石川一雄さん不当逮捕50カ年糾弾! 狭山再審へ、今こそ全力をだしきろう

(2013年06月09日)

 

茨城県連と江戸川支部で現地調査

【茨城県連】5・23石川一雄さん不当逮捕50年全国行動として、茨城県連と江戸川支部で5月12日に狭山現地調査を行いました。案内は、井田中央委員にお願いしました。 狭山駅東口に集合し、一日の行動案内の後、西口に移動しました。 西口に移動して大変びっくりしました。駅前のロータリーがなくなり、広い道にデ 自分の目で見て、石川一雄さんの無実の確信をふかめる パートやマンションが立っていました。西口に来たのは10数年ぶりですがこんなに変わっているとは思いませんでした。 西口駅前には、石川さんがでっち上げの「自白」で牛乳を買ったとされる「すず屋」がありましたが、今は駅前のビルに移転したそうです。また、井田さんの説明で、「当時、牛乳ビンを店に持っていくとお金がもらえた。生活が大変苦しかった石川さんが牛乳ビンを捨てることなど絶対にない。調書を書いたのは、裕福でこんなことも知らない人間だ」と話されました。

Oさんへの証人尋問をただちにおこなえ!

     この後、当時石川さんが、出会い地点に向かって歩いたとされた道にそって、私たちも歩きました。その道路は、現在はなくなっていましたが、私たちは時間を計りながら移動しました。
    「自白」では、駅から一時間かかったとされている三柱神社(荒神さま)へ、私たちは15分足らずでつきました。実際に歩いてみると、裁判のおかしさがよく分かります。
    この周辺は開発の波が来ていました。神社の敷地は前に見た半分以下になっており、真ん中に道路が通り、建て売り住宅がならんでんでいました。 三柱神社(荒神さま)から、歩いてすぐの「出会い地点」とされるX型十字路に移動ました。なぜここが出会い地点になったかは、善枝さんが最後に目撃された場所がここの近くのガード下だったため、警察がここを出会い地点としたということです。
    また、石川さんは片方に弁当箱を持ち、自分より重い体重の善枝さんの自転車を止めたとされています。調書では、弁当箱の存在が書かれていません。労働者で、貧乏な家庭では弁当箱は重要であり、絶対に捨てることはありません。石川さんが善枝さんをここで急に誘拐したなどいうことがいかにデタラメかがよく分かります。
    出会い地点から、カバンや教科書が発見された場所や、「殺害現場」とされる場所に移動しました。 「殺害現場」とされる雑木林は、今はまったくなく、新興住宅地へと開発され、駐車場になっていました。「悲鳴も聞かなかったし、人影も見ていない」と証言するOさんの畑の、車をおいたという道路が当時の面影を残すのみとなっていました。しかし殺害地点とされるところからOさんの畑だった場所は、すぐ目の前で、いくら環境が変わったからといって、こんな近くに人がいるのに殺人などできないということは、その場に立ってみればよく分かります。
    その後、イモ穴、死体発見場所の近くを通って(ここも住宅街になっています)、石川さん宅に向かいました。私たちは石川さん宅前で、あらためて狭山に勝利することをみんなで誓いました。

裁判官は直接、現地を調査せよ!

     現地調査を終えた後、富士見集会所で昼食を食べ、井田さんからまわってきた場所のおさらいと狭山の部落の歴史について話をしてもらいました。
    今回初めて現地調査に参加した人からは、「あんな道で、善枝さんがノコノコとついて行くはずがない」「石川さんが無実だとよく分かった」などの意見が出されました。
    私も10年ぶりの現地調査でしたが、いくら現地が変わっていても、あらためて狭山現調の重要性を感じました。
    駅の東口も新たな道路ができています。この道路がつながったら、「出会い地点」や「三柱神社(荒神さま)」もなくなってしまうかもしれません。現地調査に行ったことがない人や、しばらく行ってない人はぜひ行って下さい。
    なにより、河合裁判長はじめ狭山を担当する裁判官が、直接、自分の目で現地を見るべきです。

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