広島差別事件糾弾闘争に追いつめられた革共同の悪あがき

(2009年09月17日)

 
『共産主義者』161号の柏木論文について (上)

穂高 岳志(理論センター研究員)

1)はじめに
革共同の機関誌『共産主義者』の第161号に、柏木俊秋署名の「大恐慌情勢と対決する部落解放闘争の革命的発展を」なる論文が出された。すでに読んだ人もいると思う。この論文は、副題が「全国連本部派と塩川一派の野合による革共同攻撃を打ち砕け」となっていることにも明らかなように、「部落解放闘争の革命的発展」に関する理論的、実践的な中身はまっくなく、もっぱら「全国連と塩川一派の野合」なる虚構のデッチあげと、全国連とその運動にたいするケチ付けに終始する、まったくお粗末きわまりないしろものである。

この柏木論文の直接の目的は、『部落解放闘争』41号に掲載された穂高岳志論文(「仁村論文の徹底批判」)にたいする「批判」にある。穂高論文によって、広島差別事件とその開き直りという革共同の反階級的腐敗という現実が、一部の学生メンバーや指導部の「誤り」などによってではなく、革共同の路線的、組織的変質の結果であることが完全に暴き尽くされ、革共同は、決定的な打撃を受けてしまったのである。そして、なんとか、この打撃をかわし、組織の動揺をおさめるために、柏木俊秋という、いまとなっては革共同内に残る、ほとんど唯一と言ってもいいくらいの「理論家」を引っ張り出してきたのであった。同時に、広島差別事件の開き直りと、そのための全国連にたいする誹謗中傷に終始してきた革共同のペテン的主張が、いまや全国連のたたかいの前進によってぼろぼろになり、もはや革共同内部においても通用しなくなったために、あわてて「理論的」な格好づけをする必要に迫られたという事情もあった。これが、この柏木論文の性格である。
だが、その中身は、まったく「理論的」ではない。かんじんの穂高論文にたいしては批判らしい批判もできず、その大半は、相も変わらぬ全国連にたいする政治主義的な規定と口汚い罵倒、広島差別事件にたいする支離滅裂な言い訳に終始している。広島差別事件の開き直りのために何とか「理論的」粉飾をこらそうとしたのだが、ものの見事に失敗し、見るも無惨なほど「低レベル」な政治主義的主張に終始するという馬脚をさらしてしまっているのである。この論文は、結局のところ、革共同の理論的破綻と没落を象徴するものでしかない。
この柏木論文によって、われわれは、あらためて、『部落解放闘争』41号に掲載された穂高論文、村山論文などの、革共同との決別以降の全国連の運動に深く根ざした理論的格闘と、その一定の到達点に深い確信を持つことができる。革共同は、これらの論文に完全に打ちのめされ、広島差別事件の開き直りと、彼らの差別主義的腐敗を、もはや、インチキな「マルクス主義」の歪曲によっては合理化することができなくなっているのである。
本誌では、今号と次号の2回にわけて、この柏木論文にたいして徹底批判を試みたい。今号は、この論文の政治目的とその破産の暴露を中心に行い、次号は、この論文のなかで一定の「理論的」粉飾をこらして書かれてある「部落問題」論と「差別糾弾闘争」論のでたらめさを暴くことを中心にしたいと思う。あわせて、この機会に、「問題」になっているところの「穂高論文」を、ぜひ、多くの人にお読みいただきたい。読者諸氏の意見の集中を、お願いします。

2)穂高論文をまともに批判できない柏木(革共同)

①「関西派と野合」なる勝手な規定
柏木論文の目的のひとつは、穂高論文への批判、否定にある。だが、この柏木論文は、穂高論文批判といいながら、じつは、穂高論文をまったく批判できていない。
このことは、実際に柏木論文を読んでみれば一目瞭然である。ほとんど、穂高論文の内容にまともにふれることさえできていないのだ。穂高論文のごく一部を、手前勝手に引用している箇所はあるが、しかし、それもほんの一部のみで、核心部分や全体にたいして、批判はおろか、取り上げることさえできていないのである。
では、穂高論文をまともに取り上げることもできない者が、いったい、どのようにしてこれを「批判」しようとしているのか。
そのための手段のひとつは、「関西派との野合」なる、インチキな規定である。
柏木は言う。「塩川一派が全国連の『広島差別事件糾弾闘争』に飛びついたように、こんどは全国連本部派・与田残党が秋川の『仁村論文批判』に飛びついた」「その最大の共通点は、『仁村論文批判』をもって革共同批判にすり替えていること、革共同を『差別者集団』『糾弾闘争撲滅者』に仕立て上げたうえ、理論的にも『プロレタリア革命と部落解放闘争との切断』『部落解放闘争の否定』『スターリン主義的二段階革命論』が革共同の今日的立場だなどと暴言をはいて『解体』を叫んでいることだ」と。
ここで言われている「秋川の『仁村論文批判』」とは、昨年秋に関西派(革共同全国委員会再建準備会)の機関誌『展望』に掲載された秋川雅史署名の論文を指す。この秋川論文と穂高論文は、まったくの別物であり、論旨も、内容もまったく異なる。「仁村論文」を批判しているという点、革共同を批判しているという点において共通しているが、批判の視点も、立場もまったく異なるものである。柏木(革共同)にとっては、革共同を批判するものは、みんな同じ、みんな結託しているということになるのだろうか。彼らの目にはそう映るのかも知れないが、そういう感覚は、「味噌もくそも一緒にする」(秋川論文が「くそ」だと言うわけではない、単なる比喩ということ)ものであって、まさに追いつめられた者の心情そのものである。
柏木(革共同)は、こうして、あたかも、穂高論文と秋川論文が同じものであるかのように描き、秋川論文の論点を取り上げ、それを批判して見せることによって、穂高論文をも批判したかのように取り繕うやり方をとっているのである。たしかに、穂高論文のごく一部を、自分たちの都合にあわせて取り上げてはいるが、その核心、全体を規定するものについては、ことごとく秋川論文にすり替えるというやり方なのだ。あまりに見え透いたペテンである。いったい、柏木という人物は、いつから、このような落ちぶれたペテン師になりさがったのか。

