西村豊行(元部落解放理論センター所長)を追放せよ!

(2008年10月23日)

 

 このたび、部落解放理論センターから2つの文書が発表されましたので、紹介します。

 西村豊行(元部落解放理論センター所長)を追放せよ!
部落解放理論センター

 差別者集団・革共同は、全国連が開催する10・26狭山中央闘争に敵対して、分裂集会を策動している。われわれは、石川一雄さん不当逮捕45ヶ年を糾弾する5・23につづき、寺尾判決34ヶ年を糾弾するたたかいに、革共同が「部落解放東日本共闘会議」を詐称して分裂集会をひらくことなど絶対にみとめない。革共同による狭山差別裁判糾弾闘争とその陣形の破壊を絶対に許さない。狭山闘争は、部落解放運動の天王山であり、日本階級闘争の不抜の砦である。われわれ部落解放理論センターは、「うちがわ」から狭山闘争を分裂させるという階級的犯罪に手をそめた革共同を打倒するまでたたかう。

 この狭山闘争「破壊」集会の中心的発言者として登用されているのが西村豊行である。だが、この西村豊行なる人物は、みずからの小ブル的名誉欲のために部落大衆を裏切り、全国連のたたかいから逃亡した卑劣きわまりない人物に他ならない。こういう人物が、石川一雄さんのたたかいにたいしてあれこれ評論したり、緊迫する狭山第三次再審闘争にたいして無責任な評論を行うなどということは断じて許されない。石川一雄さんと部落大衆、狭山闘争をたたかうすべての労働者にたいする限りない冒涜である。
 われわれは、ここに、西村豊行の差別犯罪とも言うべき行為のすべてを明らかにし、最悪の差別者=西村豊行を徹底的に弾劾し、部落解放運動と階級闘争場裡から未来永劫追放することを宣言するものである。

