2025年3月の記事

石川一雄さんのご逝去にさいして

            慟哭のことば


 2025年3月11日22時
 石川一雄さんが、亡くなりました。大晦日、徳島にあって、41度の高熱で緊急入院。重篤な肺炎だったという。少し落ち着いてから、介護タクシーで狭山に帰り、療養し、必死で病魔と闘っていた。
 71日間、生きんがため、必死で闘った。「ここで息絶えたら喜ぶのは国家権力だ」その一心で。71日間、密かに、死闘を耐え抜いた。それは、石川一雄、全生涯をかけた、権力糾弾だった。石川一雄さんは、最後の最後まで石川一雄さんだった。そして、その死闘の末に、一審・死刑判決のその日に、力尽きた。最後の一呼吸まで、権力糾弾を貫いて。
 石川一雄さん、未熟な私たちは悲しみにうちのめされています。まさに天地慟哭し、残念至極です。70年余の人生で、こんな悔しいことはありません。親、伴侶、かけがえのない仲間、長い間には、たくさんの死を見てきました。しかし、こんな悲しい、悔しいことはありません。いつまでも、癒されることはないでしょう。
 石川一雄さん、こんな私たちの姿を見てあなたはどう思うでしょうか。生き残っている私たちがただ悲しみに明け暮れていたら、あなたはどう思うでしょうか。
 私たちは、最大最高の悲しみにのたうち、ボロボロズタズタの姿のまま、あなたの生涯の死闘を思いやり、あなたの化身として権力糾弾に立ち上がります。
 石川一雄さん、長い間、ご苦労様でした。ありがとうございました。あなたの遺志は、早智子さんと共に、私たちが引き継ぎます。どうか、安らかにお眠りください。そちらで、会いたかったご両親とやっと会えましたね。
 私たちは、万余の石川一雄となって、必ず再審無罪をかち取り、国家権力にこの理不尽極まる部落差別を謝罪させます。どうか、空からみとどけてください。

 2025年3月12日

           部落解放同盟全国連合会


*「部落解放新聞」第408号にてお知らせした4月21日
 ~25日の東京高裁前波状的集中行動は、いったん
 中止とします。




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