②「穂高=八木」なる規定とむきだしの憎悪
ふたつめの手段は、「穂高=旧同志会キャップで全国連本部の中心メンバーである八木」という「組織内部情報の暴露」と「穂高=八木」にたいする憎悪をむきだしにした政治主義的規定である。
曰く、「広島差別事件は、八木らがでっちあげた」「その動機は、中田書記長の略式起訴受け入れ問題と東大阪市議選敗北の責任問題から逃れ、部落大衆をごまかし、いっさいの責任を革共同中央に押しつけようとしたことにあった」「それを通じて、『党の革命』過程で自己批判を拒み居直り、全国連本部に居座りつづけてきた浅ましい姿をごまかし帳消しにしようとした」「端的に言えば、権力・資本への屈服の開き直りである」
また、「(八木らは)『広島差別事件糾弾闘争』の大衆運動的いきづまりを打開するためにも『革共同=差別者』と決めつける口実を『仁村論文』に求めることが必要だった」とか、「大恐慌情勢へのおびえ、新自由主義攻撃への屈服が、『仁村論文批判』にたどりつかせた」「ねらいはあくまでも革共同攻撃にある。『全国連』として革共同との断絶を内外に印象づけるとともに、自分たちが反革共同=革共同破壊の先頭に立つというポーズを権力・支配階級に示し、売り込むためである」とまで言う。
そして、さらには、「穂高=八木らの階級的犯罪は万死に値する」とか、「カクマルと同じ」だとか、まさに口汚いののしり、ほとんど金切り声的な罵倒である。いったい、この調子でいけば、「八木」は、どれほどの「大悪人」に仕立て上げられるのか、まさに、これは、スターリンが反対派を粛清する過程で行ったトロツキーらの反対派にたいするデッチあげ的規定とまったく同じしろものである。
だが、穂高論文を批判するなら、正々堂々と、その内容を真っ正面から批判すればいい。なぜ、そうしないのか。柏木(革共同)は、これができないからこそ、「全国連本部派」だの、「与田残党」だの、「新自由主義への屈服」だのとインチキな規定を行い、筆者にたいするデッチあげ的な非難を行っているに過ぎない。世間では、こういうものを「子どもの喧嘩のレベル」というのだ。まさに、恥を知るべきである。
ところで、この「穂高=八木」という規定を、なぜ、わざわざ行う必要があったのか。柏木俊秋は、同じ論文のなかで、秋川論文のなかで仁村論文の発表に関わる党内事情にふれている点について、「組織内部情報の暴露だ」「権力への投降だ」と言って関西派の秋川を非難している。では、柏木が行っている「穂高=八木」なる規定は、「組織内部情報の暴露」ではないのか。「権力への売り渡し」ではないのか。まさに、支離滅裂であり、理性というものを完全に失っている姿を自己暴露するものでしかない。

③「仁村論文」の総括がまったくできない革共同
柏木(革共同)が穂高論文をまともにとりあげることができない、いまひとつの問題は、「仁村論文」にたいする革共同のあまりに無責任で無様な総括からの逃亡にある。
柏木は、この論文においてぼう大なページを労しながら、穂高論文においても、また秋川論文においても主要な論点をなしている「仁村論文」そのものについて、まともにとりあげることさえできない。言うまでもなく、「仁村論文」とは、仁村個人の文章ではない。革共同の全国委員会総会(19全総)において決定された革共同の綱領的文書である。つまり、革共同の党の見解であり、決定なのである。この「仁村論文」が間違っていたのかどうか、間違ったものであれば、どこがどう間違っていたのか。また、それによって現実の階級闘争(部落解放運動)にどのような影響がもたらされたのか。どのようにして克服していくのか。「仁村論文」にふれるいじょうは、少なくとも、これらの点についての責任ある総括が示されなくてはならない。
ところが、柏木(革共同)は、この点について、いまだに何一つの責任ある総括ができない。 「95年の仁村論文にたいするわれわれの基本的立場は、当時の党全体の実践的限界に規定された問題性の見過ごしを含めて、こんにちてき視点に立って内在的に批判すること」などとごまかしているが、これでは、なにも言っていないに等しいではないか。
柏木は、開き直り的に、「部落差別の撤廃すなわち部落解放(部落民自己解放)の課題が『ブルジョア民主主義革命的課題』などではなく『プロレタリア革命の課題』そのものであることは、言うまでもなく革共同の部落解放闘争論における不動の前提である」と言う。だが、では、なぜ、19全総において、「部落解放の課題をブルジョア民主主義革命的課題」だとした「仁村論文」を革共同の綱領的文書として決定したのか。「仁村論文」を革共同の決定だとした事実、この路線を実際の部落大衆のたたかい(全国連)に強制しようとした事実、この主体的総括なしに、「不動の前提である」などと主張することは断じて許されないのだ。
結局、柏木俊秋の言いたいことは、「穂高=八木というのはこんなに悪いやつだ」「だから、こんなものに惑わされてはいけない」「こんなものは読んではいけない」ということである。なんのことはない、穂高論文を革共同の党員や、周辺にいる労働者、人士に読ませたくない、隠すということこそが、柏木論文の本質なのである。このなかに、穂高論文に打ちのめされた革共同の幹部連中の姿が手に取るように見えるではないか。しかし、柏木君、こういう風に言われれば言われるほど読みたくなるのが人間の心情というものではないのか。

3)広島差別事件にたいする開き直りの論理の破綻

①「広島差別事件はデッチあげ」なる根拠の破産
柏木論文の目的のふたつめは、いまやぼろぼろ化した広島差別事件の開き直りの論理を「理論的」粉飾をこらして立て直し、革共同内外の動揺を押さえ込みたいということにある。だが、そうした目的とは裏腹に、柏木論文のなかで広島差別事件について書かれている内容は、これまでいじょうにぼろぼろになっており、いまや、革共同の広島差別事件にたいする開き直りの論拠が完全に破産していることを示している。
その第一は、事実問題における完全な破産である。
柏木(革共同)は言う。「これが(広島差別事件が)事実の歪曲とねつ造によるものだということは、水樹豊論文で完全に暴き尽くされている」と。だが、水樹とは、広島差別事件の張本人である、N君のことであり、革共同は、差別された者の命がけの告発には耳をかさず、差別した張本人の言い訳のみを丸飲みして、「デッチあげ」だと主張しているに過ぎないことを自己暴露しているのだ。こういう態度を、まさに「開き直り」というのだ。
また、広島差別事件のいまひとつの重要な問題である、事実確認会からの逃亡について、柏木(革共同)は、「『事実確認会を一方的にボイコット』はデマ」だと主張する。だが、同じ文章の、ほんの数行あとでは、「事実確認会に応じないことをもって『差別者』『糾弾闘争の撲滅者』と決めつける」などと全国連を非難しているのである。つまり、「事実確認会から逃亡したのは事実だが、それで『差別者』と決めつけるのはやめてほしい」ということなのだ。結局、事実確認会からの逃亡は「デマ」などではなく、真実であることを柏木は自身の論文で認めてしまっているのである。だが、差別した者の言い分だけを尊重して、差別されたものの告発を踏みにじり、事実確認会にさえ出てこないもののことを、階級闘争(部落解放運動)の世界では正真正銘の差別者と呼ぶのだ。
いじょうのように、事実問題において完全な破産を認めてしまった柏木(革共同)は、「その後の学生戦線と部落解放戦線の現実のたたかいによって……この問題はすでに実践的に決着がつけられた」などと、自分(と革共同内)に言い聞かせてみせる。しかし、この「決着がつけられた」とは、ただただ「そうなってほしい」という願望でしかない。いや、彼らのいう「決着」とは、ただただ革共同内の動揺を沈めることであり、あるいは革共同内の「動揺分子」を追放することであって、現実の部落解放運動や階級闘争における決着ということではまったくないのだ。これが、はかない願望、幻想でしかないということは、現実の部落解放運動=広島差別事件糾弾闘争の大衆的発展によって思い知ることになるであろう。

