高裁・植村新裁判長に要請行動

(2015年08月10日)

  再審開始へ、全証拠の開示勧告・命令を出せ! 事実調べ、現地調査を行え!石川さんの訴えを聞け!
崩れる「秘密の暴露」「自白」の信用性を演出する警察の偽装工作

7月27日第24回三者協議開かれる
    東京高裁第4刑事部の新裁判長・植村稔裁判長の下で開かれる第24回三者協議を前にして、全国連は7月23日茨城、東京、大阪、兵庫、山口のきょ 2015年7月23日高裁前 うだい・共闘の仲間で東京高検、東京高裁への要請行動に立ち上がりました。
    東京高検への要請行動では、検察の証拠隠しを許さず、証拠リスト開示で判明した未開示証拠の速やかな開示とともに、高検手持ちの証拠以外の狭山関係証拠を全部開示するよう要請しました。
    要請団からは、「埼玉の地検や警察署にある証拠を一切合切調べて裁判所に全部出して協議すればいい」と全証拠の開示を追求。
    また「ルミノール検査報告書は国会であると答弁しているのに高検は不見当とこたえている、見当たらないでは済まされない、探すのが検察の最大の仕事ではないか」と証拠隠しを追求しました。
     検察は黙して語らず、「質問には答えません、要請をお聞きするだけです」との態度に終始した。狭山担当の白木検事はさいたま地検の刑事部長を歴任しており、もっとも狭山事件関係の証拠の近くにいた人物です。さいたま地検や埼玉県警にある証拠の全面開示に向けてさらなる要請行動をたたかいましょう。
    午後からは高裁への要請行動をたたかいました。植村新裁判長への最初の要請行動となるこの日、要 石川さんが書かされた石川さん宅見取り図(略図) 請団は要請書とともに再審開始を求める署名を提出。また証拠の全面的な開示勧告、命令を出すよう要請し、事実調べ、裁判長自身で現地調査を実施するよう要請しました。 この日も第24回の三者協議に向けて石川一雄さんの裁判所前での訴えが行われており、要請団は「この石川さんの無実の訴えを真摯に受け止め、裁判所は石川さん本人から話を聞くべきだ」と追求しました。
    要請行動終了後、安保法案廃案の国会行動に参加しました。
東京高裁・植村稔新裁判長のもと7月27日、第24回の三者協議が開かれました。
   
裁判長の交替という中で、植村裁判長が証拠開示などにどういう態度で臨むか注目されるところでしたが、証拠物や客観的な証拠は開示してほしいとの従前からの裁判所の姿勢を踏襲するとの表明があったとのことです。 その結果、証拠リストの開示で明らかになった証拠物4点の開示請求は裁判所へ提出して裁判所が検討すること、東京高検以外の証拠リストの提出は弁護団の意見書をもとに裁判所が引き続き検討すること、オート三輪車による追い抜きに関するY証言関係の証拠開示については裁判所は検察に検討するよう要請したこと、万年筆の捜査発見経過に関する証拠開示については検察官は経過をふまえ検討することとなりました。 次回第25回三者協議は10月上旬に行われる予定です。
警察は知っていた これが「秘密の暴露」?
    石川さんの「自白」によると、被害者の自転車に乗って脅迫状を届ける途中、鎌倉街道でオート三輪車に追い越されたとなっており、捜査の結果Yさんの運転する車だと判明したとして「秘密の暴露」にあたるとされ寺尾判決で有罪証拠の一つとされていた。 弁護団はYさんや同乗していたOさん、Tさんの5月1日の行動や鎌倉街道を走行した車両に関する証拠開示を求めていましたが、これに関して検察は7月21日、「手ぬぐい配布先についての1963年5月7日付捜査報告書」1通を開示しました。 これには手ぬぐい配布先の1人であるOさんがYさん、Tさんとともに午後7時からHさんの当選祝いに行ったことが捜査で確認されたと記載されていました。Oさん宅は鎌倉街道の途中にあり鎌倉街道を通ることになります。 この捜査報告書が5月7日付けであり、石川さんのこれについての「自白」は6月21日、Yさんら3人の鎌倉街道を通ったという調書は6月27日付です。 これは「秘密の暴露」にはあたりません。逆に警察は「自白」の信憑性を高めるため、あたかも自白にもとづいて捜査した結果裏付けがとれたかのように装おっているのです。 これは寺尾確定判決が有罪証拠とした「秘密の暴露」という認定がまたも崩れ去ったことを意味するものです。
    自白は作られたものを証明するものです。 弁護団は7月24日、万年筆の発見のもとになった「略図」を赤外線撮影した写真撮影報告書を新証拠として提出しました。 この「略図」は石川さんが6月24日に書かされた石川宅の見取り図で鉛筆で書かれています。警察は3回目の家宅捜索(6月26日)に際してこの図面を持って行って、これにもとづいてお勝手口のカモイから万年筆を発見したとするものです。 ところが、鉛筆で家の輪郭線と「をかてのいりぐち」と言う文字が書かれた図面の、お勝手口にあたるところに警察官がペンで書き入れた複数の線が引かれています。 石川さんは万年筆を隠した場所を特定するようなことは何も書いておらず、万年筆の隠し場所がお勝手口のカモイと特定しているのは警察官が書き加えたペンで書かれた線だけであることが明らかになりました。
    そもそもこの「略図」は第2審の13回公判で警察官の証人が持参するまで存在が隠されていました。重要証拠のはずなのに、作成年月日も石川さんの署名も指印(はんこの代わりに拇印を押すこと)もない。ペンで線を書き加えたりした改ざんの跡があることが発覚するのを恐れたとしか思えません。 石川さんは万年筆のありかを聞かれ、燃やしたとか「風呂場入り口のカモイの上」とこたえており、隠し場所を知らなかったことを示しています。 徹底した2回の家宅捜索の後で発見されたことや、発見された万年筆のインクが違うことや、関源三巡査の不審な訪問や、今回の万年筆発見のもとになった「略図」が改ざんされていたことなどを考え合わせれば、警察による偽装工作が一目瞭然となります。この一事をとっても石川さんは無実です。
8・6広島の反戦の取り組みは地元福島町の人たちが軸となり、昨年よりもより大きな陣形で取り組まれました。
    午前の第一部の集会では、年々語れる方が少なくなってきている中、当時の被爆体験を当時の情景がまるで見えるような、生々しく語り部としてお話し下さった事が非常に印象的でした。あらためて反戦、反核の闘いをしっかり取り組む事を決意しました。
    午後のフェスタは、地元の屋台に舌鼓をうったり、和太鼓やバンド演奏など賑やかに行われました。
    その中で、全国連ならではの取り組み、全国連しか出来ない取り組みとして、狭山署名と紙芝居が行われた。
    少し場所をお借りし、狭山署名と紙芝居のブースを置かせて頂き、署名ブースは山口陶支部が軸となり鴨居の模型を隣に置き、石川さんの無実を多くの人に知ってもらおうと訴え、約50筆の署名を集めました。
    署名ブースの隣では、役になりきっての狭山紙芝居「わたしは無実」が上演されました。
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