拡大中央委員会の基調(要旨)

(2012年09月30日)

 

部落解放運動の未来を切り拓く全国連への飛躍を

今回の拡中委の基調報告は、春の全国大会の提案とその後半年余りの実践、各種の論議にふまえて、これまでとは少し違った角度から問題提起してみようと思います。

大会ではここをこう提起した、議案 団結し新たな闘う方針での実践へ 書でもこう書いてある、ここをよく学習しなさい、と言った方法ではなく、まだささやかですがその後いろいろな場で論議されてきたなかで、出され始めた疑問や意見に応える形で提案し皆さんと論議してみたい。そうすることで、より具体的でより多くの皆さんが参加できるものになるのではないか、と期待します。

もちろん、21回大会の提案は、提案じたいが完成品ではなく、何年もかけて模索していくものであり、したがってその論議も数年単位を覚悟して開始したものです。この拡中委もその過程を促進するものになれば、成功だと考えます。来年、さらに再来年の大会、なにより大事なその間の実践につながり、研ぎ澄まされていくのだと思います。

そのために、この場では、①実態調査、②10・28狭山中央闘争、③住宅闘争、④反原発闘争の4つの具体的テーマについて、これまでに伝え聞いたことにふまえつつ、本部の意見と皆さんの意見を出し合い、一緒にもがき、あがいて、何とか答えをみつけていきましょう。

格差反対を全社会の運動にしよう

ただ、その前にひとつだけ触れておきたいことがあります。

今年の全国大会の基調提案について「転向ではないか」という疑問の声が、大会の参加者のなかからありました。あるいは、それとニュアンスは違いますが、「ショックをうけた」という反応もありました。

それは議案書の具体的な個所では―おもに第3章の「格差是正要求からの脱却」のところをさしているのではないかと思います。

21回大会の提起にたいして、このような反応があることは実は覚悟してあのような踏み込んだ提起をした次第です。ある意味では、誤解を恐れずに言えばこうした反応を期待していました。むしろ、これくらいは序の口で、もっともっと、全国連が根底から揺れるような論議が巻き起こり、意見をたたかわせることを期待しています。それなしには、誰か少数の頭脳を寄せ集めて考えたくらいでは、新しいいいものをつくりだすことはできません。

その場合、21回大会基調は「格差是正からの脱却」を肯定的に述べています。決して否定的、清算的には述べていません。結論で言えば「格差反対を部落だけでなく全社会の運動にしよう」と。その先頭にたつような部落解放運動を全国連はやるのだと。

その点は狭山できりひらき、三里塚でつちかい、東大阪国健会で挑戦してきたが、いまや三大闘争のすべてで、差別糾弾闘争、住宅闘争、労働問題、医療や福祉の分野…でその考え方、取り組み方、闘い方において、全国連のすべてをひっくりかえしてやっていこう、と。その点、はっきり変革しよう、と。そうでないと通用しませんよ、と。

部落解放運動の根絶の危機に抗して

21回大会の提起は、部落解放運動の恐るべき危機を背景として、そこに、他人事ではなく、自らの死の危機の感性をもってとらえ、何とかしなければ、しかもそのチャンスは今しかないという危機感に燃え立った全国連のもがきがあります。

部落の団結の喪失と運動離れの歯止めのない進行。…「一度全団体が解散してみよう」(灘本)などの主張が大真面目で叫ばれはじめました。全国6000部落のなかに、村として「解放の火」をともしつづけているところがいくつあるか?  村のなかに、年に一度でも荊冠旗が翻っていると 瀬川委員長(右)と本部提案をおこなう中田書記長(左) ころがいくつあるか?  部落解放や狭山闘争のポスター、立看がたっているところがいくつあるか?  …荒本をはじめ、全国連のいくつかの村にしか存在しません。これは虚言ではなく、6000部落の現実の姿です。 全国連が意地でも仁王立ちすることは確かにそれじたいかけがえがない。しかし、それだけではダメ、本部派と同様、全国連もエピソードで終わってしまう。

