10・27狭山中央集会に続き、波状的要請行動たたかう!

(2013年12月19日)

  中四・九州からの報告
10・28狭山要請行動をたたかって(あさくら支部・準)
    10月28日、東京高裁と検察庁に対する狭山要請行動に参加しました。全国連大会で決定した波状的要請行動の取り組みとして、今回は九州、中四国を中心とし全国から20名を超え 狭山中央集会の熱気そのままに、高裁に向け要請行動(10月28日) る参加がありました。
    前日の狭山中央集会(東京・銀座)では第三次再審請求のたたかいがいよいよ最終局面に入り、このまま検察の証拠隠しや居直りを裁判所が認めたままなら、棄却という最悪の結果も招きかねないという切迫した事態にあることを確認、狭山事件50年の今年こそ再審開始を!と訴える石川一雄さんに連帯し、その思いにこたえる要請をするぞという気迫をこめて午前11時からの検察への要請に向かいました。
    狭山担当の白木検事は「出張のため」欠席と聞いていましたが、対応した事務官は白木検事が庁舎内にいることを「自白」。これに要請団の怒りが爆発。「庁舎内にいてなぜでてこないのか」「検事が手を離せない打ち合わせがあると言うならもう一人の検事をだせ」と追求。事務官がしぶしぶ白木検事にお伺いを立てにいくが「二人とも打ち合わせに出ていて出席できない」との回答。すかさず「それなら要請文だけでもうけとりにきてほしい」「休憩時間でも、昼休みでも受け取るくらいできるだろ」と迫り、事務官はふたたびお伺いに行くが 「やっぱり出席できません」と同じ回答のくりかえし。     要請団がさらに追求しようとすると「30分ルール」を持ち出して「時間ですから終わります」と逃亡の予告。どこまで主権者をないがしろにするのか!「ふざけるな、要請はこれからだ」「誰が時間を無駄遣いさせたのか!」「検事がうそをつくから混乱したんじゃないか!」
    事務官が着席するのをまって、全員が要請文と口頭で無実・差別・糾弾の「要請」を徹底的に貫きました。最後に「今日、三者協議があることはわかっている。三者協議の前に要請文と内容」「隠してる証拠を全部出すこと」を検事に伝えることを確約させて1時間15分の要請行動をしめくくりました。
    午後からの裁判所への要請は裁判長はおろか書記官すらでてこず、訟廷管理官という事務官の対応です。検察以上にお上意識をむきだしにして一切の質問に答えようとはしません。まるで郵便ポストが「どうぞ要請文を入れて行ってください」と言ってすわっているという態度です。
    要請団は「石川さんの命と人生を奪っておいて沈黙はないだろ」「裁判所は検察の証拠隠滅の共犯者になるのか!」と弾劾「今日の三者協議で検察にたいして隠してる証拠を全部出させる命令をするよう」伝えることを約束させました。
    この日の三者協議で、裁判所の開示命令・検察の証拠開示ともにさしたる進展もなく年明けの次回日程(1月下旬)が決まったと聞いたとき、石川さんの無念さがどれほどのものかと思われるとともに、石川さんを主人公にした狭山闘争の大衆的発展をなんとしても実現しなければという思いでいっぱいになりました。
10・27~28中央闘争を闘って(陶支部)
     10・31に先立つ婦人部大会の狭山企画として「狭山事件の取り調べ」状況の劇を陶支部はやることにしました。事務局の松元君が当時の資料をもとに、石川さんを追い詰めていく長谷部刑事や関巡査の言動を調べあげ、2週間かかってシナリオが完成しました。
    婦人部大会の1週間前にやっと配役が決まり1度練習をしましたが、その時は笑いも出てはたしてうまくいくのか心配でした。当日は、でっち上げた警察への怒りからか、石川さんが自白を強要される場面を迫真の演技で訴えることができました。この劇を通じて中央集会への全力決起を参加者が決意してくれたことと思います。
    10・27狭山中央闘争では、布上中執が陶支部を代表して「バスに揺られて1昼夜、狭山現地調査に行ったことが私と解放運動の出会いです。あの鴨居を見ましたが、あそこに万年筆があったことなど誰が信じますか」と訴えました。また、10倍返しのカンパアピールも圧巻で、訴えた本人もそれ相当のカンパをしたそうです。
    翌日は、中四国・九州の独自の狭山要請行動でした。20人と制限されたために要請行動に参加できなかった大橋中執が「ガンガンやっている様子が外にいても手に取るようにわかった」と言っていたように、全員が文字通り火の玉となって、一日も早い証拠の開示と再審の開始を訴えてきました。
    要請行動を終えて、脱原発テント村の座り込みにも参加し、福島の方の貴重な体験談も聞くことができました。それから11月12日の奈良西之坂支部の大橋家に対する強制執行の闘いにも全力でかけつけ、激動の秋をかけぬけました。
10・27~28狭山中央闘争・要請行動(広島)
    広島支部では狭山中央闘争と要請行動を取り組むにあたり、地元福島町の住民や共闘関係の8・6ヒロシマのつどい実行委員会の関係者に対して、狭山再審勝利の訴えをおこなってきました。
    ムラにおいては、まず青年部のメンバーそれぞれが、万年筆や筆跡など、でっちあげを示す証拠について研究したことをまとめ、資料を作成しました。その上でお宅をうかがい、また婦人部の料理教室の場で狭山を訴え、要請行動で提出する一言メッセージを書いていただきました。
    訴えを通じて、「がんばってきてね」とカンパをいただいて、住民から応援されていること、期待を背負っていることを実感しました。さらに狭山差別裁判について学習を深め、もっと新証拠を権力につきつけていきたいととらえることができました。
    8・6実行委員会のメンバーからも多くの要請書が届き、差別を許さず連帯してたたかう熱い思いとともに東京へ乗り込みました。
    そして狭山中央集会での皆さんの力や勢いのもと要請行動に臨み、差別的な態度の検察や裁判所をわれわれが圧倒し、とことん糾弾することができました。検察では出席しない白木検事の参加を徹底して追及し、われわれの本心や怒りをさらに実感させたのではないでしょうか。また裁判所ではすべての要請書を読み上げることができ、再審への強い思いを自分の言葉でつきつけることのできたことが成果としてあげられると思います。
    依然として再審の扉をこじあけることの困難さを感じますが、その中でも石川さんの訴えに固く連帯し直接敵に対峙して差別糾弾をつきつけ、再審無罪を訴えることの意義の深さを強く感じた要請行動でした。再審無罪まで継続して団結してたたかいましょう!
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