検察によるあらたな「有罪」立証=検察意見書徹底弾劾

(2012年12月01日)

 

三者協議での検察による追加の立証などあってはならない

検察は今年3月と5月に、これまでの主張を補強する4つの鑑定をつけた意見書を提出しました。

検察側の意見書は、① 筆跡に関する科学警察研 47年ぶりに開示された上申書 究所技官・関意見書、② スコップ付着土壌に関する科学警察研究所技官・杉山意見書、③ 殺害方法や死体に関する帝京大学名誉教授・石山意見書(2通)です。

私たちは、このような検察の暴挙を、怒りに燃えて徹底糾弾するものです。そもそも検察にとって有罪の立証は終わっているはずであり、再審とは「無実の人を救済するための裁判」です。検察が新たに有罪の立証を補強するなどということ自体が許せません。

検察は、本来やるべき「証拠の開示」もやらずに、こそこそとこのような鑑定の依頼などを行っていたのです。何とひきょうな連中なのでしょうか。

しかし一方で、この検察意見書の中に、追い詰められた検察のあがきをはっきりと見てとることができます。それは第1に、裁判所からの求意見もなされない段階で検察がこのような補強意見書を出してきたのは、狭山再審の中で初めてであり、それだけ検察は追いつめられているということです。

第2に、鑑定人が身内の警察と、えん罪事件で有名な石山しかいないということです。これは国語学や土壌検査、法医学の世界で、「石川さんが有罪だ」などという鑑定をする者は誰もおらず、検察の主張など相手にされていないということです。

しかし検察意見書がどんなにデタラメであっても、これまで裁判所はその意見書を全面的に採用 脅迫状の「も」 し、それに依拠して有罪判決をくり返してきました。最大の山場を迎えた第三次再審闘争も、東京高裁・小川裁判長がこの検察意見書に依拠して、棄却策動を強めてくることは明らかです。

私たちは、再審 石川さんの「も」 勝利のために、この検察意見書を徹底的に批判し粉砕していきましょう。

今回は、検察意見書のうち、筆跡とスコップ付着土壌についてみていきます。

筆跡について

検察は、石川さんが逮捕当日に書かされた上申書を47年間も隠し続け、2年前にやっと開示しました。

誰が見ても、この上申書と脅迫状を比べれば、筆跡がまったく違うことは明らかです。

弁護団はこの上申書をもとに、「脅迫状の筆跡と石川さんの筆跡は一致しない」という魚住鑑定書を出しています。

検察側の関意見書はこれに反論したものですが、証拠を隠し続けてきた同じ穴のムジナである警察官が、なんの反省もなく新たな鑑定をすること自体が許せません。しかもその内容たるや、都合の悪いところは無視し、こじつけだけのひどいものです。

第1に、個別の文字の文字のかたちがまったく違うことについて、何もまともに答えられません。

たとえば、「も」は石川上申書ではほとんど同じかたちですが、脅迫状では6文字すべてが著しく違っており、作為的である、と魚住鑑定書では指摘しました。

これに対して検察意見書は、「も」に作為はないとして、「脅迫状が作為的というなら、作為で書かれた脅迫状と、作為でない対象資料(上申書など)を比 脅迫状 石川さんが書かされたもの 較することは、均等なデータの比較にならず比較の基本を無視している」などと言っています。

なんという言い草か。作為的な脅迫状と、自然で稚拙な上申書を区別せず、比較鑑定して一致するなどと言ってきたのは検察側鑑定ではありませんか。本末転倒です。

第2に、魚住鑑定が、逮捕当時の石川さんの筆跡で比較したほうが適切だとしているのに対して、関意見書は、「適切であるとの保証はない」と言っています。

つまり警察で徹底して脅迫状を書き写す練習をさせられた後の石川さんの字と、脅迫状の字を比較せよと主張しているのです。 第3に、上申書はたどたどしく書いてあり、脅迫状はスラスラと速く書いておりまったく違うという指摘に対して、関意見書は、「脅迫状の筆者は早く書ける人だから、遅い文章も書けるはずで、別の人が書いたとは言えない」と言っています。

石川さんは文章が早く書ける人だという前提でこじつけているのです。ここには、部落差別によって教育と文字を奪われていた石川さんをぐろうする、権力者どもの差別性がはっきりと現れています。

第4に、脅迫状は行がまっすぐに書けているが、石川さんの上申書は著しく右下がりになってしまうなど、多くの違いの指摘に対して、関意見書はまったく答えられず沈黙しています。

検察意見書のでたらめさはますます拡大しています。

スコップについて

弁護側は第3次再審で、大橋意見書を提出し、スコップに付いてる土と、死体を埋めた穴の土は違うものであり、このスコップは犯行に使われたものではないことを完全に明らかにしました。

これは、警察が「スコップはI養豚場のもので、犯人は養豚関係の部落の青年だ」として差別捜査を展開していったことが、いかに不当だったかを証明するものです。

これに対して、検察は今回提出した杉田鑑定書で反論しようとしましたが、まったく反論になっていません。

① 大橋意見書は、スコップには赤土と黒土が混ざっているが死体穴は黒土で、成分を云々する前に色が異なれば別の土であることを強調しています。

これに対して杉田鑑定は何も反論できません。そして「赤土と黒土がどのような割合で混ざっていたか不明なので、それがどのように検査結果に影響を与えたかも不明である」 などとしています。

それでは警察はなぜ「類似性がある」などと検査できたのでしょうか。みずから墓穴を掘っています。 ② 大橋意見書は、器械分析や砂分の検査なしに土の同一性の判断はできないはずだ、と指摘しています。

そして「スコップ付着土壌は、死体穴付近の土壌と類似性はない」と結論づけています。

杉田意見書は、このような弁護側の主張に対して、「現時点では、星野鑑定に関する情報は星野鑑定書に記載されている以上のものが一切ないのだから、類似性はないというような推測は避けるべきである」などと言っています。当時の警察鑑定が一切正しいと、科学も無視して抽象的に述べるだけです。

さらに「大橋意見書は、スコップ付着土壌が死体穴の土であるか否かと解釈して、死体穴付近の土壌との比較であることを失念している」とも言っています。もはや支離滅裂です。死体穴を掘ったのがこのスコップなのかどうかが問題になっているのに、「そんなことを問題にするな、その付近の土壌と比較しただけだ」というのです。

検察や杉田鑑定は、「スコップ付着土壌と死体穴の土はちがう」ということを、もはや完全に認めざるを得ないのです。

こんな検察意見書を徹底的に打ち砕きましょう。

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