2024年3月の記事

狭山第3次再審のリスタート!

3・15から

 5・23要請行動へ


腐敗した自民党政権打倒!

ガザ、ウクライナに平和を!


 3月3日、中央執行委員会・大会議案書起草委員会が行われました。そのなかで、狭山第3次再審闘争の方針が討議されました。

のんびりしている場合ではない

 第3次再審のリスタートはすでに始まっています。2月26日朝7時のNHK「おはよう日本」では、石川一雄さんは「百歳まで行こう。しかし、いつ死ぬかわからない」と語りました。この石川さんの不屈の姿が、何より牽引しています。
 2・23の「市民のつどい・関西」は357名の盛況でした。昨年より、百人位多かった。3・9には「死刑判決」60か年糾弾の埼玉集会が、行われました。
 2・27には、第58回三者協議が行われ、次回(4月中旬に)、弁護団の事実調べについてのプレゼンテーションがもたれることが決まりました。
 「のんびり仕切り直しなどしている場合ではない」「もうリスタート始まっている」―頭をきりかえて、進まねばなりません。 

中長期のプランでたたかいぬこう

 3・15に本年第一弾の、要請行動を行います。さらに、5・23を「狭山事件61か年、死刑判決60か年糾弾」の行動日として、構えねばなりません。
 全国連は、第3次再審のリスタートにあたって、① 当面1~2年の事実調べ攻防を決戦的にたたかいます。3・15、5・23など、当面は節目ごとに要請行動を行い、事実調べの煮詰まりの段階には、集中したとりくみをします。
 ② 同時に、再審勝利まで5年プランで長期強靭にたたかいぬきます。「どうしたら勝てるのか」の課題を着実に前に進めます。
 とくに、狭山闘争を組織建設と結合してとりくみます。その場合、無実・差別の一からの再学習がもっとも重視されなければなりません。とりわけ、寺尾判決批判、寺尾判決のどこが差別なのか、が重要です。
 また、映画会や紙芝居、現調・石川さん連帯など、マジな草の根運動に本腰をいれます。垣根を大胆にこえて、各地の心ある人々との連携を強めます。そのなかで、新しい、青年や婦人との出会いを広げていきます。
 さらに、アイデアを出し合い、「新たな特別財政」にとりくみます。大会で討議決定し、広く内外によびかけます。

5・22袴田結審~5・23へ
  
 今年の5・23は、第3次狭山再審リスタート、「狭山事件61か年、死刑判決60か年糾弾の総行動日です。また、前日の22日、「袴田再審」の結審もあり、それとの連携も大事です。可能な人は22日からかけつけましょう。
 5・23は平日(木曜日)ですが、今から準備して、全国から東京高裁前に集まりましょう。青年部は、その先頭でがんばりましょう。
 ガザ、ウクライナに平和を! 腐敗した自民党政権打倒! それと併せて、狭山再審の実現をかちとりましょう。



全国連の新たな組織建設について(序)

ー第33回全国大会議案書起草委員会よりー

ことわり 

 今回は組織建設の問題意識のみにとどめておきます。中執~拡中委~大会での活発な論議をよびかけます。「綱領作成小委員会」の設置も必要かもしれません。皆さんの論議をへて、練り上げたいと願っています。

①  問題意識 「新たな挑戦」との関係

 全国連の規約では、全国連組織の基礎は自分の居住する部落、地域を基盤とした支部となっています。また、地域外に住む個人ももよりの居住支部に所属しなければならないとなっています。
 この点は、既成の解放同盟をほぼそっくり踏襲しています。
 その根拠は、これまではまがりなりにも部落としての共同性が存在し、団結も村単位を基本に存在していたからです。そればかりではなく、より意識的に戦後の部落解放運動が、運動の原理を部落と一般との地域格差におき、「格差是正=差別解消」を主張してきました。さらに決定的には、特措法の実施対象として、「同和事業」における地区指定を厳格にしいてきたという事実があります。

 その有効性は、様々あげられますが、もっとも端的には「水ぶくれ的拡大」とも言われる、解放同盟の組織拡大(最盛時20万)であり、それぞれの村にあっては、自治会=解同と言える影響力をつくりだしてきました。
 したがって、全国連もまた、こうした既存の運動基盤と無縁であることはできません。処分いらいの、厳しい村八分をうけながらも、ムラにこだわってきました。本部派と対抗し、ムラで多数派となり、「全国連のムラ」を全国につくりだして、5万人組織建設をめざしてきました。5万人組織建設論の根っこには、あきらかにこの考え
があります。したがって、規約が部落単位の支部づくりと明記してあるのも当然です。