②「穂高=八木が悪い」論
第二に、いじょうのように事実確認会から逃亡という事実を認めてしまった柏木(革共同)は、その事実を合理化するために、「いっさいは八木が悪いからだ」と主張する。
すでに前章で明らかにしたように、柏木は、「広島差別事件は八木らがでっち上げた」「その動機は、中田書記長の略式起訴受け入れ問題と東大阪市議選敗北の責任問題から逃れ、部落大衆をごまかし、いっさいの責任を革共同中央に押しつけようとしたことにあった」「それを通じて、『党の革命』過程で自己批判を拒み居直り、全国連本部に居座りつづけてきた浅ましい姿をごまかし帳消しにしようとした」「端的に言えば、権力・資本への屈服の開き直りである」と主張する。
しかし、これが、なぜ、全国連による事実確認会から逃亡する理由になるのか。「八木がどうした、こうした」といくら声高にわめいてみたところで、何にもならないのだ。そもそも、広島差別事件の当事者は、「八木ら」ではない。Aさんであり、N君たち中四国のマル学同の諸君たちなのである。「八木がどうのこうの」などまったく関係のない話であり、問題は、マル学同の諸君たちの言動が差別かどうかという事実にこそあるのだ。そして、Aさんから差別だと告発され、全国連から事実確認会への出席を要請されながら、そこから逃亡した事実にこそあるのだ。
また、広島差別事件糾弾闘争は、全国連の大衆組織としての意志決定にもとづく行為であり、具体的な部落解放運動の実践そのものなのである。柏木(革共同)の諸君たちの頭のなかには、全国連という大衆組織の意志や、たたかいというものは存在しないのだろうか。これは、部落解放運動に関してだけではない。これでは、労働運動においてさえ、労働組合という大衆組織の意志やたたかいというものを絶対に措定できない。彼らの言うところの「階級闘争」というのは、現実の労働者階級のたたかいではまったくなく、彼らが勝手に頭のなかで思い描いたもの、自分たちにとって都合のいいものだけでしかないということである。

③「全国連は転向した」論
それだけではない。第三に、「八木が悪い」ということだけでは通用しないと思った柏木(革共同)は、こんどは「全国連は転向した」なる規定を行いはじめているのである。
柏木は言う。「全国連本部派は、大恐慌情勢を革命情勢の到来として迎えるのではなく、大恐慌情勢に震え上がり、『大恐慌は労働者による部落差別を激化させる』論を唱えだした」とか、「全国連本部中央は5・23狭山闘争の取り組みを放棄した」だとか、「全国連本部は、塩川一派と相呼応して新たな革共同攻撃に踏み込んできた」「18回大会の議案書で、『差別者集団・革共同への徹底糾弾をつらぬき、歴史のくずかごに放り込んでやります』などと宣言している」と。
これらの主張の底にあるのは、全国連による糾弾闘争にたいする腹のそこからの小ブル的な恐怖に他ならない。「差別者と規定するのはやめてほしい」という悲鳴であり、柏木じしんが、全国連による糾弾闘争によって、革共同が「歴史のくずかごに放り込まれる」ことを心から心配しているということだ。そして、全国連のたたかいを何一つまともに批判できないからこそ、「塩川一派と相呼応して」などと得手勝手にデッチあげ、穂高論文にたいするケチ付けにおいて行ったと同じ方法で、「これは部落大衆のたたかいではない、塩川一派がやっていることなんだ」と、必死になって自分と革共同内に言い聞かせようとしているのである。
だが、こうした底の浅い全国連にたいするケチ付けのなかで、「全国連本部中央は5・23狭山闘争の取り組みを放棄した」なる完全なデッチあげを行っていることは、断じて許すことはできない。全国連は、狭山第三次再審闘争が、門野による来年2月の退官前の棄却情勢に突入したという認識のもとに、9ヶ月決戦に立ち上がっていく決定的突破口として5・23狭山闘争を位置づけて、全国統一行動に取り組んだのである。この取り組みは、全国連の『部落解放新聞』においてもすでに報道されている。いったい、何をもって「取り組みを放棄した」などとデッチあげるのか。これじたいが、狭山闘争の勝利のために必死になってたたかう部落大衆への冒涜であり、一個の重大な部落差別事件である。
こうしてみると、結局、柏木論文なるものは、革共同の恥の上塗りをしたにすぎない。革共同が、いまや、正真正銘の差別者集団に成り下がったことを、柏木(革共同)じしんが、みずからの口で語っているのである。
(以上、部落解放理論センター発行 『情勢研究』第2号より 2009年8月10日)


『共産主義者』161号の柏木論文について (下)

前号につづいて今号においては、柏木論文の理論面における問題について検証していくことにしたい。
柏木は、「穂高論文批判」と称して、穂高の主張が、〈資本による搾取・抑圧と切断された「身分的差別=部落差別」論〉であり、〈労働者の階級的団結と切り離された「部落民独自の団結」論=「部落民自主解放」論と「糾弾」論〉であり、〈部落解放とプロレタリア革命の切断〉であり、〈動労千葉労働運動=階級的労働運動路線に対置・敵対するものとしての「全国連の労働運動路線」〉であるとする。
だが、これらの規定と主張は、柏木(革共同)が、穂高論文をこういう風に規定したいということにしか過ぎず、したがって、これらの規定の根拠もまともには示されていない。いわば、これらの「論点」は勝手な、ご都合主義的な決めつけに過ぎないのだが、問題は、柏木(革共同)が、こういう形をとって、じつは、〈部落民独自の団結〉や〈差別糾弾闘争〉という部落解放運動を形作る核心的な契機が、〈労働者の階級的団結を妨害するもの〉、〈プロレタリア革命と部落解放運動を切断するもの〉であるかのように描こうとしていることにある。柏木論文とは、「穂高論文批判」と称して、そのじつ、部落解放運動そのものを原理において否定する、きわめて差別主義的文章に他ならない。
実際に、柏木(革共同)が部落差別問題と部落解放闘争を、労働者階級の自己解放闘争(あるいは階級的団結)のなかにどのように「位置づけている」のか。この点におけるでたらめさを具体的に暴いていくことにしたい。

