今年こそ狭山の再審かちとろう!

(2019年04月)

新たな部落地名総鑑

鳥取ループ・示現舎をあばく―シリーズ

《部落解放新聞に掲載してきた「鳥取ループ・示現舎をあばく」シリーズを1から4まで一挙掲載します》


鳥取ループ・示現舎とは

鳥取ループ・示現舎をあばく―シリーズ・1

1、鳥取ループ・示現舎とは何者なのか?

鳥取ループとは

宮部龍彦という人物が、2005年にたちあげたインターネット上のブログの名前。(ブログは、日記風に情報を記載し、そこに他人もコメントできる。)

 ループとは「輪」「繰り返し」のこと。宮部は「解放運動が差別を再生産させるので、解放運動がある限り、ループのように無限に差別は無くならない、という意味で名付けた」と言っている。

示現舎とは

宮部の作った「出版社」の名前。2015年11月には、宮部と三品純の二人で合同会社を設立した。

*以下、とくに必要のない場合は示現舎で略す。

宮部龍彦(40歳)とは

 鳥取県東部(鳥取市下味野)の出身。長野の信州大学工学部を卒業。

 住所は、神奈川県座間市緑ヶ丘6-1-23 102号。

近年、神奈川県川崎市多摩区三田4-1-11塩山壮5号室を合同会社の住所にしている。

職業は、自称「ジャーナリスト」「ソフトウェアアーキテクト(ITソフトをつくる会社の技術責任者)」。また「地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究」と称している。

三品純(43歳)とは

岐阜県出身のフリーライター。法政大学法学部卒。宮部と二人で示現舎・合同会社を設立した。「新たな部落地名総鑑」の共犯者

 

宮部龍彦は部落出身者???

ある時は「正真正銘の部落民」と称し、ある時はシラ~と否定する。事実は、鳥取市の被差別部落に近い一般地区の出身だ。後ほど、詳しく触れる。

2、どんな罪をおかしたのか?

①2016年2月、示現舎は、ネット上で「復刻・全国部落調査 部落地名総鑑の原点」の出版を予告した。また、ネット上でも「同和地区Wiki」を掲載し「部落地名総鑑」がいつでも、誰でも見られる状態にしていた。

解放同盟の申し立てを受け、同年3月28日、横浜地裁は同書籍についての「出版・販売を禁止する」仮処分を決定した。しかし、示現舎側は、その腹いせに、何と、解放同盟の出した裁判資料(「全国部落調査」のコピー)を、ネットのヤフーオークションにかけるという、居直り強盗の挙に出た。全国からの抗議の殺到にもかかわらず、オークションは行われ、51000円で何者かに落札された。

他方、ネットでは、裁判で「同和地区Wiki」の掲載が削除されたとはいえ、宮部は自分の手で拡散させた。

今もネット上に「同和地区Wiki

全国5360ヶ所の被差別部落の地名(昔の地名と現在の地名)、戸数、人口、主業、副業、「中下」など生活程度、備考=コメント(苗字など)を一覧にして掲載。

 地名をたどり、その備考欄を見ただけで、部落にヒットするケースもある。

このように示現舎・宮部がやった(現在進行中)ことは、戦前の「全国部落調査の復刻」のかぎりではない。それをはるかに超える悪質なまさに新たな地名総監である。

宮部は「同和地区Wikiは、現在ネットでやっているのは、別の誰か」としらを切っている。しかし、拡散させた張本人であることは自認している。

②「ネットの電話帳」管理人

また、ネットで示現舎を検索すれば、どういうわけか、冒頭部分に「ネットの電話帳」がリンクできるようにしている。また、示現舎の掲載したいろんなものに「ネットの電話帳」がでてくる。前後関係もなく、唐突に。

そこでは、全国市町村の地区名、個人の電話番号、さらになぜかこの地区の希少苗字、多い苗字が並べられている。

「同和地区Wiki」と「ネットの電話帳」を照合すれば、被差別部落の地区名ばかりか、地区内住民の苗字までわかる。

解放同盟が訴えた裁判では、宮部は「全国部落調査に戸籍が加わると見元調査に利用されると、解放同盟は言うが・・・果たして戸籍で被差別部落出身者が判別できるかということは、本件訴訟の争点の根幹部分のはず」と言う。

