5月13日~反戦・平和沖縄行動2017報告 村上久義・副委員長

(2017年07月22日)

  梅雨入りした沖縄では、平和行進が中部・基地コース、南部・戦跡コースの二手にわけ始まっていた。 5月13日、全国連の行動団は、大阪から一緒の5人、福岡から1人、奈良から1人、計7人(青年3人)、悪天候のなか予定を遅れて那覇空港で合流した。 さっそく辺野古へ。悪天候で工事はストップ、テント村もすわりこみは引き揚げていたが、辺野古の海岸を踏みしめ、明日を決意。 名護の海岸で県民大会 14日、朝8時、県庁前集合、県内外の大勢の人たちと一緒に、シャトルバスで大会の会場へ。今年の県民大会は名護・瀬高海岸。海岸にステージが準備され、「復帰45年5・15平和とくらしを守る県民大会」の大きな横幕が張られ、外国人もふくめ、人、人、人の波であふれた。  実行委員長・山城博治さんが「宮古、石垣への自衛隊配備にふれ、沖縄全県基地化を許さない」と、力強いあいさつ。稲峰名護市長、県選出国会議員からは「共謀罪も廃案に」と訴え。ヘリ基地反対協共同代表・安次富さんと、高江住民の会からの報告。韓国・済州島カンジョン村で米軍基地建設とたたかう40人の代表団は「9年たたかって、昨年つくられた。しかし、あきらめない。東アジアの平和は民衆の連帯で」と訴え、大きな拍手が湧き起った。  デモは名護の海岸沿いで「新基地やめろ」「県民は負けない」と、一帯にコールが轟いた。  夕方から、「島ぐるみ会議」有志の皆さんとの交流会。初めて実現した交流会だ。お互いの自己紹介、運動の報告や思いを語り合った。オリオンビール、古酒泡盛を酌み交わし、おおいに話がはずんだ。有志の方々は、退職世代、長年復帰運動―反基地運動を担ってきた。「嘉手納の一坪反戦地主で今もたたかい、借地料は供託している」方。「70年コザ暴動は沖縄を虫けら扱いする米軍への反撃だった」と語る方。  「島ぐるみ」有志の方から「被差別部落言うても沖縄の集落のこととどう違うのか」と質問があり、水平文庫26号「部落差別の始まりと身分制度」を全員に贈呈した。2時間半、有意義な交流だった。 戦争・基地は誰のために  15日、朝9時にホテルを出て、嘉手納、普天間の基地視察のあと、佐喜眞美術館、糸満で「ひめゆり」平和祈念資料館、那覇の沖縄国際平和総合研究所を見学。嘉手納ではF16戦闘機が12機に増え、すさまじい爆音をまき散らしながら着陸した。資料館での展示物は、私の目をくぎ付けにするものがあった。 丸木俊、位里さん「沖縄戦の図」。米艦船に体当たりした特攻兵の肉片を袋に拾う米兵。集団自決の惨状。幼い少女らの表情・・・。  沖縄戦とは何だったのか。「国を守る」ということが、いったい誰の何のためのもので、どれほどの民衆の犠牲を強いるのか。なぜ、沖縄にはこれがやられたのか。・・・その沖縄は、70年たった今も基地の島にされている。  有志の方々には、心から感謝もうしあげます。これからも、共にたたかい、共に学び、かけがえのない友になっていきましょう。共に、朝鮮侵略戦争をやめさせましょう。基地を無くしましょう。  
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