憲法第9条の削除にひとしい「集団的自衛権行使」を断固阻止しよう

(2014年06月21日)

      5月15日、安倍首相は「安保法制懇」の報告書を承認し、憲法解釈を変更して「集団的自衛権を行使できる」ようにすると語った。集団的自衛権の行使を容認するとは、まぎれもなく、戦後日本のあり方をひっく り返し、「戦争のできる国」に変えることだ。戦後の平和意識を「自虐史観」と悪罵し、戦前のアジア・太平洋地域への侵略戦争を行なった日本にあこがれる安倍の策動を絶対に許してはならない。
(1)大国の紛争介入の口実
    集団的自衛権は、第2次世界大戦後に新しく認められた自衛権(国連憲章第51条)だ。しかし、自衛権と は名ばかりで、大国が自国の利益のために他国の紛争に介入するための口実にすぎない。
    集団的自衛権は、国連の安全保障の枠組みを定めるための国連憲章がまだできる前、アメリカ大陸に波及 してきた民族解放闘争の波にたいして、カリブ海諸国や南米諸国などの地域的安全保障を確保しようとして 「考案」された。集団安全保障のカナメとなるはずの国連の安全保障理事会は、米英仏中ソの5大国が拒否権をもっているので、なかなか機能しない。しかし加盟国が個々の判断で武力行使に踏み切ることを認める 自衛権は、厳密には個別的安全保障として扱われ、集団安全保障体制とは矛盾する。だから武力攻撃を受け た国からの要請を受ければ軍隊を派遣できるための仕組みをつくったのだ。この新しい自衛権によって、東西対立が激しくなる中で、さまざまな相互援助条約がむすばれた。
    これまで集団的自衛権が行使され、国連安保理に報告された事例はアメリカによるベトナム侵略戦争をは じめ11。ここでは、その典型的な事例として1981年のニカラグアについて紹介する。
    1979年、ニカラグアに、親社会主義的なサンディニスタ国民解放戦線主導による革命政権が成立した 。米国は、1981年にレーガン政権が発足すると反ニカラグア政策に転換し、特にニカラグアがエルサル パドル、ホンジュラス、コスタリカの反政府勢力に武器等を援助していることを理由にして、経済援助を停 止し、ニカラグアの反政府武装勢力コントラを支援するようになった。米国は、コントラヘの軍事援助、資 金供与を行っただけではなく、ニカラグアの港湾に機雷を敷設し 、空港、石油貯蔵施設などを攻撃した。そのためニカラグアは、米国の行為を国際法違反であるとして国際司法裁判所に提訴した。これに対し米国は 、自国の行為を、ニカラグアによるエルサルバドル、ホンジュラス、コスタリカへの武力攻撃に対する集団的自衛権の行使であると主張した。
    国際司法裁判所はニカラグア事件判決において、集団的自衛権を行使するためには被攻撃国による攻撃事 実の宣言及び援助要請が必要だとして、米国の主張を退けた。
    この事例に見られるように、集団的自衛権は常に濫用される危険をはらんでいる。要は、大国の恣意的な 紛争への介入の口実なのだ。安倍首相はこの集団的自衛権を行使できる国に、今ここで日本のあり方を変え ようとしている。民族解放の課題をめぐって発生している国際紛争にたいして、日本の「国益」のために地 球の裏側まで行って、民衆の要求を抑圧して回ろうというのだ。
    しかし、私たちは、戦後70年「戦争をしない国」として、国際社会から認められ、尊敬されてきた歴史を 投げ捨てることはできない。
(2)アメリカの没落に備える安倍
    マスコミは、「自衛隊出動の判断を首相に一任することで、離島警備強化を与党が合意した」「集団的自 衛権の行使にあたって、自衛隊を他国領に派遣しない『必要最小限度の範囲』」「自衛隊に戦闘地域での武 器・弾薬の提供などの活動を認める」「武器使用規則を見直す」等々、戦闘行動への参加が当然であるかの ように報道している。
    しかし安倍首相は「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなこと はこれからも決してない」と強調し、集団的自衛権の行使に慎重な公明党および世論をなだめ、すかすのに 躍起となっている。とにかく、どんなに枝葉末節の事例であれ、集団的自衛権の行使に関係する問題が取り 上げられ、了解されれば後は時の流れに沿って行使の対象や中身は拡大して行けると踏んでいるからだ。
    安倍がつま先立って、集団的自衛権の行使を今ここで閣議決定しようとしていることには理由がある。ま ず何よりも、シリア内戦への対応とロシアのクリミア編入への対応でオバマが無能ぶりをさらけ出してしま い、戦後秩序が求心力を失い根底から動揺しはじめている、という世界情勢がある。
    さらに、「失われた20年」という閉塞 感に加重して9・11事件と東日本大震災・福島原発事故の衝撃が、 現象的には日本社会の「右傾化」を生み出しているからだ。安倍は、こうした現状が集団的自衛権の行使を 切り口にして、憲法第9条の明文改憲へ実際に乗り出すチャンスだと見ているのだ。
(3)激突さけて「解釈改憲」
    日本国憲法9条2項は、戦力の不保持を謳っている。だから戦後の日本においては、明らかに軍隊である 自衛隊の存在は違憲なのか合憲なのか、を最大の焦点として争われてきたし、今でも決着が付いているわけではない。日本政府(内閣法制局)は、自衛隊は憲法が禁じている戦力ではなく、自衛のための必要最小限の実力組織だ、と苦しい言い訳を続けている。
    安倍の祖父・岸信介は1960年の日米安保の改定で、これに手をつけた。安保の改定が憲法の改定を本 質としている、と弾劾した労働者人民によって政権の座を追われた。70年の安保・沖縄決戦でも、労働者人 民は血を流してたたかい、改憲策動を阻止してきた。
    これらのたたかいにおされて明文改憲が難しいと判断した政府は、解釈改憲によって自衛隊を「普通の国 の軍隊」のように活動させる企みを繰り返してきた。99年には、朝鮮有事などを想定した「周辺事態法」が 制定された。周辺事態と認定されると、国会の承認を経て、自衛隊は武器や弾薬の輸送など米軍への後方地 域支援が可能になった。さらに同法を補充するため、2000年に船舶捜査活動法が制定され、周辺事態に 際して実力行使を伴わない任意の積み荷検査などができることになっ た(今まで周辺事態法が適用されたこ とはない)。
    しかし、いま安倍が推し進めている憲法の解釈を変えて集団的自衛権を行使できることにするという策動 は、これまでとは次元を異にする。モロに「戦力の不保持」「平和国家建設」という日本の民衆のこれまで の立場を否定するものだ。国論の二分、妥協の余地のない対立が始まるのだ。憲法9条が骨抜きになるだけではない。権力の恣意的な振る舞いを抑制しようとする立憲主義を根底から否定するものだ。憲法が全ての 法律の規範とされてきた位置を奪おうというのだ。その先には、基本的人権が全面的に奪われる社会がまっ ている。なんとしてもこの攻撃を阻止しなければならない。
    安倍がどれほど巧妙な手を使おうと、それは議会政治の上でしか通用しない。われわれ人民が正義をかけ てたたかえば必ず勝利できる。ともにたたかいましょう。
▲このページのトップにもどる