石川一雄さんと共にたたかうぞ! 小中学生が狭山集団登校(奈良)

(2008年11月18日)

  奈良・古市支部の狭山集団登校報告
大阪・富田(高槻市)では、全戸に狭山署名


奈良・古市の狭山集団登校 【奈良・古市支部】10月30日に小学生が、31日には中学生が、今年も狭山集団登校をやりぬきました!
古市支部では10月に入って、学校への申し入れ、児童館との話し合い、親の会・小・中学生を集めての説明会、町内全戸へのビラ入れ、大タテカンバンの設置をおこない、『10・29古市小学生・中学生狭山集会』を開催しました。
集会では小学生・中学生が堂々と、差別糾弾・狭山闘争勝利、そしてムラ・学校・校区を変えていくために先頭に立っていく決意を語りました。
集会後、中学生の中心的グループは夕食の時間も惜しんで同級生の家にオルグに回りました。30日・31日と連続闘争となりましたが、当日は児童館で『集 団登校前段狭山早朝集会』をおこなったあと、横断幕を掲げ、黄色のゼッケンを付けて元気にシュプレヒコールをしながら学校までデモ行進を貫徹しました。中 学生は去年の8倍の結集をかちとりました。
集会や連日の行動には児童館をはじめ、人権文化センターや地元保育園からも支援参加がありました。
しかし、小学校・中学校の教師は誰一人参加しませんでした。これが今の「同和教育・人権教育」の実態です。この現実は親・子・支部がしっかりと目に焼き付けました。
私たちは、この教訓をバネにして、真の解放子ども会と中学生友の会を復活させ、差別教育的対応を徹底的に糾弾する新たな闘争と組織建設を断固開始する決意を打ち固めました。

大阪・富田(高槻市)では、全戸に狭山署名
【大阪・北摂支部】10・26狭山中央集会とデモ、27日の東京高裁と東京高検への再審要請行動は大勝利しました。差別者集団・革共同の妨害を打ち破り、独自の力で労働者階級との共闘を構築し、狭山勝利の大きな出発点を築いたのです。
10・26狭山中央闘争にむけて、わたしたち北摂支部は、東京高裁・門野裁判長による第3次再審請求の棄却攻撃がせっぱつまっているなかで総力決起することを決定しました。
毎月の狭山23デーでの全部落を対象にしたビラまきだけではなく、全戸に署名に入ることにしました。最初は支部員が住んでいる棟から入り、462世帯の同和住宅すべてを回りました。
「狭山再審を求める署名です。27日に狭山要請行動に行きます。そのときに富田の声として裁判所に出します。ぜひ協力してください」と言って一軒一軒まわりました。同時に「(本部派の)富田支部ではありません。毎月23日前後にビラをまいてる全国連です」と、自己紹介もしながらまわりました。
「ビラはあんたたちだったのか」「読んでる読んでる」と言って署名に快く応じてくれる人。「まだやっているのか。石川さんも年をとったろうな」と言ってやってくれる人など、あうことのできた人はほとんど応じてくれました。
同和住宅の自治会の役員さんも夫婦そろってやってくれました。本部派支部ではないことを理由に拒否したのは3軒だけでした。
同和住宅を全部回り終えたあと、持ち家も一軒一軒まわりました。狭山のことは関係ないと言って断った人も数人いましたが、全国連の署名だからと断った人はひとりもいません。それどころか、何もしない本部派支部に怒り、家族親類の名前を多数書いてくれた人もいました。また全国連に心をよせてくれる人もいました。
富田地域のほぼすべてをまわり、240筆の署名を集めました。東京高裁には今までの23狭山デーの署名を含めて317筆を提出しました。署名のあと、村で知らない人が挨拶をしてくれたり、風呂でご苦労さんでしたと言ってくれる人が現れました。
私自身も村のなかでできるだけ誰にでも挨拶することを心がけています。本当に今度の署名運動で大きな財産を作り出したと思います。
最後にその後の本部派の動きですが、住宅全棟の掲示板に「現在富田支部の活動家が各ご自宅を一軒一軒まわって狭山差別裁判の署名・カンパ活動を行うことは一切していません」というチラシを貼っています。恥ということさえ、わからなくなっているのです。
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