「被爆72周年 8・6ヒロシマ 福島地区のつどい」をふりかえって

(2017年09月06日)

 

                          実行委員会・山根


 福島地区では3度目のつどいを,地元や全国から協賛金のご協力,ご参加のもと開催できましたことを,ここに深くお礼申しあげます。

 スーパー猛暑のつづくなか,強大な風雨を伴う台風5号の接近により,急きょ午前午後とも旧りんぽ館「いきいきプラザ

にて行うこととなりました。

 「福島地区のつどい」は2年ぶりに復帰された森島代表の司会あいさつで始まりました。

被爆から72年を経て,一番の柱である被爆者からの訴えについては,実行委員会の場においても,「被爆の実態を直接学びたい」との強い要望があり,これまでの発言者を中心に依頼しました。

ことし3月三浦さんが亡くなられ,ほかの被爆者も,「もう振り返りたくない

「体力的にきびしい」という返答が重なるなか、平野さんに参加していただき,ご自身の被爆後の苦悩などお話しいただきました。

 それを補う形で,実行委員会の李さんから3歳での入市被爆と,在日としてその後の差別や後遺症とのたたかい,そしていまの戦争政治への警鐘について。松井さんから,疎開先から広島に帰還された際みられた現状の詳しいお話をされました。

 とくに李さんが8・6において,在日の立場から堂々と主張されることは大変意義深いことと思います。日本による朝鮮侵略が,原爆投下後にようやく解放された歴史的経緯があります。侵略の拠点だった広島が被爆の被害だけを強く主張する8・6ではなく,加害の歴史も照らし合わせて,はじめて反戦反核そして反差別を掲げて真正面から平和を訴えるアピールに意味が出てくのではないでしょうか。

2011年に亡くなられた被爆者の沼田鈴子さんも,加害の歴史と向き合うその内容に大きく賛同された方です。

 また,大久野島で毒ガス製造した藤本安馬さんも,実行委員会アピールでも書かせていただいたとおり,戦争加害とたたかってこられてきた方です。部落解放運動を通じて,部落民のご自身が,中国人を「人間外の人間,殺して当たり前」と差別してきたことを自己批判され,いまも中国への謝罪や被害者の賠償請求裁判を求める運動をつづけていらっしゃいます。

 そして中田書記長のまとめからは,革共同による差別事件から独自の8・6をつくってきた経緯を振り返っていただき,あらためて「福島地区のつどい」の意義深さと継続することの必要性を感じました。

 今回,発言された皆さん一人ひとりの訴えの力強さを今まで以上に感じられました。

 被爆や侵略戦争,そして6年前の福島第一原発事故…それらは過去のことかもしれません。

 しかし,その出来事はいまもつながっています。安倍政治は,かつての戦争や被爆,そして原発事故の歴史はなかったことにしようとしています。

けれど,その責任はいまの人たちに相続されていて,何も解決はしていないこと。そして過ちを繰り返させてはならないことを,私たちに突き付けているのだと強く感じます。


平和公園の式典では,市長がありきたりの言葉を口走り,安倍総理に至ってはこの日にしか発言しない公約を並べていましたが,そんな国家や行政をつき動かすために,「福島地区のつどい」の内容を広げていかなければならないと,あらためて心に刻みました。

そして,午後の「きずなインふくしま」においても,毎年司会進行や原爆詩の朗読や歌唱,またフェイスペイント,三線演奏などと,いままでの絆のもと集まっていただき,表現いただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

また,福岡の水害に遭われた方々からも大変ななかかけつけていただきありがとうございます。会場に募金箱を設置し,7108円集まりました。集会カンパも43648円集まりました。

集会カンパの一部を,福岡への義援金にあてさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

 また全国連本部より狭山再審を求める署名や下山鑑定の図表を掲示していただきました。

会場内の掲示となり,参加者に大きくアピールできる形式にすることが課題として浮き彫りになりました。

 そして会場内に,炊き込みご飯や飲み物,せんじがらの販売もあり,売れ行きも好調でした。準備いただいた皆様にも感謝申し上げます。

 今後さらにきびしい差別攻撃に対峙できるように,町内外の団結や連帯を深め,運動や内容を強化できる8・6ヒロシマに育てて,関係者との信頼を築き,継続したとりくみとなるよう邁進したいと思います。これからも団結してたたかいましょう!

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