部落解放運動本体、部落解放運動それ自体を代表できる全国連ー泣いても笑っても、全国連しか存在しない。全国連にはその希望がある。だから、そのために全国連は変わる必要がある。

情勢の要請からもーまた、21回大会の提案は、戦争前夜とも言うべきこんにちの情勢からの要請でもあります。空前の政治、経済の危機から、帝国主義の戦争、侵略戦争の足音が刻一刻と高まっています。しかし、同時に、民主党、自民党など既存の政治勢力がおしなべて馬脚をあらわすなかで橋下・維新の会を軸にしたファシズム的勢力が台頭し、他方で反原発運動にみられる既存の枠をこえた新たな民衆運動が「70年闘争いらい」と言われる高揚を開始しています。

部落解放運動はこの情勢の例外ではありません。一方で、本当に根絶やしにされるかどうかという危機です。他方、新たな民衆決起と合流し、この時代に通用する運動として生まれ変わることができるかどうか。その激動のふるいにかけられているのです。

10・28狭山中央闘争はじめ後半の4つの重要課題

ここでは、4つのテーマに即してわたしたちの課題は何か、本部としての問題意識を提起しておきます。① その1つめは、実態調査です。実態調査を提案し、実施を開始してから、すでに3年越しになります。すでにいくつかのところでは、第一次の実施が終了し、分析が報告されています。それを見れば、その効用は歴然です。詳しくはここではふれませんが、部落のおかれた現状は、10年前(同和事業うちきり)さらに4年前のリーマンショック・世界的恐慌いらい、恐るべきスピードで悪化しています。他方で、頼るべき団結の解体、運動離れも急速に進んでいますが、決して差別への怒りや解放運動への期待が根絶やしになったわけではありません。誰より、わたしたち全国連の認識が一変させられる、「目からうろこ」ーこれが実態調査の最大の効用です。「村人の苦しみの本当のところを、何もわかっていなかった」「他人話ではなく、全国連の自分からそうなっていた」ーここです。

今回の実態調査は、全国連の日常の基礎的活動として、三大闘争の何をやるにも、まずこれをやって、ここにあらわれた現実と対話して方針形成にもがいていく。だから、ブームでおしまいではなく、数年がかりの長期課題です。これまでの革共同との付き合いに汚染された狭い認識、「おおかみ少年的」左翼少数派の感性から、スッーと戦術方針にいくのではなく、まず自分の目のうろこを落とし、顔を洗って出直し的に方針を考えていこうということです。

さらになぜこれが必要なのかーもはや前提がないからです。何をやるにも前提となる様々な条件が、村の共同性、団結、行政など相手となる側の事情、市民の反応…が、10年、4年前とは全然違います。とくに、挙手空拳の全国連の場合、自らたたかいの前提、基礎となるものをしっかり耕してからでないと、荒れ地に種をまいても実はなりません。全国連には、この活動がたえず必要なのです。

第1次が終了したところは、次に村内の他の層や近隣の他の部落を対象に。まだのところは、長期戦でもいいから、あらゆる困難をだしあって、論議を尽くし、工夫を尽くして、全国もれなく必ず実施しましょう。

10・28狭山中央闘争へ

② 10・28狭山中央闘争を全国連単独で、何としても成功させたいーこれが2つ目です。

全国連としては久しぶりの全国動員による東京での集会です。全国連だけで会場をうめましょう。値引きなしに集めよう、今回はあえて「動員主義」でいこう、ということです。

「行って当然」という人は、お金、時間、家族行事など、今から計画して、一人のとりこぼしもないように、準備万端整えましょう。活動家と言えども、当然のごとく自動参加とはいきません。仕事、家族、財政、健康など年相応の事情をかかえています。個人まかせにはできません。やはり、自分も大衆の一員として、困難を出し合い、助け合いを組織して、はじめてこの層の全員参加は実現します。活動家も自分を例外におかないことです。これを冗談半分ではなく、各級機関で真面目に論議して克服すれば、それだけで動員目標の半分は達成できます。

