全国連とは何か? 第9回全国大会での中田書記長の記念講演

(2009年04月20日)

 

部落解放理論センターより

過去に公表した論文から随時、学習コーナーにUPしていきます。今回は第9回大会での中田書記長の記念講演「全国連とは何か?」です。

はじめに

 全国から全国連第九回大会に参加されたきょうだいのみなさん! たたかう仲間のみなさん! ほんとうに、ご苦労さまです。
 私たちは、この第九回大会をとおして、これまでの全国連のあり方を大きく転換して、ほんとうに五万人の組織を実現できるような新たな領域へ、全国連の運動をすすめていかなければならないと思っています。今日、明日の大会をとおして、新しく生まれかわった全国連として、今の厳しい情勢の時代にピシッとたちむかっていける運動を、皆様方とともにつくりあげていきたいと、まず、私の決意を申し上げておきたいと思います。
 本来ならば、大会の基調報告は、書記長である私がやるわけですが、全国連中央本部の心意気をしめす意味において、今大会では、私が記念講演をやることにしました。
 五万人組織への道すじを、本格的につくりだす心意気で、今回の大会をやるにあたって、中央執行委員会の討論をとおして、あらためて「全国連とは何か」ということについて提起し、確認していくことを決定いたしました。そして、講師として、私に矢が向いたわけであります。約一時間の時間をいただいておりますので、おつきあいをいただきたいと思います。

 全国連の運動は、当たり前の解放運動

 私たち全国連は、現在、たしかに数も少ないし、組織も小さい。また、これまで解放同盟で活動していて首にされたり、あるいは、「こんなとこでやっていられるか」と解放同盟をみかぎってきた人たちが、新しい部落解放運動をつくるために、一九九一年に創立大会をおこない、これまで足かけ九年、全国連としてやってきたわけです。解放同盟からリストラにあった、あるいは自分からやめた、しかし、全国連がやろうとしている部落解放運動は、そんなに変わった目新しい解放運動をやろうとしてきたわけでもないし、またやってきたわけでもありません。
 むしろ、私たちは、「当たり前の部落解放運動」を当たり前の気持ちでやっていこうではないかという気持ちで、こんにちまでやってきたし、これからも変わりはありません。私たちは、今ほど、当たり前の解放運動が、当たり前のように進められることが求められている時代はないと、とくに最近の情勢をみて感じているわけであります。

 差別を必要とする社会を変える運動

 「部落解放運動とは、なにをするところか」と問いかけをしたら、返ってくる答えは、はっきりしています。それは、部落完全解放のために、部落差別と徹底的にたたかって、差別をなくしていくのが部落解放運動なのだ、といえると思います。こういう部落解放運動の基本は、しっかりとおさえておかなければなりません。私たちは、生活や権利を守るために、同和対策事業や、さまざまな事業を要求したりしますが、基本的には、私たちの運動は、「差別されてきたから補償をよこせ」「差別されてきたから償え」という補償や代償だけをもとめる運動ではなく、部落民に生まれたことだけで、いろいろなハンディや、えげつない目にあわされてきた歴史を考えたときに、差別をつくりだしている今の世の中、その仕組み、差別の根っこを根本からなくしていくことであります。
 差別を必要としている、今の世の中をかえていく運動が、部落解放運動だと思っています。そういう運動のために、みんなで力をあわせて、団結して、がんばっていくのが部落解放運動であり、私たちの全国連の組織ではないか、と私は考えています。
 こう申し上げたら、「そんなきれいごとで」「世の中を変えるなんて、できるのかいや」「そんなもん差別なんかなかなかなくなるわけないで、徳川時代から四〇〇年続いている差別だ、俺はもう差別はなくならへんと思うてる」と考える人たちがいると思います。
 後ほど少しのべたいと思いますが、部落差別がつくられてきた歴史、あるいは部落差別が、なぜ、今日もあるのかを考えてみると、私たち部落民は、日本の社会の最底辺のなかに位置づけられていることがわかります。差別をつかいながら、今の日本の国が成り立っています。そのように考えると、社会の一番底辺のなかで差別され、抑えつけられている私たちが、しっかりとたたかうことができれば、つまり、この日本の国の土台の一番のねもとで、私たちがたたかえば、社会の土台、社会の全体を大きくゆり動かしていくことができるのだ、と私たちは確信をもっています。私たち部落民は、日本の社会のなかで、そういう位置におかれているのだということを、しっかりとおさえておく必要があると思います。

 三大闘争が運動の柱

 そういう闘いをやるために、私たちは創立大会から、全国連の三本柱、三つの闘いをやってきました。まず差別徹底糾弾のたたかい、そして差別によって多くの生活や権利が蹂躙されている部落のきょうだいたちのくやしい思い、あるいはつらい日々、苦しい生活への思いをとりあげながら、部落大衆の生活や命、権利を守っていく闘いとしての生活要求の闘い、あるいは共同闘争で、反戦の課題や、沖縄や三里塚の課題や、あらゆる差別や抑圧に苦しめられている人たちと力をあわせて、この日本の社会の中で苦しめられているのは、私たち部落民だけではないのですから、そういう人たちと手をとりあって、この差別の仕組み、差別を必要としている世の中を変えていこうという共同闘争、私たちは三大闘争といってきましたが、そういう闘いを具体的には進めながらたたかってきました。

 部落差別とはなにか

 私たちは、そういう闘いを、まる八年間たたかってきたわけでありますが、あらためて、今回の大会で「差別糾弾闘争の全国連」として、今年からやっていこうと、基調報告・本部方針でうったえました。あらためて「差別糾弾闘争とはなにか」「部落差別とはなにか」について考えていきたいと思います。こういう問題について、私たちは、ふだんはあまり考えません。「これが腹たつな、あれが腹たつな、こんなことは許せん」と思いながらも、あまり掘り下げて「こむずかしいこといわんでも、そんなんわかってんがな」ということで、日常の支部の集会や会議でもいわれることは少ないので、少しつっこんで、あらたまって話をしてみたいと思います。
 私たちが、今うけている「部落差別とは、いったい、どんな差別なのか、あるいは、どのように私たちが、差別されているのか」ということについて、少し考えてみます。
 全国連は、部落差別を、どのように規定をしているかといいますと、部落民を他のいかなる理由でもなく、身分を理由として、政治、経済、社会、イデオロギー、全社会の場面にわたってがんじがらめにしようとする、全人格的抑圧が部落差別なのだ、と言ってきました。むずしい言い方ですが、それをくだいて申し上げれば、つぎのような考え方であるといえます。
 ようするに、部落民のすることなすこと、何でも、部落民という理由で、差別的にしか受け止めてくれない。評価してくれないということです。これをむつかしくいえば、全人格的抑圧となると思います。
 私は、ひょっとしたら女性団体から怒られるかも知れませんが、きょうは、もう大変美しい人も、そうでない人も参加をいただいているのですが、ようは、日常の村の会話で、「あの人はえらいベッピンさんや、美人やなあ、そやけど顔見たらわかる、絶対あの人は部落の人や」「ちょっと品がないな」といわれます。ベッピンだったらベッピンで、そういうなんクセがつくし、ベッピンでなかったらなかったで、「やっぱり見てみい、品ないで、あの人は」と、うちうちでも、同じきょうだい同士でも言うことがあります。大会がはじまる前に、奈良の北浦中執が、「バスにのるために停留所で待っていたら、誰が部落の人か、顔見たらわかりまんねん」といっていました。そういう意味で、部落の人のすることなすこと、全部それを部落差別という形でしか、部落民としてしか評価されないというのが、まさに全人格的抑圧だ、と考えればいいのではないかと思います。
 たとえば、家が貧しくって、小学校も満足にいってないが、一生懸命に努力をして、今は大会社の社長になっているという、いわば美談の立身出世物語があるとします。しかし、そういう立身出世物語が、部落民の場合は、やはり美談にはなりません。これもまた部落差別なのです。「あの人は、むかし苦労をして、今は社長さんになっているが、えげつないことをして、ゼニ儲けをしたらしいで」というような形で、一般の人たちからヤユされたり、妬まれたりします。普通は、美談で終わることでも、部落民となると、なかなか美談にならずに、逆に、ひっくりかえされて、マイナスの評価しか受けない。なにをしても、なにを言っても、どういう生き方をしていても、部落民ということだけで、すべてが否定されてしまう。それが実は、部落差別の根本にあるものだと思います。なかには、最近「部落差別は少なくなった」というように考える人たちもいますが、そうではありません。

