかい,そしていまの戦争政治への警鐘について。松井さんから,疎開先から広島に帰還された際みられた現状の詳しいお話をされました。

 とくに李さんが8・6において,在日の立場から堂々と主張されることは大変意義深いことと思います。日本による朝鮮侵略が,原爆投下後にようやく解放された歴史的経緯があります。侵略の拠点だった広島が被爆の被害だけを強く主張する8・6ではなく,加害の歴史も照らし合わせて,はじめて反戦反核そして反差別を掲げて真正面から平和を訴えるアピールに意味が出てくのではないでしょうか。

2011年に亡くなられた被爆者の沼田鈴子さんも,加害の歴史と向き合うその内容に大きく賛同された方です。

 また,大久野島で毒ガス製造した藤本安馬さんも,実行委員会アピールでも書かせていただいたとおり,戦争加害とたたかってこられてきた方です。部落解放運動を通じて,部落民のご自身が,中国人を「人間外の人間,殺して当たり前」と差別してきたことを自己批判され,いまも中国への謝罪や被害者の賠償請求裁判を求める運動をつづけていらっしゃいます。

 そして中田書記長のまとめからは,革共同による差別事件から独自の8・6をつくってきた経緯を振り返っていただき,あらためて「福島地区のつどい」の意義深さと継続することの必要性を感じました。

 今回,発言された皆さん一人ひとりの訴えの力強さを今まで以上に感じられました。

 被爆や侵略戦争,そして6年前の福島第一原発事故…それらは過去のことかもしれません。

 しかし,その出来事はいまもつながっています。安倍政治は,かつての戦争や被爆,そして原発事故の歴史はなかったことにしようとしています。

けれど,その責任はいまの人たちに相続されていて,何も解決はしていないこと。そして過ちを繰り返させてはならないことを,私たちに突き付けているのだと強く感じます。


平和公園の式典では,市長がありきたりの言葉を口走り,安倍総理に至ってはこの日にしか発言しない公約を並べていましたが,そんな国家や行政をつき動かすために,「福島地区のつどい」の内容を広げていかなければならないと,あらためて心に刻みました。

そして,午後の「きずなインふくしま」においても,毎年司会進行や原爆詩の朗読や歌唱,またフェイスペイント,三線演奏などと,いままでの絆のもと集まっていただき,表現いただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

また,福岡の水害に遭われた方々からも大変ななかかけつけていただきありがとうございます。会場に募金箱を設置し,7108円集まりました。集会カンパも43648円集まりました。

集会カンパの一部を,福岡への義援金にあてさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

 また全国連本部より狭山再審を求める署名や下山鑑定の図表を掲示していただきました。

会場内の掲示となり,参加者に大きくアピールできる形式にすることが課題として浮き彫りになりました。

 そして会場内に,炊き込みご飯や飲み物,せんじがらの販売もあり,売れ行きも好調でした。準備いただいた皆様にも感謝申し上げます。

 今後さらにきびしい差別攻撃に対峙できるように,町内外の団結や連帯を深め,運動や内容を強化できる8・6ヒロシマに育てて,関係者との信頼を築き,継続したとりくみとなるよう邁進したいと思います。これからも団結してたたかいましょう!

 

8・6ヒロシマのつどいの御案内

(2017年07月22日)

  私たち実行委員会は毎年原爆の日の「8・6ヒロシマのつどい」を通じて,過去の戦争を反省し,その結果としての沖縄の地上戦そして原爆投下である歴史と向き合い,戦争や差別,原発事故をくり返さないための企画として取り組んでまいりました。ことしで10回目の開催を迎えます。
今年は被爆から72年を迎えます。しかし,いま世界中で戦争情勢に突入しています。そのなか安倍政権は共謀罪の強行採決,自衛隊の憲法明記=改憲,辺野古新基地建設,核の使用も辞さないとささやかれ,戦争情勢に追い打ちをかけてきています。
だからこそ,あらためて被爆者の核を許さない切実な思いや,放射能被害の恐ろしさ,そして過去の戦争加害に対する責任をあらためて学び,継承し,発信することが,いま切実に求められているのではないでしょうか。
私たちは福島地区の一住民の立場として,新たなつながり,団結のもと,解放運動を再構築しなければなりません。これからもこのムラで子孫が人間らしく生きるために,差別とたたかう新たな潮流を築き,新たな発信を開始するとともに,地元の被爆者や,差別に苦しんできた住民の世代を超えた和をつくり,新たな一歩を踏み出したい。またそこに全国からの皆様とも交流し賑わいをつくりたい。