しかし、上記の如し。何をかいわんや。

③そのうえ、ネットで興信所を演じる「部落探訪」

   さらにまた、示現舎はネット上に「差別を無くそう・部落探訪」と称して、写真・コメント、あるいは動画(YouTube)・ナレーション付きで、神奈川をはじめ、全国各地の部落を晒している。

   画面は、神社(白山神社など)、寺(本願寺派など)、過去・現在の主な職業、家の門札=苗字、墓地(墓石の名前も表示)、会館などの施設、共同浴場、改良住宅、掲示板、道路の様子(「道が整備されている」とか、「狭い」とか、「路駐が多い」車のナンバーも丸見えで「高級車が多い」など)、こうしたことが、全国百ヶ所以上の部落に対して行われている。

実際に、興信所などは、結婚相手や就職採用など個別の依頼に対応して、戸籍などの状況調査のうえで、聞き込みなどの現地調査に入る。まさに、部落探訪する。これらがセットで、可能なかぎり特定し、結婚差別、就職差別などがおこる。

示現舎の問題も、「新地名総鑑」「ネットで電話帳」「部落探訪」などがワンセットで、特定ができるようにしくまれている。示現舎はネットで興信所まで演出しているのだ。目的は部落・部落民なのか、そうではないのかをつきとめ、晒すことである。

つまり、それじたいが、部落差別であり、裁判進行中も日々、手を変え品を変え、部落差別を拡大している。これらはワンセットの超・部落地名・人名総鑑なのだ。

しかも、宮部は「1975年の部落地名総鑑でさえ、具体的な人権侵害の事例は明らかでなく、完全に風評被害の類い」と、ぬけぬけと弁明する。

1975年の第一次地名総鑑事件の発行者・坪田義嗣も明言している。「身元調査の99%は、就職、結婚に際して、相手が同和地区であるかどうかを調べること」と。

さらに、具体的な人権侵害は後で触れる。

④部落解放同盟全国連合会関係人物一覧(解放同盟も同様)

  この「人物一覧」では、全国連の役員・同盟員63人(故人や除名も含む)の姓名、役職、住所、電話番号を記載。コメント付きの人も。まさに晒し者にしている。

宮部は、「自分がやったものではない」と言うが、舌の根の乾かぬ内、「ネットは拡散するから禁止しても無意味」と開き直る。語るに落ちる。

 

ネット型ペテン師のアイテム

鳥取ループ・示現舎をあばく―シリーズ・2

3、部落地名総鑑をどうみるのか

示現舎・宮部は言う「そもそも全国部落調査は、被差別部落の出自かどうか判明する資料ではない。全国部落調査を文字通り公然のものとし、その内容の研究と議論を行うことは必ず有意義であり、真の部落解放に資するものである」(裁判の準備書面ほか。以下、とくにことわりの無い引用は同じく)

 また「復刻版は、部落地名総鑑と言われたものが、実は部落差別解消のために作られた行政資料がもとになっていた・・・まさに表現の自由の範囲内である」と言う。

 さらに「全国部落調査が出版されても新たな権利侵害はおこらない」「旅行のお伴に、あるいは図書館に持ち込んで参考資料として、手軽に活用できるものをめざします」とふざけている。

 この問題こそが、鳥取ループ・示現舎問題の原点である。

 すでに述べたように、宮部らが「全国部落調査の復刻版」と称しているものは、「同和地区Wiki」をみるだけでも、すでに原本を超えた内容である。何の必要で、何の目的で、宮部は、現在の地名、苗字などを記した備考欄、まで付け加えたのか?

