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2004年10・31狭山中央闘争 記念講演
水平社・高松差別裁判糾弾闘争の教訓に学ぶ
全国連中央本部書記長・中田潔
差別徹底糾弾の部落大衆の総決起
狭山闘争のなかで復活させよう!
国家権力を相手に糾弾闘争で勝利!

 高松差別裁判糾弾闘争とは、水平社の時代に裁判所を相手にたたかい、みごとに勝利したたたかいです。私たちが今たたかっている狭山闘争に勝利し、石川一雄さんの無罪をかちとるためには、70年前の高松闘争のようなたたかいを私たちの手でつくりださなければなりません。高松差別裁判糾弾のたたかいの勝利の教訓を、狭山闘争で復活させていきましょう。
 今から70年あまり前の1932年、四国の香川県で、一般民の娘と結婚を約束し、ともに暮らしていた部落の青年とその友人が、娘の親から「誘拐罪」で訴えられ、逮捕されました。
 その裁判のなかで検事は、「そもそも結婚においては自己の身分職業などを相手に告げねばならぬ。然るに被告たちは特殊部落民でありながら、自己の身分をことさら秘し、甘言詐謀を用いて彼女を誘惑したものなり」などと論告をおこない、裁判所もこの論告をみとめ、次の年の1933年に有罪の差別判決を下すという事件が起こりました。つまり、「部落民であることを相手に言わなかったことが犯罪だ」というのです。
 これにたいして地元の水平社が「こんな差別は許せない」と差別裁判糾弾にたちあがります。そして全国水平社の本部にも連絡され、全国的な闘いへと発展していきます。
 結局、このたたかいは見事に勝利をおさめます。差別論告をおこなった検事は左遷され、裁判長や警察署長が退職においこまれました。また、弾圧をうけた2人は早期に仮釈放をかちとりました。

高松闘争の勝利の教訓はなにか?

 高松地方裁判所での差別判決を知った、当時の地元の水平社の人たちは、香川県にはじまり四国全体へ、差別事件の真相を訴える講演会や座談会を各部落ごとで熱心にとりくんでいきます。さらに全国的にも全水の代表者会議が大阪でもたれて、そこで高松差別裁判にたいする全国方針が確立されます。「差別裁判を取り消せ!」「2人の青年の即時釈放」がかかげられ、それを実現するために全国行進をたたかうことが決定されました。
 当時は自由に集会もできない、警察が大手を振って民衆の運動を弾圧していた時代です。そのなかで、この差別裁判糾弾がたたかわれたのです。
 九州から行進をはじめ、警察によるきびしい弾圧をうけながらも東京に攻め上っていく過程で、56ヶ所で演説会がひらかれ、4万の部落の大衆が参加をしました。
 また、全国行進団を送りだすとともに、地元にのこった人たちは、裁判所による差別を糾弾して、納税を拒否する、子どもたちを学校に行かせない、退役軍人会を組織し政府の侵略戦争に反対するなどさまざまなたたかいを展開しました。
 差別糾弾闘争についても、高松闘争の年は前年より100件もふえ、1年間に700件をこえる糾弾闘争が取り組まれました。
 当時の水平社はカネも人も集まらない、機関紙を発行することもできないほど組織は弱体化していました。「差別糾弾闘争は、本来、仲間として手をつなぐべき労働者も敵にまわしてしまう」「部落民だけが集まる運動というのは、国民全体が団結するためにはじゃまだ」という「水平社解消論」が水平社の指導部のなかでひろまっていたからです。
 しかしそのような状況のなかでも、地元で営々と差別糾弾をたたかっていた全国の部落大衆のエネルギーが、高松闘争で一気にあふれでてきたのです。そして、糾弾闘争の高揚のなかで、水平社は1100支部に組織を広げ、部落人口の6割に影響力を拡大しました。
 私たちが今日、狭山闘争の勝利をたたかいとることを考えたとき、この70年前の高松のような大衆的で力強い運動をつくりださなければなりません。

糾弾闘争やめれば運動は敗北する!

