寝屋川市議選へのご支援ありがとうございました

(2015年05月17日)

  かつてなく寄せられた地域の支持 今後のたたかい、組織建設に展望
きむら秀幸はこれからも皆さんと一緒に頑張ります。
戦争反対! 差別許さず! 誰もが住みよい町づくりのため、みなさんの先頭でたたかいます
きむら秀幸
    4月26日に行われた、市議会議員選挙では、きむら秀幸に 翌日4月27日には地元で、宣伝にたつ たくさんの応援をいただきながら、残念な結果になってしまい、本当にもうしわけありません。皆さんから寄せられた熱いご支援に感謝の気持ちでいっぱいです。自分としても最後までやりぬいた、と思っております。悔いはありません。あらためて、きむら秀幸に投票してくださったみなさんへのお礼と、みなさんからいただいた期待に応えられなかったことを心からおわび申し上げます。
    きむら秀幸の決意は変わりません! 今まで以上に、戦争反対、差別ゆるさず、誰にもやさしい町づくりのために町づくりのために、みなさんの先頭で、みなさんといっしょにがんばります。
期待に応えるたたかいはすでに始まっている
寝屋川支部書記長 飛山利光
    市議会議員選挙をたたかって、地元から議員をだしたいという声が寄せられた選挙だったと感じています。
  国守地域の人からの熱い支持をうける    村の人からは、「親戚に声をかけているで」「身体に気をつけてがんばったってや」と声をかけられました。紹介カードを届けてくれる人、きむら候補への期待が、日を追うごとに大きくなっていきました。きむら候補の地元、教育センターへ投票に行った多くの人から「きむらへ投票した」という声も届きました。選挙の結果は厳しいものでした。きむらさんを後継として指名した山本議員が亡くなり、支える力が足りなかったということもあります。しかし、後援会の雰囲気は暗いものではありませんでした。宣伝や個人演説会、紹介活動など取り組んでいただきました。
    選挙に勝つためには、後援会の日常活動を取り組み、地元を基盤にしながら、地元以外でどう票を獲得するかです。勝つために、足りないものがはっきりしました。
    選挙に寄せられた思い、期待を裏切らないための取り組みがはじまっています。
4年後と言わず、今日から頑張っていこう
きむら後援会 前田憲明さん
    きむらさんは、まじめすぎる。一回りおおきくせなあかん。名 団地から身をのりだして激励してくれる住民 前をうっていこう。カラオケやスナックにも行って、顔をうり、名前を覚えてもらわないとあかん。自分を変えていかないと、まじめだけではだめ。4年後と言わず、今日から当選を目指して頑張っていこう。
これからにつながると確信した選挙戦
古市支部 北浦裕樹久

    熱い熱い闘いでした。ムラのど真ん中にある選挙事務所。そこに出入りする地元住民の人たち、支援者の人々、そして事務局のデータ収集係、運動員の配置係、宣伝カーコースの設定係…。すべての人の「なんとしてもきむらを勝たせる!」という意気込みと全体の空気が4年前のそれはとは比べものにならないほどでした。
    僕自身も全国大会を経て4月に入り、週に3~4日ペースで、告示以降は毎日奈良から寝屋川に駆けつけました。おもな仕事は宣伝カーをナビゲートする「車長」を中心に、ウグイス嬢の男版である「カラス」、ドライバー、電話作戦などなど、それぞれ必死でやりました。
  宣伝カーは関西各地からの応援で運行    結果は確かに残念なものでした。しかし、地元の人々や運動員、何よりきむらさん本人がつかんだ信頼と手ごたえはこれからのまちづくり、組織づくりに生かされると確信できる、そういう選挙戦だったと思います。
野崎支部 新 神武王
    今回驚いたのは、村の人が紹介カードを事務所に持ってこられることの多さでした。「○○って言えばわかるから」と気さくにカードを置いていかれる方や、「後で、お礼になんかこなくていいから。そんな時間があるのなら、他の人のところに回っていって」と、きむら勝利のためにと気遣われる方もいました。移転前よりも移転先の住宅戸数がすくないという無茶苦茶な村つぶしの計画に、いままで我慢してきた人たちが動き始めたということがよくわかりました。
    宣伝カーのウグイスもやりましたが、「ムラのことは村で決める」とコールしながらまわりました。住宅周辺をまわっても、「やっぱりムラから議員を出さなあかん」と言われる方が多数いました。
    ムラつぶし「まちづくり」再開発計画をめぐり、切迫した状況ではありますが、村の人たちが「何とかせなあかん」とたちあがり、自ら動く姿が見られ、支援に入った私ももっと頑張らなければと強く思わされました。 きむらさんの頑張りと、ムラの人たちの頑張りがかみあうかたちで、次はもっと大きな力になると感じる選挙戦でした。
寝屋川市議会議員選挙の敗北についておわびします
部落解放同盟全国連合会 選挙対策本部

