2025年4月の記事


 第3次19年の身を切る総括をし

 第4次再審の必勝へ! 5・23東京へ!


石川一雄さんへの弔辞

 部落解放同盟全国連合会委員長 村上久義


 3月11日、石川一雄さんが亡くなられた。その悲しみ、悔しさ、怒りは万感の思いです。待ち望んだ鑑定人尋問・事実調べが開かれないまま、石川さんは最後の最後まで病魔とたたかい、力尽きました。石川さんの無念はいかばかりか。
 3月11日は61年前、浦和地裁で死刑の差別判決を受けたその日です。石川さんは、この死刑判決を糾弾し、命ある最後の瞬間までたたかい続け亡くなった。一人の人間をこれほど苦しめ、踏みにじってきたことを、検察、裁判所には徹底して反省してもらう必要があります。
 とりわけても、第3次再審の申立ていらい19年も経過しました。その間に石川さんは67歳から86歳にと、命をすり減らしたのです、19年も引き延ばしついに石川さんを殺した、その責任はしっかり自覚してもらいたい。
 19年の間に、何人の裁判長が替わったのか、何人の検事が替わったのか。せめて事実調べをしていれば、石川さんはこんな死に方はしなかっただろう。決して安らかに死んだのではない。検察が殺した。裁判所が殺した。事実調べをし、再審をしようと、真剣に対応した者は一人もいなかったのではないか。
 「一雄さんの無念は私が晴らす」と、早智子さんは気丈に語っておられます。早智子さんを支え、再審無罪をかちとり、石川さんの墓前に届ける、その使命が私たち支援の全員にあります。差別裁判徹底糾弾、再審無罪の実現、国の謝罪と賠償、これらのすべてを勝ち取るまでたたかいは終わりません。
 石川一雄さん、本当にご苦労様でした。長いあいだ、ありがとうございました。あとは私たちが引き受けます。どうか見届けてください。

5月23日の行動予定 

  ごご1時~3時弁護士会館で学習会

  ごご3時~4時法務省&東京高裁前行動




「袴田さんの無罪から、

     石川さんの無罪へ」


3・23「狭山事件と人権を考える茨城の会」

             山崎俊樹さん講演会報告

 3月23日、「狭山事件と人権を考える茨城の会(尾池誠司代表)」は、土浦市で袴田事件の勝利の教訓を学び、狭山再審の実現に生かそうと、山崎俊樹さんを講師に講演会を開催しました。
 山崎さんは「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」の事務局長として、ながく袴田さんや姉の秀子さん、弁護団を支えてこられました。また発見された衣類の血痕が赤いことに着目してミソ漬け実験をすすめ、再審無罪に貢献してこられました。現在は再審無罪判決を受けて会を勝利解散し、「袴田巌さんの再審無罪から学び、活かそう次の時代に!の会」を立ち上げて、えん罪事件に取り組んでいます。

●弁護団と一体で

 山崎さんは、最初に袴田事件の内容について説明されました(紙面の都合で割愛します)。
 続いて支援活動の経過や教訓について話されました。最初の活動は、死刑囚のために面会を制限されていますが、法務省に要請を重ねて支援者の面会を実現していったことでした。
 また重要だったのは、弁護団と一体になって、市民的な観点を取り入れながら支援運動をすすめていったということです。支援者も弁護団会議に参加し、一緒に議論してきました。検察意見書などの書面も共有し、支援者の意見が弁護団の活動にも反映されていきました。このようなあり方が、5点の衣類に付いた血の色が赤すぎるという問題の発見につながり、無罪の決め手となりました。