  部落差別の現実

 では、部落差別というのは、いったい、どういうもんなのだろうか。それが、どういうものとしてでてきているのかと考えた場合に、一番端的にわかりやすいのは、結婚問題だと思います。結婚の問題で「とにかく部落はあかん」という形で反対されるときの多くは、やはり「家柄がちがう」「血筋がちがう」ということが、だいたい結婚差別する考え方です。実は、この二つは同じものです。ちょっとむずしく言えば、血のイデオロギーといいますが、「血筋」というものの考え方が、部落民を差別する考え方の根本だ、と考えておかないといけないと思います。
 この「家柄」とか「血筋」の問題では、「昔の家柄などは、三代までさかのぼったら、祖先がなにしてたかわかるかいな」とか、「そんな昔の話を今さらほじくり出して、どないすんねん、そんなものはきょうびすくなくなってる」ということを例にだして、最近、部落差別がすくなくなったとか、あるいは、昔に比べて差別はなくなったという人がいてます。しかし、はたして、ほんとうだろうか。
 たしかに、私たちに対して、露骨に四本指出して「あーや、こーや」という場面は少なくなったけれども、「家柄」や「血筋」は、形をかえて残っているし、むしろ、どんどん強められている方向にあると考えています。先ほど、「日の丸・君が代」の話がでましたが、なにも、「君が代」をどんどん歌わせて、あるいは「日の丸」を掲げさせて、天皇を昔のような現人神、神さんのように崇めたてまつって、天皇制社会にしていこうとしているのかといえば、今は、私は、そこまで政府は考えていないと思う。それほど、国民をだますのはむずしい。
 しかし、たとえば、「文化に功労があった」「芸能に功労があった」といえば、天皇の名で表彰され、勲章がもらえます。園遊会では、勲章を受けた人たちをあつめて、一人ひとりに「素晴らしいですね」「ご苦労さんです」と愛想をふりまき、社会的な仕事で評価された人たちが、天皇に誉められる関係はどんどんつくられております。たしかに、昔のように、はっきりとした身分的序列はありませんが、天皇が「偉い」とほめるという形で社会的序列がつくられているし、今も続いていると考えるべきです。
 私たちは、天皇制や「日の丸・君が代」に反対するときに、よく「上は天皇、下は部落」といってきましたが、日本の社会は、そういう身分的な秩序、「尊いものと、卑しいもの」「上と下」というはっきりとした支配の秩序はつらぬかれていると思います。
 たとえば、仕事でも、そうです。「この職業は偉い職業で、この職業は汚い職業でダメな職業だ」という人がいっぱいいます。一般的には、「職業に貴賤はない」といわれています。ここの参加者には高校生や若い人たちもいますが、こういうことは学校教育で習われたと思う。しかし実際には、職業に貴賤はあります。東京大学や京都大学をでた人は、わざわざ土方をしにきますか。こないでしょう。やはり高学歴の人たちは、国の高級官僚やキャリアをねらうというように、どんどん職業のなかに貴賤はつくられているし、そういう社会的序列の中にあるでしょう。
 とくに関西では、仕事補償のたたかいとして公務員労働者に採用させていますが、ほとんど事務吏員はいません。ほとんどみな現業でしょう。たとえ事務吏員になっても、上級と初級があり、ほとんどは、初級の公務員です。初級の公務員は、部長、助役になることはありません。一生懸命いくら仕事をしても、せいぜい課長どまりです。部長や助役になれるのは、かならず大卒の上級職といわれる人たちという仕組みがあります。
 職業に「貴賤はない」というタテマエがあっても、実際には社会のワク組みの中で、「尊いといわれる職業、あまりやりたくないといわれている職業、やりたくない職業」があります。だいたいやりたくない職業は、まず体がたいへん、給料が安い、世間体が悪いものです。やりたい仕事、あこがれの仕事は、仕事が楽で、体も楽、社会的にも「私はどこどこの銀行に勤めてますねん」「なかなか堅いとこに努めてますね」という評価をうけるわけですが、いわゆる卑しいといわれる職業は、給料は安い、体はえらい、将来性はない職業であります。「職業に貴賤はない」というキレイごとを言っていますが、実際には職業の中にも貴賤がつけられています。ここにしっかりと差別の仕組みがなりたっています。
 しかし、部落民だけが、こういうワク組みに組み込まれているだけではなく、部落差別を基本にしたうえで、身分的差別をしっかりとおさえたうえで、今の階級支配の中では、部落以外の一般の労働者たちも苦しめられているのだ、ということをしっかりと私たちはみておいた方がよいと思ってます。
 ですから、私たちが、解放共闘のみなさんや共に闘う仲間のみなさんに、「部落問題は部落民だけの問題ではない、あなたたちの問題でもあるのだ」とよくいうのは、実はそういうことなのです。社会のなかでの上下、あるいは貴賤、こういう身分的差別の仕組みをつかって、部落以外の人たちも苦しめられているわけですから、決して「部落問題は他人事ではないのだ」と思っております。とくに、そういう形で、いろんな差別が、私たちの生活の中であらわれてきます。すべて差別的にしか評価されないという状況があるのです。

 部落差別の一番の基本は仕事の問題

 部落差別のなかで、一番の基本になるものは、何かを、少しおさえておきたいと思います。それは、仕事、労働の問題だと思います。
 私たちは、部落差別の仕組みの中から、今の国を根っこのところで牛耳って動かしている、資本家階級の連中から差別的に搾取されていることを、おさえておかなければならない。ここが、部落問題の一番大事なところだと思います。私たち部落民といえども、人間生きていくためには、やはり衣食住、つまり着ること、食べること、住むことが基本です。裸では、暮らせませんし、とくに冬は寒くて生きていられない。食べないと人間は死んでしまいます。さらに住むことです。この衣食住は、人間が生きていく上で、最低限必要なものです。この衣食住を確保するために、私たちは、どれだけ給料が安かろうが、労働条件が悪かろうが、一生懸命に働いて稼がねばなりません。
 ところで、一般の労働者と働いている部落の人たちとの違いは、どこにあるのか。たとえば、私たちは、高校も出ました、大学も出ました、さあ、給料のよい、将来性のある安定している大企業に就職しましょうと、試験を受けました。ところが部落民だということだけでハネられるという就職差別の現実がいっぱいあります。あるいは、部落のお父ちゃんお母ちゃんは、むかし厳しい状況のなかで、小学校も満足に行けなかった人もいます。そんななかで、毎日子どもに食べさせるだけがやっとで、明日のこと、あさってのことなど、まして一年先のことなどを考えた生活はなかなかできない。私たちの母親の時代は、いわゆるその日暮らしの暮らし方でした。そんななかで、子どもたちにも十分に教育もつけてやれない、高校も行かしてやれない。とにかく、はやく中学校をでて働いてもらって、家のたしにしてもらったほうが、ほんとうに助かるという暮らしをしてきました。子どもたちは、中学校をでて働いた。
 私は、高校へ行かしてもらいましたが、私の同級生で、一〇人いたら二人か三人しか高校にいけていません。あとは、みんな中学卒業で働いています。学校の世話で就職するようなときは、私は東大阪市の荒本ですが、たとえば、近くに朝日電気などの会社ありますが、食べていけない安い給料で使われています。だから、結婚しょうと思うと、手っ取り早いということで、職を転々と変えていく状況もあります。
 そういう意味では、少し話をもどしますが、部落の労働者は、一般の労働者とちがって、まず差別によってふるいをかけられて、それでも仕方がなく、生きていく、食っていくためには、多少労働条件が悪くても、給料が悪く、将来性がなかろうと、とにかく、食っていくためには働かなくてはならないのだからと、きわめて劣悪な厳しい労働条件のなかで働いていかざるをえないのです。一般の人たちが働いて、ピンハネされる給料よりも、私たちはそれ以前に、もっとピンハネのきつい、厳しい不利な条件で働かされています。ここにやはり部落差別の本質があると考えています。
 私たちは、これまでそういう立場で、部落差別の基本は仕事の問題、労働の問題だとして、そこに焦点をあてた闘いをやってきました。この部落差別の本質、部落の人間を安くコキつかっていちばん儲けているのは誰なのかといえば、今の日本の世の中をうごかしている資本家階級なのです。部落差別の仕組みをつかって、私たちを一般の労働者よりも、もっと高い率で搾りあげていくやり方が部落差別の本質です。
 だから部落解放運動は、単に差別をなくせということではなくて、必然的に差別を残している、あるいは私たちを差別的に徹底的に搾りとって、今の世の中を動かし牛耳っている資本家階級、そういう連中とのたたかいが運動の基本にならないといけないと、私たちは思っています。
 これは、全国連だけが特別なことをいっているのではなく、部落差別はこういうものだと考えたら、当然そういう闘いとして進んでいかなくてはならないし、今日ご参加の共闘のみなさん方も、それは部落の人だけだけの問題ではないと、もう一度あらためておさえていただければと思っております。

