2014年01月の記事
1月狭山要請行動に決起しよう
(2014年01月22日)
11時 東京高検
1時15分 東京高裁
今年、いよいよ狭山第3次再審闘争の正念場中の正念場となることは誰の目にも明らかとなりました。
狭山弁護団は今春にも新証拠を提出したあとは、総合的な補充書提出となる見通しを述べており、今年にも再審開始か否かの裁判所の判断が問われることになります。
1月末に予定されている第16回目の三者協議には、検察の証拠隠しを許さず、さらなる証拠開示を行わせなくてはなりません。特に不見当や未開示証拠のなかには狭山事件の核心を為す殺害現場の映像や被害者の写真、血痕反応検査などにかかわる重要証拠が隠されたままです。また証人尋問や鑑定人尋問などの事実調べは欠かすことはできません。
今年こそ狭山闘争に勝利しよう
(2014年01月19日)
2014年新春 あけまして おめでとうございます。
部落解放同盟全国連合会委員長 瀬川博
同盟員の皆様。共にたたかう仲間の皆様。新年あけましておめでとうございます。また、昨年は大変御苦労さまでした。今年も、狭山、住宅、沖縄、三里塚など、昨年以上に重要な年になります。とりわけ、狭山闘争においては、今年こそ勝利の年にしなければなりません。皆様の団結と健闘を願って、2014年新春のごあいさつを送ります。
糾弾を部落大衆じしんのものに
全国連は昨年、石川一雄さんや弁護団の方々の御尽力と 連帯して、年間を通じた波状的な裁判所・検察への要請行動をとりくんできました。それは、単に自分だけ要請に行くというものではなく、各地の地元で署名やメッセージや寄せ書きなど、狭山問題を一から掘り起こし、そこでの思いを組織して要請に行くというものでした。また、このとりくみ故に、10・27中央闘争を成功させることができました。
このなかで全国連がめざしたものは何でしょうか?
いうまでもなく、狭山事件は冤罪と権力の差別犯罪が一体の問題であり、その裁判は差別裁判であります。したがって、狭山闘争は石川さんの無実と権力の差別を暴くことが一体であり、裁判闘争も差別糾弾闘争と一体です。しかし、それが昨年をもって事件発生いらい50年、半世紀もの年月を越してしまいました。
何が欠けているのか。何が必要なのか。その答えはすでに40年前の寺尾判決の教訓にありました。数々の無実の証拠、大弁護団、10万をこえる民衆の包囲。しかし、結果は御承知のとおりです。
10万の力が差別糾弾で一個の火の玉であったなら、必ず勝利することはできた、と全国連は確信しています。その命題は今も変わることなく、私たちになげかけられています。
第23回全国大会の成功へ!
(2014年01月19日)
部落解放同盟全国連合会書記長 中田 潔
部落解放運動の再生をかけた2年間のたたかい
昨年の大会で「部落解放運動の変革」を訴え、昨年の大会で「新たな挑戦」と訴え直してきました。この路線しかないというものとして提案しました。
しかし、実際にはどれだけ進むことができたでし ょうか。「新しい挑戦」ということで、運動の大きな転換を呼びかけました。その「新しい挑戦」として各支部で具体的に何をするのか、その挑戦をするためには支部の組織のあり方、運動の仕方の見直しもされなければならなりません。村のなかで要求をとりあげてたたかうことと、そのたたかいを進められる組織づくりを同時にすすめていかなければなりません。その論議がどこまでできたのでしょうか。…全国連の新しい挑戦としては、「まだまだ始まっていない」という思いがします。
そんな状況のなかで、奈良では行政の側の攻撃のすさまじさ、「部落問題も何も関係ない」という住宅からの追い出し攻撃に、有無もなく直面せざるをえなくなりました。攻撃にさらされている村の人の事情、デリケートな問題もあります。なかなか相談しにくい、話しにくい問題もあります。これまで解放運動に参加してこなかった人たちと関係をつくり、運動をつくっていこうとする努力が、全国連、その中心が非常に切羽詰まった状況に追いつめられるなかではじまりました。そのなかで、昨年11月の大橋中執の追い出し強制執行にたいする緊急抗議行動がとりくまれした。全国連の全国動員でたたかいぬきました。運動にようやく関わりだした住民、これまで運動に参加してこなかった人たちに、部落解放運動が目に見える形で登場しました。
