2025年8月の記事
家令裁判長は逃げるな!鑑定人尋問を行え!
9・24要請行動から
10・13現地調査~10・14東京高裁へ
「石川一雄さんの無念の逝去から半年が過ぎた。かえすがえすも慚愧に堪えない。二度と同じ轍を踏んではならない。早智子さんが健在なうちに、再審無罪を実現する。この第4次再審で決着をつける。
そのためには、家令裁判長に鑑定人尋問を行わせるほかない。検察のひきのばしを粉
砕しよう。家令裁判長は逃げるな。10・14の三者協議で裁判官の職責を果たせ。来年3月の定年退官まで、あと半年。もう一刻の猶予もない。しかし、いくつかの鑑定人尋問は決して不可能ではない。8月11日、石川一雄さんの初盆が行われた。また、フェイスブック等によると、早智子さんは、その後徳島にお盆帰省し、久々の笑顔を見せた。早智子さんの長生きこそ狭山勝利の絶対条件だ。狭山人のあらゆる英知、善意を集中して、早智子さんを支えよう。
「提言」を共同綱領に
狭山大運動の、「第4次再審勝利への提言」に対して、各界からの反響が寄せられている。
「提言読ませていただきました。Aさんにも送りました。Aさんは、開示証拠の公開や記者会見―世論形成について、激しく同感です。私もたくさん共感ですが、再審法についてもっと言及してほしい。早智子さんは、再審法が改正されなければ、私が生きているうちに一雄さんの無念は晴らせない、と言っています」
「証拠の捏造で再審を、はその通り。品が無いのは20年も野ざらしにした裁判所。何ら躊躇することはない。万年筆にしても、被害者のものとは言えないなどと言う、わけのわからないことを言っては・・・とも思う」
解放同盟の古参幹部も、別の機会だが「石川一雄さんの健在のうちに間に合わなかったのは残念でならない。自分は、下山鑑定が出たときに、これ一本で勝負をかけるべきだと思ったのに、そうならなかったのだ」と述べている。
「提言」をもっと広範に広め、あらゆる垣根をこえて当該、弁護団、支援・運動体の共同綱領にしよう。
10月14日東京高裁を包囲しよう
次回の三者協議は、10月14日に行われる。検察の反論が9月末に出されれば、書面の応酬は終了し、いよいよボールは裁判所の手の中にある。
検察はこれ以上の引き延ばしをやめろ。検察は石川さんの死に最大の責任がある。20年も浪費し、石川さんに無念の死を強制したのは、ひとえに検察の証拠隠し、引き延ばしが原因だ。権力犯罪、差別裁判を永遠の闇に葬ること、それが検察の本性なのだ。
家令裁判長は、この検察の共犯者になるのか。それとも、裁判官の矜持にかけて職責を果たすのか。二つに一つ。第三の逃げは許されない。新規明白が濃厚な新証拠を目の前にして、鑑定人尋問をやり審理を尽くす。余りにも当然ではないか。
10月14日、すべての舞台は整った。「鑑定人尋問を開始する!」家令裁判長の口から、その一言を天国の石川さんは凝視している。
私たちは、9月24日、東京高検、東京高裁に要請行動を行う。さらに、10月13日狭山現地調査―14日東京高裁前に全国から結集してたたかう。
全国各地の支援の皆さん! ともにたたかおう。
尊敬する I さんへ
ー8月3日「被爆80ヶ年」ヒロシマのつどい
昨日は、せっかくいきいきプラザまでみえら
れていましたのに、4階の会場に来られずに、たいへん残念でした。終わりころに、「I さんが1時過ぎにみえられていましたが、しばらくして帰りました」と参加した住民から受付係の婦人が聞いたそうです。「なんのこっちゃ」と、唖然としましたが、誰が悪いのでもなく、1階に案内係を置いていなかった僕の責任です。申し訳ありませんでした。地元はじめ初参加が半分
できるだけありのままに再現してみます。
参加者はちょうど50人でした。半分は例年の顔ぶれでしたが、あと半分は地元住民をはじめ初めての顔ぶれでした。地元からは、都町が一番多く、福島町、小河内町からも参加されました。遠く、埼玉、千葉、大阪からも初めて見る顔ぶれでした。また、長崎からも参加されました。チラシ、ポスターを見た人、なかにはネットで知った人。
地元からは知らない人ばかりです。古くからのつきあいの方々は、この猛暑のなか、体調を気遣い、参加されませんでした。残念ではありますが、一方で地元の空気がなんか一変した感じです。
感動と参加意欲
アンケートをとりましたが、地元の初参加の人々のなかには、講談に感動した、「はだしのゲン」を今日初めて見た、「はだしのゲンとつながる会」が近くにあれば参加したい、という方々が多数います。第1部の講談が終わっても、第2部のディスカッションまで残った方がほとんどでした。そのなかには、都町のIさんと同じ姓の在日の方で、最後にカンパも出された中年男性もいました。
