2020年10月の記事
中田潔書記長の逝去を悼む

9月5日朝、中田潔書記長が亡くなられました。享年
68歳でした。昨年5月に発見した胃癌にたいして、 不屈に立ち向かいつつ最後まで全国連書記長として の任を全うされました。心から敬意と感謝を申し上げ ます。




 中田書記長の生涯は、まさに部落解放運動のリーダーとしての生涯でありました。高校時代から、荒本の若者を組織し、狭山闘争の先頭に立ちました。大勢の解放奨学生を相手に、融和主義や反動的制動を突き破って、解放の戦士として成長していきました。若くして荒本支部書記長に就任し、故瀬川博委員長とともに荒本支部の躍進を実現しました。
 1981年の大阪府連による処分攻撃に対しては、自ら先頭にたって、暴力団や権力弾圧とたたかいました。
 三里塚闘争への荒本支部の総力決起も、中田書記長の指導力を抜きに語ることはできません。
 1992年、全国連の創立に際しては、中央本部書記長に就任。差別糾弾、要求闘争、共同闘争の三大闘争路線の確立のもと、全国連の階級的成長と大衆的発展のために、血のにじむような苦闘をくりひろげました。2007年の広島差別事件の発生には、革共同への糾弾の先頭にたち、革共同との絶縁と全国連の新たな挑戦を強力に指導されました。
 全国連のこんにちは、中田書記長をぬきに決して語ることはできません。とりわけ狭山再審闘争において、全国キャラバン、ハンガーストライキ、波状的要請行動、中央集会など、あらゆる場面で先頭に立ち、勝利のために牽引されました。狭山意見広告運動の成功を最後まで気に留めておられました。
 中田書記長、長い間ご苦労様でした。ありがとうございました。中田書記長の遺志をついで、全国連はたたかいぬきます。

2020年9月5日
部落解放同盟全国連合会 中央本部