 村丸ごとの団結をつくろう

 そうしますと、今の世の中で、資本家階級というか政府が一番悪いのだから、彼らをやっつける運動をやっていかなければならないし、もちろん、私たちは、そういう運動をやるのです。しかし、若い人の中には、部落解放運動をやって村の中に署名にはいったら、訳のわからんこと言われて怒られたり、「あんたらか、夜中コソコソとビラまいて、なんか変なことやっているのは」などと言われて怒られたりすると、「いっそのこと、資本家を直接やっつけるような運動を、労働者と一緒になって階級闘争をやったらどうか、あるいは、極端なことをいえば、いっそのこと革命運動をやったらよいではないか」「部落解放運動も青年部もやめて、ヘルメットをかぶってロケット弾飛ばしにいこうか、国会を燃やしたほうが早いのとちがうか」となっていく人も、最近ではめったにいないけれども、昔はけっこういました。
 しかし、そうではないと思います。部落差別のつくられ方、どういう形で部落の人たちがいじめられ、権利が蹂躙されているのかと考えると、単に資本家さえやっつけたらよい、今の政治をかえればよいということは、たしかに基本ですが、それだけではなかなかいかない。まして、教育を奪われたり、いろいろな差別によって苦しめられてきている部落のきょうだい達のなかで、「よし、それしかない、それで頑張ろう」と考えられるのは、部落の中のほんの一握りであり、どっちかといえば変わっている人です。そういう人しかたたかえない運動では、これはなりたちません。
 部落差別をなくしていこうと思ったら、部落の人たちが自分の気持ちで、「差別はやっぱりあかん」「こんな世の中をこのままほっといたらあかん」と思う気持ちを奮いたたせて運動をしていかないと、部落を変えることはできません。「差別をなくすことは、私はできへん」というように思っている人もいるのです。だから、私たちは、一握りの者の運動だけで、部落解放運動をやる気もなければ、それで部落解放が実現できるとは思っていません。
 私たちは、部落解放運動を、大衆が一人ひとり立ち上がってくれる、そのことで部落が生まれ変わっていく、部落民が変わっていく、そういう力が世の中を変えていく運動につながっていくと考えています。私は、やはり一人や二人の活動家ががんばるだけでは、どうなるという問題では決してないだろうと思います。部落の人たちが、全部とはいわなくても、ほんとうにたくさんの部落のきょうだい達に、「差別はあかん」という声を上げてもらえる、そういう力強い運動をつくらないかぎり、私は差別はなくならないのではないかと思っております。
 皆さん方が、日々の暮らしや生活の中で、あるいは、子どもたちの就職や結婚などの節目ふしめで、「今度、彼女つれてきよった。部落といっておいたほうがええのかな、どうやろかな」というようなことで悩んだり、考えたり、いろんな場面で差別にあっていると思います。全国の部落のきょうだいは、いうか言わないか、表に現われるか現れないかだけで、みんな差別にたいする怒り、差別にたいする不安は腹のなかにあると思うのです。九州の部落の人もそうだし、きょうは福岡のきょうだいも参加していただいているが、福岡に生まれた部落民も、関東の茨城で生まれた部落のきょうだいも、みんな同じ差別をうけているのです。生まれたところも言葉のナマリも違いますが、やはりみんな同じ経験やはずかしめをうけ、同じつらい思いをしながら生きてきて、「差別はゆるせないという気持ち」は、部落民であれば共通の気持ちなのです。私たちは、そういう部落民の共通の気持ち、「差別はもうイヤや」「差別はなくしていかなあかん」という気持ちに依拠して、はじめて部落解放運動はすすんでいくのではないかと思います。そういう大衆の気持ち、差別にたいする怒りとしっかりと結びついていかないと、ほんとうの意味での部落解放運動は広がりをもたないと思っています。

 差別糾弾闘争こそ全国共通のたたかい

 「同じ痛みを共有しあえる闘い方は何か」といえば、差別糾弾闘争です。今日は、同住連のきょうだいの人も、たくさん参加していただいていますが、同和住宅で鉄筋の住宅に全面的に建て替えられているのは、だいたい関西ぐらいです。地方へいくと、けっこう持ち家という形があります。関東の茨城では、ほとんど持ち家です。家を持つために、同和対策で金を貸すという形ですから、住宅家賃反対運動といっても、それは関東のきょうだいの課題にはなかなかなりにくい。だが、全国連は、「関西だけで頑張ればよい」というような冷たい組織ではないのです。しかし、住宅家賃値上げ反対闘争は、全体の問題としてはなりにくいということは、現実にあります。全国連の全体の問題になって、しかも心を一つにしてたたかえる闘い方は何かといえば、差別糾弾闘争です。差別事件が起こった。誰だれが、こういう差別をうけた。「そんなもん、ほっといたらあかん、許したらあかん、徹底的に反省させようではないか」という差別糾弾闘争、差別を許さない、差別をみつけたら差別を直ちにあらためさせていく差別糾弾闘争こそが、全国の三百万の共通の闘いになるのではないか、と私たちは思ってます。

 部落解放運動は差別糾弾闘争である

 だから、「部落解放運動とは何か」「全国連とは何か」といえば、今回の大会のメインスローガンでもありますが、差別徹底糾弾闘争こそが部落解放運動であり、部落解放運動とは、まさに糾弾闘争なのです。「糾弾闘争が解放運動なのだ」と、私たちは考えておかなければならないし、まさにそういうものなのだと思ってます。
 そういう差別糾弾闘争をきちっとやることで、かならず全国の部落のきょうだいは、全国連の闘いに共感をしめして、「おいらも、いっしょにやろやないか」「はよ仲間にいれてくれ」と言いにきてくれるであろう。これが、基調報告の運動方針の中身です。しかし、ほんとうにそうなるかと言えば、実際には難しい。何で難しいというかと、部落差別の攻撃には、誰でも腹がた置ます、そして、部落民の権利を踏みにじったり、部落民の全人格を抑圧することをされたら、だれも黙っていないで、「なに言うか」「もういっぺん言ってみい」となるに決まっています、ところが、部落差別攻撃というのは、なにも部落民の権利をはぎとったり、いじめたりするだけが、部落差別の中身ではないのです。もう一つの攻撃の中身が、実は部落差別の中にはいっています。運動の言葉でいうと、融和主義という攻撃も同時に、部落差別と同様に、私たちの中に襲いかかってきているのです。

 もうひとつの差別――融和主義とのたたかいを

 融和主義の考え方と、その攻撃とたたかわないと、実は全国連は、いつまでたっても一万人、五万人にはならないと思います。
 私は、この大会にむけて、「うちの村へきてくれ」「うちの支部にきてくれ」と声がかかり、あちこちに行かせてもらいました。集会後に、席をあらためて酒を飲んだりしながら話をすると、そこの支部の役員さんや支部員さんの本音がでてきます。「全国連が正しいのはわかっている。家賃の値上げがされたら、大変なことになると思っている。ほんまに、うちの村のもんはな」という声が、だいたいどこの村に行っても、返ってきます。「ああ、そうでんな、それはどこの村でもいっしょですわ」という話を私がさせてもらうのですが、「うちの村はほんまにあかんねん」「役員まかせ、人まかせ、人があっちいうたら、あっち。常に人の顔色ばっかり見て。自分の考え方で判断してくれたらエエねんけどな」と言って、よくグチをこぼす役員さんがいます。これは、悪い意味ではなく、またいけないといっているのでもありません。
 そういうふうに本部に相談されますが、それは、その村だけではなく、全国のどこの部落にいっても、同じことが言えます。同じ部落差別の攻撃を受けてますから、同じ考え方、融和主義という考え方が、部落の人たちを、もう一方でがんじがらめしていることを、私たちは見ておかないといけません。

