狭山事件とは?

(2004年02月10日)

 

 1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生、中田善枝さんが誘拐され殺害される事件がおきました。警察は身代金をうけとりにきた犯人を取り逃がし、世論の批判にさらされました。 そこで警察は部落民ならやりかねないという差別的予断と偏見をもって、部落民をイケニエとして「犯人」にデッチあげることを画策。無実の部落民・石川一雄さんを「犯人」にデッチあげました。警察は、連日、石川さんに激しい拷問をくわえ、「お前がやっと言わないなら、兄をパクる」、「殺したと言わないなら、お前を殺して埋めてしまう」などと脅しました。そして、警察は、自分たちでデッチあげたストーリーを、石川さんの「自白」だと言わせたのです。 裁判所も部落で生まれ育ったことをもって、「親の愛情に恵まれなかったから犯罪者になった」と、「部落は犯罪の温床」という部落差別むきだしの偏見をもって、1審の浦和地裁・内田裁判長は、わずか3ヵ月の裁判で石川さんに「死刑」を宣告しました。 また、2審の東京高裁・寺尾裁判長は、さらに警察官の証言はすべて「信頼できる」とし、逆に石川さん本人や事件当日の石川さんのアリバイを証言した家族の証言は「信頼できない」と、あらかじめ「石川=犯人」という予断と偏見をもって1974年10月31日、「無期懲役」判決を下しました。
 1986年、石川さんは2度目の再審請求をおこない、無実をあきらかにする数々の新証拠がだされてきました。しかし、裁判では1度もまともな事実調べもせず、1審で死刑判決、2審で無期懲役が確定。
 石川さんは32年間も投獄され、94年の仮出獄いこうも「殺人犯」として警察や保護司に監視されるなか、再審を訴えています。05年3月、最高裁の第2次再審棄却決定に対しても「わたしの人間の尊厳をふみにじった裁判官たちは断じて許せません」と不屈にたたかっています。

   
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