狭山第24回三者協議が開かれる

(2015年08月10日)

  7月27日、東京高裁―植村稔新裁判長のもと、24回目の三者協議が開かれました。
「自白」の「秘密の暴露」は崩れた
    これに先立つ21日、東京高検は、手ぬぐい配布先についての1963年5月7日付捜査報告書1通を開示しました。 これは石川さんが脅迫状を届ける途中、オ 東京高裁前で無実を訴える石川一雄さんと石川早智子さん ート三輪車に追い抜かれたという石川さんの「自白」は捜査の結果、Yさんの運転するオート三輪車であることが判明したとして、確定判決で「秘密の暴露」に当たるとされています。開示された報告書には、手ぬぐい配布先の1軒であるOさんが5月1日午後7時からYさんの車に同乗して、脅迫状を届けたとするルートにある鎌倉街道を走行したことが捜査で確認されたと記載されているのです。 鎌倉街道を通ったとする石川さんの「自白」は6月21日、Yさん、Oさんが車で鎌倉街道を通ったとする調書は6月27日付。しかし今回の証拠開示では、捜査当局はすでに1ヶ月以上も前の5月7日にはすでにYさん運転の車が鎌倉街道を走行したことを把握していたことになります。自白によって初めて明らかになった「秘密の暴露」とは到底いえません。反対に警察は石川さんの「自白」を誘導し、もっともらしく見せるために脚色したことを示しています。
警察の証拠ねつ造は明らかだ!
    弁護団は7月24日、この捜査報告書と補充書を新証拠として提出しました。 また、弁護団は万年筆発見のもとになった、「略図」を赤外線撮影した写真撮影報告書を新証拠として提出しました。 この「略図」は鉛筆で書かれた見取り図に、警察官がペンで書きくわえた線があるもので(狭山ニュース6月号既報)、石川さんは万年筆を隠した場所を特定するようなことは何も書いておらず、お勝手のカモイと特定しているのはペンによる線だけであることが赤外線撮影でよりはっきりしたものです。
    このことは、警察がこの「略図」を調書に添付せず2審の途中まで隠し持っていたこと、2度の徹底した家宅捜索の後に発見された経緯、発見された万年筆のインクが被害者が普段使っていたものと違うことなどを併せて考えると警察によるでっち上げの証拠であることは誰の目にも明らかです。
    7月27日の三者協議は30分ほどで終わりました。植村新裁判長は証拠開示について従前の姿勢を踏襲するとの態度を示し、弁護団の証拠開示請求を検討するとしましたがそれ以上の進展は今回ありませんでした。次回10月初旬の三者協議に向けさらなる要請行動を強化しましょう。
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