10月狭山中央闘争・東京高裁糾弾に立ちあがろう!(連載最終回)  部落解放理論センター

(2012年09月30日)

 

証拠開示と事実調べをかちとろう!

これまで三者協議をめぐる攻防点について、第1回は雑木林の血痕反応検査結果、同8ミリフィルム、被害者の死体写真の3点を開示させることを訴えました。第2回は、「血痕反応検査を行なった結果は陰性だった」という新証拠について検討し、検察の証拠隠しを糾弾しました。第3回は殺害現場とされた雑木林のとなりで農作業をしていて「悲鳴は聞いていない」と証言している小名木さんの事実調べをするように求めました。最終回の今回は、被害者の死体写真を開示し、事実調べを行なうよう強く求めます。

被害者は首を絞めて殺された!

石川一雄さんが強制されたウソの自白は、被害者を押し倒して強姦しようとしたところ、被害者が「キャー」「 殺害方法は「自白」と違う 助けて」と大声で悲鳴をあげたので、右手をひろげ首を上からおさえつけて強姦したら死んでいた、となっています。寺尾確定判決も、自白の殺害方法(扼殺)は被害者の死体を検屍、解剖した五十嵐勝爾の鑑定(頚部扼圧)と一致する、と認定しました。

しかし、事実は逆です。五十嵐鑑定にもとづいて警察は石川さんの自白を扼殺へと誘導したのです。しかも、五十嵐鑑定はまちがっていました。被害者は、幅の広い布のようなもので首を絞められて死んだのです(図参照)。

寺尾差別判決38ヶ年徹底糾弾!

1972年7月、第2審のさなかに弁護側は、五十嵐鑑定のまちがいを指摘した上田政雄(当時、京都大学教授・医学博士)鑑定を裁判所に提出しました。井波七郎裁判長(当時)は、上田鑑定人を証人として出廷させることを約束して退官。しかし、11月に後任に着いた寺尾正二裁判長は、弁護団とのうちあわせ会議で「あれ(上田鑑定)は実に勉強になりました。感動して読ませていただきました。実にすぐれた鑑定書でございました。十分に読ませていただきましたから証人には呼びません」と、この約束を反故にしたのです。

そして寺尾は、ひとりの証人尋問も、一度の事実調べもすることなく、着任からわずか1年10ヶ月で審理そのものを結審させ、そのたった1ヶ月後の74年10月31日に無期懲役判決を下しました。殺害方法について判決文は「上田鑑定は再鑑定に必然的に伴う限界を考慮した良心的な鑑定ではあっても、直接死体を解剖した五十嵐鑑定の結論を左右するに足りるものとはいえない」として、扼殺を犯行事実として認めました。絶対に許されません。

上田鑑定の正しさの前に、検察と裁判所はグラグラです。第1次再審の際にも検察は石山昱夫(いくお)鑑定書を提出し、扼殺と絞殺の併用へと殺害方法を変更しています。高木裁判長もこの扼殺と絞殺の併用を認め(確定判決をひっくり返して)、再審請求を棄却しました。こんなデタラメを二度と繰り返させてはなりません。

検察の意見書提出弾劾ー被害者の死体写真をすべて開示せよ

ところが2012年3月30日、検察が意見書3通(筆跡1通、殺害方法2通)を東京高裁に提出しました。未だにその内容は全く明らかにされていませんが、これは検察が「有罪」の立証をやり直したことを意味します。自分から確定判決における筆跡と殺害方法の立証は間違っている、と認めたのです。立証の内容が違うのだから、これだけで再審に値します。

小川裁判長は、検察にたいして死体に関するすべての写真を開示させ、自らも事実調べを行なわなければなりません。被害者の死体は、五十嵐勝爾の鑑定に先だって、警察官・大野喜平が実況見分をおこなっています。この際に撮られた何十枚かの写真、鑑定中に鑑識課の警察官が撮った写真のうち開示されていない写真があります。私たちは、検察と小川裁判長にたいして、これらをすべて開示し、事実調べを行なうよう強く求めます。

狭山差別裁判糾弾闘争は、この秋、最大の山場を迎えています。部落解放同盟全国連合会が呼びかける10・28狭山中央闘争(日比谷図書文化館大ホール)に総決起しましょう。そして、半世紀になる前に再審を開始させましょう。石川一雄さんの無実をかちとりましょう。

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