 融和主義攻撃のふたつのタイプ

 融和主義の攻撃というのは、差別で部落民を徹底していじめておいて、普通ならば文句が出てきて反発し、反抗する差別への怒りを抑えつけるために、部落民のなかに反抗できないような気持ちを、差別によって植えつけていくのが、融和主義の攻撃の中身なのです。その攻撃の仕方には、だいたい、ふたつの方法があると思っています。
 ひとつは、部落の人たちを力ずくで抑えに抑えつけて、反対してもダメなのだとあきらめさせることです。いま奈良の橿原のきょうだいが、家賃の値上げ反対で裁判にかけられています。役所の連中も、本部派の連中も、「あんなことするさかい、裁判にかけられる、そのうちみな団地を追い出されしまうで」と言ってくるわけです。反対しても、闘ってもダメなのだというあきらめの考え方を、部落差別は同時に部落の中に持ちこみます。これは、権力の弾圧とか、差別者の襲撃というような形で、力ずくで、私たちの願いやたたかいを抑えつけていく攻撃なのです。
 たとえば、群馬県の新田郡に水平社ができた直後ですが、そこで差別事件が起こりました。部落の人たちが、差別事件に抗議し糾弾して、差別者本人が「わかりました、ごめんなさい」と言って、誤りを認めました。そして、謝罪のための講演会を開く約束をしましたが、期限がきてもいっこうに講演会をやらない。「どうなっているのか」と追及をしたら、その直後、二千人の、一般民や警察官が一緒になって二四戸の部落を丸ごと焼きうちしてきた事件がありました。群馬県の世良田村差別襲撃事件です。
 この大会の開催地は奈良ですが、奈良でも部落の人たちの嫁入りの行列を見て、一般のある老人が「あれはこれの嫁入りや」といって、四本指を出して差別したことにたいして、水平社はただちに糾弾をしました。奈良の有名な水国闘争です。その糾弾にたいして、今度は右翼が差別者の側について、差別糾弾をした水平社と国粋会という、日本でも一、二といわれる右翼団体と、真正面からぶつかり合うたたかいとなりました。水平社は竹ヤリもって右翼とやり合う、右翼は銃や日本刀もって暴れます。
 こういう差別にたいする糾弾闘争においても、「部落に部落といってどこが悪い」という形で居直るわけです。力ずくで糾弾闘争を抑えようとするようなことも、あります。そういう形で、常に差別に反対する運動にたいして、差別者とか、警察や国家権力というのは、力ずくで抑えようという攻撃をつねに繰り返し、繰り返しやってきます。
 私は、荒本で、一九年前に解放同盟本部派の大阪府連からリストラになってしまいました。私たちが、それに対して糾弾闘争をやって、学校の先生もだいぶ逮捕されたし、私たちも逮捕されました。その時に、荒本に機動隊が六〇〇人ぐらい、私たちを逮捕するために連日のように入ってきたことがありました。差別行政にたいする糾弾闘争を犯罪にデッチあげて、六〇〇人の機動隊をつれて逮捕にくるという形で、弾圧されました。幸い荒本の支部員さんは、「なに言ってるねん」と、非常に元気で、弾圧には屈しませんでした。しかし、支部にこない村の人たちは、「言うていることは正しいが、あんな目にあうんやったら」といっています。
 そういう力ずくで、差別糾弾闘争を無理矢理おさえつけて、負け犬根性を部落のなかに植えつけてしまう攻撃があることをおさえておかなければなりません。これが、融和主義の攻撃のひとつめです。
 そしてもうひとつは、さきほど、部落差別は全人格的な抑圧と申し上げましたが、差別されることで、部落の人たちの中にも、いろいろな弱さや、しんどさもあるのです。
 荒本闘争の時に、次のように言っている人がいました。「書記長は、大会で、えらい勇ましいことを言っているが、実際の社会にでたら、そんな甘いことあらへんがな」「白いものでも黒いといわな」というのです。やはり社会の中で「長いものにはまかれろ」とか、「出るクイは打たれる」とか、長年の苦労のなかで弱いもの、力のないものの生きる知恵というのはあります。そういうことなどがからんで、「差別が四〇〇年も続いてきて、なくなることあるかいな」という考え方を、おおくの部落のきょうだいがもっています。今ここに参加している人の中でも、ひょっとしたら「差別はなくさないかんと思っているが、なくなるかいな」と思っている人もいるかも知れません。
 そういう考え方を、私たちは、毎日の差別の中でもたされているのです。あきらめて生きていくしかない。さからっても出るクイは打たれる。差別の歴史のなかで私たちは、そういう生き方を押しつけられてきました。そういうあきらめのなかに、多くの部落の人たちがいます。
 だから、どちらかというと、「差別なくさなあかんてわかっている。しかし、差別はなくならん、それやったら、いっそのこと、そんな余計な運動せんほうがええんちゃうか」という、寝た子を起こすなという考え方も、そこから生まれてきます。
 さらには、どちらかといえば、「差別反対ていうたかてしゃあない。部落の人間にも、ちょっと悪いとこあるのとちゃうか、ウチとこの子は、勉強ようできるけど、隣の子みてみ、学校いったら、教室にもはいらんと遊んでいるがな。なんぼ同和教育や差別あかんというたかて、そんなもんあかへんで」ということもあります。
 だいたい、こういうことは、その辺の近所のおっちゃん、おばちゃんの話でも出てくる話です。差別をなくすことに力をいれるよりも、差別をされないように、一生懸命がんばろかという考え方ですが、いま部落の人たちには、けっこうおおいのです。
 だから、いくら私たち全国連が、差別徹底糾弾やと勇ましく、力強く言ったとしても、「この差別はなくならんちゃうの、差別されんようにがんばったほうがええんちゃうか、村の中にビラやステッカーはらんといて、部落というの丸わかりやし、ましてきたない。それよりも、部落のあんなビラをはがして、村の美観を大切にしようとかいう運動した方がえんちゃうのか」という考え方の人たちも、けつこう村の中にいます。
 その結果、実際には、どうなっていくのか。差別によって生活が苦しいために、子どもを高校や大学に行かしてやりたいが行かせてやれない。「おまえ、なまじっか勉強ができて、高校に行きたいというぐらいだったら、勉強できんと、『俺も働く方が好きやねん』と言ってくれた方が、なんぼ親として気持ちが楽かわからへん」というような状況におかれかねません。
 三〇年ばかり前まではそうでした。そういう中で、「子どもたちの将来を守り、未来を保障しなければならない」と、奨学金制度をつくってきました。しかし、実際に、その奨学金制度をつかう立場の親の考え方は、どうだったのか。「お前、奨学金もらって、奨学生の集まりに呼ばれているがいかんでいい、お母ちゃん、お父ちゃん代わりにいったる。お前は、その分一生懸命勉強して、大学入って、一流か、安定した大きな会社に入るようにがんばりや。そういう会社に入ったら、お前はもう、お父ちゃんやお母ちゃんのこと考えんでええから、村出ていってくれたらええから」というふうにして、実際には、奨学金制度を、親の気持ちとしてこのようにつかっていませんか。これは、「差別はなくならん、差別なくならへんのやったら、できるだけ差別されんようにせなあかん。高校も大学への入学も、全部大きな会社に入るため、安定した暮らしを守るため、そのためやったら、お父ちゃん、お母ちゃんのことほっといていいから、おまえ村出て、村の外で住むのがええで」という、こういうような現実が、村の中にいっぱいあると思っています。
 二五年ほど前に、全国のどこどこに部落があると書いた本が売られるという地名総鑑差別事件がありました。あれで、たしかに差別糾弾闘争は一定盛り上がったけれど、あの糾弾闘争の後、どういう運動になったかといえば、「同和問題に理解のある企業にせなあかん」といって、大企業から求人広告が出されたりしました。そして、結局は、あの地名総監差別糾弾の闘いは、大企業に就職する運動に変わってしまった。大阪でも、いろんな大企業から求人広告がきましたが、結局は、銀行や信用金庫、大企業に就職する運動にすり変わってしまって、その人たちは、そういう会社に就職したら村の中に残りません。みんな村を出ていきます。先ほど言いました「上下の社会」「尊い、卑しい」という区切りでやられている社会ですから、大きい会社にはいるほど、差別を肌身に感じます。言われなくても、視線を感じます。そう意味では、やはり私たちのこれまでの運動は、「差別をなくす運動ではなくて、差別されないためにがんばってきた運動」ではないか。そういう融和的な運動のあり方を、部落の中から正していく運動をやらないと、いくら元気のよい原則的なことばっかり言っても、私たち全国連は、いつまでたっても一万人、五万人にはなれないのではないでしょうか。

