投稿 狭山現地調査に学ぶ

(2014年04月02日)

 

    3月16日、インターネットサイト「狭山事件を検証する」のよびかけで行われた狭山現地調査に参加しました。「狭山再審を求める市民の会・こうべ」としては、3回目の現地調査参加となりますが、その度に、新たな「発見」があります。
Oさんの証言の意味
    今回、1981年に証拠開示されたOさんの自筆の調書について改めて学びました。
    Oさんは、石川さんが「雑木林で殺した」と自白しているとの報道に驚き、「そんなはずはない。自分は事件当日、雑木林のすぐ側の畑で農作業をしていた。悲鳴も聞いていなし、人影も見てい とても見晴らしがよく、いつ来ても何人もの人が農作業をしているが、事件当日石川さんと被害者を見たという人はいない ない」と自ら警察署に出向いてこの調書をつくったと言います。
    Oさんは自分の証言が裁判で取り上げられると固く信じていました。そして、有罪判決が下されたからには、もっと有力な証拠があったに違いないと考えていました。
    その調書が検察官によってもみ消されていたことをOさんが知ったのは、有罪判決が確定してから後のことだったのです。「自分はいつでも法廷にたつ」と言い続けているOさんの怒りにはじめて合点がいき、その勇気に胸を打たれる思いがしました。
    雑木林が殺害現場ではなかったということだけでなく、警察が石川さんを犯人にするために証拠を隠してきたことを証明するOさんの証言を、何としても再審で実現しなくてはなりません。

「冤罪」はどのように引き起こされたか
    現地事務所で石川一雄さんのお話を伺いました。石川さんは、冤罪が明らかになった事件について司法が検証を行わないことを残念に思うと話されました。
    足利事件の冤罪被害者である菅家さんは、取り調べの可視化の議論の中で、「机の下を撮らなきゃ駄目だ!」と叫んだそうです。菅家さんは、取り調べで刑事たちに足のすねを蹴り続けられたのです。石川さんは、眠ることを許されませんでした。
    拷問による自白の強制と、ウソの自白にもとづく証拠の捏造がずっと見すごされてきたことが悔しくてなりません。
狭山再審運動の広がり
    現地調査では、インターネットの告知を見て参加した皆さんと同行しました。その中で、まだ年若い方が「一人一人の苦しみを見ない社会を変えたい」と話されていたことに感銘を受けました。
    「こうべ」からの参加者の中には、映画「SAYAMA」を見て「現地に行きたい」と声をあげた方もいました。
    石川さんの51年間の無実の叫びが広く社会に伝わり、多くの人の心を動かしていることを実感しました。
証拠の改ざんが明るみに出た今こそ事実調べを!
    現地調査の翌日、東京高裁と高検に要請を行いました。昨年の証拠開示で、被害者の死体を縛っていた手ぬぐいの捜査書類に改ざんが発見されました。
    寺尾確定判決は「重要な証拠収集過程においてその一つについてでも、弁護団が主張するような作為ないし偽造が行われたことが確証されるならば、それだけでこの事件は極めて疑わしくなってくる」と述べています。
    私たちは要請の中で「偽造が明らかになった今こそ、事実調べ・再審が開かれなければならない」と訴えました。
    今春から、この一年は東京高裁の動きに眼を離せません。非常に緊迫した大事な時期です。
    映画の自主上映、現地調査、裁判所への要請、ビラまき、署名、座り込み等々、狭山再審のために何ができるか、一人一人が考え、動き、つながっていきましょう。(狭山再審を求める市民の会・こうべ)
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