その目的から,広島原爆の日の8月6日,福島地区にて三回目の「きずなインふくしま」を開催します。
「福島地区のつどい」では,地元福島地区の被爆者の話や,実行委員会からのアピールを中心とした集会をおこないます。そして西区役所前でのステージ,露店をはじめ,被爆についての座談会も予定しています。
この度も,本会のご参加ならびにご協賛をよろしくお願い申し上げます。

(当日の主なスケジュール予定)
被爆72周年 8・6ヒロシマ 福島地区のつどい 【広島市西区いきいきプラザ4階講堂】
8/6(日) 11:00~12:30  被爆者の訴え,実行委員会からのアピールなど
きずな イン ふくしま ステージ,飲食,展示ブースなど【西区役所前緑地帯】
8/6(日) 11:00~17:00  (ステージは13:00~)




〇実行委員会からの8・6の呼びかけ
 さん(元毒ガス工場工員,毒ガス島歴史研究所顧問)
私は1926年広島県竹原市の被差別部落で生まれ,大日本帝国憲法,軍国主義のもと,教育勅語を教育させられた。その中で,中国人を「人間外の人間」「家畜以下」とみなし,殺して当たり前の加害意識をもって,大久野島で毒ガスを製造した。
だが,部落解放運動を通じて,加害の根性をたたき直すことを強烈に自覚し,30年から40年をかけて,自己変革,自己批判をしてきた。人間が生まれながらにして持っている基本的人権に抵触し,なぜそれが発したのか,現象の本質に迫ってきた。
そうして謝罪のため中国を訪ねた。当時芋穴から8mくらい掘り下げ, 8kmもある手掘りの避難所に,毒ガスを使った。住民1,072人のうち助かったのは34人。虐殺した。慰霊碑に参拝したが,言葉で謝罪は済まされない。賠償しなければならない。しかし財力はない。国家に賠償させることを約束して帰り,そのための法律制定をいまも要求し続けている。重慶大爆撃被害者補償の裁判傍聴や,東京高裁での街宣も行っている。
日本軍は1941年12月8日,真珠湾攻撃を仕掛けた。それをしてなければ,原爆はなかった。
年代が変わるほど,加害の事実が忘れ去られていく。
しかし,大久野島はこれからも命をとっていくのだ。
安倍政権は今,明治憲法に戻そうとしている。教育勅語や共謀罪がまかり通り,まさに合法的暴力団と化している。今こそ第三次世界大戦を阻止するため,根性をつけて対抗する勢力をつくりあげていく。私にはそういう責任がある。
8・6ヒロシマは,人の命にかかわるという本質にとことんこだわり,原爆も,毒ガスも,戦争も,差別も,そして原発も,すべてにおいて,加害と被害,二つを合わせて,そこから平和を追求していくこと。
そしてそれをアピールする人間を増やしていくことが肝心である。
 

九州北部水害の現況  7月12現在・投稿O

(2017年07月22日)