 三百万部落大衆の中へ

 差別徹底糾弾の闘いを軸にしながら、この大衆をがんじがらめにしている融和主義という、今の運動のあり方、同和事業のあり方もふくめて、新しい運動をつくっていかねばならないと思います。さきほど奨学金の例をだしましたが、こういう融和的なあり方を変えていかないかぎり、部落の人たちはなかなか立ち上がってこれない。今大会の基調方針で、「三百万部落大衆の中へ」と言われたことは、まさに、そのことだろうと思います。大衆と向き合って、自分たちの言っていることは正しい、「お母さん、なんで集会に来てくれへん、なんで今度デモにいってくれへん」といっても、なかなかそこに確信がもてない。私たち活動家や役員は、自分の言いたいこと、自分たちがいかに正しいかということを、一生懸命声を大にして言うけれども、大衆の思いと結びついてない。空回りばっかりしている状況です。
 そういう意味で、私たちは、村の中へはいり、一人ひとりの役員や活動家が、大衆と向き合って、「こんなこと聞いたら兄ちゃんに笑われるかもしれんが。そんなん言うてるけど、差別はなくならへんのちゃうの」というやりとりが、部落大衆との間のなかで生まれていかなければならないと思っています。そういうやりとりの中で、「それはお母ちゃん、融和主義という考え方でな」「そんな難しいこと言われてもわからへん」「いや、こういうことやねん」と一枚一枚はがしていく努力が必要です。「差別はなくならんし、自分は字の読み書きもできんし、学もできへんしな」、あるいは「自分はあんまり人前で偉そうなことを言うような生き方もしてへんしな」という人たちの思いと、しっかりと向き合いながら、大衆一人ひとりが立ち上がれるような状況を、私たちは、なんとしてもつくっていかなければなりません。

 村支配の三つのタイプ

 私は、この大会の過程で、いろいろな所に行かせてもらいましたが、村は、だいたい三つぐらいの状態におかれていると思います。
 一つは、解放運動の力が非常に弱くて、保守系のボス連中が、なんでもかんでも支配している村。たとえば、生活保護一つうけるにしてもボス連中がきめる。生活保護は当然の権利なんです。働けない、病気で収入がないが、生活保護が権利だということをしらないために、子どもさんが餓死した事件があるでしょう。生活保護制度があることを知らない、どこに行っていいかもわからず、二週間飲まず食わずで、子どもが死んだとワイドショーでやっていました。生活保護も知らない、あるいは受けることを恥としていることは、昔、荒本でもありました。「生活保護もらうぐらいだったら首つって死ね」と。それほど恥ずかしいことだという形で押しつけられてきました。義務ばっかり押しつけられて、権利をまったく主張することがありませんでした。そういう村もいまだあります。
 部落解放運動の弱いところは、生活保護一つもらうにしても、村のボスのはからいでもらってやった。「あの人のおかげで生活保護もらえるようになった。ありがとうございます」というような状況と、「生活保護ばっかりおったら、荒本の恥や、村の恥や」というような差別的な融和的なものの見方で、部落の人が自分の権利すら行使できない。そういう村があります。
 二つには、最近は「差別はもうなくなった」とか「同和対策がいつまでもあるから、差別だといわれるのだ」というような村があります。そこでは、自分たちから同和事業を返上して、差別者の機嫌とりみたいに「もう同和事業もいりません。特別対策せいなどといいません。差別糾弾闘争もやりません。せやから仲良うしてえな」と言って、へりくだって差別者、一般民の機嫌をとるような運動をやっている村も実際にあります。そういう村も一つの特徴です。
 最後にもう一つは、解同本部派のなかでですが、私が古市に行ったら「本部派の支部長は、支部長になったとたんに外車三台でっせ。えらいえげつない支部長やなあ」という話を聞き、寝屋川いって、「古市では、運動もなにもわからん人が支部長になったとたんに外車三台や」といったら、「それは甘い。寝屋川支部では、本部派の支部長なったら家三軒や」と言われました。
 部落解放運動が、利権に走って、運動も支部員さんの生活も忘れている村、大阪でもけっこうあります。そういう支部長さんたちが、今なにを言ってるかといえば、「いつまでも同和対策に甘えるな」といっている状況です。では、部落の人たちは、どう思てるかといえば「さんざん俺らを利用して、一人だけええめしやがって」「もう解放運動みたいなやってられるかい、自分のことだけ考えてたらええのや」と個人的に考えている人が、けっこう大阪の村の中でもあります。奈良でもいます。
 しかし、差別に対する不安とか、身内で結婚でもめてる話を聞いたら、「口惜しいな、なんとかならへんかな」とやはり思っています。

 大衆が主人公の運動へ

 今のべた三つが典型的な村であり、全国のどこの部落へいっても、だいたいこのパターンにあてはまります。しかし共通しているのは、差別に対する不安や怒りです。私たちは、そういう村の人たちとしっかりと結びついた運動をやらないといけないと思います。先ほど申し上げた支部の役員さんとか、村のボスとかは、個々人の問題ではありません。やはり「部落差別とはなんなのか、差別の根っこはどこにあるのか。差別をなくすためには、どんな闘い方が必要なのか」ということについて考え方が間違っているから、こういういいかげんな運動がでてくるのだし、やるのだと思います。
 部落解放運動というのは、大衆が主人公です。一人ひとりの部落のきょうだいたちが、「こんな差別あかん」といって立ち上がってくれないかぎり、部落も、部落民の根性もかわりません。世の中も変えることができないと、私は思っています。「大衆の中へ」という立場を、しっかりと堅持しながらやっていただきたいと思っております。

   融和主義と大衆蔑視は表裏一体

 この融和主義をめぐる問題は、「古典的な融和主義の問題」として理解してはダメです。とくに役員さんや活動家にとって、「融和主義とは、どういう問題なのか」かを強調しておきたいと思います。
 私たちが「大衆の中へ」というときに、融和主義と大衆蔑視は、表裏一体のものです。大衆の自己解放性に依拠できない役員や活動家の思い上がりや大衆蔑視を克服しなければならない問題が、融和主義の問題の中にあります。
 融和主義について、これまで部落解放運動のなかで言われてきた概念と少し違うかも分かりませんが、そこをおさえる必要があると思っています。部落解放運動である全国連は、大衆団体の運動であり、私たちがやろうとしていることは大衆運動ですから、大衆運動の原理から組織運営をふくめて徹底的に確立する必要があります。その視点からみると、融和主義の問題が大衆蔑視というか、大衆の自己解放性に依拠できない、という私たちの欠陥の問題であり、重要な問題であることが見えてくるのです。
 たしかに、私たちの運動の役員や活動家は、大衆にたいして献身的であり、先頭にたって体をはって闘っている姿は素晴らしいものがあります。しかし、大衆の自己解放性に徹底的に依拠できないという弱さがあるように思います。それが、全国連の運動にいろんな面で影響を与えている、といえます。
 役員や活動家のなかに、今回でも「差別糾弾闘争の全国連」とうちだしたときに、要求闘争よりも差別糾弾闘争なのだと考えている人たちがいます。
 しかし、全国連の三大闘争の位置づけは、けっして要求闘争の方が差別糾弾闘争より低いたたかいという考え方ではありません。差別糾弾闘争を基軸にした要求闘争であり、階級的共同闘争であり、狭山闘争であるのですから、どれをとっても低いものはなく、優劣をつらけれるはずはないのですが、要求闘争は差別糾弾闘争よりも低いもののように考える傾向が見うけられます。そういう考え方は、実は、運動にたいする考え方が非常に観念的である傾向をもっていることの表れです。あるいは、糾弾主義ではないと思いますが、そういう傾向が、まだ克服されていない状況が全国連にあります。糾弾主義とか観念的なところが克服されていないことのなかに、大衆の自己運動とか自己解放性に依拠する考え方の弱さが表れていると思います。
 それが、実際の運動の場面でいえば、アジテーションのたれ流しで終わってしまったり、あるいは、口では言わないけれども、大衆の意識の低さに問題をすり替えたりするところを感じます。だから先ほどのべた「糾弾闘争の全国連」とうちだすと、感覚的にしか評価しないことになります。実際の運動となったときに、どういうものとして展開していくのかのリアルなイメージを持たないことになります。そういう弱さが全国連のなかにあります。それは部落解放運動をイデオロギー的な側面からしかアプローチできない弱さではないかと思っています。

