主張 辺野古への新基地建設を許さない!

(2010年02月12日)

  沖縄の人々と連帯してたたかかおう

名護市長選挙で勝利!
1月24日の名護市長選で、辺野古への新基地建設に反対する稲嶺進氏が勝利しました。稲嶺氏は選挙後の第一声で「辺野古の海に基地は作らせないと言う公約を信念を持って貫く」と宣言しています。稲嶺市長を実現した沖縄北部やんばるの名護市民が挙げた「辺野古新基地を作らせないぞ」「今度こそ反対の闘いを勝利させるぞ」という固い決意を受け止め、「普天間海兵隊は沖縄から出て行け」のたたかいを共にたたかいましょう。
この名護市長選における稲嶺氏の勝利は、2005年4月19日から今も闘われている辺野古のオジーやオバーを先頭にしたボーリング調査阻止の座り込み闘 争の貫徹によって勝ち取られたものです。2005年2月の海人(うみんちゅ)の海上デモに続き、辺野古への「普天間代替」基地建設のためのボーリング調査 を、辺野古の「命を守る会」のオジーやオバーが先頭に立ち、名護市内外からも反対する人たちが結集して、日ノ出から日の入りまで連日座り込んで那覇防衛施 設局の動きを監視し続け、いまだに調査の終了を阻んでいるのです。

政府の無法に屈せず
選挙戦の過程でマスコミが繰り返し報道していたように、今回の名護市長選は海兵隊普天間基地を辺野古に移設する計画が発表されてから13年、4度目の市 長選でした。これまでの4回の市長選ではいずれも新基地建設推進派が勝利していました。しかし実は、13年前、1997年名護市民は地元辺野古を先頭に、 市民投票を実現し、辺野古新基地建設反対の鮮明な意志を明らかにしていたのです。
しかし、「名護市議会が建設反対を全会一致で決議すれば、市長を裏切らせて建設のための事前調査を容認させる」「住民投票となれば、『振興策』の発表 と、防衛施設庁の職員や自衛隊員まで動員して戸別訪問。それでも反対派が勝てば結果を完全に無視する」「選挙では、露骨な鑑賞や違法な買収」…政府・防衛 施設庁はありとあらゆる卑劣なことをやってきました。
政府は移設受け入れの見返りとして、名護市など県北部にこの10年間で約770億円の振興予算をつぎ込んで、辺野古交流プラザ整備事業や辺野古区地区会 館建築などを行ってきました。こうした国のやり口を選挙戦の中で稲嶺氏は「政府の振興策でつくられたのは役に立たない建物ばかり。潤ったのは一部の業者だ けで、暮らしは良くならなかった」と批判し、98年の普天間基地移設反対の原点に立ってたたかおうとよびかけ、圧倒的な支持を得たのです。

安保の現実への怒り
稲嶺氏の勝利は、民主党政権の誕生という変化を背景にしています。しかし、勝利を決定づけたのは、日米安保条約の下で「基地の島・沖縄」の現実を強制し 続ける政治への怒りです。米軍再編が計画されている中で、95年の海兵隊員による少女暴行事件が発生し、2004年には沖縄国際大学への海兵隊ヘリ墜落事 件などが起きています。名護市長選の結果は、こうした現実を自分たちのたたかいで変えようとする固い意志の表明です。
民主党は市長選の間、稲嶺氏の応援に本部から誰も現地に入りませんでした。そればかりか、民主党・鳩山政権は、稲嶺氏の勝利によって現地の民意が一点の 曇りもなく明らかにされているときに、「移設先の決定に当って名護市長選の結果を考慮してひかえる理由はない」(1月25日、平野官房長官)と言ってのけ たのです。
1950年代に山梨県・北冨士のたたかいなどに追いつめられ、北冨士や岐阜県・各務原に駐屯していた海兵隊を普天間やキャンプシュワブに移駐させ、日本 全体の0・6%の面積をしめる沖縄に、米軍施設の25%、米軍専用施設面積の75%が集積する状況が作り出されました。このとき、沖縄では60年安保闘争 の第1段階ともいうべき島ぐるみ闘争がたたかわれています。
 名護市長選が示していることは、1950年代の島ぐるみ闘争を超えるような戦争反対、日米安保条約反対のたたかいへの胎動が開始されたという事実です。鳩山政権がどのようなふるまいをするにせよ、この始まった進撃を押しとどめることは出来ません。
私たちも、辺野古への新基地建設に反対して立ち上がった名護の皆さんと固くスクラムを組んで日米安保条約反対のたたかいを闘いぬきましょう。


報告 1・30 日比谷野音に6000人! 普天間基地も、新基地もいらない!
1/30集会 【共闘部】1月30日、実行委員会の主催で開かれた沖縄の普天間基地撤去と辺野古新基地建設に反対する集会は、6000人が集まりました。集会場の日比谷野外音楽堂は、通路も動けないほどいっぱいになり、熱気と感動の集会となりました。
日米安保の矛盾、米軍の基地を沖縄に押し付け、日本政府の沖縄差別政策を容認してきた「本土」の闘いにようやく火がつきました。この日の集会は、沖縄と本土の歴史的な合流の日になりました。
集会では、沖縄から参加した100人を超える上京団が壇上にならび、代表して山城博冶さん(沖縄平和運動センター事務局長)、安次富治さん(ヘリ基地反対協共同代表)、伊佐真次(「ヘリパットいらない」住民の会共同代表)が熱く発言しました。
市民団体、労働組合の旗が林立する中、全国連も荊冠旗を立てて広島、大阪、東京から参加してデモを行いました。
普天間基地は、日米政府が13年前に返還を合意しました。そして海兵隊は2014年までにグアムに移転させる計画です。「普天間返還と辺野古新基地建設はパッケージ」はでたらめです。新たな基地を建設するために辺野古移設を画策しているのです。
普天間基地は一刻も早く返還されなければなりません。名護市民は1月24日の市長選挙で、新基地建設に反対する住民の民意を明らかにしました。
平野官房長官の「民意を斟酌(しんしゃく)しなければいけない理由はない」などの発言を弾劾し、沖縄の基地撤去を、沖縄の民衆とともに、差別とたたかう全国連の私たちの力で勝ち取ろう。

▲このページのトップにもどる