 また、すでに述べたように、プラス「ネットで電話帳」や「部落探訪」や「・・人物一覧」が加われば、超・部落地名・人名総鑑である。

裁判では、「全国部落調査はもともと戦前に融和事業のために水平社も要求した行政資料だ」とか「解放同盟が(元ネタを)出したものだ」とか「学問、研究の資料だ」(宮部側)とか、「いや、戸籍謄本と照合すれば部落出身が特定され差別につながる」(解放同盟側)とか言い合いになっている。

「全国部落調査」の品評会につきあう暇は、全国連にはない。全国連は、これらがワンセットで、極悪の差別事件と断じる。

 宮部は、これらによって「新たな権利侵害はおこらない」と言う。寝言は寝てから言え。では、次の事件をどう思うのか。

 「同和地区Wiki」が生み出した差別事件

昨年8月、茨城県古河市役所の現職係長がストーカー行為で逮捕される事件が起きた。この係長は、相手の女性に対する嫌がらせの一環として、地元の運動団体に匿名の手紙を出して、この女性は家族ぐるみで部落差別をしている、「〇○は部落だから結婚するな、特に△△姓はやめろ、エタ・ひにんは何されるか分からない、〇○には怖いから一人では行かない」などと差別発言している、というウソの差別告発文を送りつけた。〇○や△△には、相手の女性の住む町にある実際の部落の地名や苗字が書かれていた。

 この係長は、この地名や苗字をどのように知ったのか、という問いに対して、「『同和地区Wiki』の中の『茨城県』で知りました」「サイトを見て正直、驚きました。全国の被差別部落が一覧として掲載されており、このようなデータが簡単に閲覧できてしまったからです」と回答している。

 このように実際の差別事件に使われているのだ。差別に利用する以外に、どのように使うというのか。

ペテン師のアイテム

すでに3年前の糾弾状において、全国連は次のように指摘した。

・・・さらに、この問題の独特の性格に注目し、その本性を見抜かなくてはならない。示現舎が「おちょくり」だの、あたかも「解放同盟の問題性を糺す」だのと言っても、それはペテンにすぎない。また「全国部落調査の復刻版」など、学術図書だからと弁解しても、それもペテンだ。これらは、歴然たる部落差別をすりかえ、ぬりかくすための、下手な演出にすぎない。

また、宮部じしんが「タブーをやぶり」、あたかも「解放同盟の問題性をただす」かのように装いしていることも自体も、極めて疑わしい。だいたい、数千もの部落の地名や主な苗字を公公然と晒して平気な人間が、自分のことになると、「とある鳥取東部の出身」などと誤魔化すのは、どうみてもおかしい。自己矛盾だ。40年前の、坪田らとは違う、新たな手口の下手な芝居をうったとしか思えない。

そのくせ、差別書籍の発行・販売で、あわよくばぼろ儲けをたくらんだ。その点だけははっきりしている。「部落地名総鑑」という悪名高い差別図書の死肉をあさるハイエナ。それが、示現舎の正体にほかならない。

この問題は、ネット時代における新たな装いを凝らした、こんにちの部落差別の姿、その典型のひとつである・・・

示現舎の本質としての、部落差別をネタにした、ぼろ儲け目的のネット型のペテン師、そのゲーム・アイテムとしての「全国部落調査の復刻版」「ネットで電話帳」「部落探訪」「‥人物一覧」の怪しげな小道具。この構造を見抜けば、示現舎の正体は鮮明だ。古河市差別事件は、その具体例だ。解放同盟は、なぜ手を焼いているのか不思議でならない。

あえて一言いいたい

 さらにまた、裁判資料を読んでの耐えがたい怒りから、次の点に言及しなければならない。宮部ごときの主張に圧倒されている、解放同盟は余りに情けない。その最大の原因は、次の点で宮部に足元を見られているからだ。

 全国連は、トヨタをはじめ、日本の大企業、大資本こそは部落差別の元凶、その大きなひとつであると考える。だから、生活要求闘争のひとつに、労働組合をつくり、労働争議をたたかうことも、部落解放運動の課題として内包する。ただし、勤め先が果たして資本とよべるほどのものかどうかは、厳密な検討が必要だ。