  福岡県、大分県で多大な被害を出した豪雨・山崩れの現場に行ってきた。  朝倉市に住む、村上久義副委員長が忙しい中、現地を案内してくれた。朝倉市杷木町の林田地区、赤谷川沿いの村上さんの田んぼある東林田地区、同川上流の松末小学校。そして久喜宮地区、志波地区、杉馬場地区の6か所を5時間かけてまわった。  亡くなった方が27名、行方不明者が現時点で21名の大災害だ。現場はどこも自衛隊による行方不明者の捜索活動が行われている。捜索と捜索のための道路補修は行われているが、復旧作業などはまだまだ先の話だ。杉馬場では、行方不明者の遺体が見つけられたのだろう。ブルーシートがかぶせられ、警察官が走り回る現場に出くわした。村のすぐ横だ。遺体と対面する家族のことを思うとやりきれない。 赤谷川流域の3人が流された現場では家は崩壊し泥に埋まっている。固まった泥と大量の流木をみると行方不明者の発見にどれだけの時間がかかるのかは素人の私にも想像がつく。一刻も早く救出を願うだけだ。  土台を濁流に流され、鉄骨柱一本で今にも川に崩れ落ちそうな味噌屋さん。潰れた家や1階の屋根付近まで完全に泥に埋もれた家が連なる。表からは何の被害を受けてないように見えても、裏山が崩れ、埋まっている家など。どの家も人の気配はない。あっという間もなく押し寄せる泥水に命からがら避難されたのだろう。静かだ。鶯が鳴いた。車は流され横転したり、泥に埋まっている。松末小学校の近くは大きな電柱が何本も上から数メートルのところで折れ、2階建ての屋根にのしかかっている。大きく立派な家や、高級車なども、この水害の前には、命を救うことも避難の手段にもならなかった。  赤谷川は山から出たところから肥沃な田畑を育ててきた。しかし今では、山崩れによる真砂土の固まった土が、田んぼや畑、果樹を埋め尽くし巨大な平地を作り出している。見渡す限り真砂土だ。マスコミなら福岡ドーム何十個分の広さというのだろう。赤谷川沿いの村上さんが精魂込めて育ててたんぼは無事だった。と安どする間もなく、用水路がつぶされたから枯れるしかないね、と村上さん。ほかの場所でも聞いた。泥をかぶらなかった田んぼも用水路が潰れ、今年は一粒も収穫はなかろうという。  林田の村のすぐ近くの浄水場が壊滅的打撃を受けた。真砂土と流木で埋まった。電気はかろうじてつながり、プロパンガスも細々と補給されたが生活での最大の問題は水だ。避難所になっている林田隣保館には給水タンクが備え付けられ、村上さんらが井戸水などを運んでいる。飲料水は何とか確保できるが生活用水は大変だ。大災害の避難所で繰り返される避難者の苦労はここでも繰り返される。  今回の被害の特徴は、大量の流木と泥だ。震災とはまた違った、信じられないような光景だ。普段は10mに足りない小川が、数時間の記録的豪雨で最大幅数百mにもなって氾濫した。とにかく流木は凄まじい。直径1メートル弱、長さ10メートルを超えるような大木が信じられないような場所にゴロゴロしている。みんな木の皮はきれいにはぎ取られ、美しい木肌をさらしている。その木肌の美しさが異様だ。根もついている。大きすぎてユンボでも簡単に移動できないのだろう。まず細かく粉砕して、トラックで積み出している。この流木が橋げたにひっかかり、泥水をせき止め、濁流となって平地に流れ込んだ。土は真砂土だ。乾くと固くなり、雨が降ると流れる。厄介な土だ。道路や家を埋め尽くした泥は人の力ではどうにもなるい。道路や田んぼの泥をユンボで取り除く、そして家の中の泥を取り除く・・・考えるだけでも気の遠くなる作業だ。 朝倉市でも、被害は村上副委員長の住む杷木町にとくに集中している。山肌は、この一帯だけ、あちこち爪でひっかいたように崩落している。ちょっと距離があるとはいえ、村上宅の裏山の崩落のスケールは一番大きい。一時は、道一つ挟んで隣近所まで避難指示がでて、自衛隊と警察が封鎖した。 そうしたなか、被差別部落の村の被害は大きい。差別の結果、かって川沿いの湿地帯に追いやられた部落は水害の悲惨をおしつけられてきた。今回も、林田地区はすぐ横の赤谷川が流木でせき止められ濁流が流れ込み、旧同和住宅2棟の1階部分は完全に泥で埋め尽くされ、周りは流木の山となった。昔、よく泊めてもらった住宅だ。幸い、けが人はでてないようだ。5年前の水害の教訓で、川が氾濫する前に住宅の人たちは隣保館に避難したそうだ。 隣保館がある本村は同和事業でかさ上げした。もしこの事業をやっていなかったたら林田地区は全滅したかもしれない。村上さんの話では、かさ上げ事業は同和事業の対象にならないと行政が首を縦にふらないなか、村の人たちのねばり強い闘いで実現したそうだ。杉馬場地区は川のすぐ横の6軒が、流木と泥に埋まった。住民が村上さんにお礼を言われていた。全国連からの支援のペットボトルの飲料水へのお礼だった。  

オール沖縄のたたかいを解放運動へ!!