全国連全体が、新たな転換、それも非常に大きな転換をせまられ、どうしていいのかわからない、まさに八方ふさがりのなかで、西之阪で「いったいどんなたたかいが可能なのか」、悲愴感をもった展開がはじまったのです。これは、全国連全体にとって、「新たな挑戦」とはいったいどんなことなのか、ようやくにして「気づき始める」きっかけとなりました。
部落解放運動の復権へ新たな挑戦 2013年の全国連のたたかい
(2014年01月19日)
第23回大会へのスケジュール
●議案書起草委員会 1月26日13じ~
●狭山要請行動 1月28日10じ 弁護士会館集合
●青年部、婦人部幹事会 2月2日13じ~
●拡大中央委員会 2月22日~23日 荒本人権文化センターほか
●第23回全国大会 4月12日~13日 荒本人権文化センター
「SAYAMAみえない手錠をはずすまで」を観て
(2014年01月19日)
奈良・北浦裕樹久
ネットなどを通じて長い間PRされ、一部マスコミでも取り上げられてきた「新しい狭山映画」がようやく完成しました。ということで、11月に大阪で開催された上映会に行ってきました。
観た人それぞれとらえ方はあると思います。文字・文
章にすると良し悪しは別としてそれが、まだ観ていない人への先入観になってしまうような気がするので、あえて映画についての個人的な感想は語らないようにします。
ただ、言えることは「みんな必ず観たほうがいい」「若い世代や狭山を知らない層にもぜひ観てほしい」ということです。
内容は、集会やデモなど「活動家」中心の、そのための記録映画というものではありません。また、昔の『狭山の黒い雨』『造花の判決』や、全国連が作った紙芝居映画『私は無実!』のようなものでもありません。石川さん夫婦、兄の六造さん夫婦の私生活を中心とした3年間の(130時間のフィルムを105分にまとめた)ドキュメンタリーです。もちろん事件当時の様子、再審闘争の経過、警察・検察・裁判所の悪行等々も織り込まれています。
上映後(これは各地で必ずあるらしいのですが)キム・ソンウン監督の話がありました。彼は大阪・鶴橋出身。でも「運動経験」がなく、狭山の事もつい最近までほとんど知らなかったそうです。(話の内容は省略しますが色々とおもしろいです)特に「運動色やかたよりのある映画にはしたくなかった、というのが一番大きかった」と語っておられました。
狭山事件51年目の「新証拠」-165本の手ぬぐい
(2014年01月19日)
1963年5月4日、被害者の中田よしえさんは農道に埋められて死体で発見されました。遺体には強姦された形跡があり、タオルで目隠しされ、両手を後ろ手に木綿製手ぬぐいで縛られ、首や足には木綿細引き紐などが巻かれていました。
タオル、手ぬぐい、紐などが犯人の残した遺留物だったので。
今回の新証拠は、この手ぬぐいに関連するもの です。遺留手ぬぐいは、狭山市内の米穀店が1963年の年賀用に制作して得意先に配布したもので、165本配布されたうちの1本とみられました。
この米穀店が前年正月に配ったものと区別でき、それ以前のものとは染め抜かれた電話番号や模様が違っていました。この世に165本しか存在しない、犯人に迫る証拠になる手ぬぐいです。
この手ぬぐいは石川一雄さんの家にも1本配布されました。これは5月11日に捜査員によって回収されています。本来、石川さん宅は捜査対象から外されるはずだったのです。
手ぬぐい捜査では165本のうち、7本が「子供が布巾に使ってどこへ行ったかわからない、燃やした、誰が受け取ったのかわからない、1本しかもらっていない、今年はもらっていない」など、未回収でした。
「はじめから有罪」の寺尾裁判長
捜査本部は石川さんの住む部落に捜査を集中して、筆跡が似ているとする中間報告や血液型の一致などから、石川さんを事件の犯人にでっち上げようと、この事件の容疑者として絞ったところでした。 真犯人の残した物的証拠である手ぬぐいに関しては、一審浦和地裁では証拠調べが全く行われず、証拠の標目にすらあげていません。二審東京高裁では、手ぬぐい捜査にあたった滝沢検事が法廷証言しただけだったのです。