部落解放同盟全国連合会 第21回全国大会 第1日め発言より

(2012年04月25日)

 

 

 被災地からのアピール・「子どもたちを放射能から守るネットワーク」中手聖一さん

 はじめに子どもたちの受け入れと福島へのご支援にお礼申し上げます。

  このまま福島は見すてられてしまうんじゃないか、もうダメなんじゃないか、と何度もあきらめかけました。その絶望のな かで、みなさんのご支援があったからこそ、ここまで頑張ってこられました。

  福島に来られた人たちは口をそろえて「もう普通に暮らしているんですね」と言われます。口にマスクもしていない。子どもたちも外で遊んでいる。しかしガイガーカウンターを持ってくると、どこへ行ってもブザーが鳴る。

  私は、「普通の暮らしをしているわけではありません」と答えています。子どもたちは文科省によって年間20ミリシーベルトまで被曝を我慢させられています。法律で決められている年間1ミリシーベルトの20倍を受け入れろ、と強要させられているのです。30万人近くの子どもたちが「被曝バッチ」を首からぶら下げて生活しています。

  昨年4月、私の住んでいた福島市渡利地区は1ヶ月で1・6ミリシーベルト。しかし何ら対策は取られなかった。5月23日、文科大臣交渉に行きました。27日、大臣は20ミリを撤回すると公言しました。だけど対策は校庭の土を削り取って変えただけ。マスコミもようやく「危険」と言うようになり、どこも「放射能」「避難」と大騒ぎになりました。子どもたちの県外避難を考えました。夏休みには6~8万人が自主避難しました。そのほとんどが県外の方々のご支援で実現しました。秋になると福島は気味が悪いほど静かになりました。私の職場でも40数人のうち9人が避難、私も北海道へもうすぐ避難します。しかし、まだ避難できない人たちがいます。

避難する権利を

  医師を巻き込んでの安全キャンペーン、「僕は気にしていないよ」は大きな声で言えます。しかし「本当は心配だ」は言えません。子を持つ母親たちも、みんながいる所では相談できません。国は「復興だ」「除染だ」と言って福島から出ることを許さない政策を続けています。もともと放射能は白黒がはっきりしません。研究者や専門家も分からないグレーゾーンがあります。にもかかわらず留まることだけを押しつけている。今年に入ってから日弁連や人権団体などへ、福島の人たちに選べる権利を後押しする働きかけをしています。しかし、今国会にでている「原発事故被害者支援法案」も消費増税のせいで全然すすんでいません。

福島県人の誇り

  私は決意しています。これから福島県民は被爆者として生きていかなければなりません。子どもたちに「福島出身です」と胸を張って言えるようにしたい。そのためにも、私自身が福島県人の誇りをもてるように変わっていかなければなりません。

  まずは原理・原則です。ガレキは、放射能を動かしてはいけない、拡散したものは集めるべきです。放射性のガレキは受け入れないでください。受け入れるのは子どもたちにしてください。

  移住者は、これからも毎年3月をピークにして増え続けると思います。そうすると仕事が不安です。受け入れ先で、移住支援政策などご尽力いただきたい。よろしくお願いいたします。

  これから先、福島はどうなるのか。安心して暮らせるようになるには数百年かかるでしょう。数百年後、子孫たちが福島へ戻っていきます。「復興」ではなく「再生」として。福島県人としての誇りをもって。長い道のりではありますが、ともに活動させていただきます。

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