狭山現地を訪ねて 番町支部(準)R

(2012年05月10日)

 

宿舎を出発する参加者 発足したばかりの「狭山再審を求める市民の会・こうべ」のとりくみの第一歩として、4月30日に狭山現地調査が行われ、私も参加させていただきました。

●「真実のコース」

朝8時30分に宿舎を出発し、まず、「真実のコース」を歩きました。49年前の5月1日に石川さんが実際に歩いたコースです。案内をしていただいた「さやま市民の会」の方から最初に注意をうながされたことは、『事件当日、石川さんが弁当箱を持参していた』という事実です。有罪判決のストーリーはこれを全く無視していますが、弁当箱を持ち歩きながら狭山事件の全犯行を行ったことなど考えられません。石川さんが時間をつぶしたという狭山駅(旧入間川駅)の西側では、石川さんを見たという証言もあったがもみ消されたと言います。踏切を渡り、「荒神さん」の前を通って「出会い地点」に。ここからが「自白コース」です。

●「出会い地点」から「雑木林」へ

「出会い地点」は見晴らしのいいかなり大きな交差点です。そこから「殺害現場」とされる雑木林(現在は駐車場)までの道の両側も、大変に見晴らしのよい畑で、この日も何人もの人が目と鼻の先で農作業をしていました。判決は「石川さんが善枝さんの自転車の荷台を押さえて止めて、この道を通った」としています。

警察は、当時この道周辺で農作業をしていた人々に「雨が降ってきたので農作業をやめた」と証言させていますが、同行した方からは「農家の人が多少の雨で農作業を止めるということなどありえない」と聞かされました。「雑木林」のあったところは、ちょっとした丘になっており、Oさんの畑跡を間近に見下ろす位置にあります。もし石川さんと善枝さんが本当にこの場所に来たとしたら、農 デッチあげの殺害現場を検証する を撒いていたOさんの姿がすぐに目についたはずです。

●「死体発見現場」は部落の中

「死体発見現場」から、今は現地闘争本部となっている石川さんの実家に向かいました。あまりの近さにあっけにとられました。『雑木林からわざわざ死体を持ち出して農道に埋めた』という判決のストーリー自体が不可解ですが、それ以上に、自分の庭先に死体を埋める犯人などありえるだろうかと感じました。死体発見現場そのものが部落のエリアの中であることを聞かされ、真犯人の作為に背筋が寒くなりました。真犯人は明らかに捜査の矛先を部落民に向けさせようとしたのだと思います。

 

●鞄発見現場からI養豚場へ 「出会い地点」から雑木林への道

鞄発見現場から内田家、中田家、佐野屋、I養豚場へと、車で移動しました。片道5㎞の道のりで、車でも20分ほどかかりました。I養豚場からスコップを担いで(もう片方の手には弁当箱を持って)死体をかついで芋穴まで歩いていったとしたら、「自分が犯人だ」と言って歩くようなものだと思いますが、その目撃者は誰もいないのです。佐野屋はもうありませんでしたが、茶畑は「そのまま」でした。人が隠れるほどの背丈もありません。夜中とはいえ、警察が犯人を取り逃がしたということは不思議に思えます。

●狭山現地調査を

私は大昔に一度だけ「雑木林」周辺を訪問したことがありますが、今回のようにつぶさに現地を案内していただいた経験ははじめてでした。今後もできる限り現地を訪問したいと思います。そして、石川さんの無罪を願う多くのみなさんに現地を訪ねていただきたいと思います。このような機会を与えてくださった「市民の会・こうべ」、「さやま市民の会」の皆さん、本当にありがとうございました。

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