2025年5月の記事

石川一雄さんの無念を晴らすぞ!

5・23狭山・東京高裁へ!

      6・8全国連大会へ!



第34回全国大会議案書(案)

 6月8日の全国大会に向けて、議案書のうち、24年度の活動報告、25年度の運動の基調部分を掲載します。

  第34回大会議案書の構成
   (1)2024年度活動報告
   (2)情勢
    ・内外情勢
    ・部落の置かれた状態
   (3)2025年度 運動の基調
   (4)運動方針各論
    1,狭山
    2,示現舎、大阪市港湾局差別事件
    3,要求闘争
     ・医療、介護
     ・住宅闘争
     ・災害復興
     ・労働
    4,共同闘争
     ・三里塚連帯
     ・沖縄連帯
     ・労働者との連帯
     ・朝鮮人民との連帯
   (5)組織建設
    1,組織建設について
     ・綱領作成
     ・青年アンケート
    2,婦人部建設


第1章 2024年度 活動報告 (案)


はじめに

 まず冒頭、本年3月11日に志の半ばで亡くなられたきょうだい石川一雄さんを悼み心よりご冥福を祈るものであります。
 部落差別による不当な別件逮捕、そして誘拐殺人犯へのでっち上げからじつに62年。石川さんは愛する家族との生活から無残に引き裂かれ、青春も奪われた。その怒りを徹底糾弾闘争の人生に変え、部落大衆をはじめ労働者階級を鼓舞し、文字通り″最後の血の一滴まで〞闘い抜かれた。そして命尽き倒れられた。石川さんは誰がなんと言おうとほんものの戦士である。だからこそ今一度直視せよ! 警察・検察・裁判所=国家権力が部落差別を貫き石川さんを殺したのだ!  絶対に許すな!
 我々は長年にわたって「狭山の部落、我が部落」「石川命、我が命」と闘ってきた。しかし第三次の再審請求申し立てからしても19年。石川さんが元気なうちにというばかりか、石川さんの生あるうちに再審・無罪を勝ち取ることができなかった。悼み冥福を祈るだけでは済まされない。悔やんでも悔やみきれない。何より、部落解放・差別糾弾を闘う者としてこの石川さんの死という敗北と向き合い、石川さんとご家族に謝罪し、自己批判し、断固とした総括をしてあらためて決意をしなければならない。それは狭山闘争に最後的な責任を負うということである。
 石川さんの闘志を受け継ぎ、狭山の再審を実現し、完全無罪―闘争勝利を一日も早く石川さんの墓前に報告する。それが遺された我々の使命である。そのことを全体でがっちりと確認し合おう。いまこそ「狭山に勝つために創立した全国連」の精神に立ち返り、断固とした決意を打ち固めよう。
 そのうえでこの一年間の奮闘をふりかえり、成果と課題をあきらかにしていきます。なお、各地の活動や個別課題については方針―各論部分での章に委ねることとし、ここでは中央本部・執行部としての総括を兼ねた報告とします。


1.全国大会―「狭山と綱領を子や孫へ」誓う

 6月16日大阪で、全国各地の代議員と来賓100名の出席を得て第33回全国連大会を開催しました。
 『解放歌』のあと主催者代表あいさつに立った村上委員長は「激しい戦争情勢のもと、9月の袴田さんの判決へ、また狭山では8月下旬の三者協議から事実調べの判断という、重要局面を迎える。闘争を強化すると同時に、自分たちの足腰を強める組織づくりを展開しよう」と訴えました。来賓からの連帯挨拶のあと議案提起に入り、2023年度活動報告、2024年度運動方針の基調提案。そして、① 万年筆問題を軸とした狭山再審闘争、② 差別者=示現舎・宮部の追放一掃までたたかう糾弾闘争、③ 家賃問題を越えた住宅要求闘争でムラづくりの取り組み、④ すべての支部に青年部を建設・復活をさせるための青年対策、この具体的課題についての提起を受けました。
 役員人事案、会計報告、監査報告、予算案の提案と、狭山決戦の特別カンパアピールがありました。
 全体討論では九州、中四国、関西、関東の各ブロックから、また青年部と婦人部代表からの発言も受け、特に狭山闘争と各地各階層の組織建設を中心にしたそれぞれの思いや本部への質疑が出されました。これを受けて本部答弁で楠木書記長は、決戦期の狭山第三次再審闘争とともに全国連と部落解放運動の未来もかけた『綱領』作成について「ここにいる自分たちが子や孫に部落問題をどう話すのか、解放運動をどう紡いでいくのか、そうした一対の作業に着手する。次世代に狭山の勝利と新しい綱領を手渡しましょう」と応答し、まとめました。
 そのあと東京高検と高裁に要請するための『狭山闘争勝利へ』の決議、生活防衛のための『インボイス廃止へ』の決議、戦争・核を許さない『憲法改悪阻止へ』の決議提案があり、すべての案件が採択されました。
 最後に『差別裁判うちくだこう』の大合唱、山田副委員長の音頭で団結ガンバローをおこない、一年間の闘いの火ぶたを切って落としました。


