長野県連からの報告‐中野結婚差別事件糾弾闘争‐今後のたたかい

(2012年03月21日)

 

糾弾闘争の現状

長野‐中野結婚差別事件糾弾闘争を語る上で、もっとも基本となることは、M君の決起にあります。部落差別によって殺されるか、たたかって生き抜くかの選択を迫られた時、たたかうことを選んだM君のたちあがりを、部落民全体のものにしていかなくてはなりません。この糾弾闘争は、裁判闘争の中で、M君が強く、たくましく、主体として成長していったように、部落民の生きる道筋を、部落のきょうだいに指ししめすものです。差別者がおこした裁判も断固として受けて立ち、反動判決にも「裁判では決着はつかない。差別者を謝罪させる」とM君とお母さんは、糾弾闘争の先頭に立ち続けています。 裁判としては、上告審闘争に入っていますが、私たちは、この糾弾闘争の基軸をあらためてはっきりさせます。

大衆的決起をつくる

長野‐中野結婚差別事件糾弾闘争は、M君の部落差別の告発からたたかいが開始されました。 差別者が離婚調停から訴訟まで起こし、それに対して部落差別を暴露・糾弾するたたかいとして、M君が損害賠償裁判を起こしました。差別者を直接的に徹底糾弾するたたかいとして、この裁判闘争を全力でたたかいぬいてきていることは、皆さん、ご承知だと思います。 今、裁判闘争が終盤を迎え、私たちは、この糾弾闘争はどのようなたたかいであるのか、今一度確認します。 何よりも、M君の決起です。自殺未遂に追いこまれ、自分をそこまで追いつめた原因が、部落差別にあったことに気づいた時に、M君はすさまじい怒りをもって、糾弾に起ち上がりました。差別に対して、「死」ではなく、たたかって生きることを決断したのです。部落差別が吹き荒れ、たたかうか死かの選択が求められている時代に、M君の決起が生み出されているのです。部落のきょうだいに「M君のようにたたかおう」と訴えていくことは、今の情勢だからこそ、より一層求められています。 二つ目には、この差別事件は、本当に悪質で、差別者が意識して差別をしていることです。M君のお母さんの「身元調査」をした上での「家柄」発言。結婚~里帰り出産~離婚の「計画離婚」。裁判においては、隣組のS地区を「部落だと知らない」と開き直る、等々。部落民を部落民として意識し、悪意を持って差別を繰り返し、それを開き直る。部落民の人格と人権を踏みにじっても、「それが何か?」と言い放ち、平然としている。こんな差別をまかり通していいのか。差別者がのうのうと生活することを許していいのか。 さらには、裁判所がこの差別を追認し、差別者を「守った」と言うことです。差別者を擁護することで、裁判所が部落差別をあおったのです。「部落民と離婚は当然」「部落民が差別によって自殺しても、殺人罪にはならない」という差別が、大手を振ってまかり通ろうとしているのです。 私たちは、この差別を絶対に許しません。部落の中に、この差別をあらためてはっきりさせて、大衆的怒りをつくりだしていきます。とりわけ、差別者の住む地域において、地元の決起をつくり出していくことが必要です。部落の中での真相報告会をもち、差別に怒る大衆を、全国連へと結集させていく取り組みを開始していきます。

▲このページのトップにもどる