「被爆67周年8・6ヒロシマのつどい」へ実行委員会がひらかれる(5月20日)

(2012年06月27日)

   広島支部は5月20日,被爆67周年8・6ヒロシマのつどいに向けての実行委員会に参加しました。青年部の金平玲さんと山根さんの進行ですすめました。  まず,実行委代表の森島吉美さんが書きおろした今大会の趣意書を参加者で確認し,大会の方向性についてさらに掘り起こす論議を行いました。  わたしたちは原爆を受けたにもかかわらず,原発を受け入れ,その結果の3・11に対し,ヒロシマはどう立ち向かっていくべきか。福島から中手聖一さん,チェルノブイリからナターシャさんがいらっしゃる中で,どうアピールするのか。また次世代へ,また世界へどう発信するのか。あらゆる課題を抱える中で,「中手さんに対し,ヒロシマがこの問題を引き受ける。戦争も差別に対しても責任を持ってたたかう。そういう強烈なアピールが必要。」「阪神大震災でも,3・11でも,部落や在日の人が一番犠牲になっている。差別問題につながる。」との意見が飛び交いました。  そして,1950年代アメリカの策略により広島に原発建設する案が浮上し,「原子力平和利用博覧会」を通じて被爆者までもが「核の平和利用」を推進してきた歴史に目を向けること。その中,昨年亡くなられ,「8・6ヒロシマのつどい」に賛同し熱いメッセージを寄せていただいた被爆者の沼田鈴子さんは,被爆者団体から孤立させられながらも,一貫して原発に反対してこられたこと。  これらをたち返り,「沼田さんの思いを生かす場に」「ヒロシマと福島,チェルノブイリをつなぐ場に」そんな思いを込めた企画を取り入れようといつくかの提案を出し合い,調整を重ね,地元での実行委員会で決定することとなりました。  また,毎年来広していただいている重慶大爆撃被害者の証言を聴く会と,ナターシャさんを囲んでの懇親会を,関連企画として8月5日福島町のいきいきプラザ(旧りんぽ館)にて開催することも決定されました。  被爆から67年経っても,ヒロシマはあの苦しみ,怒りは消えません。しかし,「ヒロシマ」が日本を原発列島にさせてしまった責任もあります。そして,福島はこれからも絶え間なく放射能汚染が続きます。これらの課題に真正面から向き合い,差別や戦争,そして放射能に苦しむ皆さんに生きる希望を与えられる「8・6ヒロシマのつどい」を目指して,広島支部は全力でがんばります。全国連の皆さん,ともに「8・6ヒロシマ」をつくりましょう!  次回7月1日(日)実行委員会へ集まり,議論を重ねましょう。そして,本会へのご賛同,ご参加をよろしくお願い申しあげます。
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