2.狭山第三次再審闘争―万年筆インク実験を軸に連続行動

 全国各地でこの一年も集会・学習会、駅前などの主要箇所で署名や街宣活動をおこない全国大会後の夏の闘いを開始しました。とりわけ特筆すべきは「万年筆インク」の問題を大々的にクローズアップして取り組みました。


■婦人部先頭に「万年筆100本運動」

 まず夏7月、婦人部が「自分たちの手で万年筆インク実験をやろう」「万年筆100本で実証しよう」を合言葉に開始し、フェイスブック『狭山事件の再審を実現しよう・交流掲示板』にアップしました。下山鑑定の正しさを自分たちの力で証明し、検察の「万年筆を水洗いしてインクを入れ替えたから、前のインクは消えてなくなった」という、デタラメを粉砕するためです。
 万年筆は、各地の支部員、役員、元教師、骨とう店などの協力を得て集まりはじめました。なかには貴重な「親の遺品」「友人の遺品」からの提供もありました。インクが肉眼で見えなくなるまで水洗いしても、インクははっきり残ります。「家令裁判長!自ら実験をやってみろ。一目瞭然だ!」客観的事実を証明するための100本です。100本やって、はじめて意味があります。100本で100%。99本(99%)ではダメ。差別裁判で、家令のごとき反動相手に、石川さんの無実を晴らすにはそこまで必要でした。この気概で取り組みました。
 新しく狭山担当となった家令裁判長は、狭山担当の最初の仕事に弁護団によるプレゼンテーションをおこないました。しかし、それは前任者が採用していたことを追認したにすぎません。「家令は、証拠の科学性を重んじる裁判官だ」という評判も伝えられましたが、その評価は次の事例によって一変しました。この家令裁判長は7月に、「元講談社社員朴鐘顕(パク・チョンヒョン)さんに対し、差し戻し審において有罪判決を下した」「法医学者の科学的鑑定を全く無視し、決定的な証拠もないまま、状況認定について検察の主張を丸のみした不当判決だった」「科学性を重んじるどころか、民族差別による予断と偏見のおもむくまま、有罪ありきという科学とは正反対の前時代的な反動判決である」ということが判明。この家令裁判長が狭山事件の担当になったということで、事実調べと再審開始要求には強烈な活動とインパクトが必要だったのです。こうして秋に向けての闘いを進めました。そして万年筆100本の目標をみごと達成しました。
 秋10月には関西のきょうだい37人が大阪に結集して「インク実験」をおこない、ねつ造とでっち上げの確信をもって東京での全国行動に臨みました。


■要請行動で庁舎内実験を敢行

 11月1日、「10・31寺尾差別判決50ヵ年」を糾弾する狭山再審要請行動に取り組みました。昼12時から「官庁街昼休み街宣」を東京高裁前で展開。
 大野裁判長への追及に引き続き、高裁のどこからでも見えるような「家令和典裁判長は鑑定人尋問をおこなえ」「狭山事件の再審を開始せよ」と大書きし、石川一雄さんとカモイの万年筆の巨大写真を写した新たな大横断幕を掲げました。狭山大運動ののぼりも林立し、通行人にアピールしました。裁判所の正門前ではテーブルを設置し、婦人部による万年筆インク実験を通行人の目の前でおこない、大注目を浴びました。短時間でたくさんの署名が集まりました。午後2時から要請団を二班に分け、同時進行で高検と高裁への要請行動を闘いました。そしてなんと、検察庁では吉浪主任検事らに、裁判所では杉山訟廷管理官らに、それぞれでインク実験を展開し、凝視させました。


