2012年12月の記事

再審闘争最大の山場に向け10・28狭山中央闘争戦い抜く

(2012年12月01日)

全国から波状的要請行動へ!

10月28日、検察の証拠隠しと高裁の再審棄却を許さず、最大の山場を迎えた第3次再審闘争の局面に、全国連 狭山全国集会(2012年10月28日) は狭山中央闘争をたたかい抜き、来年に向けた闘いへの決起をちかいあいました。 日比谷図書文化館大ホールでの集会では第3次再審の現局面と闘いの方針、検察意見書批判と青年部によるリレートーク、婦人部による狭山朗読劇、反原発アピール、各地からの決意など、多彩で新鮮な集会となりました。集会後のデモでは青年が全体を牽引、東京高裁から新橋、東電本社へと狭山再審と反原発をうったえました。 今号では闘争後に寄せられた青年、壮年からの決意を紹介します。(見出しは編集部が付けました)

真っ直ぐな闘争心  長野  拓也首都東京にて、狭山中央闘争をやり抜きました。私たち青年部は、この中央闘争に全力で決起してきました。集会では、青年がステージに総結集してリレートークを行ないました。元気に明るく怒りを持ったアピールを発して、会場のボルテージは最高潮へと達し、とても盛り上がりました!!

デモでは、青年が最前線に集まりウグイス、マイクアジテーションを私たちが行ない、全体を引っ張りました。これらの「闘争」をたたかい抜いて、青年一人一人の自信に繋がったと思います。

いま、青年たちに求められているものは、差別に対する「闘争心」です。ハツラツとしてやり抜ける原動力には、青年らしい真っ直ぐな闘争心があるからです。差別と向き合うことは、並大抵のことではありません。しかし、私たち青年部一同 青年を先頭に元気にデモ(10月28日) は、部落差別ととことん向き合い、敢然とたたかい抜く決意のもと、これからも差別糾弾闘争の最前線に立ち続けます。狭山差別裁判を徹底糾弾していくことで、みんなと結びついていきたいと思います。

力を合わせれば 長野  理恵先頭に立ってやり抜けた。自分はこれほど前に出て全力でたたかい抜いたデモは初めてです。私一人の声じゃ届かないかもしれないが、青年一人一人が力を合わせれば、必ず勝てる!と実感できた闘争でした。石川さんの完全勝利まで共に頑張りましょう!

しっかり訴えられた 奈良 はな狭山中央闘争は初めての参加でした。青年部のリレートークでは、私はあまり思ったことを口に出せない性格なので、思ったことを言えるか心配だったけど、思ったことを言えたと思います。

デモでは、旗を持たせてもらいました。しっかり訴えられたと思います。これからも、ともに狭山をたたかい抜きましょう。

全文を読む

検察によるあらたな「有罪」立証=検察意見書徹底弾劾

(2012年12月01日)

三者協議での検察による追加の立証などあってはならない

検察は今年3月と5月に、これまでの主張を補強する4つの鑑定をつけた意見書を提出しました。

検察側の意見書は、① 筆跡に関する科学警察研 47年ぶりに開示された上申書 究所技官・関意見書、② スコップ付着土壌に関する科学警察研究所技官・杉山意見書、③ 殺害方法や死体に関する帝京大学名誉教授・石山意見書(2通)です。

私たちは、このような検察の暴挙を、怒りに燃えて徹底糾弾するものです。そもそも検察にとって有罪の立証は終わっているはずであり、再審とは「無実の人を救済するための裁判」です。検察が新たに有罪の立証を補強するなどということ自体が許せません。

検察は、本来やるべき「証拠の開示」もやらずに、こそこそとこのような鑑定の依頼などを行っていたのです。何とひきょうな連中なのでしょうか。

しかし一方で、この検察意見書の中に、追い詰められた検察のあがきをはっきりと見てとることができます。それは第1に、裁判所からの求意見もなされない段階で検察がこのような補強意見書を出してきたのは、狭山再審の中で初めてであり、それだけ検察は追いつめられているということです。

第2に、鑑定人が身内の警察と、えん罪事件で有名な石山しかいないということです。これは国語学や土壌検査、法医学の世界で、「石川さんが有罪だ」などという鑑定をする者は誰もおらず、検察の主張など相手にされていないということです。

しかし検察意見書がどんなにデタラメであっても、これまで裁判所はその意見書を全面的に採用 脅迫状の「も」 し、それに依拠して有罪判決をくり返してきました。最大の山場を迎えた第三次再審闘争も、東京高裁・小川裁判長がこの検察意見書に依拠して、棄却策動を強めてくることは明らかです。

私たちは、再審 石川さんの「も」 勝利のために、この検察意見書を徹底的に批判し粉砕していきましょう。

今回は、検察意見書のうち、筆跡とスコップ付着土壌についてみていきます。

筆跡について

検察は、石川さんが逮捕当日に書かされた上申書を47年間も隠し続け、2年前にやっと開示しました。

誰が見ても、この上申書と脅迫状を比べれば、筆跡がまったく違うことは明らかです。

弁護団はこの上申書をもとに、「脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡は一致しない」という魚住鑑定書を出しています。

検察側の関意見書はこれに反論したものですが、証拠を隠し続けてきた同じ穴のムジナである警察官が、なんの反省もなく新たな鑑定をすること自体が許せません。しかもその内容たるや、都合の悪いところは無視し、こじつけだけのひどいものです。

第1に、個別の文字の文字のかたちがまったく違うことについて、何もまともに答えられません。

たとえば、「も」は石川上申書ではほとんど同じかたちですが、脅迫状では6文字すべてが著しく違っており、作為的である、と魚住鑑定書では指摘しました。

これに対して検察意見書は、「も」に作為はないとして、「脅迫状が作為的というなら、作為で書かれた脅迫状と、作為でない対象資料(上申書など)を比 脅迫状 石川さんが書かされたもの 較することは、均等なデータの比較にならず比較の基本を無視している」などと言っています。

なんという言い草か。作為的な脅迫状と、自然で稚拙な上申書を区別せず、比較鑑定して一致するなどと言ってきたのは検察側鑑定ではありませんか。本末転倒です。

第2に、魚住鑑定が、逮捕当時の石川さんの筆跡で比較したほうが適切だとしているのに対して、関意見書は、「適切であるとの保証はない」と言っています。

つまり警察で徹底して脅迫状を書き写す練習をさせられた後の石川さんの字と、脅迫状の字を比較せよと主張しているのです。 第3に、上申書はたどたどしく書いてあり、脅迫状はスラスラと速く書いておりまったく違うという指摘に対して、関意見書は、「脅迫状の筆者は早く書ける人だから、遅い文章も書けるはずで、別の人が書いたとは言えない」と言っています。

石川さんは文章が早く書ける人だという前提でこじつけているのです。ここには、部落差別によって教育と文字を奪われていた石川さんをぐろうする、権力者どもの差別性がはっきりと現れています。

第4に、脅迫状は行がまっすぐに書けているが、石川さんの上申書は著しく右下がりになってしまうなど、多くの違いの指摘に対して、関意見書はまったく答えられず沈黙しています。

検察意見書のでたらめさはますます拡大しています。

全文を読む
▲このページのトップにもどる