8・6ヒロシマのつどい報告

(2012年08月21日)

 

被爆から67年、そして福島原発事故から1年以上が経過した今年の8・6ヒロシマでは、「われわれがかわる日」をテーマに掲げて取り組みました。反原発の声が響く中で、私たちは何をすべきか。どのようにして、戦争も原爆も差別も、そして原発もない時代をつくるのか。それに向けて、自分を変化させ、行動をはじめるきっかけの日にしよう。そんな思いを込めてかちとられました。

在日の被爆者が証言とアピールをおこなう

8月6日、広島市文化交流会館にて「被爆 被爆体験から原発再稼働への警鐘をならす被爆者 67周年 8・6ヒロシマのつどい」を開催し、全国から250名以上が集まりました。

プロロークでは照明の暗転とともに,原爆の投下をイメージした煙と光が放たれ、明かりがさすとともに学生の演奏がはじまりました。そして、毎年ドイツから来られる演奏家ディエゴさんとのコラボでヒロシマの悲劇を表現した「rose de Hiroshima」を演奏しました。

そして森島代表のあいさつ、黙とう後に、被爆者の証言として、同住連世話人の李金異さんと、6歳で被爆された片山節美さんが証言されました。「原爆できょうだいを亡くし、両親もガンで亡くした。本当はつらくて今まで証言は断ってきたが、韓国にいる次女の被爆者認定の申請を厚労省に却下され、悔しくて、申請が通るよう訴えるために証言することにしました。はじめは一人で役所に交渉しましたが今は李さんや金平さんの力を借りてすすめています。皆さんも力を貸してください。」と涙ながらの訴えに会場からも涙を流す方もいらっしゃいました。そしてまとめに李さんは「原発事故が起き、放射能があふれ、知人が何人も急性白血病やガンになった。原発は再稼動し、このままでは日本が壊滅してしまう。日本人として何をすべきが考えてほしい」と、在日の立場から警鐘を鳴らす訴えを行ないました。

福島から中手聖一さん 原発ゼロを訴え!

原発ゼロへ発言する中手聖一さん つづいて福島原発事故の放射能汚染とたたかい、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」をたちあげた中手聖一さんから福島の実態についてご講演いただきました。

中手さんは原発の再稼動に真っ向から反対する姿勢を貫いてきた中で、国が福島に住民をおしとどめ復興をめざす政策、放射能を含むがれきの全国受け入れ政策へつき進むことに対し、「今官邸前のデモのように、脱原発の動きがすさまじい勢いで加速している。人々が生活に関わる電気について考え、自分で考え行動をおこしてデモに参加しているこの事態は、着実に変化をうながし、政府をつきうごかそうとしている」と積極的な意見を述べられ、原発ゼロへ実践を訴えられました。

 そして,チェルノブイリ原発事故で被災した歌手、ナターシャ・グジーさんがコンサートを行ないました。歌唱とともに、6歳で被曝し,今も放射能被害がつづいていることも訴えられました。透き通る美しい歌声は、同時に原発事故の悔しさ、怒りをも表現しているようで、心にしみわたりました。終了時には会場からあたたかい拍手が送られ、涙を流す方もいらっしゃいました。  カンパアピールと、斉藤とも子さんからの「何があっても生き抜く」とのアピールの後には、中国・重慶爆撃訴訟をとりくむ遺族の方々が発言されました。爆撃を受け、死ぬまで苦しい生活を強いられた被害の実態を涙ながらに話され、訴訟への支援を呼びかけられました。  中手さんはさらなる意見交換で、原発ゼロへ向けて「気づいた大事なことを一つひとつやっていくこと。再稼動させない、脱原発への意識も高まってきた。次世代の子どもたちに新しい日本をみせたい」と決意を述べました。  そして横浜から一時避難されている母親から、子どもに鼻血などの症状がでている実態の報告を受けて、まとめで中田書記長は「いろんな人の思いが込められた8・6の集会だった。反差別の観点からの8・6をすすめてきたが、原発事故からそのからくりが暴かれ、『もう我慢できない』と新しい生き方が始まっている。その実感と自分達の実践の確信をあらためて確認できた集会になった」とのアピールで、今年の8・6をしめくくりました。
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