① 西村豊行の差別犯罪の第1は、「部落民の味方」面をして広島差別糾弾闘争に敵対し、革共同を擁護していることである。
 いまや、広島差別事件は、革共同の必死になったもみ消し策動を粉砕して「差別事件」として労働者階級全体の認識となり、革共同糾弾の声は大きく広がっている。革共同の「路線論争だ」とか、「学生同士の討論」などという見苦しい言い訳はその化けの皮がはがされ、差別の開き直りと糾弾闘争への敵対という差別主義の本性が、いまや完全に暴き出されているのだ。
 ところが、ここに、革共同の提灯持ちとしてのこのこと登場してきたのが西村豊行である。西村はみずからを「解放運動の理解者」などとして押し出し、あたかも「部落民の味方」であるかのようなポーズをとって登場し、その「肩書き」を使って革共同に取り入り、広島差別事件糾弾闘争から革共同を守ることで革共同内での地位を得ようとしているのである。革共同は革共同で、自分たちのみすぼらしい主張では誰からも相手にされないがゆえに、西村の「肩書き」に飛びついたと言うわけである。このような構造のもとで『前進』紙上に掲載されたのが「小山たかし」なる署名の西村豊行による2つの文章である。(2月と、9月)
 だが、この「小山たかし」というペンネームを使った西村豊行の主張は、その目的の卑劣さとともに、その中身じたいが卑劣であり、でたらめな差別文書である。
 このなかで、西村は、「糾弾のルール」なるものを持ち出して、あたかも全国連が「糾弾のルールに反している」かのように描き出そうとしている。しかし、これは、西村豊行じしんが差別糾弾闘争も、部落解放運動も、じつのところ何一つとして理解していない傍観者でしかなかったことを自己暴露するものでしかない。
 だが、差別糾弾闘争に、そもそも「ルール」などない。差別糾弾闘争は、部落民にたいするあらゆる身分的差別のあらわれを一つひとつ糺すことにはじまり、部落差別のただひとつの根源である日本帝国主義とその階級支配の粉砕をめざすたたかいである。それは、部落民の自主的な団結と行動、労働者階級との階級的連帯にのみ依拠したたたかいである。周知のように、部落解放運動は労働組合のように法的に認められた権利というものを持たない。部落民じしんの団結権も、差別を糾弾する権利も、何一つとして法的に保護される対象ではない。それらは部落民じしんの実力によって、また、労働者階級との心の通った信頼関係によってのみ保障されてきたのである。
 「ルール」とは、いったい誰にとっての「ルール」なのか。この「糾弾のルール」なるものを問題にしたのは、帝国主義国家権力とそれにそそのかされたマスコミ、日本共産党だけである。日本帝国主義は、水平社の時代から警察や軍隊、右翼・暴力団など、ありとあらゆる暴力をつかって糾弾闘争に介入し、弾圧してきた。戦後の同和対策事業も、地対協路線も、差別にたいする部落民の怒りを解体することを最大の目的としていた。1989年には、「被糾弾者の人権の配慮」というルール=法務省見解をうちだして「確認・糾弾会には出席すべきでない」と差別者に指導し、露骨に差別糾弾闘争つぶしにでてきたのである。
 たしかに、解放同盟本部派は、八鹿闘争を契機として「糾弾のルール」というようなことを言い出した。だが、これは、権力の弾圧にたいする自己防衛のためという性格の強いものであった。しかし、その後、綱領の改定をはじめとして糾弾闘争を投げ捨てるという立場から、この「ルール」なるものも次々と書き換えられていった。こんにちにいたっては、「社会に認められる」という規定をもって事実上、糾弾闘争そのものの完全な精算とも言うべき事態にまでいたっている。
 西村豊行の言う「糾弾のルール」とは、じつは、この本部派による融和主義的転向のもとで、糾弾闘争を事実上投げ捨てるためにつくられた「ルール」の密輸入に他ならない。
西村は、「自分が犯した部落差別について確認会に出席して改めようとしている差別者については、その場で新たに差別発言がおこなわれたとしても問題にしない」という「ルールがあるはずだ」としたり顔で主張する。だが、笑わせるな。これでは、かの、元カクマル派の辻本君(奈良県連)の言う「本音のトーク」とうり二つではないか。いったい、いつから西村豊行は本部派(しかもカクマル)のシンパになったのか。こういうでたらめな「擁護」では、誰一人として説得できないばかりか、広島差別事件を引き起こした当該の中島君にとってもおおいに「迷惑」なことに違いない。

② 第2に、全国連を支える数かぎりない部落大衆にたいする裏切りである。三木副支部長をはじめとした全国連荒本支部の人々、南畑安太郎さん、北浦寿恵子さんをはじめとする奈良の人々、長年苦楽を共にしてきたはずの福岡の人々など、西村豊行は、全国連合会の同盟員のすべてを裏切り、後ろ足で砂をかけたのである。
 全国連の中田書記長は、2月に『前進』紙上に「小山たかし」署名の文章が出た以降も、これが西村豊行の文章であることを百も承知の上で、「西村豊行の名誉に傷がつくのは忍びない」という気持ちから、怒りを飲み込み、すべてを伏して勇退を促した。だが、西村豊行は、その場ではそれに従うふりをしながら、翌日には、「東京の前進社に行く」という手紙を送りつけてきたのである。
 奈良の南畑安太郎さんは、全国連を絶対に裏切らないということを信じて、誰にも言えなかった幼少の頃からの差別体験や軍隊内での差別体験を西村豊行に語った。荒本の三木副支部長をはじめ多くの荒本の人々は、生涯にわたって荒本支部と運命をともにすることを信じて、荒本の団地を西村に提供し、荒本内での生活に多大な便宜を図ってきた。だが、西村は、「東京の前進社に行く」ことを決めて以降は、荒本の村の中を歩くのも顔がわからないように深々とほおかむりし、こそこそと誰にもしられずに引っ越しを準備し、部屋の鍵を荒本支部にではなく行政に送りつけるというやり方で、この荒本の人々の信頼を泥靴で踏みにじったのである。
 西村豊行がどのようなことを主張しているかということよりも、まずなによりも、このような裏切り行為は人間として断じて許されない。部落大衆が、差別の渦巻くよのなかで、他人(しかも一般の)に心を開き、信頼を寄せるということが、いったい、どのようなことか。そして、それを平然と裏切った行為がいかに重大なことか。これから、西村豊行はいやというほど思い知るに違いない。