 同時に、そこには弊害も併せ持ってきました。これも様々あるでしょうが、端的な問題は、村外に住む個人の位置づけがあいまいな点だと思います。
 部落の外に住む部落出身者は、あくまで、もよりの部落の支部に所属し、村の課題、村の運動に参加するか どうかを基準にしてきました。そこでは、その人じしんの、村外で住んでいるうえでの課題じしんは積極的に位置づくには難しいものがあります。(東京・江戸川支部の組織化の方法など、一部の例外はあります。)
 この点は、村としての団結を保持するうえで、有効であったわけですが、しかし、こんにちの「同和事業」うちきり、大衆の運動ばなれ、地域外への大量の流失のなかで、近年の組織の停滞・縮小の大きな一因になってきたことも否定できません。
 今なお、全国連を維持していくうえでは有効ですが、部落をめぐる急速な条件の変化に、それだけでは通用しなくなっていることも認めざるをえません。
 とくに青年層において、そのことは顕著に言えることです。

 「新たな挑戦」―〈格差是正論からの脱却〉〈青年の結集〉〈自治の再建〉は、それは実践運動のテーマに止まらず、どれも組織の新たな在り方の模索でもありました。
 全国連の〈新たな挑戦〉は、旧来の地域単位の運動から、地域を重要な砦にしつつも、地域の内外、あらゆる課題への運動の広がりを展望させます。
 とりわけ、「格差是正」論を克服した要求闘争の取り組みは、労働や、住宅、福祉、教育など、どの領域においても、これまでにない、ある意味、ひとまず部落解放運動の枠にとらわれない、新たな人々との出会い、共同のとりくみをもたらします。端的に言って、地域合同労組では一緒にたたかうが、部落解放運動は前提ではないという人々が登場します。
 そのような人々をどう位置づけるのか、全国連の係わり、全国連との関係はどうしていくのか、という問題が生じます。
 とくに青年層は、居住も仕事もバラバラのなかで、どう組織化していけばいいのかという問題です。このテーマでは、旧来の全国連の組織建設論では、まったく通用しなくなっています。思い切って「居住組織」の枠を完全にとっぱらって、柔軟かつ自由奔放な発想にたたなければ、どうにもならない現実に直面しています。

 さらに、自治会=解放同盟のありかたも、その考えのままでよいのかという問題が生じてきます。これから問題になるというよりも、すでにそういう在り方はほとんどの地区で崩れ、形骸化し、住民の民主的な自治組織というより役所の下請け機関化しています。また、「運動ばなれ」ならぬ「自治会ばなれ」も急速にすすんでいます。
 全国連として、村の団結をたてなおすという場合、こうした現状の自治会・自治組織をどう考えどうしていくのかということは、欠かすことのできないテーマです。そのさいに、単純に旧来の自治会=解放同盟の在り方の再建とは、恐らくならないでしょう。むしろ、自治会=解放同盟の崩れは、同時に自治会じしんの崩れを必然化するなかで、自治会の自治会としての再建が、まず問題になるでしょう。そのための、伝統行事、種種の共同作業やボランティア、相互扶助、自警団、消防団、青年団などから、地区整備・「街づくり」にいたる村的活動をどうするのか、またそのさいの自治組織の復活、民主化、人の(とくに若い層の)組織化といったことを、全国連が村の一員として真剣に考え、村の人々と共同で汗をかくとりくみになるでしょう。
 つまり、全国連も〈自治の復権〉を考える場合、やはりもう一度ゼロから「自治会と解放同盟の役割の分離」にたって、全国連と自治会を別々に考え、自治会・自治組織じしんの再建の先頭にたつということではないでしょうか。