しかし、解放同盟・本部派は有名な朝田理論いらい、対行政にすべてを切り縮め資本とは根本的にたたかわない。就職までは取り組んでも、その先の労働条件には取り組まない。だから、資本を取引の対象にする。確かに行政も部落差別の元凶の大きな一員だが、資本も元凶の大きな一員なのだ。部落地名総鑑や興信所などの問題が後を絶たないのは、企業側(オーナー)のニーズがあるからだ。なぜ、そこまでメスをいれ、かつての対行政闘争と同様にたたかわないのか。

この思想の腐敗が、自らの肉体的腐敗を必然にする。本部派の腐敗問題の根源に、これがある。示現舎はそれを、どこからか嗅ぎ付け、承知で分け前にありつこうとする。「これはぼろ儲けになる」という動機なしに、果たして「暴露マニア」だけで、ここまで執ように、エネルギーを費やすだろうか?

 だから、裁判でも、原告の人々の良心とは別次元で、解放同盟側は劣勢に回ってしまう。宮部は、ニタニタしながら、解放同盟の弱点をつく。示現舎問題は、そういう部落解放運動の転換を迫る問題でもあるのではないか。

言いたいことは山ほどある。しかし、できるだけ感情を抑え、露悪的にならないように、言い分を整理したつもりだ。

 

宮部の内心を探訪してみよう 

鳥取ループ・示現舎をあばく―シリーズ・3

4、 宮部龍彦は部落民なのか???

宮部は、ある時は「正真正銘の部落民」(2016年当時のブログほか)と称し「部落解放協議会」(・・研究会ではなく、部落民の大衆団体であるかのように)と、自称している。しかも、裁判の準備書面では、自由同和会(自民党)、人権連(共産党)と「部落解放協議会」を並べて粋がっている。笑ってしまう。

最近(2018年11月)宮部が解放同盟の裁判に対抗して起こした反訴状でも、「全国部落調査に掲載された部落に住民登録しているから、正に部落出身者である。部落民として自分の出身地や部落に関してどう発表するかは自由のはず」と、あたかも部落民であるかのように主張する。

しかしある時は、「被告宮部の場合は本籍と出身地が一致しており・・・地名は全国部落調査に掲載されているので、短絡的に考えれば被差別部落出身者ということになるが、これも誤った考えである」(裁判の準備書面)と否定する。それにしても何と言う遠まわしの、この言い方!

そもそも宮部によると「明治4年の解放令で被差別部落出身者という身分はなくなった」「被差別部落出身者とはいい加減なものである」

真実は、宮部は鳥取市内の被差別部落に近接する、一般地区の出身である。

原告・解放同盟の出身については、言いたい放題のことを吹きまくっている。そこまでいうなら、自分の出身について、ズバリ「部落ではない」と単純明快にさせるべきではないだろうか。まず、そこから論議は始まる。「自由だ」とか「いい加減なもの」とか、何が一体言いたいのか。答えは簡単だ。宮部当人こそが、実にいい加減だということだ。

宮部は、部落民になりすまし、悪意をもって詐称しているのだ。それは明白だ。(その意図は後で見る。)そうしながら、全国連の糾弾状でその正体を暴かれ、指摘され、それいらい、うろたえているのだ。

結婚や、様々な契機で部落に住み、かつ、部落解放運動と出会い、「このムラに骨を埋める」真剣な人生選択として部落民として生きる立場の人々を、全国連は否定しない。むしろ、その人の人生選択を尊重し、仲間として歓迎する。しかし、言うまでもないが、宮部はまったくそれとは違う。

以上のような問題の設定はできればしたくない。しかし、宮部相手では致し方ないのだ。

5、なぜ、こんなことをするのか

 宮部龍彦らは、なぜ、どんな理由、目的で、こんなことをするのか?誰しも疑問に思う。ここは、宮部みずからに語らせよう。

   「理由は様々ですが、第一に、<同和はタブー>と思い込んでいる人をおちょくるためです」と言う。部落・部落民を暴露、晒すことじたいが自己目的?