■袴田裁判勝利と結びつく万年筆インク問題

 「万年筆を100本集めよう。自分たちの実験で、検察の空論による抵抗を粉砕し、下山鑑定の事実調べを実現しよう」。
 普段の生活では万年筆とはまったく無縁な人が、この方針を思いつき、実際に実現したことが決定的です。「石川さんの叫びが、婦人たちに乗り移った」といっても言い過ぎではないでしょう。不可能と思われた100本の万年筆を集め、実験で「いくら水洗いしても前のインクは消えない」ことを100%証明し、ついには要請行動の中で、検事、職員の目の前でその実験を実現しました。それが、注目と波紋を広げ、三者協議のなかにも反映されはじめました。
 いまひとつは9月の袴田巌さんの再審無罪判決です。これは大きなインパクトとなりました。とりわけ、証拠の捏造を裁判でハッキリ認定した事実は、おおいに意義があります。狭山事件での万年筆は、袴田事件の「5点の衣類」とまったく同じです。「次は狭山だ」の号令にもなりました。これらと連動してほぼ毎月、東京高検・東京高裁への要請行動を闘いぬきました。


■再審法の改正を求めて法務省へも行動

 袴田さんの勝利と全国的な運動も相まって党派をこえた国会議員による動きなど、再審法改正のうねりが大きなものになってきました。全国連としても石川さんご夫妻の声に呼応して初冬から狭山大運動とともに法務省に対して再審法改正を求める要請文の受け取りを求めて交渉をおこないました。
 法務省は、要請文の受け取りを拒否し、郵送で送るように通告するなど極めて差別的反動的な対応に終始しました。この姿勢を徹底糾弾すべくマイクで要請文を読み上げ、全員で抗議のシュプレヒコールをあげてきました。当然ながら今後ともねばり強く取り組んでいきます。


■十数年ぶりに奈良で大規模な狭山集会

 冬12月、こうした取り組みがまた新しい「狭山の大運動」へとつながりました。教育労働者、NPO団体、元議員や落語家の方々のよびかけで40を超える個人・団体の賛同を得て『狭山事件61年/無期判決50年!人権・冤罪と再審問題を考える12・1 関西―奈良集会』が開催されました。奈良での大規模集会は他団体の主催も含めてじつに十数年ぶりでした。この企画は三年間コロナ禍で立ち上げが頓挫していましたが、再始動し、半年にわたる準備期間の甲斐もあり会場はほぼ満杯となりました。奈良県下の各地から多士多彩な顔触れが集い、「所属団体、支持政党、信仰宗教、組織的、個人的、活動経験や専門的知識を問わず、あらゆる垣根を越えて狭山事件の勝利のために力を合わせる」ことを誓う集会決議が採択され、年明けから奈良に狭山闘争の新しい運動がスタートしています。


■石川さんの遺志を受け継ごう

 3月11日第一審・浦和地裁の死刑判決61年目のまさにその日、石川一雄さんは帰らぬ人となりました。一週間後の3月18日にはその責任を突き付け、東京高検と高裁に対する要請行動と法務省交渉をおこないました。
 4月4日、妻・早智子さんが第四次狭山再審請求を起こしました。第三次再審請求で勝てなかった我々全国連・部落解放運動の雪辱をかけ、石川さんの遺志を受け継ぎ無念を晴らすべく、より一層狭山闘争を強化・拡大し、再審実現―無罪勝利をかちとりしましょう。


