各地の狭山の取り組み 茨城県連でSAYAMA「みえない手錠をはずすまで」上映会

(2014年12月11日)

  【茨城県連】県連では「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」の県内上映にとりくむことを決め、5月に幅広い市民の参加を訴えて実行委員会を立ち上げまし SAYAMAみえない手錠をはずすまで た。
    実行委員会は何度も会合を重ね、この映画の音楽を担当した小室等さんのコンサートも一緒に企画するなど内容を論議し、狭山再審の現状について市民学習会を開いたり、地域、市民団体、商店会、労組などに働きかけをすすめていきました。
    9月21日に土浦市で行われた上映会&コンサートには、延べ370名を超える市民が参加しました。また布川事件の桜井昌司さんもかけつけてくれ、石川一雄さんからも連帯のメッセージをいただきました。当日のアンケートでは「地元でも上映会をやりたい」「私も狭山に取り組んでいきたい」という声が多く寄せられました。
    これを受けて、私たちは新たに「狭山事件と人権を考える SAYAMA上映会&コンサート(茨城県2014年9月21日) 茨城の会」を結成しました(代表は「障害者」解放運動に取り組んでいる沼尻さん)。茨城で狭山事件と部落差別という課題にとりくむ幅広い市民団体がつくられるのは、これが初めてです。
    これから全国連もその一員として、県内各市町村での上映会を中心に、地域に根を張った狭山再審のとりくみをすすめていきます。

40回目の狭山街宣
【番町支部準】1回目のことはよく覚えている。2010年1月。寒風吹きすさぶ中を4人が集まった。前年9月の三者協議開始を受けて、地元で開いた『造花の判決』上映会が「この映画、素晴らしいやないか」と好評 だった。12月の要請行動で石川さんの姿を間近に見て、これは何かしなくてはと思ったのがきっかけだった。
    それから丸4年。「暑い」「寒い」で休んだ月もあったが、ほぼ月1回、土曜日の3時から4時の1時間、地元の駅前に立ち続けている。
    4年の間に、メンバーの高齢化が進み、「いつまで続けられるだろう」という心配は絶えない。今年11月の街宣でも、常連の一人は病欠、もう一人は残業のため来れなかった。そんな中、1月に骨折して車椅子生活になり街宣に来れなくなっていた支部準のUさんが、「ミニデイサービス」の仲間を誘ってやってきてくれた。これからもがんばろうと思う瞬間だ。
    1時間にまくビラは100枚と少ないけれど、それでも40回で4000人の人にビラを手渡した勘定になる。 署名とカンパを一手に引き受けて下さっているのは支部準の達人・Nさん。 番町では毎月欠かさず街宣 1回で7~8筆だろうか。「狭山事件のことを今日授業で習いました」という大学生、「中学の頃に弁論大会で狭山の発表をした。石川さんはお元気ですか」と尋ねる婦人。「黄色いゼッケンがなつかしくて書かずにいられなかった」と手紙をくれた女性。「こんな不正義は許してはいけない」と署名してくれた国民救援会長田支部の婦人。少なくない人々と言葉を交わし、支えられてきた。
    毎回入れ替わり立ち替わり参加してくれる共闘の仲間には頭が下がる。
    支部準のYさんは黄色いゼッケンのことを「チョッキ」と呼んで愛用している。「チョッキをつけてれば何のビラまきかすぐわかるからな」という。
    「狭山差別裁判糾弾」が僕らの誇りだ。「狭山再審実現」が僕らの願いだ。この願いが届くまで、僕らは駅前に立ち続けます。
要請行動と地元での地の這うような地道な組みで事実調べ全証拠開示を!
【北摂支部】北摂支部は富田町病院の労組解放研と共に10年以上前から時々抜けることもありましたが、毎月23狭山デーを取り組んできました。現在も第三水曜日午後6時より阪急富田駅南側入り口で取り組んでいます。また、富田町病院に病院管理のもとで毎日署名用紙を置いていただき、来院する患者さんや、その家族、ボランティアさん達に署名をお願いしています。ここでも予想以上に署名が集まっています。
    最近狭山デー参加数が減っていますが、それでも、狭山情勢が切羽詰まったなか「今やめるわけにいかん」と参加者の枠を広げ、活動家ではなく、ほとんどビラ撒きの経験のないきょうだいたちに呼びかけ続けてきました。
    狭山再審闘争は極めて重要な段階を迎えています。事実調べの要求と証拠開示を一体に捉え、事実調べの開始で風穴を開けていかなければならないと想います。
    北摂支部は何十年にもわたって狭山勝利を目指してきたことを腹に据えきって要請行動と一体で23狭山デーを勝利のその日まで取り組み続けます。
青年部有志の狭山街宣
【青年有志】今年の四月から、大阪の青年二名で狭山カンパ街宣を行っています。
    ことの起こりは、全国青年部で行う沖縄合宿などの費用を出すのが苦しいというところからでした。大阪の青年で沖縄合宿の参加について話す中で、このようなきびしい現実がわかってきました。そこでいろいろ話し合ったすえ、駅でのカンパ街宣をすることにしました。
    カンパ街宣は、すべて手探りの状態で始めました。第一回、大阪は京橋の駅で行いましたが、交通費ほどの額しか集まりませんでした。「給料日前はアカンわ」「夕方は暗くなるからアカン」そんな基本的なところから、「『十円でもいいのでカンパお願いします』って訴えたら、十円渡す人はあまりなくて百円からカンパしてくれる」というノウハウまで、気づいた点を話し合いながら、少しずつ改善していくことにしました。
    その後場所をムラの近くの駅に移し、二ヶ月に一回ぐらいのペースで街宣をつづけました。署名のない月もまくビラの内容などさまざまなことを、本当に時間をかけて話し合いました。
    7月の署名は暑さでフラフラになったり、住道駅では強風に邪魔されたりもしました。ときどき千円のカンパをいただくこともあり、そんなときは本当に涙が出そうになります。これらの署名は、10月の要請行動で、裁判所・検察に提出しました。
    狭山署名は工夫しながら、細く長く続けていきます。また、それと別にカンパのためのムラ回りもしようという意見も出ています。青年が、お金にしばられずに活動できる形を作るのが今の夢です。
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