九州北部水害の現地から 被災した水田へのポンプアップ作業レポート

(2017年09月06日)

 

1)豪雨災害から1週間目、田面にひび割れが入り出した表面は白く乾燥し始めた。赤谷川には、上井手(約6.5町歩)と下井手(約5町歩)の水田が広がっている。

35年前、私が解同甘木・朝倉地協の常任(書記次長)当時、二つの水路工事を同和対策事業で改修しようと話が持ち上がった。解同林田支部役員と東林田、西林田、その他関係世話人との協議で、同和対策事業としての着工の強い要望が出された。それは、ず~っと昔から干ばつになれば水の取り合いが起こり、いざこざが絶えなかった歴史を持っていたからである。

 当時、私は同和対策事業全般を担当していたが、一般地区での工事に難色を示していた行政とねばり強く交渉を行って実現させた事業のひとつだった。

 予算の関係で、5期くらいに分け工事は進められた。それまでの玉石の壁や土端だけで築かれた水路は、毎年5月の水利清掃では、総掛かりの作業を要する1日がかりの仕事だったのである。

 この水路改修事業によって、コンクリートの三面側溝と砂留の溜めマス、随所に開閉の水門と水落口がつけられたことを覚えている。それ以来、用水路はこの地の人々と水利関係者にとって大切な役割を果たしてきた。

 今度の災害で、上井手の用水路は幸いにして大きな被害はなく、取水口は壊れたが、それ以外はポンプアップで水は送れる。

一方、約5町歩の水田を擁する下井手は、約4㎞の水路を通って水を供給しているが、今回の災害で取水口のコンクリート擁壁が全て破壊され、水田や果樹園(ぶどう、梨、柿)、畑のほとんどに真砂土と流木が押しよせ、一面まっさらになってしまった。下井手の曲がりくねった水路は、あちこちで土砂に埋もれ、側溝は寸断。下流へ水が全く流れてこない状況になっている。


2)これを憂えて7月22日の夜、水利関係者の総会が開かれ、50数名が出席した。

  議案は、①被害状況と場所、および規模の大小の説明、②ポンプアップと工事場所、その経費の負担、③ポンプ管理人と水当番(各組合3名)、砂が詰まった時のポンプ引き上げと重機(ユンボ)代、④穂が出て収穫まで100日間の可動などで、それぞれについて出席者の意見を求めた。

  約2時間の議論では、各自から思い思いの意見が出されたが、経費の組合員負担や二次災害等の問題で、組合としてのポンプアップを断念せざるを得なく、来年度に向けて、水路の完全復旧をめざすことが了承された。

  我が家の水田は、下井手水路の一番下流に位置している。周辺約1町歩を10名の耕作者が耕している。この中で生き残ったのは、村上とTさんの3反歩だけだ。6月に田植えした水田は、全て土砂がかぶって、一面真砂土に埋まり、水田の境はまったく分からない。そこに巨大な流木やゴミ、がれきが溜まり、見るも無惨な水田となってしまった。(今も流木やがれきの撤去は続いている)

  我が家の水田のすぐ下にあった隣の田んぼとは3mの段差があったが、玉石で積み上げられた壁を一夜にして、ほぼ同じ高さまで真砂土で埋め尽くされてしまった。


3)水利総会で自力での給水が決定されてから、どうすべきかを考えた。①あと何日位、水の供給なしで稲は大丈夫か。②水中ポンプ(2インチ+50mホース1台)の給水で2枚の水田にどれだけ時間がかかるか。③費用をJAで見積もりしてもらうと、2インチポンプ1台3万円、ホース50m1万円。しかし注文しても取り寄せまでかなり時間がかかる。④この間、友人や知人にポンプ借用を頼む。

  7月28日夜、第2回全国連福岡災害対策会議が開かれた。13名のメンバーが、これまでの取り組みの経過、支援状況、今後の課題について検討し、最後に水田のポンプアップ問題を議論した。

  天神町支部長の玉城さんからポンプ(2インチ)を1台貸してくれる提案があった。更に新品のポンプ購入も了承され、発電機もAさんが中古を修理して提供してくれることになり、発電機も2台となった。


