8・6ヒロシマのつどいを成功させて

(2013年08月30日)

  部落の被爆者の体験・思いを受け継ぎ、反戦・反核・反差別をたたかっていく
    今年も8・6ヒロシマのつどいは、200人の参加のもとかちとられました(詳報は次号)。実行委の中心となり集会を成功させた広島支部・金平玲さんより思いが寄せられました。
広島支部青年部 金平玲
    8・6ヒロシマのつどい実行委員会はもちろんの事、青年では連日連夜、毎日のように集まりました。実行委員や青年で何度も議論しました。改憲への動きや歴史をねじ曲げようとしている情勢は戦前と同じ動きであるという危機感をもちながら、もう一度原点に戻って 福島第1原発事故の被災者・木田節子さんがアピール 日本の歴史をまず知る事から始めようと話しました。
    思い起こせば革共同による広島差別事件にたいする糾弾闘争から8・6のとりくみを反戦・反核・反差別の新たな集まりにしようと始まったつどいに最も共感してくれたのが沼田鈴子さんでした。特に反差別について共感してくださいました。亡くなったあとに知った事ですが,沼田さん自身もまた被爆者であることから、かつて結婚差別を受け、また障がい者差別も受けて辛い経験をされていました。大阪の部落をかかえる学校に行って講演され「負けるな」と強いエールの言葉をかけていた事を知りました。「もう一度8月6日、9日のことを知ってほしい。語りついでほしい」という沼田さんの力強いメッセージに応えるつどい、これが原点だという事でテーマにしました。
8・6をひきつぐ
   
被爆者が年々亡くなられ、語り継ぐ人が少なくなっています。8・6に向けてさまざまな取り組みに挑戦をしました。     まず平和資料館に行ったり、学習会をしたりして改めて8月6日ヒロシマで何があったのかを知る事を始めました。さらに、連日ムラの被爆者の家に通い、話を聞き8月6日原爆投下の様子を聞きました。被爆当時の話は、涙なしでは聞けない差別や被爆した時の生き地獄のような戦争体験を聞きました。福島町だけ憲兵隊によるムラの監視体制があったことや理由もなしに連行されて悔しくて友達と歯を食いしばった話は今も忘れられま 被爆者、被爆2世の訴えを聞くパネルディスカッション せん。被爆者の多くの方がガンで亡くなっている事で、原発事故で被曝された方の内部被曝を心配していた事が印象的でした。
反原発闘争に合流
   
そして、愛媛県の伊方原発にも広島の青年から参加学習や原発抗議行動、街宣にも参加して原発の状況や現地の人の避難訓練が無い実態などを聞き、改めて原発再稼働絶対反対との想いを強く持ちました。伊方からも広島に来ていただいて8・6で講演してくださり新しい繋がりがうまれました。
被爆2世3世の決起
   
また、ムラでは被爆者懇親会を行い、被爆者の方や被爆2世3世で集まり被爆当時の話やまだ聞いた事がないような話、被爆者の壮絶な体験や生き様を話していただきました。
    学習会の企画、ビラまきや地区ごとで街宣などの呼びかけ、ポスターや資料づくり、被爆者の話を聞き、集まり、討論など6日を迎えるその日まで連日行いました。
    年々被爆者が亡くなっている中で、いつまで被爆者の話を聞くことができるでしょうか。生の声を聞く事によりオキナワ、フクシマ、今まで以上に想いを馳せる事ができたのではないでしょうか。
    8・6ヒロシマのつどいでは、被爆者やまた直接戦争体験者でなくても語り継ぐ訴え続ける重要性を改めて感じることができました。またフクシマ、オキナワ、ヒロシマ、重慶をつなぐ意義あるつどいでした。
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