3.組織建設のとりくみ―青年の掘り起こしを重点課題にして

■まず親が動いて実態把握


 長年にわたって「若者の掘り起こしと組織化」を青年部幹事会や各県連・各支部にまかせきりにし、ある意味で放置していたという反省から中央執行部が責任をもって主催し、七年ぶりに『青年対策会議』を復活させました。
 構成メンバーは関東・関西・中四国・九州の各ブロック青年対策担当者と、中央本部書記局、青年部幹事会、婦人部幹事会の代表者。
 おもな議題は、『青年・生活アンケート』の実施、回収、分析です。「危機的な次の世代のムラと運動を直視しよう!」「雲をつかむような〈青年の組織化〉を論じる前にキチンと青年の現状をもっともっと集めてきちんと向き合おう!」ということです。当然のことではあるものの、そうした基本的な視点と活動ができないままの親(支部役員・中央役員)があまりにも多いことが会議においても露呈したからでした。「青年の実相もわからない」、「課題もわからない、データもない」という現状では若い層とのつながりや青年の組織化も机の上の空論だけになってしまうということでした。
 「地元に若い子がいない」という声が各地から多く出されます。少子高齢化の波が大きく、そうした現状は否めません。しかし、ゼロではないはず。「若い子がいない」のではなく、「若い子を見ようとしていない」、「知ろうとしていない」という露骨な指摘もありました。たしかに役員さんの平均年齢はものすごく上がっています。でもそれを嘆いていても始まりません。いや、嘆いていてはムラの近い将来、解放運動の次世代が本当に危機に瀕します。じっさいに危機的状況です。
 重要な課題は「まず中央役員や各地の役員が我が子や孫たち、その世代と向き合うことから始める」、「青年やムラの現実をみんなで共有する」ということでした。議論を重ねてアンケート用紙を完成させ、全国各地で実施にとりかかり、そこで何が見えるのか、ということです。
 中間総括的な報告としてわかったことは① 仕事などで「やりがいを感じている」が多い。② その反面「イヤなこと」「悩みごと」も多い。③ 「相談する相手」は同僚・同級生より親が多い。④ ほとんどが何らかの形で集会や地元での「運動参加の経験」がある。⑤ しかし「支部に相談する」「青年部とのつながっている」という回答はゼロということ等々でした。 集まったアンケート用紙は決して多くありません。まだまだこれからです。しかし、第一次集約であらためて中央役員の子の現状を知れた、意義深い調査となりました。
 この青対会議では今後の調査内容・設問と地元での拡大方針についても議論し、第二次アンケートの実施と延長、さらに、目標の三ケタ100人分とそれ以上の数の青年の実相をつかもうという目標も決定しています。
 

第3章 2025年度の運動の基調(案)


はじめに(本大会の獲得目標は何か)

 2025年度の運動の基調は、あえて次の3点にしぼります。① 狭山闘争についてです。② 組織建設、とりわけ青年の育成についてです。③ 綱領作成についてです。この3点は3つにして1つです。


① 自己批判・原点回帰(早智子さんと共有)

 3月11日、石川一雄さんが亡くなりました。「一雄の無念は私が晴らす」と早智子さんが第4次の再審を申し立てました。早智子さんを支え、第4次で事実調べ、再審実現を何としてもかちとりましょう。
 そのためにこそ、全国連は、第3次で無念の結果になったことを、わが身を切って、自己批判します。私たちの力及ばず、本当に申し訳ありません。
 その自己批判にたって、今こそ、狭山闘争の原点にたちかえります。狭山闘争の原点とは、石川一雄さんの叫びです。それをもう一度わがものとすることで、早智子さんと思いを一つにできます。そして、石川さんの本懐を遂げるためにこそたたかいぬきます。もはや、誰もそれを邪魔することはできません。


② 100年戦争(次世代につなぐ)

 完全無罪、国家の謝罪(~賠償)が、石川さんの本懐です。その実現には、あと10年、20年かかるかもしれません。狭山闘争は国家権力との100年戦争です。そう考えると、私たち一人ひとりの人生観も改めなくてはなりません。「100歳までしたたかに生きぬく」覚悟を決めましよう。なおかつ、「自分の世代で終わり」という考えは捨てましょう。狭山を次世代につなぐことが、石川さんの逝去を前にして、本当に真剣な問題になりました。
 綱領の作成は、その次世代のためにこそ、必要です。全国連は、自分たちの世代で役割を終えるのではなく、後世に引き継がれ、続いていかねばなりません。部落問題を伝承し、部落完全解放を後世に託すことが只今の責務になりました。
 このように、狭山闘争と、青年育成、綱領作成は一つの課題になったのです。
 

③ 反戦・反差別の砦に
 
 トランプ再登場のもと、世界は激動の時代に突入しました。「アメリカ第一主義」のもとに、むきだしのエゴ、保護主義、暴力的な弱肉強食が全世界を覆う様を、日々目の当たりにしています。イーロンマスクのように、何十兆もの資産を独占する一握りの輩が、地球、いや宇宙までもわがものにしようとのさばり、次元をこえた分割戦への歯車を全速力で回しはじめました。貿易戦争、その先は世界戦争しかありません。
 トランプの保護主義は、同時にマイノリティに対する「100年前に逆転」したような迫害を伴います。ナチス・ヒットラーがやったような、移民排斥・追放を手始めに、排外主義・差別主義が不気味に鎌首をもたげています。東京都議選や兵庫知事選にみるように、日本も決して例外ではありません。部落解放運動は、こうした時代と真っ向から対峙し、生きる寄る辺とならなければなりません。
 狭山闘争は、反戦反差別の砦にほかなりません。


