沖縄闘争との連帯かけて 青年部沖縄合宿の報告

(2013年06月10日)

 

戦争の歴史を繰り返さないために基地もオスプレイもいらない! 全国から総勢14人が参加

【はじめに】

    5月10日(金)~5月12日(日)の三日間、青年部沖縄合宿に行ってきました。全国各地から集まった青年部メンバーと引率で合わせて14名が参加 佐喜眞美術館にて沖縄戦の現実を学ぶ しました。事前の青年部幹事会では、三年前にとり組んだ沖縄闘争をもう一度復活させ、沖縄のたたかいを青年部の闘争課題に据えてやり抜くことを決定して臨みました。

【一日目】

    一日目は、関西空港に集合しました。全員が揃ったところで、スケジュールの確認とそれぞれの役割や任務について打ち合わせをしました。参加者の半分は初参加ということもあり、全体としてのテンションが高く、一刻も早く現地に行きたいという感じでした。手続きを終えて、那覇空港に向かいました。 夕刻に那覇空港に到着し 「道の駅・かでな」から嘉手納基地を見る て、すぐにレンタカーを借り、そのままホテルへ向かいました。遅い時間での到着でしたので、一日目はメンバー同士の交流会と沖縄の街の探索も兼ねて、外で宴会を行ない、沖縄民謡の演奏を聞きながら楽しく過ごしました。沖縄の人たちと触れ合うことが出来たし、初日からメンバー同士の親近感が深まり、好調なスタートになりました。

佐喜眞美術館「沖縄戦の図」

【二日目】 県民の意思を示した大看板(辺野古にて)

    二日目は、早朝からホテルを出発して、最初に宜野湾市にある「佐喜眞美術館」行きました。ここは、普天間基地が一望できる場所です。館内に入り案内の方からいろいろな説明をしていただきながら、作品を見てまわりました。特に印象的だったのは、丸木位里さん・俊さんの「沖縄戦の図」と題した、縦4メートル・横8・5メートルもある巨大な絵です。大きさに圧倒されただけではなく、絵そのものが悲しみや苦しみを語っているようでした。沖縄戦の残虐性や凄惨な様子があらゆる角度から描かれていて、胸を突かれました。天皇を元帥として戦争を続け、沖縄を切り捨ててきた歴史を学び、戦争で死ぬことは誇らしいことだと教わってきた事実を改めて聞いて、心から怒りを覚えました。
    また、沖縄戦で追いつめられた人たちが手榴弾や鎌や鍬、カミソリなどで集団自決してきたことを「集団自決とは手を下さない虐殺 辺野古にて安次富さんから闘いの現状を聞く である」と位里さん・俊さんは、言葉にしています。事実、日本軍による強制や命令によって、住民が殺されてきたことや降伏を名乗り出た住民に対して、裏切り者として殺されてきた実例もあり、現在は専門家などの間で「集団自決」の表現をめぐり議論されて、「強制集団死」という言葉を用いることが一般的とされていることを教わりました。そもそも、「自決」という定義で戦争を美化するものでは決してありません。強制・命令があるなし関係なく、虐殺の事実は消えることはないのです。

 

普天間、嘉手納撤去以外にない

    その後、屋上に出て普天間基地を一望しました。あいにくの雨で視野が良くなかったのですが、広い敷地に周りはフェンスで囲まれていていました。ここでも館内の方から説明をしていただきました。佐喜眞美術館は、普天間基地の土地だったところから21年前に取り返した場所であり、その昔は一帯がお墓であったことを教えてもらいました。最近は、オスプレイが配備されてきて、離着陸の際にはすさまじい轟音と窓が激震して、それが一日に何度も行なわれ、さらには夜遅くに飛行することもあり、頭痛に苦しみ、身体も気持ちも休まる時はないと話してくれました。地上も上空も海上も米軍に支配されている状態であり、「もう本当に沖縄に基地はいらない」というのが沖縄の民意であると強く訴えてくれました。この現実を目の前に、自分たちは何ができるだろうか考えさせられました。戦争の歴史を繰り返してはならないし、その為の基地なんて絶対にあってはならないと改めて決心しました。
    美術館を後にして、嘉手納町にある「道の駅かでな」に向かいました。ここは、嘉手納基地の真横に位置していて、展望台からは基地を一望できます。いざ、展望台から基地を見おろしてみると、壮大な風景が目の前にひろがっていました。どこまでが基地なのかわからないほど大きな敷地で滑走路も何本もあり、巨大な軍用機が何機も待機していました。建物の中には、実際に沖縄戦で使われた軍用機の模型などが展示されている場所があり、見学しました。あれだけの大きな基地をもっと拡大させて新たに建設し、もっとたくさんの軍用機を沖縄に配備させるつもりなのかと思うと許せない気持ちになりました。