●5点の衣類の問題

 検察が出した衣類の写真では、1年以上ミソに漬かっていたという衣類は、白い部分は白く、血痕も赤く写っていました。
 これに疑問を感じた山崎さんらは、第1次再審の段階で衣類をミソ漬けして色の変化を観察する実験を重ねました。すると白い部分は濃い茶色となり、血痕は黒くなることが分かりました。
 また発見された衣類のような色は、ミソをたまりで薄めてそこに漬ければ短時間でできることも分かりました。つまり捜査当局が短時間で衣類の証拠をねつ造できることも証明したのです。
 しかし弁護団はこのミソ漬け実験には消極的で、証拠として提出することはありませんでした。
 第1次再審はDNA鑑定などを中心に闘われましたが、最終的に再審は棄却されます。ただちに第2次再審が申し立てられますが、弁護団はここでミソ漬け実験を新証拠としていくことを決定し、一緒に実験を行いました。
 また証拠開示が行われ、衣類を撮影した鮮明なカラー写真のネガが開示されました。事件から48年間隠され、これまでないとされてきたものです。それによって、発見衣類には黒くなっていない赤い血痕が付いていることがあらためて明らかになりました。
 2014年、静岡地裁・村山裁判長は、DNA鑑定をはじめ弁護側の主張を認めて再審開始決定を下します。、そして衣類は捜査当局によってねつ造されたものであると認定しました。さらに「これ以上拘束を続けることは耐え難いほど正義に反する」として袴田さんを釈放しました。

●検察の抗告で長期化

 ところがこの決定に対して検察が抗告し、その後、東京高裁が再審開始を取り消す決定を行い、最高裁がまた高裁に差し戻す決定を行います。
 最高裁の差し戻し決定は、弁護側のDNA鑑定をしりぞける一方、衣類の血痕の色について調べ直すことを求めました。5人の判事うちの3人は、衣類がねつ造されたものなら、差し戻しではなくただちに無罪にするべきだという反対意見を述べました。
 そして差し戻された東京高裁では血痕の色が唯一の争点になり、再審開始決定が出されました。それを受けて静岡地裁で行われた再審公判で、昨年、あらためて袴田さんに無罪判決が言い渡されました。
 無罪判決では、「袴田さんの自白調書、5点の衣類、ズボンの切れ端は警察と検察が連携してねつ造した証拠だ」とされました。
 袴田事件では、弁護団や支援者が積極的に情報発信していったことも述べられました。
 弁護団は三者協議が終わると、毎回かならず記者会見をして、協議で提出した証拠も記者配布した。その結果マスコミも大きく報道するようになった。支援者は三者協議の日に合わせて要請行動を行ったということです。

●事件の背景の偏見と差別

 山崎さんは、姉の秀子さんの「巖が剣道や柔道をしていれば、警察に目を付けられなかった。ボクシングをやっていたから目を付けられた」という言葉を紹介し、袴田さんがデッチ上げられた背景にはボクサーに対する差別意識があったことも指摘されました。
 警察は偏見や差別によって、弱い立場の者の無知につけ込んでえん罪をつくる、狭山も同じだと述べられました。
 最後に、袴田事件を通して感じている課題として、① 無罪判決が出ても警察や検察はなぜえん罪を生んだか検証がまったく不十分、② 43年もかかったことをふまえて法改正が必要、③ 死刑制度の廃止、④ 自白を強要する人質司法の改革、⑤ 司法に関する学校や社会教育の不足、などの課題をあげられました。

●質疑応答

 ① 袴田事件では「証拠のねつ造」という主張が無罪判決の核心になったが、狭山でも万年筆の証拠ねつ造を主張すべきではないか。
  衣類は色からすると発見直前にミソの中に入れられたものなのでねつ造しかない。ねつ造を言わなければ意味がないので、支援者から言っていった。狭山でも万年筆のねつ造を主張していってもよいのではないか。
 ② 検察が開示した証拠をマスコミにも公表していったが問題はなかったか。
  目的外使用にはあたらないという確信があったので、支援者から積極的に公表していった。検察が文句を言ってきたら、自分で墓穴を掘ることになるでしょう。
 ③ 証拠開示をどのようにすすめたか。
 答 法制度が不備なので、裁判官次第という現状がある。袴田事件ではH裁判官が熱心で、文書でも検察に「あるのかないのか、あるなら開示しない理由を示せ」と迫った。それから開示が進んだ。
 ④ 再審無罪判決の問題点は何か。
 答 判決文の前半は3つの証拠ねつ造について指摘しているが、後半では他の争点についてこれまでの有罪判決と同じ評価をしている。過去の裁判官に忖度した判決だ。

●袴田事件を教訓に

 弁護団と支援が一体となった運動、検察や裁判所に遠慮せず証拠を積極的に公表して世論をつくっていったこと、証拠ねつ造を押し出してそれが無罪判決の核心になったこと等々。山崎さんの話は、狭山再審の勝利に向けて、多くの教訓を学ぶことができた講演会でした。




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