②  もう一つの問題意識 全国連の役割

 <新たな挑戦>のもとで、以上のような課題を欠くことはできません。率直にいって、処分いらい、ほとんど問題にもしなかった領域が、全国連の正面テーマのひとつになります。
 では、これを進めていった場合、全国連はどうなるのか? 全国連の存在、役割はどうなるのか? 戦前の水平社のように、労働運動や農民組合が活発になり、最後は水平社は無くてもいいということになるのか? この問題を同時にはっきりさせなければなりません。
 理論的には結論はでています。戦前水平社がたどった道とは正反対です。労働、教育、住宅、福祉など、広範な領域で、全国連も積極的に加わって、全社会的な運動が成長すればするほど、全国連じしんは、ますます強固な、部落差別とたたかう集団、部落差別撤廃をめざす集団として存在しなければなりません。
 ただし、その存在形態や役割は、端的な表現をするならば、〈解放同盟=自治会〉〈村ぐるみ支配〉のありかたとは、だいぶ違ったものになるのではないか? その点は、①を考えてきたことから当然ではないか。
 では、どのようなものを構想するのか?
 (1) 部落差別とたたかう「大衆活動家集団」(適切な表現が浮かばないので、ひとまずこう呼びます)としての側面
 (2) 村内外の「団結の核、司令塔」としての側面
 (3) 部落解放運動の立場から、個別課題から究極の目標をたえず指し示す、民衆運動のお手本としての側面
 まだまだあると思いますが、今からあれこれ空想しても始まらない面もあります。非常に大切かつデリケートな問題です。空論は避けつつ、これからの実践の進行と呼吸して論議していきましょう。

③ では、5万人組織建設との関係はどうなるのか?

 これまでみてきたことから、必然的にこの問題が浮かんできます。これは、さらにデリケートな問題です。決して性急に論じることは許されません。
 創立いらい5万人組織は全国連の悲願でした。いつも最大の目標として掲げてきました。そのために、多くの犠牲を払っても、もがいてきました。今やしかし、このスローガンは色あせ、空疎なものになった、もはやそんなものはキッパリあきらめよう、背丈にあったものに変えよう・・・そういうことではありません。
 だがしかし、5万人と言ってきた内実、条件、リアリティ、こういうものが大きく変化してしまったこともまた、まぎれもない事実であり、再考を迫られていることもまちがいありません。
 5万人と言ってきたなかには、様々な意味がこめられていますが、やはり何と言っても、最大の意味は、「過激派」・被処分者の少数派から、本部派にとってかわる部落解放運動の主流派になろう。そのことによって、本部派の瓦解による部落解放運動消滅の危機に仁王立ちして、差別洪水からの防波堤になろう。そういうことだったと思います。
 また、その方法は、「第2、第3の荒本」=拠点化政策を軸においてきました。つまり、本部派と競い合い、「本部派のムラ(解放同盟=自治会の形)」から「全国連のムラ」に変革するということでした。一人プラス、また一人プラスの足し算では、いつまでたっても5万人は無理。拠点をつくり、その影響力を発揮して、掛け算で5万人へ、ということでした。
 実際には、各地の小数点在の農村型部落の存在、そこでの全国連の果敢な活躍によって、現状にそぐわない矛盾をかかえつつも、おおきくは一貫していました。
 拠点化政策を軸にした5万人組織建設論は、その土台となる三大闘争の考え方、とりくみ・組織化の方法、たたかい方から、新たな挑戦にふみだし、おおきく変革しようとしています。したがってまた、それに対応した組織論の変革も迫られます。そこを、どうすればいいのか?
 ひとつはやはり、全国連は、本部派以上にムラに執着し、ムラの総団結の先頭でたたかう。法の期限切れで、本部派がなげすてた部落大衆の差別への不安・怒り、生活要求を汲み取り、自らが「ムラの一員」としてその実現のために献身的にとりくみ、同時にたえず自己解放の道しるべとなって存在しなければなりません。
 いまひとつは、部落外の人々との「差別とたたかうネットワーク」づくりということではないでしょうか。それは、○○要求者組合、○○守る会、合同労組、何より狭山大運動など、さらには茨城・山口・大久保での朝鮮人民支援など実はすでに自分たちがやってきたことのなかにはらんでいるものであり、それを今一度積極的にとらえかえし、活性化していこうという提案です。これを、「しばり」をこえて、SNS、LINEなども駆使して、思いっきり大胆に広げていくということではないでしょうか。
 なお、本部派も同じようなことを発想しています。しかし、前者、ムラへの執着がほとんど見られません。砦のないネットワークは、灯台のない航海と同じです。
 今ここで結論めいたことを高いところから述べるよりは、二、三先に結論をだすような構えで、実践と論議にがんばっていきましょう。(了)







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