4)我が家の水田は2枚に分かれ、上が481㎡、下が643㎡と比較的小さい。

  29日の朝、早速ポンプアップ作業の準備に入った。幸いにも水田から15mくらいの所が川となって水が流れている。そこをスコップで真砂土を掘り、目の小さなプラスティック籠とポンプを沈めた。

  上の水田まで50m、下の水田までは20mの距離だ。ホース2本を準備し、乾燥が激しい下の水田から給水を始めることにする。発電機のエンジンをかけ、水中ポンプの電源を入れると、20mのホースから水が勢いよく流れ出したが、白く乾燥してひび割れた大きな割れ目に水がどんどん吸い込まれ、表面まで水はなかなか溜まらない。

  約4時間でようやく水面が見え始めた。しかし、やっかいなことに水中ポンプに小さな真砂土が吸い寄せられ、これを1時間ごとに除去しないとホースの中に砂が溜まっていく。昼近くになり、昼食で一旦家に帰るために、軽トラックから発電機を降ろし、ポンプアップはそのまま続ける。

  1時間後に戻ってくると、下の水田に6割ほど水が溜まっていた。給水を一時中断し、ポンプ周りの砂を除去。今度は上の水田に水を給水するため、ホースをつなぎ替える。そして再びポンプアップ開始。上の水田には平手が15㎝くらい入るひび割れがあった。

  夕方まで約4時間給水するが、ひび割れの間に水がしみ込んで表面まで水はほ

とんど溜まらない。18時すぎにこの日の作業を終え、ポンプやホースを片付け始めたら厄介なことに気づいた。40キロの発電機を軽トラック荷台に載せようと辺りを見渡すが人影はどこにもない。まる一日の作業で身体は疲弊していたが、覚悟を決め気合を入れて40キロの発電機を抱え上げた。(10年前ならこんなことはなかったと苦笑する)

  

5)30日(日曜日)朝、福岡からの応援の人と二人で水田に向かう。

  田んぼの周りの情景が一変していることにビックリする応援の人。

  さっそくポンプアップの準備。川の中の真砂土をスコップで掘り、籠を沈めて水中ポンプをセットする。車から発電機を降ろしエンジン始動。リセットした水中ポンプは、勢いよく上の水田に水を送り込み始めた。

  少しの合間をみて応援の人を上流の被災現場へ案内。25日経った今も土砂や流木の大半が残っている。大勢のボランティアの人たちが、一生懸命土砂の撤去作業を続けていた。

  田んぼに戻ってみると、上の水田は水が満杯になっている。稲葉が生き生きしてきたのを確認し、ポンプアップを一時中断し、下の水田にホースをつなぎ替える。

  つなぎ替を終えると再びエンジン全開。乾燥した田んぼの中は、至る所に水草が10~15cm程生えており,雑草をとりながらふと耳を澄ますと,石垣から這い出てきたのか水が入った上の水田から,ゲロ,ゲロ,ゲロとカエルが歌いだした。じっと聞いていると,いつのまにか10匹くらいが一声に歌いだし,久しぶりに賑やかなカエルの声を聴いた。カエルが稲の代わりにお礼の鳴き声を発しているのだなと応援の人と顔を合わせ,嬉しくなった一日だった。

  午後4時半頃には,下の水田も満杯となり,隅々まで水が行き渡ったのを見届けて,この日の作業を終了した。

  夕方帰宅すると,シルバーの友人のIさんが水中ポンプを届けてくれていた。彼は被害の大きかった松末地区に住んでいた。裏山が崩れ,住宅が土砂でつぶされた中から,倉庫内の水中ポンプを見つけ出し貸してくれたのだ。本当に感謝に耐えない。(彼は今,妻の実家のある大刀洗町に引っ越している)

  これに新しいポンプが届けば,水中ポンプ3台と発電機2台での水の供給体制が整い,稲刈りまでの100日間頑張って稲を育てることができるようになった。

  全国のみなさんのご支援に心から感謝します。


            2017年8月2日

               村上久義(朝倉市杷木町在住、全国連副委員長)


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