   「啓発・教育という名目で行政や企業から利益を引き出し、金もうけしている人がいることは事実です。NTTとかトヨタ系企業とか、名だたる企業で人権同和研修があったりしますが、そういうことです」「(これまで)差別ネタは私の収入のごく一部。全国部落調査の発禁が解除されたら、今度は本格的にバンバン売って金もうけしますよ」(示現舎のツイッター)と、臆面もなく言う。自分も分け前にありつきたいという、汚い銭儲けが目的だ。

   解放同盟への根深い敵愾心

1、宮部の主張では、「部落差別とは血統による差別であり、住む場所による差別ではない。明治4年以降、血統は否定されており、被差別部落出身者はいない」

2、「解放同盟は、狭山同盟休校や部落民宣言を子供たちにやらせて、強制的に部落をカミングアウトさせてきた」「差別をつくりだしているのは、解放同盟のような歪んだ考えを持つごく一部の人々である」

3、「原告らは数々の差別事象を挙げるが、これらの評価においては地対協意見具申が挙げる部落差別の新しい要因の4つ目を踏まえなければならない。すなわち、何が差別かということを民間運動団体が主観的な立場から、恣意的に判断し、抗議行動の可能性をほのめかしつつ、さ細なことにも抗議することは、同和問題の言論について国民に警戒心を植え付け、この問題に対する意見の表明を抑制してしまっている、ということである」

4、「原告らの、部落差別による婚約破棄、婚姻関係の破壊という事例は多い、ということには何の客観的データも示されていない・・・部落差別があるとすれば、それは地名以外に別の原因があるからである。例えば、鳥取市の市報は、結婚差別の事例として自分から被差別部落出身だと言ったら相手の家族に反対されたことを紹介したことがある。しかし、自分から被差別部落出身者と言えば、面倒くさいやつ、頭がおかしいのではないか、と思われても当然である。自分から被差別と主張する人は、単に部落民というよりも、また別のカテゴリーの人々と考えざるを得ない」

5、「どこが部落かを隠すとよけい見たくなり、差別は無くならない。部落を普通に公開していくことが差別解消につながる。全国部落調査はむしろ差別解消に役立つ」。

以上、いささか引用が長くなった。

宮部の内心を探訪してみよう

 このへんで、宮部の心のうちに分け入ってみよう。

部落差別論、結婚差別については、別のところでじっくり相手にしてやる。ここでは、宮部が「もはや部落差別など無いのに、解放同盟が新たな差別をつくりだしている」と明言している点に注目したい。

それは原体験としての狭山同盟休校~部落民宣言への反発に根差し、1986年の地対協意見具申を手本にしているようだ。

狭山同盟休校は、1976年に始まり、以後数年間取り組まれ、さらに、集団ゼッケン登校に引き継がれていった。

同盟休校は、狭山差別裁判に抗議して、被差別部落の児童や、所によっては連帯した一般地区の児童も含めて、学校の授業をボイコットすることだが、当然のことだが、学校や行政ばかりか、保護者・地域全体をまきこんだ論議が不可欠だ。

そのような困難をおして、1976年5月22日には、19都府県1500校10万人が参加した。

なぜか。1974年、東京高裁・寺尾判決(狭山事件の無期懲役判決)への怒り、当時、上告審・最高裁への要求がそれほど広範にあり、東京・日比谷公園に全国結集した闘い方と並んで、各地の地域レベルの社会的な世論形成が不可欠だったからだ。詳しくは触れないが、戦前の水平社の差別事件に対する、三大義務(納税、教育、兵役)拒否のたたかいから、教訓化したものだ。

宮部が、クラスメートの部落民宣言を体験したのは、1990年だと言う。宮部は自分で認めるように、部落に近接した一般地区に生まれ育った。では、それ以前には、部落のことをどのように見聞きし、どのように思い、接してきたのだろう。

そこが不明では、「部落民宣言」に反発したと言うが、なぜここまで解放同盟への憎悪・敵愾心を持ったのか、理解できない。

 