1) 部落問題論における〈身分的差別〉という核心の抹殺
柏木論文の理論面における第一の問題は、部落問題の本質論において、〈身分的差別〉という核心問題を解体し、身分的差別によって受ける部落民の苦しみ、怒り、そして、それゆえの自己解放闘争の持つ、日本階級闘争における決定的な意義を否定していることにある。

(1) 「部落差別の本質=労働者階級の階級的分断」論
柏木論文における〈部落問題論〉の基本的論旨は、以下の通りである。少し長くなるが、そのでたらめな論理構造を暴くためにも、ぜひ、見ておきたいところである。柏木は、つぎのように言う(番号の付与は筆者、論旨を整理するためにつけた)。
①「近現代日本の部落差別とは、日本帝国主義の階級支配の不可欠の一環であり、とりわけ資本による労働者階級の階級的分断を基軸とした全人民の分断・抑圧支配の一支柱」
②「部落差別という差別の特徴は、身分的差別という旧封建制=徳川幕藩体制社会いらいの形態・性格を近現代に擬似的に引き継いだきわめて理不尽で非人間的な差別・抑圧・迫害、不当きわまりない蔑視・異端視・社会的排除を部落出身の人民に加えるところにある」つまり、「部落差別は、〈身分的差別〉とは言っても、それじたい資本の論理に貫かれた疑似「身分」による差別であり、封建制下の「エタ・非人」制度とは本質的・階級的意味は異なるものの、その差別の構造・仕組み・形態という点ではまったく変わらないような『人間外の人間』という扱いを中身とするところに独特の性格がある」
③「われわれは従来、部落差別の本質を帝国主義による〈部落差別―人民分断支配〉と規定してきたが、こんにち的にはその点を資本主義社会とは何か、資本による労働者階級への階級支配とは何かをより明確にする形で位置づけ直す必要がある。つまり、人民分断支配の基軸にあるものは何かという点が重要であり、それこそ〈労働者階級の階級的分断〉ということである。
④「したがって帝国主義による部落差別の貫徹は、つねに労働者階級人民を差別の社会的担い手に仕立て上げる攻撃をともなった。日本の労働者階級が歴史的にアジア人民への民族差別・排外主義に駆り立てられ、アジア侵略・侵略戦争の担い手にさせられた現実とあわせてそれをどう克服していくかは、日本のプロレタリアートの階級性を問う決定的な思想問題だ」
⑤「だが、それは、あくまでも、日本の労働者階級が団結を破壊され階級的に分断されて、資本と権力を徹底的に追いつめられずに敗北した結果の問題として総括されなくてはならない」「それを導いたものこそスターリン主義と社民の既成左翼政党と体制内労働運動指導部である」「にも関わらず、日本の労働者階級がプロレタリア的魂を根幹において失わずにたたかいつづけてきた事実を忘れてはならない」
⑥「スターリン主義批判・社民批判―体制内労働運動との対決をとおして、職場生産点での団結を強め、資本主義・帝国主義打倒のたたかいを労働者階級じしんが展開していくことのなかに、日本労働者階級の階級性の奪還、差別・排外主義の実践的克服の道もある」「それを逆転させて、『労働者階級への糾弾―自己批判が大前提』としてしまうことは、労働者階級を革命の主体として認めず、労働者階級への不信をあおり、プロレタリア自己解放への絶望を組織する以外のなにものでもない」

ここで、柏木(革共同)の言いたいことの内容上の核心は、①③⑤⑥に他ならない。②と④は、柏木にとっては、いわば「刺身のつま」的なものに過ぎず、「こういう風に押さえておかないとまずい」というようなもので、結局、内容においても、文脈においてもどうでもいいこととして扱われているのである。
実際に、②と③の展開を見れば一目瞭然である。柏木は、②の箇所において、あたかも、身分的差別の重大性についてふれているかのようによそおいながら、しかし、③の冒頭において、「われわれは従来、部落差別の本質を帝国主義による〈部落差別=人民分断支配〉と規定してきたが……」として、たちまち論旨をすり替えてしまっている。本来、というか正しくは、③において、〈身分的差別としての部落差別の階級的意味〉〈身分的差別とのたたかいの持つ階級的意味〉などの解明が行われなくてはならない。しかし、柏木は、この③において、それまでの(②において展開した)内容を「忘れて」、「重要なことは〈人民分断支配〉の資本主義的位置づけ直しにある」かのようにいいなして、「〈労働者階級の階級的分断〉こそが部落問題の本質だ」と結論づけているのである。
ここで言われている、「従来……規定してきたが」というのは、卑劣なペテンに他ならない。「われわれは」とは、一体誰のことか。部落差別問題の本質をめぐる理論的格闘は、革共同のなかにおいても、「部落差別=人民分断支配」などというおそまつな規定に総括されるようなものではない。それは、柏木が、この論述のなかで「忘れた」あるいは、意図的に抹殺した、本来③において展開されるべきもの、つまり〈身分的差別としての部落差別の階級的意味〉〈身分的差別撤廃のたたかいの持つ階級的意味〉の解明にあった。この一定の到達点が、『全国連の2回大会テーゼ』である。
『全国連の2回大会テーゼ』は、その核心において、部落差別の本質を、〈帝国主義(日本資本主義)の階級支配の一環としての身分的差別〉と規定した。これは、身分的差別(あるいは疑似身分差別)が、帝国主義の階級支配の具体的あり方であり、身分的差別が階級支配の重要な構成要素として、帝国主義によって再編・再生産されてきたこと。また、部落民にとっては、身分的差別という形をとって帝国主義の階級支配が貫かれており、同時に、労働者階級にとっては、部落差別の担い手にされるという形をとって身分的差別が階級支配の具体的なあり方として貫徹されていることを明らかにしたものである。
重要なことは、それゆえ、この身分的差別にたいするたたかい(部落解放運動)が、階級支配そのものにたいするたたかいであり、階級的団結を打ち立てていく重要な要素をなしているということである。全国連の三大闘争路線は、こうした本質規定にふまえて、部落差別にたいする糾弾闘争を通して、部落民じしんが帝国主義打倒のたたかいに立ち上がるとともに、階級的団結を打ち立て、帝国主義の階級支配を打ち倒していく労働者階級の陣形をつくっていこうとするたたかいである。
また、このような本質規定と路線的立場は、労働者階級こそが帝国主義の階級支配を打ち倒して、あらゆる差別・抑圧を撤廃することのできる唯一の存在であり、部落民もまた大きくは労働者階級の一員であるという自覚と誇りに裏打ちされたものである。
問題の穂高論文においてもふれたが、この『2回大会テーゼ』は、島田論文をはじめとした革共同(当時の)の指導的関与のもとで形作られたものであり、一個の階級的到達地平である。柏木は、「われわれの従来の……」などとしたり顔で言うが、ここには、陳腐で、超がつくほど客観主義的な「部落差別=人民分断支配」などというものがでてくる余地はミジンもない。
だが、もちろん、こうした地平について、柏木が知らなかったはずはない。全国連の創立にいたる格闘について、柏木がたんなる傍観者でしかなかったということはあったとしても、まったく知らなかったというのでは、あまりにお粗末すぎる。いや、本当にお粗末なのかも知れないが。こうした柏木の主張の核心は、〈身分的差別〉という部落問題の核心の意図的な抹殺にこそあるということである。そして、これこそが、こんにちの革共同の「理論的」主張の核心をなしているということだ。
しかし、考えてもみてほしい。「労働者階級の階級的分断」などと言って、それが「部落差別の本質だ」などと言ってみたところで、じつのところなにも言っていないに等しい。そもそも、部落差別も、民族差別・排外主義も、あらゆる社会的差別は、いずれも労働者階級の階級的分断を目的にしたものではないのか。問題なのは、何によって分断されているのか、そのことによって、どのような溝がつくられてきたのか。それをどのように乗り越えて労働者階級の階級的団結を復権していくのかということなのである。これらにアプローチしていくためには、身分的差別によって受ける部落民の苦しみ、怒り、そして、それゆえにわき起こる自己解放のたたかいと力について真摯に学ぶいがいにない。〈身分的差別としての部落差別〉という部落差別の核心問題の抹殺は、こうした主体的立場を革共同が完全になくしたことを示しているのである。