 自己変革の道すじを大切に

 言いかえれば、部落民の自己変革の過程、道すじをしっかりと理解できない弱さなのではないかと思います。極端にいえば、今の全国連の活動家のスタイルは、放送局です。一定の情報を電波という形で全方位にむかって発信します。大衆はラジオです。いろいろな雑音があってうまくキャッチできないということがあります。また一つの周波数でしか発信しないから、大衆には「何を言っているのだろう」と、一生懸命ラジオのダイヤルを巧みに回しながら話を聞いてもらっている、あるいは伝わっているのです。しかも、なかにはラジオの性能の良い会社も悪い会社もたくさんあります。そういう運動スタイルだと思うのです。
 たとえば、要求闘争にしても、住宅闘争と一端決断すると、そういう形で展開しないと動けないのです。つまり、住宅闘争をやると決めたら住宅闘争でしかうごけない。実際には、住宅要求のなかには、その闘いの中でさまざまな道をあける要求や課題がうずもれているのです。住宅闘争のなかには、さまざまな部落の生活の現実から表れてくる、あるいは生み出されてくる領域や矛盾がいっぱいあります。ところが住宅闘争をやると、とにかく供託まで引き上げていく、まとめあげていくことに必死になって、その他の要求がみえない。これでは、私は、この家賃で良いんだ、払える家賃だからかまわないという人は組織できない、相手にできないと思います。
 しかし、家賃値上げに賛成ではなくても、供託まではいかなくても、この家賃の問題のなかに隠されている、値上げされたら子どもたちの生活はどうなるのか、仕事はどうなるのか、あるいは部落の生活はどうなるのか、と考えていったときに、供託はしないけれども、あるいは値上げ反対組合にははいらないが、「あんたたたちのやることは支持しましょう」という人たちが、膨大につくりだされていきます。
 そういう可能性があるにもかかわらず、私たちの運動は、一方的に電波で情報を発していて、それをうまくキャッチしないラジオの方が性能が悪いとしてしまう。部落の人たちは、さまざまな生きざまや生活や労働をとおして、いろいろな価値観をもっています。たとえば、最近でも、介護保険がはじまれば、これだけ有料になる、自己負担があると何回もビラで暴露し、マスコミに報道されていても、いざ介護保険を受けて、「あなたはいくらいくら実費がかかりますよ」と言われて、「何でそんな金をとられるのか、それだったら介護保険はいやだ」という人たちが出てきています。非常に頑固で、自分の物差しにかからないと、なかなか理解できない人がいます。
 お年寄りだけではありません。それぞれが、それぞれの価値観や自分が生きていくスベみたいなものを持って生きてきた。だから、「何でこんなことが分かってくれないのか」というようなこともふくめて、がんとして聞こうとしない、あるいは聞き入れようとしない。一〇人いたら一〇人とも立場が違う。ところが私たちの方は、一定の価値観にもとづいた情報しか発信できない。私たちは、そういう運動のあり方だと思うのです。
 だから、いくら電波にのせる中身を、歌にかえてみたり、逸話にかえてみたりという小手先の工夫ではなくて、私たちが発信する電波をいろんな周波数で発信できるような能力を、持たなくてはいけないと思のです。そのことに気づかない奢りが私たちの中にあると思います。そのようなあり方を改めていくことをぬきに、全国連が大衆組織として脱皮していく、成長していくことにはならないのではないかと思います。
 大衆の自己解放性というか、自己変革の道すじを私たちは、しっかりと受けとめていかなければなりません。「大衆の中へ」というのは、なにも大衆の中へご用聞きにはいることではありません。「なにか用件や要求はありませんか、困ったことはありませんか」などというものではないのです。困ったことがあっても、困っていると感じることができない人たち、あるいは、それを言ってはいけないということを、信条にしてきた人たちにとっては、実際に困っていても、いくらご用聞きがきても、「用事はないから帰って」という話にしかならないと思います。
 部落の人たち一人ひとりが抱いているものの考え方に結びつきながら、問題を噛み合うかたちで提起できるかどうかが問われているのです。そういう力が私たちには欠けています、弱いのです。
 極端な話ですが、たとえば三里塚を提起する。提起することは必要だし正しいと思いますが、しかし、それと無縁なところで生活している人にとって、「そんなことを言われても」という反応しかかえってきません。あるいは、本部派の連中は、「自分のところがこんなに困っているのに、他人のことなんか構っていられるかい」、と言います。功利主義的に解放運動がすすめられている中にあっては、「本部派の幹部のいう方が正しい」ということになってしまいます。

 大衆のたちあがりを促進する運動を

 大衆が今、もっとも関心をもっていることを的確にみきわめて、大衆がもっている関心の目線から、問題意識を拡大していくことが必要だと思います。そういうきっかけが、たとえば、政治闘争であれ、選挙運動であれ、労働運動であったり、組合運動であったり、要求闘争の領域であったりします。要求闘争を例にとれば、いくら要求闘争を頑張っているといっても、住宅要求いがいには関心を示さない、ほかの教育の課題などには関心を示さない、私には子どもがいないから関係ないという層をふくめて、住宅闘争は、同時に労働の問題であり、政治の問題であり、あるいは同和事業うちきり攻撃の問題があり、差別が強まる事態があり、というように大衆の自己運動を促進させていくのが、私たち活動家の仕事だと思います。
 ところが私たちの活動スタイルは、自分たちの政治課題とか闘争課題に同意をもとめて一緒に闘いましょうというやり方になっています。それが大衆の生活や実感からかけ離れたことであっても、正しいことだから支持してもらって当たり前のはずだという態度になっています。よく例にだすのですが、三里塚のことにしても、三里塚のことは分かって当たり前だ、あの豊かな大地をアスファルトで塗りつぶしてよいのかと言います。土地を持っていない人間にしたら、「高く買ってくれるのだったら俺なら売るぜ」という実感のズレが実際の話としてあります。こんな議論でも、「土地を売って農民が幸せになるのか、アブク銭をつかんだらバクチや遊びですっからかんだぜ、そうやって一生がグチャグチャにされていくんだ」と、そういう弱さも強さもふくめて話をしていけば、共感を感じてくれる人たちもいるし、「そんな売る奴はダメや、人間持ちなれん金を持ったらいかんな」というところで、三里塚に共感する人が出てきてもいいと思う。
 そういう大衆の自己運動を促進させるのが私たちの仕事なのです。ところが、いくらへりくだった言葉をつかっても、偉そうに言わなくっても、運動の構えとして大衆を目覚めさせる、あるいは大衆を引き上げていくという態度になっているのではないでしょうか。私たちの運動は、自分たちの考えていることに何人の人を集められるか、共鳴者、ともにたたかう仲間を何人増やすかというということですが、それは、自分たちの考え方に引き寄せていくことではなくて、大衆の自己運動を促進させることで、共通の認識を深めていく手法をとる必要があると思うのです。
 私たちが講演などで話をしても、できるだけ大衆の生活実感や経験を探りながら、そこで共通のものを確認しながら、その人がどこに転がって行くべきなのか、どっちの方向に向かって行くべきなのかということを提起します。そして、こっちに向かっていったら同じ問題をかかえているという共通の認識をつくりだすように努力しています。その上で、どっちの方向に進むべきなのかは大衆自身が決める、自己決定するのですから、その時に、こっちに進んだらこういう風になって行くのではないか、だからこっちに向かわなければならないのではないかと方向修正すれば、こっちに進んでくるきっかけになり、それによって新たな経験や新たな価値観をつかみとっていきます。そして、こうした共通の認識のうえにたった行動の過程で、いろいろなものが吸収されたり、自己増殖したりしていくのです。
 これは部落民だけではなくて、民衆はこういう形で成長していくのですから、このようにして民衆の自覚の目覚めを促進していかなければならないと思います。オルグも自覚を促進させていく一つの手段であっても、オルグだけで、その人のすべてを獲得できるものではないありません。大衆の成長、部落民の自己選択の過程、自己運動を最大限に尊重していくことが、部落大衆の中における運動の原理なんです。