(2016年06月27日)

 

全国連青年部5月沖縄現地闘争報告

青年部長より~ひとこと~

毎年恒例となった青年部沖縄闘争も5回目を数えます。たくさんの方々から支援をいただき、各地からの青年の決起によって、貫徹することができました。心から感謝の意を表します。

いま、戦争ができる国づくりがされている中で、それに真っ向から反対する私たちは、沖縄のたたかいに全力でとり組む決意であります。沖縄で起きた米軍属による女性殺害事件は、基地があるゆえに、起こるべくして起きた事件といえます。不運による事例ではなく、しっかりと事の本質を見極めなければいけません。これからも沖縄に連帯し、団結をつくりだしていこうと考えております。3日間の報告をしていきます。


事務局より~報告~

<行進>

5月1416日の3日間、沖縄行動に行ってきました。今年の沖縄県民大会は15日の「沖縄復帰の日」に行われ、行進で会場入りする「平和大行進」に初めて参加しました。

沖縄の太陽は文字通り肌を刺す強さでしたが、みんな倒れそうになりながらもなんとか会場までを歩きました。デモ隊は坂の向こうに見えなくなるほどの長さです。沿道では、こちらに手を振ってくれる人達や、デモ隊のための給水所など、地域でデモを支える姿は、まさに私たち全国連が目指す「新たな挑戦」を先取りしているように思われました。

また、この平和大行進は3日間の行動で、私たちが来る前から沖縄全土より会場へ行進を続けてきたのです。狭山闘争をこのような形でできないか、私たちが沖縄に学べることはたくさんあると感じました。


<県民大会>

県民大会は、那覇新都心公園の芝生を埋めつくして行われました。この公園は、かつて米軍基地だったそうです。米軍基地の返還で、今の沖縄は平和と、豊かさを手に入れられるのです。今回はじめて、現地でそのことを感じました。

集会では、いまだ日本中の74%の米軍基地施設を押し付けられている沖縄の想いが、にじみ出てくるようでした。現地の市議会議員さんは、「昨年からの国会前の戦争法反対の闘いや今の参院選候補者統一の流れは、『オール沖縄』に学んでできたものだ」と話されていました。まさしく、本土が沖縄の闘いを学ぶ時代にきています。沖縄では、自らの闘いに自信を持っています。

また、韓国で基地建設に反対する済州島(チェジュド)の方々からの発言もありました。沖縄の現実と、闘いで得られたものを本土に伝えていきたいと思います。


<交流>

集会終了後、辺野古カヌー隊の方々とお話しをすることができました。海上で抗議行動を行なっている人たちです。私たち全国連の三大闘争と、沖縄に基地がおかれていることは沖縄差別であることを伝え、差別をなくしたいと伝えると、カヌー隊のメンバー一人一人の想いを話してくれました。

カヌー隊を続けるために東京から移住した方や普天間で生まれ育った人は、「自分は本土の人と話すのが怖かった。どうせ理解されないと思っていた。しかし、ここで本土から来たカヌー隊員とともに闘う中で、ようやく話せるようになった」と話してくれました。差別を乗り越えるのは闘いと誠実さなのだと心に沁みて思いました。


<沖縄戦について見学>

最終日、大田昌秀元県知事が設立した沖縄国際平和研究所を訪問しました。ここでは、沖縄戦の写真がたくさん展示してあり、沖縄の歴史を目で見て学ぶことができます。沖縄の日常と、米軍基地にすべてを左右される現実を知ることができました。

いかにして、沖縄が進撃され、戦争が厳しいものであったのか、目の当たりにすると本当に実感します。沖縄の問題は、基地をおしつけている本土の問題です。全国連の新たな挑戦として、オール沖縄のたたかいを解放運動へ繋げていきたいです。


参加者より~感想~

<広島 山根 努>

いままでの沖縄の強いられてきた現実や差別を、訪ねたわれわれが共有し発信することが一つの使命ではなかろうか。沖縄や原発反対、ヒロシマ・ナガサキ、そしてあらゆる差別の根源はいまの政府にある。ともに合流、団結して行動を拡大することこそ、われわれのたたかいの拡大につながるとして、そのための創意工夫を仲間とともに討議して、それぞれの地元のたたかいとともに今後につなげていきたい。


<奈良 大橋 ひかり>

県民大会の前に、平和行進に参加出来て良かったです。普段沖縄では経験出来ない、長距離歩いて基地の横を通ったこと。すごく印象に残りました。沖縄から少しでも早く基地を撤去させること。一緒に最後まで闘い抜くことを心に決めました


青年部長より~あとがき~

沖縄の郷土料理でヤギがあります。これが現地では最高のおもてなし料理。値段もやや高めなわけですが、北浦青対部長にねだって、ヤギ刺しとヤギ汁をみんなで食べました。本当においしかったです。闘争と交流のメリハリをつけて、夜はおもいっきり笑って過ごせる。これが沖縄行動であり、全国連の運動。3日間、本当に楽しかったです。

支援していただいた皆さまには、本当に感謝しています。ありがとうございました。そして、参加した青年部メンバーのみんなもお疲れさまでした。