辻岡豊先生を偲ぶ 部落解放同盟全国連合会中央本部 2014年3月

(2014年05月26日)

  広島差別事件・真相報告集会(大阪)で発言する辻岡豊先生 辻岡豊先生。あなたが亡くなられてから、はや2年が過ぎました。私たちの力不足もあって、追悼の言葉も今日の日になってしまいました。天国の先生にも、全国各地の生前の友人、知人の方々にも申し訳なく思っております。
    辻岡豊先生。あなたは、私たちが知る限り、教師としてこの世に二人と居ないであろう存在でした。「こんな教師がいるのか」!先生に接した誰もが、そのような第一印象をもったことと思います。私たちの知る先生は、教師というよりは、闘士であり、すばらしいアジテイターでした。
    そのお姿は、生涯変わることはありませんでした。最後の最後まで、一本筋の通った人。荒本、全国連との出会い、そのなかで育まれた絆を、何があろうと決して裏切らず、生涯の魂として貫かれた人。私たちにとって辻岡先生とは、そういう存在であり、真に尊敬に値する先輩であり、無二の戦友でした。     それは、有名な意岐部東小学校の教頭として解放教育の先頭に立っておられた時代ばかりではありません。もっとも、その信念が発揮されたのは、若かりし頃の和歌山でのたたかいと日本共産党の裏切りとの対決、そして晩年での広島差別事件の発生と革共同の差別者集団への転落との対決に至るまで、目を見張るものがありました。そういう試練にさらされたとき、先生は実に見事なまでにキッパリと御自分の態度を瞬時に決められました。むしろ、御自分の不安を口にされるよりも、荒本支部や全国連の方々の心配を一番に口にされました。本当に頭が下がりました。
    このような先生のお姿は、先生の一生の全体像からすれば、ほんの一端に過ぎないかも知れません。私たちにも、生涯言えなかった、いろんな御苦労をされたことと思います。しかし、「死ぬまで一本筋を通す」「部落解放運動で出会った戦友の絆を決して裏切らない」という信念の人という評価をさせていただくことは、誰も異論ないものと思います。
    それをこそ、私たち全国連は先生に学び、先生に続きます。先生が最後の最後まで心寄せてくださったこの部落解放運動を、私たちもまた、先生に負けないように、生涯かけて貫きます。
    辻岡先生!  お疲れ様でした。どうか、安らかにお休み下さい。天国から、私たちの生きざまを見守って下さい。合掌。
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