 自己解放性に依拠した組織の確立を

 そこを「辛抱強くやれるかどうか」ということが、活動家や役員のウデにかかるのではないかと思います。「大衆の自己運動を促進させていくのが自分たちの役割なのだ」と、常に考えていることができない役員や活動家が多いのだろうと思います。とくに、全国連の場合は、組織を組織として確立していくことが重要な課題になっています。支部の全体集会が、きちっと月に一回開けていないとか、執行委員会も開けていない組織もあります。年一回の支部大会も開けないところは、組織が組織として、組織の基本が成り立っていない側面があります。組織を組織として確立するためには、たんに役員や活動家が「こまめにきちっと会議をもちましょう」という決意だけですむ問題ではありません。役員や活動家じしんが、大衆とのかかわりで課題が見えていない現実があり、それはすべて大衆蔑視につながると思うのです。もちろん、へんに大衆を持ち上げることも、大衆蔑視の裏返しだと思いますが、大衆の自己解放性に徹底して依拠することです。極端ないいかたをすれば、大衆の自己解放性に依拠しないことから組織の腐敗がはじまるのです。大衆はここまでしかできない、大衆にはこれは無理ではないかと思ってしまうのです。しかし、今は無理でも三年後にはできる、人によっては一年後にできるようになるかもわからない。そういう大衆自身の運動を保障して促進させていく考え方が頭になければ、大衆に依拠することもできないのです。

 融和主義を克服する活動スタイル

 組織内的には、大衆蔑視の克服を、融和主義批判という立場からしっかりと確立したいと思っています。組織を組織としてつくっていく場合に、大衆運動のスタイルとして、大衆運動の原理がつらぬかれていることが、基本になります。これは、糾弾闘争しかり、要求闘争もしかりです。部落解放運動において、大衆が経験するあらゆる場面で、つらぬかれていないといけないのです。たとえば、たたかいの総括をする場合にも、本部が総括するときには、政治的で全体的な総括になりますが、支部や青年部、婦人部で総括するときには、大衆がたたかいに参加してどう感じたのか、その場面に遭遇して、その人は何を、どういう力をつかみ取ったのか、などをつかむことです。そういう総括のなかで、支部の指導部は、大衆の自己運動にどこまで火をつけることができたのか、どのように大衆自身は成長していっているのか、という側面で総括することです。こうした総括がなかなかできていません。
 組織的な総括は、政治的にどういう位置を獲得したのかということと、そのうえで大衆がどのようにそれらを受けとめ、自分のなかにどういう形で血肉化しているか、ということであります。たとえば、三里塚闘争にいって、ある人は「機動隊に文句言ってスッとした」と感想をのべ、ある人は、「あの機動隊が怖くて、もう二度と行きたくないと思った」という感想があったとき、スッとして元気でたという人はいいけれども、全然元気が出なかった人たちについて、どのようにフォローするのかということです。こういう人たちに、どういう経験をしてもらえれば、「警察なんか怖くない」と思ってもらえるのかということが、つぎの私たちの課題になります。それを、元気のいい人たちの感想だけで総括したら、その人たちだけの運動になるだけで、「怖かった、二度といきたくない」という人たちは、積み残されていきます。そして、その人が、まだ三里塚闘争に確信を持ちえていないならば、三里塚ではなくて、その人は要求闘争の場面で、さまざまな経験やたたかいの場面を共有することで、「ああ、やはり三里塚にいかなアカン」と思ってもらえるようなフォローをしなくてはいけません。たたかえば、成果とともに、かならず宿題がのこって、その宿題をつぎにどのようにしてこなしていくのか、ということが大切です。
 つまり、私たちが、しっかりとアンテナをはって、大衆の顔色を見ていくことで初めて、役員、活動家としてのつぎの仕事と宿題が見えてきます。私たちは、大衆団体なのだから、負けたときは負けたと総括をすればいいのです。そうして、「負けて悔しい、つぎは勝たないとアカン、どうしたら勝てるのか」と考えていくべきであると思います。
 大衆の解放性に徹底して依拠する、つまり村の人たちは、かならず部落解放運動に立ちあがるものだという確信にたちきって、大衆自身の自己運動を促進させていかなければいけない。そして、自己運動が開始されるようなさまざまな援助をやっていかなければならない。時には、押したり、ひっぱたりしないといけない。とかく、活動家は、自分が前にたって引っ張ることばかりやります。しかし、大衆の自己運動を促進させるためには、時には後ろから押さないといけない。全国連の青年や婦人の活動家の「自分たちがやらないとダメなのだ」という英雄主義や運動にたいする献身性はすごいと思う。しかし、自分が先頭で旗をふって、みんなをドンドン引っ張っていくだけではなく、後ろから押していく。つまり大衆の自己解放性を促進させていくことがないといけない。そういう考え方がまだできていないし、それが内なる大衆蔑視であって、役員や活動家の思い上がりなどは、融和主義なのではないでしょうか。大衆の自己解放性に依拠できないあり方が、部落解放運動的にいうとさまざな幹部請負や、日和見主義もふくめて生み出されていくのだろうと思います。そういう大衆の自己解放性に依拠するということが、融和主義に絡めとられない原点なのではないかと思います。

 自己解放性に満ちた要求闘争

 こういう視点に立ったときに、三大闘争をどのようなものとして、日常のたたかいの中で発展させられていくのかが分かります。村の人たちが、村のことに関心を示しているのに、その関心と向き合わずに、「ガイドライン」や「沖縄」と訴えても、それは総スカンを食らって、分かるのはほんとに一部の人だけとなります。私たちの運動は、一部の人たちを決起させるのは、村全体を決起させるためのものなのです。そのへんで自分たちの運動の限界があります。だから、要求闘争をとおしてもなかなか発展しない、あるいはスソ野や領域が広がらないということになります。「糾弾の全国連」というと、「やはり糾弾なんだ」という、非常に観念的で、部落解放運動を理解できない人が多すぎます。
 私は、べつに要求闘争が糾弾闘争に比べて低い闘い方だとは思っていません。全国連は、要求闘争を差別糾弾闘争の要求闘争としてたたかいましょうといっているのです。これは差別にたいする怒り、差別をなくそうという大衆の自己運動や自己解放性に依拠する闘い方をしようとするものです。それがない要求は、単なる欲のかき集めです。
 しかし、本質には、そういう側面をもちながら、一方では差別のことはよく分からないとか、差別はなくならないと思っている人でも、こういう要求を通してくれたらありがたいし、とりあえずそういうことでいこかということがあります。そのままでは、功利主義的に、あるいは物取主義、融和主義におちいる側面があります。しかし、差別されないために要求するという側面もないわけではないんです。そういうさまざまな人たちをふくめて、はじめて要求闘争はなりたつわけで、はじめから差別糾弾闘争を意識した要求闘争というわけではありません。したがって、そういうことに振り回されることをとらえて、差別糾弾闘争がいいとか、糾弾闘争が本質だとか観念的にとらえてはなりません。
 要求闘争のスタンスは、大衆の自己解放性に依拠する、自己運動を促進させていくものであり、その手がかり、きっかけであり、そういう要求闘争をとおして大衆じしんが、多くのことを学び成長していく過程だと思うのです。だから、一〇通りの要求があれば、一〇の要求組合があっていい。要求組合、要求闘争は、必ずしも部落全体を包括するものではありません。住宅家賃闘争といえば、家賃値上げ反対の人だけだし、教育闘争といえば、子どみをもつ親は必死だし、つまり、階層とか、性別、年齢によって要求の度合いが異なるので、必ずしもひとつの要求が全部落を包括するわけにはいかない。しかし、たとえば青年だったら、青年の独特の要求であっても、そこに部落差別との関わりのなかで、その要求が明らかにされたときには、それは、もう部落全体の利害になっていくのです。