(2) 部落解放運動の否定
つぎに、柏木の言うところの、「部落差別の克服」というところを見てみたい。
ここで注意しておくべきことは、柏木(革共同)にとって、「部落差別の克服」とは言っても、決して「部落差別の撤廃」とは言わないということである。実際に、①から⑥の論述のなかで、「部落差別の撤廃」という考え方はまったく出てこない。〈身分的差別〉という核心問題を抹殺した柏木は、この〈身分的差別の撤廃〉というもう一方の核心問題をも抹殺し、それを「労働者階級による部落差別の克服」などというブルジョア的啓蒙思想に毛の生えたような概念にすり替えているのである。
具体的に見ていこう。
柏木は、④のところで、「労働者階級が部落差別の担い手にされた」「排外主義に屈服してアジア侵略の担い手にされた」「これらをどう克服していくかは労働者階級の階級性を問う課題だ」という。あたかも、労働者階級の階級性の復権のために、これらに主体的に向き合うかのようなポーズをとっているが、しかし、こういうペテン的態度は、そのすぐ後で、驚くべき開き直りによって否定される。
すなわち、柏木は、⑤で、「だが、それは、団結が破壊された結果だ」(だから、しかたがなかった)、「スターリン主義と社民らの体制内左翼指導部が悪いんだ」「労働者階級は、その根幹で階級性を守ってきた」とする。そして、⑥では、結論として、「職場生産点で団結を強め、帝国主義打倒のたたかいを労働者階級じしんが展開していくことのなかに差別を克服していく道がある」と言っているのである。驚くことに、これが、柏木の言うところの「部落差別の克服」のすべてなのである。
しかし、部落差別の本質論と同様に、ここでも、なにも言っていないに等しい。要は「労働者が団結すればいい」と言っているに過ぎない。いったい全体、「階級性を守ってきた」ものが、なぜ、部落差別や侵略戦争の担い手にされたのか、なぜ、「団結が破壊された」のか。「スターリン主義と社民が悪いから」などという客観主義的評論ではまったく答えにもならない。これだと、労働者階級は、永遠に団結ができないことになってしまう他ない。
この論述における核心問題は、労働者階級のたたかい全体、労働者階級の階級的団結というもののなかから、部落解放運動や在日アジア人民のたたかいを追放しているということにある。労働者階級の階級的団結というものが、部落民の身分的差別にたいするたたかい、アジア人民・在日アジア人民の民族解放のたたかいをその決定的な一環として含んだものではなく、「職場生産点での団結」とか、「帝国主義打倒のたたかい」などという超抽象的な概念にすり替えられているのである。
たしかに「労働者階級の団結」は重要である。いや、本当の意味で労働者階級の階級的団結が打ち立てられることによってこそ部落差別や民族差別・排外主義の撤廃に向かって前進していくことができる。だが、柏木(革共同)の言うような内容では、絶対に、この労働者階級の団結というものはできない。問題はきわめて具体的なのである。階級闘争の具体的攻防をめぐる、ひとつひとつの血みどろのたたかいのなかで、労働者階級の階級的団結は打ち立てられていくのだ。しかも、この攻防は、職場生産点におけるたたかいにとどまらず、部落差別とのたたかい、侵略と侵略戦争とのたたかいなどを含んだ、労働者階級全体の全生活領域をめぐる攻防である。スターリン主義や社民との対決や決別も、こうした具体的攻防のなかでこそ決せられていくものではないのか。

