今月から、石川一雄さんの無実と事件の差別性をあらためて学習していくために、シリーズを開始します。
狭山事件についての学習は、現地調査が一番ですが、シリーズではこの狭山現地調査にそったかたちで、確定判決のデタラメさを明らかにしていきたいと思います。
また単に「現地調査の手引き」ではなく、再審棄却決定の批判や、第3次再審で出された新証拠など、現在の争点についても、各地点の解説の中で明らかにしていきたいと思います。
第1回 狭山市駅と石川さんのアリバイ
1,石川さんの真実の行動
●狭山市駅(旧入間川駅)
1963年5月1日、石川さんは朝7時20分ごろ、仕事に行くと言って家を出ました。しかし仕事をさぼり、西武園で時間つぶしたり、所沢でパチンコをしたりして、午後2時半ごろに駅に戻ってきました。
そして時間をつぶすために、中央図書館(旧市役所)の方へ歩いて行きました。
●金子八百屋
金子八百屋の前を通ると、息子の金三さんがおり、
「パチンコかい」「そうだよ」と手ぶりであいさつしました。金三さんは、その日だったかは「よく覚えていない」と言っています。
●新井たばこ店
石川さんは、たばこの「しんせい」一個とマッチ二つを買い、50円を出して、おつりの4円はいらないと受け取りませんでした。
●入間川小学校
小学校わき「月見」と呼ばれる場所で少し休んでいたら雨が降ってきました。
●駅の荷小屋
雨を避けるため、石川さんは3時半か4時ごろに駅のわきの荷小屋について、ここで雨やどりをしていました。
雨についての記憶は、当時の降雨時間と一致しています。
●自宅に帰る
石川さんは、午後7時ごろに弁当箱を持って自宅に帰りました。ウソの自白ではこの弁当箱のことはまったく出てきません。石川さんが弁当箱を持ったまま殺人事件を犯したことになるからです。
その後はずっと家におり、善枝さんの家に脅迫状が届けられた7
時30分にはテレビを見ていました。
妹の美智子さんは「私は5時か5時半ごろ家に帰り、一時間か一時間半遅れて一雄兄さんが帰ってきました。その夜、兄さんと一緒にテレビを見て、10時ころ寝ました。兄さんも寝ました」と証言していますが、「家族の証言は信用できない」とされました。
2,荷小屋で見たアリバイの証言
① 石川さんは荷小屋で雨やどりしている時に、中学生の一団が自転車にむしろを乗せて通るのを見たと証言しています。
調べると、当日は東中学校などで体育大会が開かれており、石川さんの話はこの事実と一致し重要なアリバイとなるはずですが、判決では無視しています。
② またI養豚場の車が通って行くのを見ました。これは石川さんがそろそろ帰ろうと思い駅の時計を見に行った時で、5時ちょっと前のことです。
石川さんは、自分がI養豚場で働いていた時はちょうど残飯を取りに向かう時間なのに、すでに残飯を積
んでいたのでおかしいなと思い、よく覚えていたのです。
3,作られたニセの行動
では、判決では石川さんはどのように行動したことになっているのでしょうか。
●狭山市駅と「すゞや」
ウソの自白で
は、石川さんは午後2時過ぎに駅に着きます。
そして駅前の「すゞや」で牛乳二本とアイスクリームを買い、牛乳を飲みながら、荒神様や出会い地点の方へぶらぶらと歩いて行ったとされています。
しかし「すゞや」の中島りんさんは「当日は牛乳はあまり売れませんでした。25歳前後の小柄な男が牛乳とアイスクリームを買い、500円札でおつりをあげた記憶はありません」とはっきり証言しています。
●時間の矛盾のため
なぜ警察はわざわざこのような自白をでっち上げたのでしょうか。それは、駅から「出会い地点」とされるところまでは、普通に歩いて15分くらいなのに、「3時50分ころに善枝さんと会った」ことにするには、1時間50分もかけて行くことになってしまうからです。それで無理に飲み物を買ったりしたことにしたのですが、それでも時間の矛盾はまったく解決しません。