今回、事前の組織化としては「要請ハガキ」を重視して提起しました。まず、全国連の支部員から。支部員といえども、この人たちに、今なぜ狭山なのか、再審はいまどこまできているのか、どうすれば勝てるのか、知っていることを前提にせず、丁寧に話しこむことが必要です。その話しこみの道具としての署名やハガキです。そして、この層から、あと半分を実現しましょう。

さらに、村の他の層や共闘にハガキの協力をお願いし、そのハガキを持って東京へ代表を送り出すことを要請しましょう。

活動家、支部員と言えども、マンネリを打破してもう一度一から狭山闘争の再武装をすること、上京の諸条件をその人任せにしないこと、「実態調査」精神で組織化にあたること、ここにかかっています。

奈良の住宅闘争の教訓

③ 住宅闘争について、これが3つ目です。この分野は、とりわけ関西以西では、日常活動の大半を占めています。それだけに、次のより具体的な奈良のたたかいの報告を参照しつつ、考えたほうが生産的だと思います。

まず、最近の攻撃をどのように認識するかという点です。

わたしたちは、応能応益の攻撃にたいして、「差別があるかぎり、法は無くなっても、同和対策を続けろ」と対置して反対してきました。しかし、いまや橋下流政治の台頭のなかで、これまで反対運動でかちとってきた約束すら反故にして、奇襲攻撃をかけてきました。奈良市はその典型です。反対運動=同住連、部落解放運動=全国連、労働運動=奈良市従をねらいうちし根絶する攻撃です。

数年来の本部派バッシングのキャンペーン。本部派の抵抗力の喪失。大衆の運動離れ。他方で、市従を除く労組の御用組合化。そこ登場した、橋下流のサルまねしか能のない仲川市長。

その手法は奇襲と、仰々しさ。さすがに、全国連と言えども最初は虚を突かれ、どうすればよいか、動揺があったことは事実です。

そこからどう反撃にたちあがったのか? どういう考えにたつことで立ちあがることができたのか? 西之阪の自治会決議、古市をはじめとした自治会での論議のもちこみ、市内11部落への働きかけ、市長との直談判・交渉の実現、全市的な反仲川の大市民運動の追及…。あきらかに、一部の反対住民が供託でふんばるという従来のたたかいかたとは違います。絶滅型の攻撃に直面し、周りをみわたして、「このままではつぶされる」「これまでの自分たちでは通用しない」という、腹の底からの危機感にもんどりうって、そこから「では、どうたたかえばいいのか」考えたのです。

すわ一大事、関西の全力動員を頼む、という発想とも違います。それでは、こうした新情勢はつくれなかったでしょう。

まだ、始まったばかりです。しかし、こうした考えに転換して決起を開始したとたん、仲川の正体がたちまち見えました。「張り子のトラ」です。奇襲や仰々しさに騙されていました。

それは、敵の強さではなく、弱さです。弱いから、反撃がこわいから、自分を精一杯大きくみせかけて人をまずペテンにかけてやってくるのです。

この試練のなかで、21回大会が少し霧が晴れたように見えてきました。

反原発闘争に決起する

④ 反原発にどうとりくむのか?  全国連は反原発にたいして反応が鈍いのではないか?

結論から言えば、全国連はこんにちの反原発の国民的高揚を大歓迎します。そして、あれこれの前に、まずドンドン参加していきます。

一人からでも参加して、その人が情報発信するスタイルー新聞やネットのホームページで紹介し、それを見た人が次に一緒に参加する、情報発信型スタイル(全世界ではこの方法がむしろ一般化している)に習熟して取り組んでいこうと思います。

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