 ところで、高松闘争の3年後には全国水平社は戦争に積極的に協力して、糾弾闘争をたたかうことをやめてしまいます。なぜ、そうなってしまったのか、同じ間違いをくりかえさないためにしっかりとみておきます。
 高松の一番の突破口を切り開いたのは地元の水平社の人々です。ところが、高松闘争に勝った直後に、この地元は水平社を脱退し、融和団体に加盟しています。
 もちろん、1つには全国行進の地元での報告会にたいする警察の徹底した弾圧で、地元の水平社は壊滅的な状態に追い込まれたということがあります。
 しかしより重大なことは、当時の水平社が、高松に勝利してもなお差別糾弾闘争を部落解放運動の基本としてきっちりと据えきってこれなかったという問題があります。
 差別糾弾闘争で大勝利、そして組織の拡大をかちとったのにもかかわらず、水平社の指導部は、差別糾弾闘争を運動の基本に据えることを最後までできませんでした。結局、のちの「部落委員会活動」のように、あれこれ理由をつけて糾弾闘争をやめて、そのかわり部落大衆の生活が大変だからと要求闘争だけは取り組もうという方針をとってしまいました。
 しかし、部落大衆が生活できない現実の根本には、部落差別があります。差別糾弾闘争ときりはなした要求闘争では、部落大衆の大きなたちあがりはつくられなかったのです。
 いま、全国連寝屋川支部の4人のきょうだいは弾圧に負けず元気にたたかってます。「部落民だから労働者としての当然の権利を認めない。こんな差別を許さない」「ここで負けたら差別されほうだい、村の生活がつぶされる」との思いで4人はたたかっています。
 この差別を許さないという糾弾闘争が部落解放運動の基本的なエネルギーです。この差別糾弾闘争を「弾圧があるから」「警察に逮捕されるから」、とためらったりしたら権力の思うつぼです。
 それは単に差別糾弾闘争ができなくなってしまうだけでなく、「差別されるのは部落の人間が悪いから」「部落の人間に教養がないから」という融和運動にすりかえられてしまいます。
 それでは、自分たちの支配のために差別を残しているいまの政府、小泉の思うつぼになって私たちは未来永劫、差別されつづけてしまいます。だからこそ、差別徹底糾弾という立場をいかに守っていくのか、今日的にも問われています。
 解同本部派は差別糾弾闘争をやめてしまいました。「法律を作って、法律で差別を取り締まって欲しい」「法律で私たちの権利を守って欲しい」という運動になってしまいました。これでは、水平社の敗北を再びくりかえすものであり、何万人集めようが、狭山闘争の勝利は決してありません。

全国で差別糾弾闘争をたたかおう!

 全国連の差別糾弾闘争を軸にした三大闘争こそ、この時代をきりひらいていく唯一の部落解放のたたかい方です。いまこそ、全面的に実践しましょう。
 「医者にもかかれない」「保険料が払えない」「税金払えない」「仕事がない」「給料が安い」…。全国連は部落大衆の毎日の生活の上での権利侵害をしっかりととらえて、それが部落差別とどんな関係にあるのかをあきらかにして、要求闘争を部落解放運動としてたたかいましょう。
 イラクに自衛隊が派兵されている時代のなかで、自分たちの生活や権利を守っていくために、反戦闘争とむすびついて、労働者のたたかいと結びついて、大きな力をつくって、部落差別を必要としている世の中をかえましょう。
 水平社が高松差別裁判闘争に勝利したような大きな陣形を、70年経ったいま、狭山闘争のなかに私たちが必ずよみがえらせましょう。
 全国連の三大闘争の3つのたたかいを1つのたたかいにまとめていくことによって、全国連はさらに力強く大きな組織になっていくことができます。全国連の三大闘争の発展のために、全組織をあげて取り組みをはじめましょう。
 なによりも、それぞれの地域でおこっている様々な差別事件に、臆することなく差別徹底糾弾のたたたかいをとりくみましょう。
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