各地の狭山街宣の報告ー地域で狭山を掘り起こして要請行動へ攻めのぼれ!

(2013年01月04日)

 

【荒本支部】今秋の狭山闘争方針をうけ荒本支部は、9月、10月全力で取り組みました。

機関紙『闘魂』で、石川さんの無実を訴え。事実調べ、再審を勝ちとるため、東京高裁と東京高検に対する狭山「要請ハガキ」、村内3ヶ所に、狭山中央闘争を呼びかける立て看板を出すなどを取り組んでいきました。

支部の狭山担当者会議では、控訴審が始まってから、教誨師の古川さんに宛てた手紙を学習していきました。

1965年に書かれた古川さんへの手紙は、石川さん自身の無実の叫びそのものです。

『闘魂』では、石川一雄さんの「自白」がどのように作られていったか、被害者である善枝さんの「腕時計」や「鞄」「教科書」などが、どのように発見されたか、取り調べを通して、「殺人犯」とされていったのかを連載して訴えていきました。

どのようにして、殺人犯に仕立て上げられたのかという心情、悔しさが伝わってきます。

何も知らない石川さんを孤立させ、追いつめることで「10年で出してやる」との刑事の言葉を信じ込ませていったのです。

要請ハガキは、狭山中央闘争への参加を呼びかけるなかで、支部員に切手を貼って投函する取り組みとしておこないました。

狭山再審実現に向かって、狭山の担当者が中心になって取り組みをすすめます。

【北摂支部(準)】北摂支部は、富田町病院解放研とともに11月28日17時半より阪急富田駅前で毎月恒例の狭山デーを取り組みました。中央本部発行のリーフレットを使い、仕事帰りの労働者や学生・市民に署名を訴えました。リーフレットを読んで引き返して署名をしてくれた若い女性や、狭山の現状を知っていて激励してくれながら署名してくれる人などいて大いに盛り上がりました。

狭山事件の再審を巡る攻防は決着の日を迎えます。私たちは、なんとしても再審無罪を勝ち取らなければなりません。狭山事件は吉展ちゃん事件に続く警察の犯人取り逃がしという大失態、警察の地に落ちた威信を回復するために検察・裁判所・政府総ぐるみで部落民を生贄にした差別犯罪そのものです。実際、捜査責任者である柏木警察庁長官を辞任させ(前代未聞)、有力容疑者が結婚式を控えた前日に自殺するや「生きた犯人をとっ捕まえる」と宣言し、近くの被差別部落から犯人をでっち上げることを決断。石川一雄さんを犯人に仕立てあげたのです。まさに、狭山事件は冤罪を晴らすということにとどまらず、国家権力総ぐるみの差別犯罪を白日のもとにさらす闘いなのです。だからこそ私たちは、東京高裁、検察庁に対する鋭角的な糾弾要請行動を闘うとともに、地をはうような闘いを通して国家権力を打ち砕くような部落民と労働者、市民の総決起を実現するために奮闘しなければならないのです。そういう思いで私たちは毎月の狭山デーを取り組んでいます。

私達の闘いは敵を追い詰め、勝利目前のところに来ています。検察の隠し持つ全証拠を開示させ、事実調べ・再審を実現しましょう。

【番町支部(準)】闘いは「こつこつ・ほがらか」に 狭山街宣3周年

番町支部準備会が毎月の狭山街宣をはじめてから丸三年が経ちます。

2009年9月、狭山第三次再審の三者協議がはじまりました。これを受けて狭山のことをみんなに知ってもらおうと、10月に映画『造花の判決』の上映会を行いました。「これは素晴らしいやないか」という感想がありました。支部準のメンバーから映画の感想を聞く集まりがよびかけられました 番町では毎月こつこつと定例街宣 。「再審は難しいのでは」という意見もあり、また、「昔は番町でも冤罪は日常茶飯事だった」ということも聞きました。支部準の会議では、もっと広く狭山のことを知ってもらうため、街宣をやろうということになり、12月に第1回目を行いました。高速長田駅前に集まったのはたった4人。寒風の吹く中、「狭山事件のことを知っていますか」と問いかける活動がはじまりました。同じ月、東京で要請行動があり、高裁前でビラを撒く石川さんと出会いました。その時は「石川さんはいったい後何年高裁前に立ち続けなあかんのか」との思いがこみあげました。しかし、神戸に帰った直後のこと、証拠開示勧告が出されたことを知りました。この知らせを受けて、新年1月に第2回の街宣が行われました。支部準からの参加も増え、新空港反対東灘区住民の会や被災地労働者企業組合からも参加してくれました。それ以来、狭山街宣は、月一回のとりくみとして定着してきました。

街宣の中で、数多くの出会いがありました。ある婦人は「中学の弁論大会で、石川さんのことを話しました。その後運動に関わることはありませんでしたが、この事件のことだけは許せないと思っていました。石川さんはお元気ですか」と話してくれました。また、別の婦人からは「黄色いゼッケンを見て、どうしても書かずにおれなかった」「狭山闘争に参加して、こんなにも多くの部落民がいると知って、泣いた」という手紙をもらいました。長い年月に埋もれながら、人々の中に狭山闘争が生きていることを知ることで、私たちの行動は支えられてきました。

街宣は、毎月の23日前後に、午後3時半から4時半、ビラ百枚と決めています。署名は、1回につき、5~15筆ぐらいでしょうか。ある程度たまったものを要請行動で提出しています。また、集まったカンパは、要請行動のための交通費として大変な力になっています。支部準のメンバーは、必ず全国連の黄色いゼッケンをつけます。「チョッキ(ゼッケン)をつけとったら、何の街宣か、一目でわかるやないか」というわけです。

東日本大震災が起きた際には、街宣を被災者支援に切り替えるということもありました。

私たちにとって街宣は、団結の場です。狭山再審の道のりは、これからも遠く、険しいと思いますが、「こつこつ・ほがらかに」をモットーに、これからもずっと続けていきたいと思います。

第34回狭山街宣は、12月20日(木)午後3時半から、高速長田ツタヤ前にて。

▲このページのトップにもどる