③ 第3に、こうした犯罪的行為を、西村豊行は、自分のプチブル的名誉欲を満たしたいだけのために平然とおこなっていることである。
 西村の主張には、首尾一貫性などまったくない。「誰が自分を一番高く買ってくれるか」、これが西村の行動原理だ。2006年の「3・14」(革共同の言う「党の革命」)がおきたとき、西村は「3・14」反対の最右翼だった。そして、「3・14」に対抗するために理論センターや全国連を動員しようとして批判され、部落解放理論センターにいられなくなって逃亡し、現在の革共同「関西派」に身を売った。1年前には、その立場から7月テーゼにたいして「受け入れられない」と語り、全国連の中執会議では、広島差別事件にたいしても「糾弾すべき」と語っていた。しかし、革共同が「中央派」と「関西派」に分裂した時には、あたかも自分が「3・14」の急先鋒であったかのように言いつくろって、「中央派」にすりよっていったのである。
 西村は、みずからを「部落解放運動の理解者」などと自画自賛する。だが、まったくのニセモノでしかない。西村の部落大衆と部落解放運動への関わり方は、部落大衆の差別にたいする非和解的な怒りと自己解放的決起にのっかり、それを利用して文筆家としてのプチブル的名誉欲を満たそうとするものでしかなかった。また、部落大衆の怒りにのっかって党内における地位を確保したいという願望でしかなかった。その底にあるのは、「自分は革命家だ」という観念的な自己陶酔いがいのなにものでもない。
 だからこそ、広島差別事件によって革共同と全国連が対立するやいなや、「これで自分は革共同内で部落問題の最高指導部になれる」と浅はかな願望をえがいて、平然と部落大衆に背をむけ、革共同(「中央派」)にころがりこんでいったのである。自分を売りこむためには、それまでの主張を180度ひっくりかえして顧みない、無節操のきわみであり、最悪の卑劣漢である。

④ 最後に、こういう人物を表に立て、こういう人物を代表者にしてしか全国連に「対抗」できない革共同のデタラメさを指摘しておく。
 これまで見てきたように西村豊行は、部落大衆と解放運動を裏切り、全国連の破壊策動の先兵としてたちまわる、無節操な卑劣漢である。こんなやからを使ったところで、全国連にはなんの影響力も、打撃力も与えることなどできない。むしろ、革共同の恥をさらすだけである。革共同の「10・26集会」とは、「東日本解放共闘」が詐称なら、その中心的な発言者もまた「部落解放運動の理解者」を詐称する人物による「狭山集会」に他ならない。何とも無様な、おぞましい集会である。
 しかし、今の革共同には、西村豊行のような人物しか、部落解放運動について文章を書いたり、しゃべったりできる人物はいないのだ。「部落差別とは、労働者階級にたいする分断攻撃である」というのが革共同のただひとつの見解である。そこには、差別に苦しみながらも自分たちの団結と行動によって部落を解放しようとたたかっている部落民の存在が、完全に見落とされている。いや、部落民の存在とたたかいを認めない。それどころか、部落民に憎悪を燃やし、差別を扇動しているのが、今の革共同である。
 部落解放理論センターは、全国連との団結をいっそう深め、西村豊行を先兵とする革共同の部落解放運動への介入と破壊策動を粉砕することを宣言する。

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