2) 部落解放運動の原理としての否定
第二の問題は、柏木(革共同)は、〈身分的差別〉という部落問題の核心問題を抹殺し、労働者階級の団結のなかから部落解放運動を追放しただけでなく、部落解放運動を構成する具体的な契機そのものをも否定し、部落解放運動があたかも労働者階級の階級的団結の形成にとって妨害物であるかのように描こうとしていることにある。
柏木は、すでに見た部落差別の本質論につづいて、「差別糾弾闘争とは何か」という、じつに傲慢きわまりない論述のなかで、〈部落民としての団結〉や、〈差別糾弾闘争〉という部落解放運動を構成する具体的な契機のことごとくを否定している。ここでも、少し長くなるが、柏木の主張に即して検討したい。柏木は、つぎのように言う。
①「差別を受ける人民にとって 、それを糾弾・告発することは人間(労働者階級人民)としての尊厳と誇り、生活と存在をかけた命の叫びであり、自己解放性の発露である。その意味で、部落差別への糾弾(闘争)は、部落民の階級的決起の原点にかかわるたたかいであると言っていい。」
②「だが、そのことは、『差別の痛み、苦しみを知らない者に、差別を撤廃することなど絶対にできません』『部落民は労働者階級によって解放してもらう訳でもありません』という方向に絞り上げられるべきものなのか」「しかも、この筆者(村山由布のこと)は、『制裁』という激烈な言葉を労働者人民に向けている。その反面、差別の元凶である国家権力については、『どのような糾弾でも、必ずと言っていいほど国家権力が妨害者として出てきます……実際の糾弾闘争は、ほとんどがこういうじゃまをする連中とのたたかいでした』というように、いわば『脇役』の位置づけなのだ。こういう方向で、『糾弾を通して労働者階級との団結を打ち立て、糾弾を通して帝国主義を打ち倒す』ことなどできない」
③「ここには、〈差別への糾弾〉と〈差別の撤廃=部落解放〉をプロレタリア革命の論理のなかで一体のものとしてとらえる思想がいちじるしく欠けている」「同じく〈糾弾〉とは言っても、権力・資本にたいする糾弾は本質的に〈打倒〉〈粉砕〉を意味するのにたいし、労働者階級内部のそれは、あくまでも〈階級的団結〉を求めての労働者的自覚の喚起、自己批判的決起への〈援助〉という性格を持つという決定的な違いがある。」「国家権力と不屈・非妥協にたたかいぬく石川一雄さんの精神こそ糾弾闘争の神髄を示すものだ。」
④「そもそも〈糾弾〉とは、部落民を先頭に、彼らとの団結のもとに労働者階級自身がみずからの階級的課題として展開するたたかいなのだ。2・26西郡住宅明け渡し強制執行阻止闘争こそ、糾弾闘争の本来の姿を照らし出している」
⑤「村山論文では、また、日本国憲法のうたう『基本的人権』と関連づけて、〈糾弾の権利〉を強調しているが、『権利』という発想じたいが間違っている」「(糾弾)は、あくまでも部落大衆(労働者)のプロレタリア的自覚=プロレタリア革命への希求・実践としておこなわれるたたかいではないのか」
⑥また、「穂高は、『部落民は労働者にたいする搾取、抑圧一般にはけっして解消されない身分的差別を受けている』と言うが、これは、資本による搾取・収奪(階級支配)をきわめて狭い、包括性のない概念としてとらえている」
⑦さらに、「穂高らは、〈部落民独自の団結にもとづく自主解放闘争〉の必要性と〈プロレタリアートの部落差別にたいする屈服への自己批判的決起という契機〉の不可欠性をワンセットの形で強調する。だが、それは、部落民の団結が〈労働者階級の団結〉の一環としてそれに包摂されて存在するのではなく、それと切り離す形で『部落民独自の団結』を主張し、労働者階級の側からの『不断の連帯』の追及と『自己批判的決起』がなければ団結じたいが成り立たないと言わんばかりの認識に陥っている。糾弾主義そのものである」

いじょうが、柏木が言うところの、「差別糾弾闘争」論なるもののすべてである。一見して明らかなように、ここでも、①では、あたかも、「糾弾闘争は重要だ」と言っているようにみせかけ、しかし、その実、それ以降の内容において糾弾闘争をことごとく否定する、「ふまえ、踏みにじる」的手法の典型である。そして、その内容において、柏木は、身分的差別としての部落差別にたいする自己解放闘争の核心をなす差別糾弾闘争について、帝国主義権力をはじめとした、ありとあらゆる反動的妨害をはねのけて、糾弾闘争を復権し、これを労働者階級全体のたたかいのなかに位置づけ、労働者階級全体のたたかいとして発展させていくという立場に立つのではなく、現実の部落大衆のたたかいとその指導をめぐって苦闘する現場の格闘にたいして、あれこれと勝手な規定を行ってそのことごとく否定し、結局のところ、「革共同の認めないものは『糾弾闘争』ではない」「革共同に都合の悪い『部落民の団結』など認めない」と言っているのである。

(1) 村山論文の意義と柏木のペテン
具体的に検討しよう。
まず、第一に、②(⑤とも関連する)のところで、一体、柏木は、何にけちをつけ、何を否定したいのか。
村山論文は、法務省見解(89年)をひとつの画期とした日帝国家権力による糾弾闘争撲滅の攻撃と、本部派による綱領改定を画期とした転向・屈服によって、差別糾弾闘争そのものが大きく後退している現実のなかで、あらゆる逆流をはねのけて糾弾闘争を復権し、水平社いらいの部落民自主解放の原理をあらためて打ち立てようとした労作である。しかも、この論文は、革共同による広島差別事件とその開き直りによって、全国連の内外にプロレタリア革命運動と共産主義にたいする不信、絶望が生み出されている現実を乗り越えて、本当の意味で労働者階級の階級的団結を打ち立てていくことが部落差別撤廃の道であること、部落民じしんが労働者階級の一員として、不断にその形成のためにたたかわなければならないことを、できるだけ平易な形で部落大衆に呼びかけることをも目的として書かれたものである。これは、村山論文の全体を読めば誰でもわかることだ。
こうした目的のために、村山論文では、差別糾弾闘争について、あらゆる側面からその意義を明確にしていくための努力が費やされている。柏木がインチキきわまりないやり方で、ごく一部を引用している箇所は、差別糾弾が「人権」をたたかいとる上で、あたりまえの「権利」であることを提起している箇所だ。しかし、ここにおいて村山論文は、この「権利」とは、憲法や法律をはじめとしたブルジョア的「権利」などではなく、「労働者階級の団結によってたたかいとられるべきものだ」ということを明確にしている。「憲法上の権利」という冒頭の提起は、いわゆる「逆説的」論法を用いているに過ぎない。柏木の「非難」は、結局のところ、勝手にでっちあげたわら人形を批判して、批判した気分にひたる、自己満足的な行為に他ならないのである。