 全国連の要求闘争の考え方

 要求闘争というのは、あまり難しく考えすぎると、大衆がはいってくる入り口が狭くなってしまいます。あまり広すぎると功利主義と物取主義だけで終わってしまいます。昔、古い解放同盟の活動家が、「調査なくして要求なし」とよく言っていたけれど、ひとつの要求を部落の普遍的な課題、部落全体の問題として展開できる能力がないところは、やはり物取主義に終わってしまいます。だから、この要求の根拠を明らかにすることで、部落全体の支持と協力をえながら、部落のある階層、ある集団の要求の実現のために部落全体が力を合わせていく運動にしていく必要があります。
 全国連がやろうとしている要求闘争は、要求者だけを集めて、その人たちだけが要求実現のためにがんばっていくというのではありません。部落の中のある集団のひとつの要求を、部落全体の要求として、それに差別糾弾闘争という光を当てることで、一人の要求が、部落全体の普遍的なものとして位置づくのです。常にそういう闘い方ができるかどうかは、差別糾弾闘争としての位置づけがあるかどうか、ということです。
 差別糾弾闘争を観念的に理解すれば、要求闘争の普遍化とか、部落の中での要求の組織化というようには、なかなかならないのではないかと思っています。差別糾弾闘争の視点がなければ、既成の解放同盟の物取主義と、なんら変わりません。大衆の自己運動と自己解放性に依拠する視点に立った要求闘争の闘い方を、私たちが身につけることで、あと二年で特別立法も終わりという中で、たたかいができるのではないでしょうか。法律がきれたら、要求も終わりという考え方ではなく、むしろこれまで強調してきたスタンスに立ったときに、要求闘争は、もっと大衆に依拠できるたたかいになるのではないでしょうか。逆にいえば、法律があるからたたかいやすくなった、安易に要求が実現できる、しかし、これからはそうではありません。あったものはなくなるし、それらを復活させたり、新たに要求したりすることは、もっとも困難なたたかいになります。
 役員が前に立って引っ張っていくというスタイルの運動では長続きしません。ひとつの要求を実現するために、三年も五年もかかる、あるいは一〇年たたかわないといけないかもしません。その時に役員が前にでて大衆を引っ張っていくというあり方で、こういう困難な時代に、要求闘争が要求闘争として成立するでしょうか。それは絶対に成立しません。大衆じしんが、要求者じしんが、一人ひとりが、これはなんとしてもとれる、なんとしても取らなければならない、そして絶対勝てるという確信をたたかいの中で、そういう自己運動の中で形成していくことぬきには、これからの時代では、なんの要求闘争も成立しないのです。
 ここでは、本部派批判をあまりしませんでしたが、本部派批判をとおして全国連を大きくしていくというよりも、全国連のたたかい方につらぬかれるべき全国連の思想を、明かにしたかったのです。この時期に、本部派が返上運動にはしる、あるいは寝屋川にいたっては、「特別対策があるから差別されるんや」とか、小さくなって行政の恩恵に甘える時代は終わったとか、自分たちは納税者であり、市民であり、堂々と胸を張って生きていくのだ、主張しています。この背景には、たたかってもとれないという敗北感があり、さらに、大衆はもうたたかう気力もない、また目に見える成果を保証しないと大衆は動かない、そんな大衆を頼みに運動をやるのは、いえば自殺と同じだ、という大衆の自己解放性に依拠できない大衆蔑視そのものがあります。

 本部派は典型的な大衆蔑視

 だから本部派は、この時期に要求闘争をやることができないのです。法律がきれて、同和行政という概念がどんどん後退し、行政責任が後退していくなかで、たたかっても必ずしもモノがとれるとは限らないという時代のなかで、彼らの日和見主義から、すべて大衆の責任にしてしまっています。大衆にたいして、「こんな解放の思想のかけらもないような連中相手にしても仕方ない、勝てっこない」と思っているのです。
 全国連の要求闘争の悩みは、たたかいを大衆の自己運動として発展させきれていないことにあります。たとえば、戦後直後のオールロマンス闘争や国策樹立運動を契機とした、さまざまな行政闘争や要求闘争は、大衆の怒りや自己運動に支えられながら発展していっているのであり、そこを見ないとダメです。要求闘争じしんの考え方としても、それ自身として確立しなければダメだと思います。法律があれば、一〇日くらい座りこみをして、一〇くらいの要求をすれば、三つくらいはとおるだろう、だからそこで妥協しながら、もう一度やれば何とかなるだろうという小手先のやり方では、大衆を圧力の手段としか使わないという大衆蔑視が生まれてくるのです。

 部落を基礎に五万人組織建設を

 どこの村にいっても、「全国連はようやってる、がんばっている。せやけどあんた、三里塚や反戦やガイドラインやというて、そんなことばっかりやって、いっこも村のことやってくれへん」という声を、正直にいって聞きます。みなさんも思っているでしょう。私もそれではいけないと思います。三里塚や反戦をやる以上に、それの二倍も三倍も、村のことを一所懸命やらなければなりません。全国連の組織の基礎は、一人ひとりの部落民ですが、部落民がよって力あわせて生活し生きてるのは部落です。この部落全体をやはり変えていくような運動をやらないと、私は部落解放はできないと思っていますから、元気のいい部落の青年が、二、三人出てき手も、「ああよかった」とは思っていません。
 そういう二、三人の元気な青年に、村丸ごとを変えていくような運動をやってもらいたい。部落を基礎にして、部落民の立ち上がりをつくっていくのが全国連の運動のスタイルです。ですから、三里塚や反戦やガイドラインばかりではいけません。当然、その二倍も三倍も、青年が村のことをやっていかなければならないと思います。
 そうならば、三里塚や反戦、沖縄のことをやらなくてよいのかといえば、実は、それは違います。沖縄で名護に新基地がつくられる、三里塚で軍事空港がどんどん拡大されていったら、そういう社会の仕組みの中で私たちの生活や暮らしの破壊と差別がますます強まってきます。
 あちこちに軍事空港をつくって、これから戦争をしかけていこうという日本の世の中のあり方を変えていくためには、私たちは、部落民の立場から、戦争や沖縄、三里塚の問題を見過ごすことはできません。こういう立場から、しっかりと運動を見ていくことが必要です。
 とくに、今、どんどん戦争への流れと動きが強まっています。「日の丸・君が代」もそのうちの一つです。全国連は、皆さん方から「村のことをやれや」「自分の頭のハエもおえんのに、何が三里塚じゃ」とよく怒られてきました。怒られながらも、やはりそれでもけっこう反戦平和の闘いをやってきました。なぜなら、こういう時代だからなのです。戦争に向かっていろんな運動が抑えつけられたり、弱められたり、ごまかされたりしている時代のなかで、真正面から戦争反対を掲げて、そこから部落解放を実現していこうと考えている運動体は、正直いって全国連しかありません。
 きわめて厳しくても、あるいは分の悪い運動を担っているという評価も一方でなりたちますが、そういう運動をつらぬいているのが全国連です。しかし、差別に対しては絶対に妥協しないぞ、絶対に国のごまかしや懐柔には負けないぞ。いくら飴をちらつかされても絶対に食わない。差別をなくすまで、とことんたたかうのだ、という運動が必要です。
 まさにこれからは、全国連しかこういう時代に立ち向かえる組織はないと思っております。全国連は、これからの運動をにない、これからの厳しい時代、部落大衆の先頭にたってたたかっていきます。このように自負をしております。そういう気持ちだけではなしに、そういう実力をつけた組織として、皆さん方にともに結集していただくことで、より大きく力強い運動に育てていただきますことをお願い致しまして、私の記念講演にかえさせていただきたいと思います。がんばりましょう。
     (全国連書記長  なかた きよし)

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