部落差別とは、結婚差別とは

    鳥取ループ・示現舎をあばく―シリーズ・4

地対協路線をたてに糾弾闘争に敵対

次に、宮部の持ち出す地対協意見具申だが、当時「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄分割・民営化を強行、国労・総評解体を策した、中曽根政権時代のものだ。部落解放運動においては、戦後~高度成長期の同対審答申・特措法時代から、大きく転換する位置にあるものだ。

そこでは、宮部の言うように、戦後はじめて、公然と部落解放運動つぶしを宣言している。その核心部には「部落差別は解消する方向にむかっているのに、部落民の差別糾弾闘争が新しい差別をつくりだしている。部落差別解消のためには、差別糾弾闘争をなくさなければならない」と、差別糾弾闘争への解体がすえられている。

新たな部落地名総鑑事件のメダルの反面には、これがある。この点は、実に重要だ。「40年前の地名総鑑のときは、解放同盟にみんな頭を下げてしまい、解放同盟の思うままになった。今回はそれを打ち破るため」(2016年のブログ)と宮部は言う。単に、暴露マニアやぼろ儲けをしようというばかりでなく、権力犯罪の狭山差別裁判と並んで、民間から糾弾闘争を解体しよう、それが宮部の怨念にも似た目的なのだ。

われわれは、その点にこそ、最大の危機感を持たなければならない。ところが、解放同盟・本部派は、地対協意見具申いらい、差別糾弾闘争をズルズルと後退させ、権力の認める範囲内での糾弾におしこめてきた。今日では、差別者に対しては、告訴路線での対応に終始している。

2016年秋、「部落差別解消法」が制定された。示現舎問題は、この法の一因になったと言われる。しかし、糾弾否定の付帯決議と一体である。だから、裁判の経過を見ても、宮部の打撃にならないばかりか、宮部の糾弾否定を増長させている。原告の中には、歯ぎしりする思いで係わっている人も多いだろう。

全国連は、狭山闘争と表裏一体で、創造的な差別糾弾闘争として示現舎とたたかう。本シリーズは、第二弾の開幕である。

6、部落問題入門を入門しなおしたらどうか

宮部龍彦は、「部落問題入門」など発行し、さも物知りにみせかけ、実は中身は空洞、賤民起源説で大雑把に御託を並べたにすぎない。

宮部は言う。部落差別とは、元来は賤民に対する、血統による差別であった。しかし、明治維新後に人口の移動が激しくなり、都市の各所に貧困者が集まる地域があった。そのような地域には、かつて賤民の居住地域だった場所が多かったことから、全国部落調査が作られた昭和初期の頃には、部落問題とは貧困問題であり、融和事業の対象は貧困者が集まる地域であった。

いわゆる解放令が出されてからは戸籍に身分が記載されることもなくなり、明らかにその時点で世襲は途絶えている。」

また、準備書面の4ページでは「原告らは、被告らの部落解放理論が原告解放同盟の理論を既に超越していることを認めなければならない」とのたまっている。解放同盟もなめられたものだ。他人事ながら、溜息がでる。

  部落差別とは何か、結婚差別とは何か、その現在のあらわれ方はどうか。これは、部落解放運動の根本テーマである。                                                             

全国連は次のように考える。

 部落差別とは、身分的差別であり、それは「賤民」「血統」に単純化できるものではない。そのあらわれ方は、世につれて変わってくる。

 結婚差別では、その本質と、あらわれ方が典型的にでてくる。

 一般論で言えば、「政治起源説」が正しい。賤民は起源の一要因、支流のひとつにすぎない。戦国時代の末期、織豊政権時代の一向一揆への徹底した弾圧~徳川幕府による再編封建制=身分制度の確立が起源の本流である。

決定的には明治以降、資本主義になっても、身分制度は基本的に解体されず、むしろ温存され再生産された。明治維新をやらかした薩摩が、琉球支配とともに、一向宗(浄土真宗)をキリスト教同様、禁制にし、1597年から1876年(明治9年)まで、300年間も徹底的に弾圧してきた(隠れ念仏の存在)ことも軽視できない。