1、狭山闘争について

① 悲しみから目をそらさず

   
吾が黄泉(よみ)は 遠方であらず 
    悟れども 冤罪晴れず 天に逝けずや


 「100歳まで生きる」が口癖だった石川一雄さんが、2年前に詠んだ歌です。いつの間にか、この歌にこめたような、石川さんの置かれた現実と叫びを、どこか見過ごしていたのではないでしょうか。この歌を知り、かみしめ、石川さんの近年の苦闘とちゃんと向き合っていればと、悔やまれてなりません。
 石川一雄さんが亡くなって、早くも三月過ぎました。悲しい時は、トコトン悲しむ。そこをごまかしたら、決して再生することはできません。
 石川一雄はわが人生そのものです。石川さんと出会わなかったら、私たち一人ひとりの解放運動はなかったでしょう。再審無罪の暁には、荒本はじめ各地のムラに石川さんを迎え、皆で思いっきり御祝いしたい。それが夢でした。


絶望と試練をこえて

 石川さんにとって62年のたたかい。支援にとっては、55年のたたかい。実に半世紀をこえ、共に歩んできました。
 全国連の創立は、狭山勝利のためでした。その前、寺尾裁判長によって苦杯をなめ、狭山に勝てる主体的状況を切り開くために、三里塚に思いっきり舵を切りました。その故に、解放同盟から処分されました。反処分闘争を不屈にたたかい、全国連を創立しました。
 勝利の日まで血盟を誓ったはずの革共同の裏切り。動労千葉の風上にたつのはけしからんと、全国連の解体を要求され、5万人組織の展望は断ち切られました。5万人組織とは、狭山勝利の主体をつくりだすことであり、20年前には住宅闘争からの大合流でそのリアリティは現存していました。その夢は、実現寸前でズタズタにされました。
 多くの絶望。多くの仲間との離別。瀬川委員長、中田書記長の死。それでも続けました。石川さんがいたから、狭山闘争があったから、どんな試練、悲しみ、絶望も乗り越えてきました。もしも石川さんがいなかったら、もしも狭山闘争がなかったら、踏みとどまることができたでしょうか。


② 第3次19年に何が足りなかったか

 しかし、石川さんはもういません。これから、どうしたらいいのでしょうか。言うまでもなく第4次再審闘争では、支援が一丸となって、早智子さんを支え、今度こそ、事実調べ、再審実現へ進まなくなりません。
 第4次必勝のためにこそ、第3次19年のわが身を切る総括が必要です。
 前へ、第4次へ、進むためにも真剣な過去の総括が必要です。早智子さんも78歳。残された時間は無限ではありません。二度と絶対に、同じ轍を繰り返してはならないのです。
 第3次19年に何が足りなかったのか。袴田さん勝利の教訓に照らしたとき、最も顕著な違いは、当該・弁護団・支援の三位一体となった陣形です。また、開示証拠の秘密主義、記者会見の少なさ、何より「証拠捏造」粉砕(権力犯罪糾弾)で勝負することのあいまいさは、袴田さんの勝利に照らして否定のしようがありません。
 一番決定的には、石川さんの思い、主張を中心に置かず、その点を核心に三者(当該・弁護団・支援)がバラバラであったことです。
 個々の物量で言えば、70年代の比ではないとはいえ、他の冤罪事件に決してひけをとりません。全国連も、意見広告や要請行動、万年筆実験、街宣など、力のかぎりを尽くしてきました。しかし、三位一体の相乗効果で最大限のパワーを解き放ち、検察、裁判所を圧倒して、石川さん健在のうちに間に合わすことができませんでした。「法廷よりも世論」「科学よりも市民感覚」で、世情を一変するような決起がつくれなかったのです。他の誰でもない。自分たちの力不足です。


③ 国家権力に自己批判を迫るたたかい

 今こそ原点にかえり、石川さんの叫び、訴えに耳を傾ける。そこに照らして、自分たちの非力を猛省し、克服しなければなりません。古川泰龍さんへの手紙。萩原祐介さんへの手紙。朝田善之助さんへの手紙。獄中歌集。これらを再学習し、冥土と現世を超えて、石川さんの化身となりましょう。石川さんの体験、獄中記、死刑の淵からの叫び、これらすべての語り部となりましょう。
 1974年9月26日の石川さんの最終意見陳述。
「狭山事件は権力犯罪である」
「灰色無罪ではなく青天白日完全無罪を」「無実の人間に死刑を宣告した判事、警察、検察、そのすべてに制裁を」
「国家権力の自己批判を迫る」。