辺野古に新基地はいらない

    つづいて、名護市にある辺野古新基地建設反対闘争をしている座り込みテント村を訪問しました。到着してすぐに、ヘリ基地反対協議会代表の安次富浩さんが出迎えてくれました。 ここは、三年前にきた場所です。ちょっとした懐かしさと変わらぬ綺麗な海の風景に少し安心をしました。海の向こうには、軍用船が当たり前のように通過していきました。沖縄の海を米軍が支配して、さらに新基地をここに建設しようとしているのかと思うと、はがゆい気持ちでいっぱいでした。はじめに、安次富さんから辺野古の現状とこれまでの闘争の歴史、そして政府が何をしようとしているかの実態を分かりやすく説明してくれました。「絶滅危惧種であるジュゴンは、草食動物であり海草を食べる。そして、目の前にひろがる珊瑚の海を埋め立て、大規模な新基地建設計画を強行しようとしている。これに対して、非暴力でたたかうけれどもその代わりに、カラダを張って全力で阻止する。新基地建設費は国民の税金から絞り出す。いま目の前にある軍用施設は、思いやり予算という政府管理している予算を出して建てたもの。天皇が中心となって貫かれてきた戦争を再度やる為に建てる基地などいらない。沖縄差別を許さない。反天皇でたたかい抜く」と強く語っていただきました。自然を守るたたかいと同時にまた、沖縄戦を繰り返してはならないという反戦・反基地・反差別のたたかいに間近に触れて、これらの問題を自分たちの問題として捉えなければならないと決意しました。反戦のたたかいは、反差別のたたかいでもあり、沖縄の人たちと連帯して基地も戦争も差別も無くしていけると確信することができました。さいごにみんなで檄布を書いて米軍敷地内のバリケード前で記念撮影をしました。檄布を手渡して安次富さんとかたい握手をして別れました。辺野古に実際に来てみて、青年部メンバーの思いは一つになったと思います。本当にいい体験になりました。
    二日目スケジュールの最後にレクリエーションで本部町にある「美ら海水族館」にいきました。みんな思い思いに楽しめたようで、ジンベイザメのエサやりのイベントなども見られて大興奮でした。とてもいい思い出になりました。スケジュール目一杯でホテルに戻ったのが夜7時をまわっていましたが、それから端的な総括を行ない、みんなで作文を書きました。それぞれ心に残ったことをまっすぐ文章に表現されていて、とてもいい体験になったとしみじみ感じました。

ひめゆり平和祈念資料館へ

【三日目】

    三日目には、午前中に糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」へ行きました。ここでは、当時あった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高 青年部の沖縄合宿につづいて5月19日におこなわれた沖縄県民大会にも全国連から代表が参加しました。 等女学校の女子学生が沖縄戦陸軍病院に配属され、ひめゆり部隊と呼称されて、労働奉仕という形で看護や死体埋葬などの作業をさせられてきた事実を写真や文章で展示されているところです。ひめゆり部隊に戦線が迫ってきたことを知り、砲爆撃が続く中で逃亡を続ける最中に突然の解散命令が下され、散り散りになって戦場を駆け巡り、最終的は学徒240名中136名が亡くなるという悲惨な歴史がありました。これらの事実を目の当たりにして、絶句するあまり、涙をこらえるのでいっぱいでした。戦争とは、なんなのか。天皇とはなんなのか。軍事、核兵器、憲法そんなことに縛られている日本の国、政治に正義があるのか。自問自答を何度も繰り返し、本当に胸が苦しかったです。時間の関係で全てに目を通すことは出来ませんでしたが、みんなが館内から出てきて笑顔はありませんでした。こんな悲惨な出来事を無視して、安保を理由に戦争を仕掛ける為の基地を強化、拡大させようとしている政府に対して、強く憤りを感じました。絶対に基地はつくらせないし、反戦のたたかいで多くの人たちと繋がりをつくっていこうと決意しました。
    その後、昼食をとって帰りの手続きを済ませ、夕刻の便で関西空港に向かいました。機内から沖縄本島を眺めて、一旦は合宿をやり抜いたという気持ちともっとたくさんの人たちと連帯したかったという侘しい気持ちが交差して、何とも言葉に出来ない思いでした。次回の沖縄の取り組みでは、闘争課題を明確に絞り、事前から沖縄へのたたかいをたくさんの人たちに訴えてから臨もうと心に誓いました。関西空港で帰り際、全体で集まって簡単に三日間のまとめをしました。今回の沖縄合宿を今後の青年部運動に繋げ、決意を新たに出発していこうとメンバー全員で意思一致しました。
    今回の三日間の合宿を通して、青年部に沖縄のたたかいが大きな柱となりました。狭山闘争と沖縄闘争を主軸にして、さまざまな側面から組織を大きくしていこうと考えています。とりわけ、8・6ヒロシマのつどい、8月全青大会成功へ向けて全力で取り組んでいきます。ともにたたかいぬいていきましょう。

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