大勢の地元の顔ぶれを目の当たりにしたからでしょう、N君は、第1部の司会およびあいさつ、最後の地元からの訴えまで、「言いたいことを言う」これまでのスタイルではなく、主催者らしく、皆さんへのお礼、「はだしのゲン」への自分の思いを語り、8月6日、9日には一人ひとり手を合わせ、できれば折り鶴を一羽折ってほしいと締めくくりました。
「かわいそう」を突き抜けた共感
神田香織さんの講談は、感動的でした。集い全体の詳しいことは、別の機会にしますが、やはり何をおいても、講談「はだしのゲン」は圧倒的でした。著作権の関係で動画に残せないのですが、僕自身これまでも、マンガ、アニメ、映画版など10回以上は見てきましたが、そのどれよりも鮮烈でした。僕が、「ココに触れてほしい」と願ったところは、全部出していました。
「はだしのゲン」のいいところは、原爆や差別について、「かわいそうだなあ」という同情を突き抜けた点にあると思います。また、「被害と加害」という説教じみた話でもなく、父、母、兄弟姉妹の万感の叫びを背負いながら、ゲンが明るく、元気に、たくましく生き抜いた、その生きざまにあると思います。
何を隠そう僕自身が、これまでは原爆=「かわいそう」という同情心を何十年もひきずってきました。やっと最近になって、光をつかめた気がしています。それはやはり「人類史上未曾有の惨禍と、差別のなかを生きぬいた人々への心からの敬意」です。神田香織さんの講談は、それを確信にかえてくれました。18歳で筑豊を逃げて広島に行き、被爆者や被爆2世にはじめて接していらい60年近く、づっと抱え続けてきた宿題にやっと、答えが見え始めた気がします。
次に会った時には、もっともっとたくさんの土産話をIさんに届けたい、そう願っています。とんでもない猛暑が続きます。どうか、お身体を大切に。また、会いに行きます。一緒に楽しくカラオケをやりましょう。
「被爆80年」ヒロシマのつどいをおえて
8月6日、9日には折り鶴を一羽折り
爆心地に向かって手を合わせよう
福島町 N (「ヒロシマのつどい」呼びかけ人)
やる前は、不安しかなかった。
8月6日の日程を3日に変更して、「はだしのゲン」でやることが決まってから、背筋がピンと伸びる思いがした。
「はだしのゲン」は地元としては、身近なこと。漠然としていたことが、図書館に行って「ゲン」を読み学んではっきりしてきた。
と言うのは子供の頃、小中学校では、同和教育が全く無かった。太田川の向こうの己斐に行き、福島町と言うと、問答無用で「出ていけ」と言われた。福島町の者は、外に行けなかった。
そういうなかで「ゲン」に出会い、この広島がどういう町で、原爆によってどういうことがあったのか、わかってきた。
自分は被爆者の子供。被爆2世3世にも、被爆者と同じような症状がでてくる。核爆弾は普通の爆弾とは違う。決定的な違いは放射能。放射能というものが、どれだけ人間の体を蝕んでいくものか。いきいきプラザの向かいに、被爆樹木があるが、皮の辺だけは生きているが、中はスカスカ。平和公園のアオギリもそう。チェルノブイリでも、フクシマでも、何も解決していない。
その点を分かりやすく。一生かかっても解決しない問題だと思う。狭山も同じような問題だと思う。石川さんが亡くなり、過去の出来事になってしまうのか。自分の一生で、どれだけのことが出来て、若い人に語り継いで行けるのか。そういう問題だと思う。
8・6ヒロシマ、8・9ナガサキのことを、皆がどう思っているのか、いつも胸をよぎる。日々のニュースを見ても、ウクライナやガザのことを、「自分たちには火の粉が飛んでこない」と見過ごす。もっと身近に自分事として考えてもらうには、どうすればいいのか。しかし、体調が悪くて、頭で考えることと体が一致しない。あっちこっちに行きたくてもままならない。果たして自分に何ができるか、思い悩む。参加しなかった人にも、聞いてほしい。皆いっしょにもっと考えてほしい。
8月3日、蓋を開けてみて、地元の普通の住民がたくさん来ているのに、ビックリした。神田香織さんの講談にも、ビックリした。新君や全国からの応援にも感謝しかない。
これで終わらすのはもったいない。地元あいさつは、頭が真っ白だったが、そのときに浮かんだのが、Mさんが子供2人と一緒に8月6日朝8時15分になったら、平和公園に向かって手を合わせると言う話。8月6日と9日には、皆、折り鶴を一羽折って手をあわせる。これを思い出して訴えた。あれこれ言う前に、誰でもできる平和学習。一時の集会だけで終わるのではなく、ささやかな行為をとおして、皆が語り部になってほしい。
反省点もある。自画自賛にならないように、やりきれなかったことを来年に。「ゲン」は平和学習の第一歩。是非見てもらいたい。特に、参加できなかった人に、家族で。YouTube、DVD、その気になれば何でもある。そうして、来年はぜひ若者も一緒に来てほしい。