(2) 糾弾闘争そのものの否定
だが、問題は、こういうインチキなやり方で、柏木(革共同)は何を主張しているのかということにある。それは、現実の糾弾闘争、つまり、あるがままの部落大衆による差別にたいする怒りの決起としての差別糾弾闘争にたいして、なんだかんだとケチを付けて否定し、革共同にとって都合の良いものしか「糾弾闘争」として認めないということである。
いったい全体、「糾弾は、プロレタリア革命を希求・実践するために行われなければならない」とは、なんたる言いぐさであろうか。実際に行われる糾弾闘争は、はじめから「プロレタリア革命の希求・実践」を目的としてたたかわれるようなものではない。それは、ただひとつ、差別にたいする怒りの爆発なのである。結局、これだと、水平社いらいのあらゆる糾弾闘争は、柏木によって、ことごとく「糾弾闘争ではない」として否定されてしまう。事実、柏木(革共同)は、③と④のところで、石川一雄さんのたたかいと「2・26西郡闘争」だけが糾弾闘争であると主張している。
しかし、革共同に認められようが認められまいが、水平社いらいのあらゆる糾弾闘争は、そのすべてが部落大衆の自己解放のたたかいであり、人間的、階級的尊厳の発露である。これらのたたかいは、なによりも、部落差別にたいする部落大衆の怒りの爆発によってたたかわれたものであった。だが、この、怒りの爆発こそが決定的であり、糾弾闘争の命ともいえるものである。柏木の主張は、この、部落差別にたいする部落大衆の怒りの爆発としての糾弾闘争を否定するものである。
たしかに、部落解放運動の発展と勝利のために、差別にたいする糾弾闘争は、労働者階級の団結の形成と労働者階級によるたたかいへと発展させられなくてはならない。だが、それは、労働者階級による指導によって導かれていくものであり、この指導とは、部落民の差別にたいする怒りの共有、体現を土台としてつくられていく。だからこそ、本来、糾弾闘争とプロレタリア革命について論じる場合、労働者階級の指導責任という問題として論じられるべきなのである。
労働者階級の指導責任とは、言い換えれば、革共同の責任ということである。(革共同が労働者階級の党だというかぎりにおいて)だが、柏木(革共同)は、みずからの責任として論じるのではなく、実際の部落大衆のたたかいにたいして、「階級的でない」とか、「プロレタリア革命への自覚がない」などとデッチあげ的な難癖をつけて否定し、結局のところ差別糾弾闘争の隠れた抑圧者として登場しているのだ。これこそが、柏木論文の正体である。

(3) 〈部落民の団結〉を否定する革共同
第二に、「部落民独自の団結」にたいする柏木の非難。
柏木は、穂高が「部落民独自の団結を、労働者階級の団結と切り離す形で主張しているからだめだ」とする。では、「部落民独自の団結」は、必要なのか、どうか。どのような構造をもって労働者階級の団結のなかに包摂されていくのか。こうした核心問題には、何一つこたえていないばかりか、ふれてさえいない。結局、柏木(革共同)は、穂高の主張を批判するという形をとって、じつのところ、〈差別糾弾闘争〉と表裏一体の関係をなしている〈部落民独自の団結〉という部落解放運動の核心を否定しているのである。
だが、穂高論文を読めばわかるように、穂高は「部落民独自の団結を、労働者階級の団結と切り離して主張」などしていない。完全にでっち上げ的規定にすぎないものだが、ここで、柏木は、「切り離している」根拠として、穂高は、「〈部落民独自の団結による自己解放闘争〉の必要性と、〈プロレタリアートの部落差別にたいする屈服への自己批判的決起という契機〉の不可欠性をワンセットの形で強調する」からだとする。
穂高論文におけるこの論述は、部落民の団結が労働者階級全体の団結のなかに包摂されていく内的構造を述べたものである。いったい、なぜ、これが「切り離している」根拠になるのか理解に苦しむが、柏木のいいたいことは、「〈部落民独自の団結〉も、〈プロレタリアートの自己批判的決起〉も必要ない」「それは糾弾主義だ」ということである。
この、〈部落民独自の団結〉は、べつに革共同に認めてもらう必要などどこにもない。実際に、日本の階級闘争史上に水平社という形をとって打ち立てられた〈部落民独自の団結〉は、当時の共産党をはじめとした「指導政党」によって認められたり、つくられたりしたものではない。差別糾弾闘争を軸とした部落民の自己解放闘争への決起を通してつくりあげられたものであり、戦後の部落解放同盟もまたそうであった。実際の階級闘争のなかで、階級的団結の一構成要素、あるいは一形態として、〈部落民独自の団結〉というものが打ち立てられてきたのである。
同時に、〈プロレタリアートの部落差別にたいする屈服への自己批判的決起〉もまた、水平社のたたかいにおいても、戦後の解放運動の過程においても、実際の部落大衆による糾弾闘争をとおして、現実にうちたてられてきた。こうした現実は、革共同のようなエセ「マルクス主義」者の理解の範疇を越えているのかも知れないが、日本の労働者階級は、さまざまな形をとって、部落民による糾弾を受け止め、それにこたえて自己批判的決起を実現し、階級的自覚を深化させ、その隊列をうち鍛えてきたのである。
結局のところ、柏木が言いたいことは、「労働者階級」という名前をつかって、「革共同は差別があっても自己批判しない」ということに他ならないのだ。これが、柏木の本音であり、真実である。