 これが終生変わらぬ石川さんの叫びです。この遺志を今一度わがものにしましょう。それを万人の声にしましょう。それが狭山闘争です。


「100歳まで生きる」 したたかに

 「100歳まで生きる」それが元気なころの石川さんの口癖だったそうです。決して大言壮語ではなく、本気で100歳まで生きて闘う。自分の本懐を遂げ、狭山の完全決着には、それくらいかかる。狭山闘争は100年戦争だ。国家権力の差別犯罪と闘うとは、そういうことなのです。石川さんは誰よりも、そのことを承知していたのです。石川一雄の逝去は、そうした100年戦争のさなかの戦死なのです。
 早智子さんには、したたかに長生きして、最後に笑う人間になってもらいたいものです。袴田さんのドキュメンタリーなどを見て、一番感心するのは、袴田姉弟と支援の距離の近さです。いつも家族のように、支援が傍にいます。姉弟の日常の在り様、それと家族のような支援、これが元気で長生きの秘訣だと思います。裁判闘争と並んで、そこが必要不可欠のとっても重要なことです。そこまで手が届くように、努力を惜しまず、一丸となった支援の陣形を整えましょう。
 
1966年3月(逮捕から3年後。一雄さんが孤独で死刑の恐怖と闘っていた頃)

 獄窓は 皆鎖されて 音もなく 

  ふる雨の中に 石蕗(つわぶき)の花


1966年6月(本格的な支援運動が始まる直前)

 冬に耐え 春に萌えたつ 荒れ草の

         根強き力 我も学ばん



2、青年育成の課題(前号参照。ここでは割愛します)


3、綱領作成について

 昨年の大会で綱領の作成にとりかかることを決定しました。この一年は、その準備作業として、中執において、論点整理をしてきました。
 そのうえで、この第34回全国大会をもって、作成委員の人選から、作成委員会の発足の段階にはいりたいと願っています。
 日の目を見るまでに、3年は時間をいただきたい。1年目は、委員の学習・再学習です。2年目は、原案の作成です。3年目は、大衆討議と完成作業です。
 われこそは、と思う方は、ぜひ一緒に、勉強しましょう。綱領にしていく土台は、すでにあります。しかし、もう忘れてしまったもの、あいまいな理解のままのもの、お蔵入りになったものなど、もう一度ふるいにかける必要があります。それぬきに、バラバラの認識のままでは、綱領に進めません。「難しそうだ」など言わずに、ぜひ一緒に勉強しませんか。


何のための綱領か

 今なぜ綱領なのか、どんなものを必要とするのか。
 近年の全婦では、自分たちと部落問題をテーマに熱心な討議が行われています。そのなかで、もっとも切実な意見は「子供たちは親が必死に守った。しかし、孫が差別にあったらどうしようと、深刻に不安を感じる」ということです。
 この間の「青年・生活アンケート」のなかにも、同じ課題が横たわっています。
 日頃の会話の中で「自分は普段、部落民という自覚は無い」、「今どき部落部落と言うのは、賛成できない」、「部落解放運動はマイナー」、「狭い部落解放運動の枠だけでものを見るのは時代遅れや」という意見を若者から聞くことも、一度や二度はあるでしょう。こうした声を無視してしまっては、決して青年の組織化は進みません。むしろ、この声に真剣に向き合って、そこにこそ光をあて、親子一緒に答えを探していく努力が、綱領づくりのもっともだいじな肝になります。


規約との関係

 綱領とは組織の憲法です。規約とは、組織のルールを定めたものです。それぞれ独自性と関連性があります。
 規約第2条は「帝国主義の階級支配の廃絶による全人民の解放を通して身分的差別から部落民を解放することを目的とする」とあるとおり、全国連の組織としての目的を表したものです。
 この間の論議では、「あまりにも現実と乖離しており、改正すべき」という意見、他方「全国連らしい規約として残してほしい」という意見もあります。結論的に、綱領作成のあかつきに、規約第2条について再討議しましょう。 (おわり)





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