それ以上に、日本資本主義にとって、それが必要だったからだ。「資本と賃労働」に分解、封建遺制をどんどん解体―原理的な資本主義では確かにそうだ。しかし、遅れて出発した日本ではそうは単純にいかなかった。天皇、華族、士族、平民、新平民など身分制を新たな装いで内包した。特殊部落なる呼称も用いた。明治4年の解放令に対しては、反対一揆での強烈なカウンターもあった。

日本資本主義が明治維新で支配権を握ってから、間もなく先住民族であるアイヌ民族への占領・支配、琉球侵略=併合、日清戦争・台湾植民地化、韓国強制併合などの

侵略戦争を繰り返した。同時に農民を一方では分解して賃労働者として搾取しつつも、他の一方では資本の支配のために不可欠の産業予備軍(相対的過剰人口)として、また兵役の対象として地主制のもとに貧農を温存し、搾取、収奪した。この矛盾、歪さ。

日本の資本主義が、欧米列強と伍して成立していくには、天皇を頂点に置く強権国家が主導して、絶えざる侵略戦争と過酷すぎる搾取、暴力的な収奪で原始的蓄積をするほかなかった。こうした明治以降の天皇制国家の国内支配体制の必要から、琉球・沖縄とアイヌ(「土人」と蔑称した)を差別的に組み込むとともに、身分制そのものではないが、それに似た身分的差別を支配構造の不可欠の構成要素にした。

明治以降の部落差別は、宮部のような客観的評論でとらえきることは、到底できない。血の滴る圧政が生み出したものであり、非常に主体的な問題なのだ。

「賤民起源」や「差別解消」などは、軽薄な代物にすぎない。宮部は、部落問題入門から、顔を洗って、入門しなおしたらどうだ。

7、結婚差別への差別的見識を糾弾する

シリーズ3でとりあげた宮部の結婚差別への見識は、その内容じたいが差別そのものであり、これを法廷で言わせている東京地裁も、大いに問題だ。宮部の謝罪・撤回、裁判官の態度表明、裁判記録からの削除が必要だ。自分の子どもに「婚約の前には、必ず、堂々と出身を告げ、それで態度を変えるような相手とはこちらからお断りしなさい」と教えてきた、部落の親にとっては、怒りのやり場もない。これは、教育でも、強制でもない。差別の中で、子どもが差別に負けずに生きていく、人生訓だ。未だに、多くの親がそういわざるを得ない現実がある。

部落民が百人いれば、百人とも、何らかの形で結婚差別を体験する。その99・9%は沈黙する。事件化するのは、0・1%にも満たない。その理由が、宮部にはわかるまい。

確かに、昔と比べてその在り様は変化してきた。差別の壁をこえて無事ゴールインするケース、そこにも幾多の苦悩がある。結婚して、子どももできたのに、家族づきあいがいっさい許されず、ついには離婚するケース。結婚以前に、部落民とわかったとたん態度が一変し、破談になるケース。ほかにも、いろんなケースがある。

その場合、どれほどの人が、あえて解放同盟に相談しますか。人間としてのデリカシーを持った人ならわかるはず。運動体に相談し、問題が表面化するケースは、ほんの氷山の一角、否一かけらにすぎない。

氷山の一かけらでは氷山が見えない、だから氷山はない、と宮部は駄々をこねる。それは、氷山の責任なのか。それが、どれほど滑稽で、身勝手なことであるか。それを無自覚ならば、それだけで自分の胸に手を当てて考えるべきではないのか。宮部も、裁判官も同じく。

結婚差別は、部落問題を映し出す鏡だ。見た目、人柄、職業・経済力、健康、そういった基準ではない、まさに「部落民かどうか」その一点で評価が決まるのだ。一軒の家できょうだい2人が結婚差別に悩んで、家のなかで自殺した例もある。隣近所、どの方向を見ても、未婚のまま中年期をすぎる人が、一軒に1人いる。これが、現代日本の現実なのだ。しかも、その人たちは沈黙したままである。部落解放運動の積み残した課題は、まだ果てしない。

このシリーズは一旦完結します。

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