    4月26日におこなわれた統一地方選挙において、組織内候補、寝屋川市のきむら秀幸は、残念ながら、820票で落選でした。
    部落解放同盟全国連合会中央本部として、地元や全国 最後まで渾身の力をふりしぼったきむら候補と夫人(投票日前日) の期待に添えなかったことを、心からおわびします。申し訳ありません。
    敗北をしっかりみすえ、分析し、責任ある総括をしなければなりませんが、それには多少の時間を要します。何より、このたたかいの主人公である候補者、地元支部や後援会の人たちの意見を踏まえなければなりません。それぬきの論評には意味がありませんし、まして結果解釈の批評など許されません。
    その点をお断りしたうえで、とりあえず、以下の点を確認しておきます。
    きむら君の村・国守地区の投票所の出口調査(マスコミおよび飛山書記長)では、ダントツの強さだったということです。
    この点は、今回の選挙戦でみられた特徴からも、同じことが確認できます。
    「前回のくらべ事務所の雰囲気が全然違う。明るい。前回は、暗い雰囲気で、事務所にきてもモノもよう言いづらい感じやった。」(後援会の役員)。前回はゼロだった紹介カードの集中。街宣では、村のあちこちで、手を振ってくれたり、声援してくれたり、紹介カードをもって走ってきてくれたり。23日の演説会(50人)には、10人以上の初参加、老人会副会長はじめ初めての発言。何より、集票の主体として、村の人々が自分で隣近所、知人に声かけ、票を組織。最終確認で800まで読むことができた。
    全体の結果は残念至極ですが、しかし、村の団地をめぐって、また一軒家の地区の道路問題をめぐって、教育センターの 団地だけでなく、一軒家の住民からの支持もかちとる 来春廃止をめぐって、明らかに村の人々は「地元の議員」を切実に望み、きむら君はその期待を一身に集めました。この点は誰も否定することはできません。
    きむら君を先頭にした寝屋川支部の2年がかりの新たな挑戦ーアンケートにはじまり、村ぐるみの団結をゼロから再組織化し、支部のわが身を切る組織変革を進めてきたこと、それが選挙戦のなかで旧来の村支配のあり方をこえた住民の新たな総意を形成する段階に手をかけはじめたのだと断言できます。だからこそ、何としてもきむら君に勝ってほしかったし、この挑戦を一気に花咲くことができなかったことは、くやしいかぎりです。
    しかし、ただちに、次は始まります。5月8日は団地の説明会です。きむら君を先頭に要求してきたことが、ついに実現します。住民にとって、選挙の成果でもあります。「全員入居」を合言葉に、説明会を満杯にし、要求を実現しましょう。
    他方、地区外については、正直、分析に時間を要します。
    地区外についても、新しい後援会の役員さんたちが選挙戦全体の主人公として、貴重な役割を果たしま  した。また、きむら君も前回になく、足を運んで支持者に会ってきました。さらに、全関西の統一ビラいれ、電話作戦、総力街宣へのへのとりくみなど、 残念な結果におわり、申し訳ありません 終盤には総力戦でたたかいました。様々な困難をおしての奮闘に、心から感謝します。
    しかし、結果は冷厳と出ました。新しい後援会の役員さんたちの熱心な活動には心から感謝しつつ、それを、各地域毎の「後援会支部」組織の組織化と恒常的活動(せめて相談会、座談会など)へ発展させ、活かすことができませんでした。地区外での恒常的活動と組織化。その芽は生まれましたが、今回でその実現には余りに時間不足でした。村での新たな挑戦を全市の課題に、それこそが問われたのではないでしょうか。
    選挙はひとまず終わりましたが、村をはじめ、きむら君がとりくんできた課題はつづきます。安倍政権との対決もこれからです。何も変わりません。木村君はさっそく翌日から、朝一番に「きむら」の旗をたて駅頭で早朝出勤の労働者への挨拶、昼間はつれあいと一緒に村のなかを街宣しました。それを聞いて村の人14人が家から出てきて激励。この姿こそが、真の総括です。今後とも、共にがんばりましょう。
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