(4) 糾弾闘争にたいする小ブル的恐怖と憎悪
こうして見ると、柏木(革共同)の主張の背景にあるのは、「プロレタリア的本質」とか、「マルクス主義」とかの飾られた言葉とはまったく無縁な、差別糾弾闘争(部落民の自己解放闘争)にたいする小ブル的な恐怖、反発と憎悪に他ならない。
笑止にも、柏木は、村山論文の差別糾弾闘争についてふれた一部をゴジラ化して、「『制裁』という激烈な言葉を労働者人民に向けている」と非難している。これが「マルクス主義者」の言葉なのか。これは、柏木じしんの心情そのものである。つまり、「糾弾は怖い」という、おぞましい差別主義的心情の吐露だ。
言うまでもなく、糾弾が「暴力的」、実力的形態をともなってたたかわれるのは当然のことだ。それは、部落差別が、「心臓を氷の刃でつきさす」ようなものであり、部落民の全人格を破壊し、往々にして実際に命をも奪う行為だからである。糾弾は、こうした部落差別の本当の意味、その犯罪性を差別した相手に気づかせ、ともに差別に立ち向かっていくように促す行為であり、それゆえに、差別の本当の痛みに気づいてほしいという願いが実力的形態をとることは否定されるようなことではない。ただし、権力による糾弾闘争撲滅の弾圧に口実を与えるという意味で、権力とのたたかいという観点から、自覚的に抑制するということはあるが、糾弾とは本質的に実力闘争なのだ。
また、柏木は、笑止にも、「権力・資本にたいする糾弾は、本質的に〈打倒〉〈粉砕〉を意味するのにたいして、労働者階級内部のそれは、あくまでも〈階級的団結〉を求めての労働者的自覚の喚起、自己批判的決起への〈援助〉という性格を持つという決定的な違いがある」などとお説教をたれている。いったい、〈プロレタリアートの自己批判的決起〉など必要ないというような者が、「自己批判的決起の援助」などという言葉をなぜはけるのか大いに疑問だが、ここでも柏木の本音は、労働者階級内部では「糾弾はやめてほしい」ということだ。いや、「労働者階級」というのは彼らの仮面にしか過ぎず、要は、「革共同にたいする糾弾はやめてほしい」ということである。
本当に、おぞましい、糾弾闘争にたいする小ブル的恐怖である。彼らがダシに使っている「労働者階級」は、このような革共同のおぞましい姿とは無縁である。日本の労働者階級は、部落大衆の糾弾を真っ向から受け止め、部落差別を存続させてきた責任を階級として自覚し、その撤廃をみずからの歴史的使命としてたたかうことのできる存在である。また、部落民の糾弾にたいする自己批判を通して、差別のカベを乗り越えて、部落民をもふくむ階級的団結を打ち立てることのできる存在である。柏木(革共同)は、「〈プロレタリアートの自己批判的決起〉などというのは、労働者階級への絶望を組織するものだ」などと言うが、他でもない、「労働者階級に絶望」しているのは革共同に他ならない。つまり、革共同にとって労働者階級とは、「自己批判できない」存在、「糾弾されたらグジュグジュになってしまう」ような存在としてとらえられている。いや、正確には、革共同じたいが「自己批判できない」存在であり、「糾弾に耐えられない」存在だということである。
じつは、こうした小ブル的心情こそ、広島差別事件にたいする開き直りの背景にあるものであり、同時に、かの『7月テーゼ』の土台になっているものである。この点は、別な機会にあらためて論じたい。

(5) 狭山闘争(石川一雄さんのたたかい)への冒涜
ところで、柏木(革共同)が、あろうことか、石川一雄さんのたたかいを盾にして、部落大衆の現実の糾弾闘争を否定しようとしていることについて、決定的に重視する必要がある。(「2・26西郡闘争」なるものについては『全国連の見解』によって真実が明らかにされているので、ここでは略したい)
石川一雄さんのたたかいを利用して、糾弾闘争の破壊を策動する柏木(革共同)を断じて許してはならないということだ。彼らは、昨年の10月、狭山闘争の核心中の核心をなす〈差別裁判糾弾〉を否定し、石川一雄さんのたたかいを否定する「階級裁判」などという陳腐な主張をかかげて全国連の10・31中央闘争に分裂を持ち込み、狭山闘争の破壊を策動した。この10・31中央闘争にたいする破壊策動について完膚無きまでに批判した論文(雪倉論文)が、穂高論文や村山論文が掲載されている『部落解放闘争41号』に掲載されているが、柏木は、狭山闘争や石川一雄さんのたたかいについてペテン的に利用しながら、この論文については、一言もふれることができない。いやしくも狭山闘争について語る以上、革共同じしんが主張した昨年10・31における「狭山闘争論」なるものについて自己批判すべきである。いや、それが「正しい」とでも言うのなら、堂々とそう言え。
石川一雄さんのたたかいは、革共同などが、偉そうな顔をして「狭山闘争の大衆性と継続性の核心」などと客観主義的に評論していいようなものでは断じてない。石川一雄さんのたたかいのなかには、国家権力にたいする不屈・非妥協の糾弾を基軸にして、子どもたちから高齢者までのすべての部落大衆の差別にたいするあらゆる形をとった糾弾のたたかいが凝縮されている。学校や職場での「部落民宣言」、同盟休校や同盟登校のたたかい、教育労働者をはじめとした労働者にたいする告発、糾弾と労働者の決起など、部落解放運動のあらゆるたたかいが体現されている。そして、だからこそ「大衆的」であり、「継続」している。部落解放運動そのものなのである。
だからこそ、そのなかには、本部派の転向にたいする怒り、差別糾弾闘争の復権への情熱がこめられているのだ。そして、だからこそ、広島差別事件を引き起こし、開き直る革共同のような連中にたいする激しい怒りをも本質的に内包している。狭山闘争を標榜、利用して糾弾闘争を否定しようなどという行為は、他でもない、狭山闘争の本当の意味での階級的発展の力によって必ずや、その報いを受けるに違いない。

3)終わりに
柏木論文では、いじょうの他に、「全国連の労働運動路線」について、「反マルクス主義」だとか、「階級的労働運動路線に対抗し敵対するもの」などというケチ付けが行われている。だが、ここでも、柏木の主張は、全国連が95年の仁村論文いこうも「労働運動路線」を実践してきたなどとする事実の意図的歪曲を前提として、わら人形をでっち上げ、批判したかのように装う代物に他ならない。本来、一項を設けて論じるべきところだが、その、あまりのくだらなさに、もうこれいじょうつきあう必要はないと思う。
前号と今号の2回にわけて、柏木論文について検討してきたが、ある意味で、この作業は消耗な作業でもある。なぜなら、柏木論文が実際の部落解放運動に与える影響など皆無であり、それは、ただただ革共同の自己弁護、自己満足のために、あるいは、革共同内部の動揺を引き締めるためにのみ書かれたものに過ぎないからである。そういう意味では、本来、このようなものは無視していいようなものだが、あえて、こういう形で詳細な検討を加えたのは、広島差別事件糾弾闘争の勝利のために、革共同がそれから逃れるためにでっち上げるあらゆる卑劣な理屈、「理論的」粉飾をひとつひとつ粉砕し、その反階級的、差別主義的本性を暴いていくことが重要だと思うからである。
革共同が、柏木論文という形でかみつくことによって、逆に、穂高論文や、村山論文などによって、革共同が大きな打撃を被っていることが示されている。このような理論闘争もまた、糾弾闘争の一環である。読者諸氏には、あらためて、ぜひ、穂高論文や村山論文を読み返していただきたい。
(『情勢研究』第3号 2009年9月10日)

※『情勢研究』は、部落解放理論センターが、おもに全国連の役員・活動家用に学習・討論のための資料として発行をはじめたリーフレットです。
※穂高論文、村山論文は『部落解放闘争』41号(2009年3月発行)に掲載されています。

▲このページのトップにもどる