被爆69周年 8・6ヒロシマのつどいが成功!

(2014年09月05日)

  「伝える つながる つづける」をスローガンに 反戦・反核・反原発、反差別の7年目の行動
【広島支部】
被爆69周年目の今年の8月6日は台風が来るという事で午前中に雨が降り込みましたがつどいが始まる頃は晴れていきました。
    司会が8・6のつどいアピールを読み上げて、7回目の「8・6のつどい」が始まりました。戦争や原爆、また震災、原発事故で亡く 8・6ヒロシマのつどいが成功! なられた方々に対して皆で黙とうをしました。
    その後山田公子さんによる「原爆を許すまじ」の歌を平和への願いを込めて歌っていただきました。心に伝わってくるきれいな歌声でした。
    呼びかけ人代表のあいさつで森島先生から意義ある8・6のつどいをこれからも一緒に長く続けようと高らかに宣言していただきました。
福島町の被爆者が証言

    そして、福島地区から李さんを筆頭に被爆者の方4人に壇上に上がっていただきました。
    李さんは、「入市被爆で全身にできものができた」と話され、日本の侵略の結果、8・6があった事を話されました。家族みんなが被爆されてやけどをして帰って来られたHさんは初めての登場でした。Tさんは小学校2年生の時被爆されて当時じっと凝視して今も記憶にある情景を語っていただきました。「ぼろをさげていると表現があるけど、あれは衣服ではなく人の皮膚や肉が垂れ下がって骨が見えた状態で歩く人がいました。救護活動で思わず目をそらしてしまいました。人間についたウジ虫を取る作業をしました。生きていた人も亡くなった人も焼かれていて今でも料理で魚を焼く事ができません。あまり思い出したくないです。」とたんたんと言われた言葉に会場の参加者も静まり返って聞き入りました。
沖縄のたたかい
    闘う僧侶として知花さんが今年もつどいに参加して沖縄の現状を話していただきました。「辺野古基地建設ではテント前に100名が建設を止めようと24時間体制で闘っている事、負けずに米軍基地建設を止める。」と 沖縄からは知花昌一さんが参加 沖縄の現状を話されました。また沖縄では抑止力の事を「ユクシ力」と言われているとして「ユクシ」とは沖縄でウソという意味だそうです。戦争をするための国の口実を見抜いた沖縄の人の言葉です。今、子どもたちの平和教育に対して危惧されていました。教育の大切さを説かれて「権力によって教育を奪われている」と言われていました。「沖縄の地上戦の教訓は 二度と戦争・原爆は許さない! 広島・福島町の被爆者ら体験を報告する 、軍隊は住民を守らなかった事と、教育の恐ろしさ」だそうです。「今の教育は、学校でだめなら家庭でやるしかない。闘い続けていくことで勝つ。」と怒りを表して訴えられました。
    由木さんからは日本による戦争加害についてお話していただきました。戦時中広島の宇品港から出兵万歳三唱して宮島まで聞こえ、小旗を振って見送った光景があったそうです。戦争にかりだされていった日本の歴史を交えて話され改めて広島の戦争加害の歴史を詳しく話していただきました。
    神戸からかけつけていただいた三里塚関西実行委員会の世話人である山本善偉さんからあいさつをいただきました。軍国少年だった山本さんは、「真実を知らされなかったけど知ったからには闘わなければならない。」と力強く訴えていただきました。 パネルディスカッションでたたかいの今後をかたりあう
原発再稼働反対
    愛媛県におられる二宮みかさんから伊方原発再稼働 伊方原発の再稼働に反対する二宮みかさん 阻止に向けての活動の報告をしていただきました。「伊方原発50km圏内住民有志の会」として地道な原発再稼働をくい止める活動をされています。
    伊方原発ができてから、今までできなかった反対派の集会を伊方町内で初めて開く事を実現されたそうです。これも粘り強い活動と再稼働反対の思いがそうさせたのかもしれません。そして今取り組まれている「「再稼働拒否、避難計画拒否」の通知書提出で「私たちの人権宣言」を作られて読み上げていただきました。「命と人権の問題に対して私たちの主権を主張しよう」と訴えられました。
被災地・福島から
    福島県から来ていただいた木幡ますみさんは震災時福島第一原発のある大熊町在住で現在は会津若松市の仮 福島の現状をかたる小幡ますみさん 設住宅に住まわれています。お父様が広島で入市被爆された被爆2世でもあります。お父様は亡くなる直前に被爆された事を告白されたみたいです。やはり8月6日の事は思い出したくないのか8月にはお酒の量が増えていたそうです。
    つどいが始まる前に来られた瞬間ふるさとに帰ったようでとお父様の事を思い出されて声を詰まらせておられました。
    福島第一原発事故後に双葉町の住民は逃げるのが遅くガンになる方もいたそうです。内部被ばくがひどいので半年後ヨウ素剤を配ってもらうように役所の住民課に訴えたそうです。因果関係を言われるそうです。鼻血、赤い発疹の症状もあるみたいで聞き取り調査もしてもらうように取り組まれています。将来の子どもたちのためにと話されている姿が印象的でした。
    そして、森島先生進行の来年の70周年に向けたパネルディスカッションが行われました。一人一人に今の願いや想いを話していただく事になりました。アオギリの会の清水さんは、平和教育に対する圧力を感じた事、沼田鈴子さんの意思にそった会の活動としてアオギリの種を配る事で平和のたねを広げる取り組みをされたそうです。そして全国500か所と海外にも送ったそうです。「種を受け取った人が子どもたちに伝えてほしい、命を大切にして、今後は自分から平和を学ぼうとする意識を育ててほしい。」と話されました。
被爆70年にむけて
    部落解放全国連婦人部 金平さんは原爆投下後に広島の福島町では「部落がなくなる」とバンザイをした人もいた事、爆心地から1.2kmなのに2km圏内の人と同じ被爆を受けた事、疎開できない厳しい差別の実態を話されました。そして、つどいに最も共感して賛同していただいた沼田さんは、大阪の部落の生徒たちに「と場で働くあなたたちのお父さんのおかげでおばちゃんは、原爆にあったのに牛肉を食べて今まで元気で生きる事ができたんよ。」と語りかけて証言をしたそうです。
    そして来年70周年を迎える広島の福島町を解放区にして反戦・反核・反基地・反差別を訴える集会にしていこうと訴えられました。
    沖縄の知花さんは、解放区に賛同していただき「苦悩を知った者が強くなる、負けでもいつかは勝つんです。」と話していただきました。
    木幡さんは「九州や広島の部落の人、在日朝鮮人の方も原発労働者として働いています。原発作業員は、親が作業員だと差別につながるからと離婚している人が増えています。東電から全て作業員を送って東電は謝罪するべきだ」と訴えられました。
    そして部落解放同盟全国連書記長中田さんにまとめを話していただきました。「来年つどいは福島町でするという事で、当初からの自分の思いが来年、実現できる!」と話していただきました。
    それから来年の8・6ヒロシマのつどいみんなで実現する事を確認してお開きになりました。その後は喫茶店で交流して来年に向けて気持ちを新たにでき、いい議論ができました。
    8・6に向けて広島支部青年部で毎日事務所に集まりビラをまいたり、証言の聞き取りに回り、全国連の各地にアピールに行かせていただきました。
    安部内閣によって戦争に向かう動きが強まる中、最大の差別=戦争を起こさないため今年のつどいの成功をバネに来年の被爆70周年に向けて頑張っていきましょう。
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